82 / 87
【終章】太陽の手
太陽の手(1)
しおりを挟む
聖シュテファン大聖堂──シュテッフルの塔と同じ高さに花火があがった。
人々は建物から出て、広場や道に溢れ返る。
ウィーンを囲む市壁、その十二の門は今やすべて開け放たれていた。
二か月の籠城の末、遂にウィーンは解放されたのだ。
救世主である解放軍主力のポーランド軍が、軍装のまま馬に乗って市壁内を練り歩いている。
見物に群がるウィーン市民らに手など振りながら。
その中心にいるポーランド王ヤン三世を、苦々しい表情で睨んでいるのはウィーン防衛司令官シュターレンベルクである。
功労者たる守備隊の長は、しかし門番よろしくケルントナー門の脇に突っ立って目の前でのポーランド軍の行進を許していた。
九月十二日、ポーランド軍の突撃が致命傷を与え、オスマン帝国軍は潰走した。
日没の一時間ほど前のことだ。
翌早朝から、本格的にポーランド軍による略奪が始まった。
よほど慌てて逃げたのだろう。
敗走したオスマン軍の天幕の中には豪華な敷物や高価な装身具、武器食糧がそのまま残されていたのだ。
ポーランド軍はご丁寧に他軍の侵入を阻む見張りまで立てて、それらをかき集めた。
戦利品をあらかた喰らい尽くして、彼らはようやくウィーン入城を果たしたのだった。
「何なのだ、あの態度は。兄上、一発見舞ってやるがよろしかろう」
「お前の歌で歓迎してやれ。小言や嫌味よりよほど効くだろうよ」
「そ、それはどういう意味で……」
右側でグイードが文句を垂れている。
「気に入らねぇ。神聖ローマ帝国皇帝を差し置いてアイツが解放軍の旗印になってるらしいじゃねぇか。閣下、何とかしろよ」
「のんき者の陛下が軍を率いていたら、まだパッサウ周辺でうろうろしてるだろうよ」
「そ、それはそうかもしれねぇけどよ」
左にはバーデン伯。更に背後からも苦情があがる。
「第一、今日という日に喝采を浴び、市を練り歩くに相応しいのは父上ではありませんか。何故にこんな隅で指をくわえて見ていなければならないのです」
「知ってるだろ、お前の父には人望がない」
「そんなこと……。家族間ではそうかもしれませんが、市民たちからは慕われていると思います。一応は」
「……そりゃどうも」
軽口のつもりか。
普段冗談など言わぬ息子だから、言葉の本気度を測りかねる。
ともかく以前はこのような冗談──と信じよう──口にすることもなかった人物なのだから、ウィーンが救われたことに浮かれているのかもしれない。
あるいは父と息子の距離が僅かながらも縮まったか?
いずれにしても、こんなに周りから責められながらも、ウィーン防衛司令官シュターレンベルクが、まるで追い立てられるようにこんな端にいるかというと。
「早くオスマン軍を追撃するべきであると、兄上が何度進言しても聞き入れられぬとは」
「あんな腰の低い閣下、初めて見たぜ。ま、相手はウィーンを救ってくれた英雄王だもんな」
「父上の仰ることは正当なものです。なのにあんな風にあしらわれるなど……父上? 父上、聞いていらっしゃいますか?」
「あ? ああ……」
門から半身を出してきょろきょろしているところを息子に咎められた。
聞こえないように舌打ちする。
距離が縮まったはいいが、こいつの苦情はくどくて困る。
リヒャルトの言葉に適当に相槌を打ちながら、尚もシュターレンベルクの視線は外へ。
主君である神聖ローマ帝国皇帝レオポルトはどこだ?
