クロワッサン物語

コダーマ

文字の大きさ
上 下
79 / 87
カーレンベルクの戦い

カーレンベルクの戦い(9)

しおりを挟む
 そのやりとりを合図に、シュターレンベルクは足を止めた。
 装填の完了した銃の先を前方に向ける。
 騎馬を率いたグイードとバーデン伯が突っ込む先──小型の盾を心臓の前に構え、片刃の湾曲剣を抜き放ったオスマン帝国兵士らの頭を狙って引き金を引く。

 銃声と、周囲に立ち込める黒色煙。
 手練れを集めたとはいえ、ぎりぎりの距離。
 しかも不安定な馬上から敵兵に命中させることは難しい。
 それでも何名かが倒れることにより敵に混乱を、そして味方を鼓舞できれば上出来だ。
 銃撃部隊の役割はそれで良い。
 どのみち混戦になれば、味方に当たる可能性のある銃は使えないのだ。

 うぉおぉぉ──唸りをあげて、グイードの部隊が敵兵の包囲網に突っ込んだ。
 一瞬遅れて十数メートル離れた地点をバーデン隊が。
 剣と槍がぶつかり合う様を前に、シュターレンベルクらも左手でスラリと剣を抜いた。
 進めとの叫びに、兵士らは雄叫びを返した。

「リヒャルト、お前は……ここで援護しろ」

 お前は壁の中に戻れという言葉を他の兵士らの手前、辛うじて呑み込む。

「はあっ?」

 上ずった絶叫を肯定の返事かと認識したのだが、父が馬を走らせればリヒャルトはぴたりと後ろを付いてくる。
 シュターレンベルクは舌打ちした。
 どうやら息子は初めての戦場に舞い上がってしまっているらしい。
 指揮の声を聞かない、聞こえないというのは新兵にはよくあることだ。

 本当なら壁の中に置いてきたかったのだが、兵士らの手前それは致しかねた。
 息子だけを優遇するように見られることを恐れたのだ。
 第一、本人が望んで後に引かなかった。

 それならば後方に置いて行ってしまおうと速度をあげる。
 慣れた部下なら難なく追える速さだが、馬に慣れないリヒャルトは付いてはこれまい。

 グイードらの突撃でオスマン帝国軍の囲みの鎖が二か所千切れかけた形になる。
 その間目がけてシュターレンベルクも突っ込んだ。
 鋭いきらめきが足元を走る。
 敵の持つ湾曲剣の狙いを馬の速度をあげて躱すと、同時にシュターレンベルクの手首が返った。

 瞬間、目の前のオスマン兵のふくらはぎにグッと力が込められる。
 なで斬りの動きを読んで、背後に飛び退くつもりか。

 させじと手綱を捌く。
 踵を使って馬の腹を軽く蹴ると、騎馬の前足は一気に前に踏み込んだ。
 騎乗している者は手首に力を込め、剣がブレないように固定するだけで良い。
 駆け足(ギャロップ)の勢いで、切っ先は敵兵の喉を突く。

 利き腕でないので狙いは僅かに逸れたが、それでも確かな手応えが肘に響いた。
 命を奪った感触に震える間もなく、今度はその隣りの兵士の頸動脈を裂く。

 最高指揮官が敵の一歩兵と撃ち合う必要があるのが、ウィーンの現状だ。
 だからこそ、戦場の向こうにいる救援軍の存在が何よりも頼もしく感じられる。

 ちらり。
 周囲に視線を巡らせると、部下たちもシュターレンベルクと似た動きでオスマン歩兵を葬っていた。
 足元に障害物のように転がる敵兵を、軽やかな手綱捌きで避けて進む。

 馬の勢いに任せてさらに三名ほど切り倒すと、周囲の敵兵は道を開けるようにじりりと後ずさりした。
 一旦、囲みを突破できたのだ。

 グイードとバーデンは攻囲軍の層を抜けると、くるりと馬首を巡らせて別の個所に突撃した。
 包囲という鎖の輪を丹念に潰していく腹だ。
 本来ならば、彼らに任せて自分はそろそろ後方に退いて指揮を執るべきところだろう。
 だが、救援軍に気を取られ囲みが薄くなったオスマンを叩く好機を逃す手はあるまい。
 あちら側を向いている部隊が、いつウィーン守備隊の突撃行為に気付いて戻って来るとも知れないのだから。

