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第8話 不毛な見栄
それが女心というやつなの?(1)
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一緒に試着室に入ってと頼まれた。
「ヌグゥグゥアァァ……ァウッ!」
アタシの目の前。
人間として有り得ない唸り声あげて、必死でズボンを引き上げるのは猿鳥ワンちゃんだ。
狭い試着室で、アタシはいたたまれない思いで彼女から目を逸らせた。
うらしま乳毛騒動の翌日、アタシはワンちゃんに誘われて近所の商店街に出かけたのだった。
ちょうどパンツが欲しかった──というようなことを不明瞭な発音で告げて、ワンちゃんは一軒のショップへ勝手に入って行ったのだ。
「こ、このデデデデニムのパンツがァァ!」
「ワ、ワンちゃん? ちょっと……」
「ぬわぁぁぁぁぁっッッ!」
ワンちゃん、顔真っ赤。
歯茎むき出しでスゴイ形相だ。
全身プルプルし始めた。
「ちょっ、やめとき。ワンちゃん、破れるって! 明らかに細いで、そのジーパン。太腿の位置から上がってへんやん」
「イィィィェエェ!」
こめかみに青筋立てて、今度はフシュフシュ言い出した。
腹の空気を全て吐き出そうとしているようだ。
「デデデ、デニムは伸びるんでぇぇ! フシューッ!」
「何や、その執念……」
その甲斐あってかズボンは何とか尻まで上がり、今度は腹。
ボタンは留まったものの、お腹のお肉がはみ出す格好でファスナーが上がらない。
「フシュ! フシュ! フシューッ!」
壊れた戦闘マシーンのように異様な呼吸音をあげるワンちゃん。
もう何人たりとも声をかけることは許されない領域に1人、到達していた。
「気体を……体内の気体を全て吐き出せば……」
ワンちゃんは別に太っているわけではない。
いや、むしろ痩せ気味だ。
選んだジーパンが小さすぎるのだ。
このへんが微妙な女心なのか見栄なのか、アタシには分からない。
「ははは入りましたぁ!」
ワンちゃんの歓喜の雄叫びが響き渡ったのは、2人で試着室にこもってたっぷり三十分経過してからのことであった。
アタシはもう何も言うまいと思って、彼女がそのパンツを買うのを見守っていた。
店員もドン引きなのが分かる。
せっかく苦労したのだからすぐに脱ぐのは嫌だというので、そのままの格好でアタシたちは商店街を帰路に着いていた。
ワンちゃんは18歳の専門学生だ。
ちょっと変わっているけれど、年も近いということもあってアタシたちはすぐに仲良くなった。
「すすす素敵な下駄ですね」
ワンちゃんがアタシの足元を指差した。
「ホンマ? コレ、大阪いた時に買ってん。いくらやと思う?」
「えぇぇぇぇと」
ワンちゃん、困ってる。
「アタシ的には桃太郎の草鞋に対抗してんねん。下駄はいいで。楽やし健康的やし。これからは下駄の時代やわ。来るで!」
「げげげ下駄ですかぁ」
コレ、いくらと思うって値段を聞くのは大阪人特有の会話らしい。
トーキョーの人はもっとスマートで、値段の話なんてしないそうだ。
それでもワンちゃんはアタシに気を遣ってくれた。
「せせせ千円くらいですかねぇ?」
「ブーッ! ひゃくじゅうえんやってん。110円。スゴイやろ!」
「すすすスゴイですぅぅ……ぅうう」
「ワンちゃん?」
何だか様子がおかしい。
ワンちゃん、突然ガニマタになって止まってしまった。
顔色が真っ白だ。ただ事じゃない。
「おおおお腹が痛い……」
「も、盲腸か? 大変や!」
公衆電話を求めて周囲を見回すアタシの腕を、もの凄い力がつかんだ。
ワンちゃんだ。
「イイイエ……、原因はコレですぅ。パンツでお腹、押さえ付けすぎてるんです。ファファファスナー全開にするんで……ボボボタンも外したいんで、いいい家に着くまで、あたしの前にピッタリ立っててくださいぃ」
言うなり往来の真ん中でズボンのファスナーを下ろし始めた。
「何やってんの! そんなに苦しいんやったら返品しといで! アタシ、言ったげるから」
