明日の「具」足

社 光

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1話「ゆで卵ラーメン」【1/3】

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 「あぁ、またやっちゃった……」

 ベッドに寝ころんだままお昼後の寝ぼけ眼で流し見た時計は17時を回っていた。これで何回目だろう……「今日こそは進める!」って今朝心に誓ったのに……、退院してからずっとこんな調子だ。寝床の真横で画面を光らさせたまま放置されているノートパソコンの内容を保存してもう一度改めて背中を下に付けた。

「うがっ、痛ったぁ……」

 横になったままグゥーっと体を目いっぱいに伸ばした。首の後ろ側から頭の真ん中あたりにまでボキボキと鈍い音が駆け巡って一応気分的にはスッキリ。これがデスクワークとかで出来たコリなら誇らしくなるんだろうけど生憎巡り巡った原因は枕元に転がっているスマホだ。ソシャゲの周回も熱が入るとすごく時間を食う。充電器に繋げっぱなしだとどれくらい使い続けているのか分かりづらいから困る。

「ふぅ、なんか世間では変化はあったかな……?」

 またこれ、お決まりのパターンだ。ソシャゲに飽きたらSNS、流し見てお気に入りの動画も絵も更新されてなかったらまた周回に戻ってそのまま夜ご飯からのオヤスミ!何回繰り返してんだろ……。ご飯を食べて眠くなる機能は神様が間違えて人間に搭載したものだと信じてるよ。……とはいっても、今日ばかりは寝ころんだままじゃいられない事情がある。

「また買い物行かないとなぁ。こういう時だけは車が欲しいよ」

 糧食。つまるところ空腹への対処。昨日のバイト帰りに行くはずだった買い出しをすっぽかしたせいで我が家の食糧庫は底をつきつつあり、バイト先から持ち帰った残り物も無く、残されたものと言えば白米やハムに先立たれて冷蔵庫にただ1つ取り残された卵だけだった。このままじゃ私は明日の朝日を拝むことなく力尽きることになってしまう!冗談を言わなくてもこれは由々しき問題だ、特に料理をしない私にとっては余計に。という訳でまずはこのの揺り籠から下に降りて歯を磨くところから始めなくてはならない。自分の世話をしてくれるのは自分だけなのだから。

「……ん?」

 何か違和感を感じて辺りを見回した。給湯器の電源は切っておいたしゴミはあと2週間はと思うけど、それでも何か見落としている気がしてロフトの上でぐるぐると脳内と目線を駆け巡らせていると最初に流し見た時計が目に入った。……なんで時計を見たんだっけ?

「あ”」

───源《みなもと》さん、明日遅番なの忘れないでね───

「あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





「本当にすいませんでした」
「もう大丈夫ですよ。むしろこんな時間まで残って貰ってしまって申し訳ないです。中々生活リズムを戻すのは難しいでしょうから」
「そんなこと、もう3か月経ってますし……」
「本当に気にしなくて大丈夫ですよ。次のシフトは明後日でしたか?」
「……はい」
「また次取り戻してくれれば大丈夫ですから、今日は帰ってゆっくり休んでください。遅くまでありがとうございました」
「……お疲れ様でした」

 反省の気持ちを込めるのは大切だけど、そこをオーバーすると人って無意識になる気がする。そんなことを考えながら店長への謝罪を終えて帰路に就く私だった。
 本当に、26にもなってバイトの時間を間違えるなんて……何やってんだろう私。オマケに遅れた分は何の損害もなく後輩の子たちがカバーしてくれて店長もあんな感じ。これじゃ反省どころかかえって甘えてしまいそうな気がしてきて余計に自己嫌悪だよ……。あぁ、んなる。こんな有様でお金貰っておいて、頑張りたい事を頑張れないでどうすんの!ったくもう……。

「ふぁあ……キツい……」

 店を出たのが22時半くらい。中間くらいにあるピザ屋さんは過ぎたからもうすぐ家なんだけど、かなりヤバいレベルでの眠気が来てしまっている。自転車を降りて押していこうかとも考えてるけど、どっちみちこの寒さの中じゃ一刻も早く家に帰って暖まりたいという気持ちが私の中で勝っていた。

「はうぁ!あぶな……」

 真っ暗な進路の中から自転車のライトで照らされたポールが急に飛び込んできて慌ててハンドルをグイッと切った。幾ら駅から距離があるって言ったって街頭くらいもっと増やしてくれてもいいんじゃないのぉ?これじゃ事故が起こっても無理ないy

───ゴヌッス───
「えがっ!」

 ハンドルの右端に突然感じた異物感、硬い表面の内側にじっとりした柔らかさ。食べたことは無いがきっと高級店の生チョコレートってこういう感触なんだろうなっという感想をバランスを崩した車体を支えようと急ブレーキをかけて地面にふんじばりながら私は一瞬の内に思い描いていた、呑気に。

「ふっく!」

 後輪が何とか地面に戻ると同時に我に返って額から汗が噴き出してきた。右手側に感じたのは明らかにフェンスとかコンクリートじゃない。間違いなくなんらかのナマモノに当たった感触だった。頭の中でそう確信しておきながら何かの間違いであってほしいと思って私は恐る恐る首から上だけを後ろに向ける。街頭もほとんどない夜道は雲の切れ間から時折差し込む月明りだけに照らされて、地面に何があるのかなんてとても確認できないままにどんどん動悸ばかりが速くなっていく。声が出てこない。「大丈夫ですか?」というその一言は喉の奥に引っ掛かったまま嗚咽として私の口から零れ出てきていた。