 槍の穂先のような陣形で敵の囲みを刺す。
 ウィーン守備隊はその動きを繰り返した。
 立ち止まってはいけない。
 動きを止めれば人数で不利に立つこちらは、歩兵に囲まれて馬から引きずり降ろされてしまうだろう。

「閣下!」

 背後で悲鳴。
 しまったと振り返る。
 すれ違い様、湾曲刃(ヤタガン)が馬の腹を裂き味方騎兵が地面に投げ出される。
 まさに今、懸念していた事態にシュターレンベルクは馬首を巡らせた。
 地面に尻をついた姿勢で、味方兵士は必至に敵の剣を受けている。

「そこを退け!」

 今しもヤタガンを振り下ろそうとしていた敵兵の背中めがけ、指揮官の馬が突っ込む。
 蹄が首の後ろに命中し、兵の上体が崩れた瞬間のこと。
 シュターレンベルクの尻がふわりと宙に浮いた。
 身体が重力を失う数瞬間の後、胸と顔面に経験したことのない圧が掛かる。
 つんのめるようにして投げ飛ばされたのだ。

 回転する景色。空。人馬。遠くのには壁。そして土。
 気付いた時はシュターレンベルクの身体は胸から地面に激突していた。

 息が詰まる。
 左手に握った剣を手放さなかったのが幸いだ。
 瞬時に迫ったヤタガンを、自身の剣の刃元に当てて地面を転がるようにして受け流すことができたから。

 だが今の衝撃で右手には痛みが走る。
 更に頼みのマスケット銃もないことに気付いた。
 すぐ近くで悲鳴があがる。
 先に落馬した部下か、グイードらか、リヒャルトか。
 あるいはそれは敵兵の歓声であったかもしれない。

 敵味方入り乱れる中、瞬きする間もなく迫るいくつもの刃。
 瞬間的にその場から跳ね起きたものの、背を預ける場所すらないこの状況。

 神聖ローマ帝国軍の優位は優れた火器と射撃手──それに尽きる。
 接近戦では初めの一波、二波で決めなければならないのは分かっていた。
 こういう事態に陥ってしまっては、近接戦闘技術に優れたオスマン帝国軍に敵う筈もないから。
 指揮官の、まさかの落馬に、率いていた騎馬らが浮足立つのが感じられる。

「閣下!」

 自ら馬を降りて駆け寄ろうとする者。
 視野の端では赤い姿が動きを止めたのが見えた。
 バーデン伯が進撃を止めて、馬首をこちらに向けようとしているのだ。
 救援のつもりだろうが──駄目だ、と指揮官はその場で叫んだ。

 現状、騎馬の機動力はウィーン守備隊にとっては唯一の強み。
 立ち止まったり方向転換なんてしてみろ。
 馬の間を縫って素早く駆け寄る敵兵にあっという間に囲まれる。
 彼らは何といっても、数では大いに勝っているのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

天啓の雲

古寂湧水 こじゃくゆうすい
歴史・時代
草競馬の馬券師から年収850兆円の世界一の長者へ。痛快無比勝ち組の物語 主人公が陶芸家で仏教派閥の門主という設定ですがロスチャイル〇やロックフェラ〇を叩きのめし世界一の長者まで上り詰めました。 またアフガンやシリアを転宗させて解決をするなどノーベル賞や英国最高のガーター勲章や仏国のレジオンドヌール勲章を受勲。 茶道の千利休や小堀遠州も出てきて楽しませてくれます。まあ、利休は秀吉に尿瓶をルソン壺の茶壷として売ったのが発覚して殺されたことになっていますけれどね。 見どころはK国に盗まれた仏像の奪還に露死阿の大統領公邸に桐野利秋や村田新八の薩摩軍に新選組それに新門辰五郎や清水次郎長に国定忠治の任侠連合軍が突入するところです。 四菱重工や四菱商事にユニシロの企業買収もやっていますが、勝ち組の物語ですのでどうぞお楽しみください。でも、なんといっても最高のウリは作者の発想力ですかね。はっはっはっ。 ☆ほぼ毎日更新をしています☆