「いいいいえ、大丈夫ですから……」
「何が大丈夫なん? 根拠ないやろ」
ワンちゃんはアタシの背中にピッタリくっついてズルズル歩き始めた。
前屈みになって「うぅぅ……」と呻いている。
仕方なくアタシもゆっくりとオールド・ストーリーJ館に向けて歩を進める。
早く帰ってやりたいけど、あまり急いではワンちゃんが倒れる。
「アタシ、痛(イタ)イで。だってまさかの高校浪人やもん」
少しでもワンちゃんの気を逸らせようと、アタシは自分の話を始めた。
「何か知らんけど私立も公立も全部落ちてしもてん。4月はショックでボーっとしてたけど、5月になって突然いたたまれなくなってお姉んとこ(こっち)来てん。家出みたいなもんやわ」
「でででもリカさんが来てくれて、あたしは嬉しいです。ととと友達がいないんです」
「そ、そうなんや……?」
痛い告白やわ、お互いに。
「このアパートに住んでるって言うと、みみみみんな離れていくんです。どどどうしてこんなに悪い噂が立ってるんでしょう」
「悪い噂って? オールド・ストーリーJ館に?」
幽霊が出るとか、変人が住んでいるとか、大家がガメツイとか、ここに住むと全員引きこもり体質になるとか……。
それはそれはおかしな噂なんですぅぅと嘆くようにワンちゃんは言った。
「大部分正しい指摘やわ、それ」
特に大家がガメツイ云々は噂じゃない。完全な事実だ。
しかしワンちゃんはプルプルと首を振った。
「おおお大家さんは、キレイで賢くて優しくて穏やかで……あああ憧れます」
「穏やかッ!? そ、そうかな…」
あの人の本性を知ってるだけに、アタシは複雑な気分だ。
世話になっといて何やけど、アタシはあんな女にはなりたくない。
お姉は人の後ろから「突撃せよ」と命令するような人や。
非情な指揮官タイプや。或いは非道な黒幕タイプか。
決して表には出ようとしない。
アタシは自分で闘える女になりたいねん。
そう、たとえ一人でも!
さすがにそんな恥ずかしいことは口にはできず、アタシたちは微妙な沈黙の中、汽車ポッポごっこのような変な格好で商店街を抜けた。
そこで事件が起こった!
「ヌグゥグゥアァァ……ァウッ!」
アタシの目の前。
人間として有り得ない唸り声あげて、必死でズボンを引き上げるのは猿鳥ワンちゃんだ。
狭い試着室で、アタシはいたたまれない思いで彼女から目を逸らせた。
うらしま乳毛騒動の翌日、アタシはワンちゃんに誘われて近所の商店街に出かけたのだった。
ちょうどパンツが欲しかった──というようなことを不明瞭な発音で告げて、ワンちゃんは一軒のショップへ勝手に入って行ったのだ。
「こ、このデデデデニムのパンツがァァ!」
「ワ、ワンちゃん? ちょっと……」
「ぬわぁぁぁぁぁっッッ!」
ワンちゃん、顔真っ赤。
歯茎むき出しでスゴイ形相だ。
全身プルプルし始めた。
「ちょっ、やめとき。ワンちゃん、破れるって! 明らかに細いで、そのジーパン。太腿の位置から上がってへんやん」
「イィィィェエェ!」
こめかみに青筋立てて、今度はフシュフシュ言い出した。
腹の空気を全て吐き出そうとしているようだ。
「デデデ、デニムは伸びるんでぇぇ! フシューッ!」
「何や、その執念……」
その甲斐あってかズボンは何とか尻まで上がり、今度は腹。
ボタンは留まったものの、お腹のお肉がはみ出す格好でファスナーが上がらない。
「フシュ! フシュ! フシューッ!」
壊れた戦闘マシーンのように異様な呼吸音をあげるワンちゃん。
もう何人たりとも声をかけることは許されない領域に1人、到達していた。
「気体を……体内の気体を全て吐き出せば……」
ワンちゃんは別に太っているわけではない。
いや、むしろ痩せ気味だ。
選んだジーパンが小さすぎるのだ。
このへんが微妙な女心なのか見栄なのか、アタシには分からない。
「ははは入りましたぁ!」
ワンちゃんの歓喜の雄叫びが響き渡ったのは、2人で試着室にこもってたっぷり三十分経過してからのことであった。
