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【1664年8月 ザンクト・ゴットハルト1】
1664年8月 ザンクト・ゴットハルト ~ 戦場の現実(1)
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これは、今から十九年前に起こった戦闘の記録である。
神聖ローマ帝国皇帝に、かつての威光はない。
三十年戦争終結──締結されたヴェストファーレン条約により、ドイツにおける各領邦には事実上、完全な自治が与えられた。
名目的な存在にすぎなくなった皇帝にとって、ドイツ諸侯からの税ももはやあてにはできない。
条約によって依然として税の支払い義務は残るものの、領主が代替わりすると義務は半ば公然と無視されるということも少なくなかったからだ。
故に皇帝レオポルトはハンガリー支配にしがみついた。
北は駄目になったが、東にはまだまだ力を誇示できる。
マキャベリの君主論によると、支配地域においては「住民たちの法律や税制に手をつけないこと」が統治の鉄則であるという。
しかしレオポルトはこれを完全に無視した。
彼らの信仰をも侵し、プロテスタントの教会を閉鎖。カトリックへの改宗を強制したのだ。
ハンガリー国内において不穏な空気が立ち込めたのは、当然の流れといえよう。
民は抗議の声をあげ、立ち上がった。
同時に、これを機と捉えた東の大国オスマン帝国がハンガリーに侵攻する。
レオポルトは当然、迎え撃つための軍を送った。
神聖ローマ帝国軍を指揮するのは将軍ライモンド・モンテクッコリ。
オスマン帝国軍を率いるのは大宰相ファーズル・アメフト・パシャである。
一六六四年八月、ハンガリーのラープ河畔──ザンクト・ゴットハルト。この地で両軍は相まみえることとなる。
皇帝軍の補給体制の劣悪さは有名であった。
彼らは粗悪な食べ物で満足し、飢えに慣れていた──後世の文献のみならず、同時代の他国の兵にまでその悲惨な状況は知れ渡っており、憐れまれる始末だ。
固いパンと塩。
ワインを水で薄めたピケットと呼ばれる飲み物が少し。
それだけの補給で過酷な行軍を要求され、彼等は常に壊血病に悩まされていた。
空腹のあまり野生の果物を口にしたがために赤痢やチフスにかかる者も続出し、戦闘どころではなかったというのが実情だ。
エルンスト・リュティガー・フォン・シュターレンベルク──後のウィーン包囲で総司令官を任されることになるこの男は、この時二十六歳。
既に戦場の経験は十分積んでいる。
部隊を率いての戦闘にも非凡の才を発揮していた。
貴族の子弟ばかりでなく傭兵を多数交えた部隊では、行軍中に適度に兵らの精神を緩めること。
そして戦いが始まる前の張りつめた空気に彼らが呑まれないように、また舐められないように沈着且つ勇敢な将を演じること。
まるで呼吸するかのような自然さで、彼は戦場での振る舞いを身に着けていた。
オスマン帝国軍との戦いは彼にとって、そして神聖ローマ帝国にとっても宿命であった。
シュターレンベルクの人生において、幾度も相対することになるその敵とこの時点にして既に何度目かの邂逅である。
一部隊を率いたシュターレンベルクは、ラープ河畔でオスマン帝国が誇る精鋭部隊イェニチェリと対峙した。
イェニチェリの部隊が移動する際は、軍楽隊付きで演奏に合わせながら行軍する。
先頭には軍旗として大きな鍋が掲げられていた。
部隊の兵士は同じ釜の飯を食う仲間という団結の証という。
事実、彼等は幼少の頃から皇帝(スルタン)の元で戦士としての教育を施され、苛烈なまでの忠誠心を植え付けられた勇猛果敢な集団だ。
良質な羊毛で作られた揃いの制服からも、彼等の国内での地位の高さを窺い知ることができよう。
獰猛で負けを知らない戦士たちが、ヤタガンと呼ばれる反り返った独特な形状をした刀を振り上げ、対岸で雄叫びをあげる。
飢え切った自軍の兵士らを何とか束ね、ずるずる行軍してきたシュターレンベルクにとって、それは悪夢の具現化に他ならなかった。
両者を隔てる河端はさほど広くはない。
流れがきついのは分かるが、深さはない。
うちの兵は無理だが、向こうはわけなく渡り切るだろうと指揮官は考えた。
ならば時間がない。
白兵戦に長けた彼らに剣をもって挑もうものなら、こちらは壊滅をも免れない。
「河に向かって並べ。マスケット銃を構えろ」
河から近い位置に立つ兵ら十数人に、銃の安全装置を外させる。
残りの者たちは順番を待つように後方に並んだ。
そして丁寧に装填を始める。
行軍中、退屈を紛らわすかのように訓練だけはやった。
銃の扱い、それから撃つ順番。