神速艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
「我々海軍は一度創成期の考えに立ち返るべきである」 八八艦隊計画が構想されていた大正3年に時の内閣総理大臣であった山本権兵衛のこの発言は海軍全体に激震を走らせた。これは八八艦隊を実質的に否定するものだったからだ。だが山本は海軍の重鎮でもあり八八艦隊計画はあえなく立ち消えとなった。そして山本の言葉通り海軍創成期に立ち返り改めて海軍が構想したのは高速性、速射性を兼ねそろえる高速戦艦並びに大型巡洋艦を1年にそれぞれ1隻づつ建造するという物だった。こうして日本海軍は高速艦隊への道をたどることになる… いつも通りこうなったらいいなという妄想を書き綴ったものです!楽しんで頂ければ幸いです!

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

博学英才の【太子】と、【日御子】の超常能力を受け継いだ【刀自古姫御子】

古代雅之
歴史・時代
  3世紀に崩御した倭国女王・日御子(卑弥呼)の直系子女である【蘇我刀自古郎女】と不世出の博学英才の【厩戸王太子】の波乱万丈の恋を主軸に、飛鳥時代を生き生きと描いた作品である。   先ず、蘇我本宗家の人々は、王権を簒奪しようとして暗殺された蘇我入鹿(日本書紀)に代表される世紀の大悪人ではなく、新進気鋭の革新的改革者であった、との【説】に基づいての物語でもある。 また、随所に、正史とされる「日本書紀」の記述とは異なる見解になっている事もご理解願いたい。 【馬子】は【馬子にも衣装】の馬子ではなく、【騎馬一騎は歩兵十数人を蹴散らす】の馬であり、現代の【自家用垂直離着陸機】に匹敵する尊称だと云われている。 同様に、【厩戸】は江戸時代の【馬小屋】ではなく、飛鳥時代の【自家用垂直離着陸機格納庫】のイメージとお考えいただきたい。  それに、敢えて、この飛鳥時代を撰んだのは、あまりにも謎が多いからである。 最も顕著な謎は、643年の【斑鳩宮襲撃事件】であろう! 『日本書紀』によると、何故か、【斑鳩宮】に【故太子】の夫人達、子供達、その孫達(総計100人以上!?)が集結し、僅か百人余の兵に攻められ、一族全員が、荒唐無稽な自害に追い込まれた・・・とある。  仮に、一つの【説】として、「【法隆寺】に太子とその一族が祀られているのではないか!?」と云われるのなら、【山背大兄王】とは単なる【その一族の一人】に過ぎない小物なのだろうか?否!模した仏像の一体位はあって然るべきなのではないだろうか!?  いずれにせよ、【山背大兄王】のみならず、【蘇我入鹿】、【皇極大王】、【高向王】や【漢御子】までもが謎だらけなのである。 この作品の前半は【太子】と【刀自古妃】が中心となり、後半は【刀自古妃(尊光上人)】と孫の【大海人王子】が中心となり、【天武天皇即位】までが描かれている。

【第一章完】からくり始末記~零号と拾参号からの聞書~

阿弥陀乃トンマージ
歴史・時代
 江戸の世に入って、しばらくが経った頃、とある老中のもとに、若い女子が呼び寄せられた。訝しげに見つめる老中だったが、その女子は高い実力を示す。それを目の当たりにした老中は女子に、日本各地に点在している、忌まわしきものの破壊工作を命じる。『藤花』という女子はそれを了承した。  出発の日の早朝、藤花の前に不思議な雰囲気の長身の男が立っていた。杖と盾しか持っていない男の名は『楽土』。自らが役目をこなせるかどうかの監視役かなにかであろうと思った藤花は、あえて楽土が同行することを許す。  藤花と楽土は互いの挨拶もそこそこに、江戸の町を出立する。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

江戸の検屍ばか

崎田毅駿
歴史・時代
江戸時代半ばに、中国から日本に一冊の法医学書が入って来た。『無冤録述』と訳題の付いたその書物の知識・知見に、奉行所同心の堀馬佐鹿は魅了され、瞬く間に身に付けた。今や江戸で一、二を争う検屍の名手として、その名前から検屍馬鹿と言われるほど。そんな堀馬は人の死が絡む事件をいかにして解き明かしていくのか。

処理中です...