「あぁあ……」

 駄目だこれじゃあ。ひき逃げをする悪人と何が違うの?大丈夫、お互い暗い中でこっちは明かりをつけてたんだし、最悪どちらにも非があるっていうことで謝って───

「───痛った……」


──ガシャシャシャシャシャシャシャシャシャリー!!!──


 全身の血が最高温度にまで上がる。気付いた時にはもう私はペダルを踏み砕く勢いで漕ぎ回して声の主に背を向けて走り出していた。最悪だ!どう考えても謝って丸く収めてくれなさそうな相手に当たっちゃった……!!!26年間生きてきてぶつかった後に「痛ったーい♪」と言ってきた子に素直に謝って丸く収まった試しなんて無かったもん!!!こっちが謝った途端に因縁をつけられてトイレに引きずり込まれてカツアゲされたりばっかりだったもん!!!

「ハァハァハァ!!!」

 パンパンに膨らんだ肺が中身を出し切らないうちに次の酸素を吸い込もうとするので胸の苦しさはどんどん増していくばかり。そしてその苦しさの半分は今まさにひき逃げ犯になろうとしている自分に対してのモノだった。とにかく早く!こんな暗い中なら遠ざかればある気じゃ追いかけては来られない!そしてそんなこと考えてる自分の浅ましさが余計に胸を締め付けて足を急かしていった。だけどそれはすぐに終わる。

「あっ……!」

 今日2度目の、多分さっきよりも強く握りしめた急ブレーキで止まった自分の目の前には大型トラックや深夜バスが行きかっていた。国道に合流する前の小道、深夜でも交通量の多い家の近くのこの道路の信号は一度赤になったらなかなか変わらなかった。

「あぁぁあ」

 胸が痛い。どうしてこんなことをしてるんだろう?夢であってほしいと何度も頭の中で念じてみても瞼を開けると目の前には変わらない赤信号だけだ。

「あの、すいません?」
「え”っ───」

 濁声を漏らしながら後ろから聞こえた女性の呼び声で振り向く。パンツルックのスーツにビジネスバッグを下げてネクタイを首元まで引き上げているその出で立ちは暗い中で顔がよく見えなくてもいかにもビジネスマン(ウーマン?)という感じ。この夜遅くにもかかわらずまっすぐに伸びた立ち姿も相まってシルエットだけでもその精悍さがこっちにまで伝わってくるけど、その整った立ち姿をたった1点で台無しにしている部分が右肩と右腕にくっきりとこびりついた擦り痕。特に右手首の周りは袖口が擦り切れてシャツの白が見切れてその内側はうっすらと赤い染みのような色合いが顔を出している。彼女だ。私がぶつかったのは、彼女だ。一瞬の間に脳内で自分の末路に関して色々なシーンが思い浮かぶ。脅されてお金をせびられる?裁判?即警察?どれにしたって大ごとには変わりないよ、あぁ……こんなことになるんならバイトなんてすっぽかしていれば良かっ───

「何か、無いんですか?」
「───へ?」
「……ですから、言うことは無い?」
「えっ、あっ……あの、お幾ら……お支払する感じになります?」

 赤信号の前で恐る恐る伺いとたてようとする私を真っ直ぐにに見据える暗がりの向こうの瞳にその瞬間力がこもったのが分かった。

「そうじゃなくて!ぶつかったらまずは!『ごめんなさい』って言うんじゃないの!!!?」
「あ───」

 そうだ、そうだよ。そうに決まってる。

「ご、ごめんなさい……」
「……」

 自転車のロックを掛けることもせずに両腕を前に組んで深々と頭を下げた。真横に転がした自転車のハンドルがくるぶしに当たってすさまじく痛かったけどとてもじゃないがリアクションなんてできない。もう私は、立派な加害者なんだから。

「出してもらえます?」
「……は、はい……えぇと……」
「何か身分証とか。預からせてもらって後日連絡します」
「えぇいやあ、あ、あの」
「何です?この期に及んで───」
「いやその……持ってなくて。今は」

 
 信用などしてもらえないとは内心思いつつも事実だけを伝えようと言葉を絞り出す。起き掛けに時計を見て大慌てで家から飛び出したせいで自転車のカギ以外の物は全部忘れてきてしまったからだ。

「え、何もって……そんなこと無いでしょ!?」
「いえ、ホントに何も……この自転車だけしかなくて。後は家に……」
「ッハ……携帯も持ってないんですか?」

 「信じられない」と溢して憤る向こうの様子を私は下げ続けている頭の上から覗く足元しか見ることはできなかった。そして少し考えた後に彼女は小さくため息を吐いてこっちに向き直ると目線を合わせなくてもこっちに伝わってくるほど鋭い視線を突き刺しながら私に自転車を起こして頭を上げるように言う。

「家までついて行かせてもらいます」
「えっ、あ……」
「言い逃れされては困りますから。貴方がどこの誰で、この事故に対してどのような処理がふさわしいのか、そちらで考えさせていただきますので、そのつもりでお願いします」

 悪いことは連続して起こるもの。得てして私はそういう星の元の生まれているという自覚があった。今まで生きてきた中で逃れようもなく、絶対に逃げてはいけない問題と対峙しながら、私はようやく青に変わった信号に向かってこの剥き身のカミソリのような人と共に歩を進め始めた。

 

 
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