彼らの火器が足りぬと判断すれば、自身の屋敷の武器庫から持参したものを貸し与えたのだ。
「最初の一発が大事だ。よく狙え」
撃て、との合図で先頭の兵士のマスケット銃が火を噴いた。
神聖ローマ帝国皇帝に、かつての威光はない。
三十年戦争終結──締結されたヴェストファーレン条約により、ドイツにおける各領邦には事実上、完全な自治が与えられた。
名目的な存在にすぎなくなった皇帝にとって、ドイツ諸侯からの税ももはやあてにはできない。
条約によって依然として税の支払い義務は残るものの、領主が代替わりすると義務は半ば公然と無視されるということも少なくなかったからだ。
故に皇帝レオポルトはハンガリー支配にしがみついた。
北は駄目になったが、東にはまだまだ力を誇示できる。
マキャベリの君主論によると、支配地域においては「住民たちの法律や税制に手をつけないこと」が統治の鉄則であるという。
しかしレオポルトはこれを完全に無視した。
彼らの信仰をも侵し、プロテスタントの教会を閉鎖。カトリックへの改宗を強制したのだ。
ハンガリー国内において不穏な空気が立ち込めたのは、当然の流れといえよう。
民は抗議の声をあげ、立ち上がった。
同時に、これを機と捉えた東の大国オスマン帝国がハンガリーに侵攻する。
レオポルトは当然、迎え撃つための軍を送った。
神聖ローマ帝国軍を指揮するのは将軍ライモンド・モンテクッコリ。
オスマン帝国軍を率いるのは大宰相ファーズル・アメフト・パシャである。
一六六四年八月、ハンガリーのラープ河畔──ザンクト・ゴットハルト。この地で両軍は相まみえることとなる。
皇帝軍の補給体制の劣悪さは有名であった。
彼らは粗悪な食べ物で満足し、飢えに慣れていた──後世の文献のみならず、同時代の他国の兵にまでその悲惨な状況は知れ渡っており、憐れまれる始末だ。
固いパンと塩。
ワインを水で薄めたピケットと呼ばれる飲み物が少し。
それだけの補給で過酷な行軍を要求され、彼等は常に壊血病に悩まされていた。
空腹のあまり野生の果物を口にしたがために赤痢やチフスにかかる者も続出し、戦闘どころではなかったというのが実情だ。
エルンスト・リュティガー・フォン・シュターレンベルク──後のウィーン包囲で総司令官を任されることになるこの男は、この時二十六歳。
既に戦場の経験は十分積んでいる。
部隊を率いての戦闘にも非凡の才を発揮していた。
貴族の子弟ばかりでなく傭兵を多数交えた部隊では、行軍中に適度に兵らの精神を緩めること。
そして戦いが始まる前の張りつめた空気に彼らが呑まれないように、また舐められないように沈着且つ勇敢な将を演じること。
まるで呼吸するかのような自然さで、彼は戦場での振る舞いを身に着けていた。
オスマン帝国軍との戦いは彼にとって、そして神聖ローマ帝国にとっても宿命であった。
シュターレンベルクの人生において、幾度も相対することになるその敵とこの時点にして既に何度目かの邂逅である。
一部隊を率いたシュターレンベルクは、ラープ河畔でオスマン帝国が誇る精鋭部隊イェニチェリと対峙した。
イェニチェリの部隊が移動する際は、軍楽隊付きで演奏に合わせながら行軍する。
先頭には軍旗として大きな鍋が掲げられていた。
部隊の兵士は同じ釜の飯を食う仲間という団結の証という。
事実、彼等は幼少の頃から皇帝(スルタン)の元で戦士としての教育を施され、苛烈なまでの忠誠心を植え付けられた勇猛果敢な集団だ。
良質な羊毛で作られた揃いの制服からも、彼等の国内での地位の高さを窺い知ることができよう。
獰猛で負けを知らない戦士たちが、ヤタガンと呼ばれる反り返った独特な形状をした刀を振り上げ、対岸で雄叫びをあげる。
飢え切った自軍の兵士らを何とか束ね、ずるずる行軍してきたシュターレンベルクにとって、それは悪夢の具現化に他ならなかった。
両者を隔てる河端はさほど広くはない。
流れがきついのは分かるが、深さはない。
うちの兵は無理だが、向こうはわけなく渡り切るだろうと指揮官は考えた。
ならば時間がない。
白兵戦に長けた彼らに剣をもって挑もうものなら、こちらは壊滅をも免れない。
「河に向かって並べ。マスケット銃を構えろ」
河から近い位置に立つ兵ら十数人に、銃の安全装置を外させる。
残りの者たちは順番を待つように後方に並んだ。
そして丁寧に装填を始める。
行軍中、退屈を紛らわすかのように訓練だけはやった。
銃の扱い、それから撃つ順番。
彼らの火器が足りぬと判断すれば、自身の屋敷の武器庫から持参したものを貸し与えたのだ。
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