アタシはもう何も言うまいと思って、彼女がそのパンツを買うのを見守っていた。
店員もドン引きなのが分かる。
せっかく苦労したのだからすぐに脱ぐのは嫌だというので、そのままの格好でアタシたちは商店街を帰路に着いていた。
ワンちゃんは18歳の専門学生だ。
ちょっと変わっているけれど、年も近いということもあってアタシたちはすぐに仲良くなった。
「すすす素敵な下駄ですね」
ワンちゃんがアタシの足元を指差した。
「ホンマ? コレ、大阪いた時に買ってん。いくらやと思う?」
「えぇぇぇぇと」
ワンちゃん、困ってる。
「アタシ的には桃太郎の草鞋に対抗してんねん。下駄はいいで。楽やし健康的やし。これからは下駄の時代やわ。来るで!」
「げげげ下駄ですかぁ」
コレ、いくらと思うって値段を聞くのは大阪人特有の会話らしい。
トーキョーの人はもっとスマートで、値段の話なんてしないそうだ。
それでもワンちゃんはアタシに気を遣ってくれた。
「せせせ千円くらいですかねぇ?」
「ブーッ! ひゃくじゅうえんやってん。110円。スゴイやろ!」
「すすすスゴイですぅぅ……ぅうう」
「ワンちゃん?」
何だか様子がおかしい。
ワンちゃん、突然ガニマタになって止まってしまった。
顔色が真っ白だ。ただ事じゃない。
「おおおお腹が痛い……」
「も、盲腸か? 大変や!」
公衆電話を求めて周囲を見回すアタシの腕を、もの凄い力がつかんだ。
ワンちゃんだ。
「イイイエ……、原因はコレですぅ。パンツでお腹、押さえ付けすぎてるんです。ファファファスナー全開にするんで……ボボボタンも外したいんで、いいい家に着くまで、あたしの前にピッタリ立っててくださいぃ」
言うなり往来の真ん中でズボンのファスナーを下ろし始めた。
「何やってんの! そんなに苦しいんやったら返品しといで! アタシ、言ったげるから」
「いいいいえ、大丈夫ですから……」
「何が大丈夫なん? 根拠ないやろ」
ワンちゃんはアタシの背中にピッタリくっついてズルズル歩き始めた。
前屈みになって「うぅぅ……」と呻いている。
仕方なくアタシもゆっくりとオールド・ストーリーJ館に向けて歩を進める。
早く帰ってやりたいけど、あまり急いではワンちゃんが倒れる。
「アタシ、痛(イタ)イで。だってまさかの高校浪人やもん」
少しでもワンちゃんの気を逸らせようと、アタシは自分の話を始めた。
「何か知らんけど私立も公立も全部落ちてしもてん。4月はショックでボーっとしてたけど、5月になって突然いたたまれなくなってお姉んとこ(こっち)来てん。家出みたいなもんやわ」
「でででもリカさんが来てくれて、あたしは嬉しいです。ととと友達がいないんです」
「そ、そうなんや……?」
痛い告白やわ、お互いに。
「このアパートに住んでるって言うと、みみみみんな離れていくんです。どどどうしてこんなに悪い噂が立ってるんでしょう」
「悪い噂って? オールド・ストーリーJ館に?」
幽霊が出るとか、変人が住んでいるとか、大家がガメツイとか、ここに住むと全員引きこもり体質になるとか……。
それはそれはおかしな噂なんですぅぅと嘆くようにワンちゃんは言った。
「大部分正しい指摘やわ、それ」
特に大家がガメツイ云々は噂じゃない。完全な事実だ。
しかしワンちゃんはプルプルと首を振った。
「おおお大家さんは、キレイで賢くて優しくて穏やかで……あああ憧れます」
「穏やかッ!? そ、そうかな…」
あの人の本性を知ってるだけに、アタシは複雑な気分だ。
世話になっといて何やけど、アタシはあんな女にはなりたくない。
お姉は人の後ろから「突撃せよ」と命令するような人や。
非情な指揮官タイプや。或いは非道な黒幕タイプか。
決して表には出ようとしない。
アタシは自分で闘える女になりたいねん。
そう、たとえ一人でも!
さすがにそんな恥ずかしいことは口にはできず、アタシたちは微妙な沈黙の中、汽車ポッポごっこのような変な格好で商店街を抜けた。
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