この三人も、それから他の者たちも。
口にはしないが気にしているのは確かだ。
言葉にすれば惨めな気持ちになる。
我が主君が解放軍の中枢に加わっておらず、他国の王に良いように指揮られているなど。
レオポルトに軍事的な才能はない。
政治的才覚にも乏しい。
感情にもむらがあり、判断力も欠けている。
この非常事態を捌く器でないことは分かっている。
無意識にシュターレンベルクはため息をついた。
何より我が主君の駄目なところは──。
「すこぶるタイミングが悪い……」
こんな落ち込んだ空気の中、その人は姿を現したのだから。
「か、閣下!」
絶句したようなバーデン伯の声に目を凝らすとグラシの向こうに、見えた。
白馬の手綱を従者に取らせ、のこのこと近付いて来るその姿。
「お、お迎えにあがらなくても?」
リヒャルトに言われなければ、このまま相手が近付いて来るのをポカンとした顔で眺めていたに違いない。
戦闘は終わったため、馬は預けている。
シュターレンベルクらは徒歩で白馬の元へ駆け出した。
人々は建物から出て、広場や道に溢れ返る。
ウィーンを囲む市壁、その十二の門は今やすべて開け放たれていた。
二か月の籠城の末、遂にウィーンは解放されたのだ。
救世主である解放軍主力のポーランド軍が、軍装のまま馬に乗って市壁内を練り歩いている。
見物に群がるウィーン市民らに手など振りながら。
その中心にいるポーランド王ヤン三世を、苦々しい表情で睨んでいるのはウィーン防衛司令官シュターレンベルクである。
功労者たる守備隊の長は、しかし門番よろしくケルントナー門の脇に突っ立って目の前でのポーランド軍の行進を許していた。
九月十二日、ポーランド軍の突撃が致命傷を与え、オスマン帝国軍は潰走した。
日没の一時間ほど前のことだ。
翌早朝から、本格的にポーランド軍による略奪が始まった。
よほど慌てて逃げたのだろう。
敗走したオスマン軍の天幕の中には豪華な敷物や高価な装身具、武器食糧がそのまま残されていたのだ。
ポーランド軍はご丁寧に他軍の侵入を阻む見張りまで立てて、それらをかき集めた。
戦利品をあらかた喰らい尽くして、彼らはようやくウィーン入城を果たしたのだった。
「何なのだ、あの態度は。兄上、一発見舞ってやるがよろしかろう」
「お前の歌で歓迎してやれ。小言や嫌味よりよほど効くだろうよ」
「そ、それはどういう意味で……」
右側でグイードが文句を垂れている。
「気に入らねぇ。神聖ローマ帝国皇帝を差し置いてアイツが解放軍の旗印になってるらしいじゃねぇか。閣下、何とかしろよ」
「のんき者の陛下が軍を率いていたら、まだパッサウ周辺でうろうろしてるだろうよ」
「そ、それはそうかもしれねぇけどよ」
左にはバーデン伯。更に背後からも苦情があがる。
「第一、今日という日に喝采を浴び、市を練り歩くに相応しいのは父上ではありませんか。何故にこんな隅で指をくわえて見ていなければならないのです」
「知ってるだろ、お前の父には人望がない」
「そんなこと……。家族間ではそうかもしれませんが、市民たちからは慕われていると思います。一応は」
「……そりゃどうも」
軽口のつもりか。
普段冗談など言わぬ息子だから、言葉の本気度を測りかねる。
ともかく以前はこのような冗談──と信じよう──口にすることもなかった人物なのだから、ウィーンが救われたことに浮かれているのかもしれない。
あるいは父と息子の距離が僅かながらも縮まったか?
いずれにしても、こんなに周りから責められながらも、ウィーン防衛司令官シュターレンベルクが、まるで追い立てられるようにこんな端にいるかというと。
「早くオスマン軍を追撃するべきであると、兄上が何度進言しても聞き入れられぬとは」
「あんな腰の低い閣下、初めて見たぜ。ま、相手はウィーンを救ってくれた英雄王だもんな」
「父上の仰ることは正当なものです。なのにあんな風にあしらわれるなど……父上? 父上、聞いていらっしゃいますか?」
「あ? ああ……」
門から半身を出してきょろきょろしているところを息子に咎められた。
聞こえないように舌打ちする。
距離が縮まったはいいが、こいつの苦情はくどくて困る。
リヒャルトの言葉に適当に相槌を打ちながら、尚もシュターレンベルクの視線は外へ。
主君である神聖ローマ帝国皇帝レオポルトはどこだ?
この三人も、それから他の者たちも。
口にはしないが気にしているのは確かだ。
言葉にすれば惨めな気持ちになる。
我が主君が解放軍の中枢に加わっておらず、他国の王に良いように指揮られているなど。
レオポルトに軍事的な才能はない。
政治的才覚にも乏しい。
感情にもむらがあり、判断力も欠けている。
この非常事態を捌く器でないことは分かっている。
無意識にシュターレンベルクはため息をついた。
何より我が主君の駄目なところは──。
「すこぶるタイミングが悪い……」
こんな落ち込んだ空気の中、その人は姿を現したのだから。
「か、閣下!」
絶句したようなバーデン伯の声に目を凝らすとグラシの向こうに、見えた。
白馬の手綱を従者に取らせ、のこのこと近付いて来るその姿。
「お、お迎えにあがらなくても?」
リヒャルトに言われなければ、このまま相手が近付いて来るのをポカンとした顔で眺めていたに違いない。
戦闘は終わったため、馬は預けている。
シュターレンベルクらは徒歩で白馬の元へ駆け出した。
10
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
国殤(こくしょう)
松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
柿ノ木川話譚4・悠介の巻
如月芳美
歴史・時代
女郎宿で生まれ、廓の中の世界しか知らずに育った少年。
母の死をきっかけに外の世界に飛び出してみるが、世の中のことを何も知らない。
これから住む家は? おまんまは? 着物は?
何も知らない彼が出会ったのは大名主のお嬢様。
天と地ほどの身分の差ながら、同じ目的を持つ二人は『同志』としての将来を約束する。
クールで大人びた少年と、熱い行動派のお嬢様が、とある絵師のために立ち上がる。
『柿ノ木川話譚』第4弾。
『柿ノ木川話譚1・狐杜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/905878827
『柿ノ木川話譚2・凍夜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/50879806
『柿ノ木川話譚3・栄吉の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/398880017

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる