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第4話 不毛なまでの怯え方
初めて会った義兄はヘンタイでした(1)
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「ちょっと待って。アンタ、メチャ深爪やな。白いところが1ミリもない」
アタシが桃太郎を叩き起こしてそう話しかけたのは現実から目を逸らせる為では、決してない。
一刻も早く、この男を追い出す気概に溢れている。
でも──。
「余は筆記の際、鉛筆が爪先に当たるのが嫌なのじゃ」
「あぁ、そうなん? その感覚、アタシもちょっと分かるわ」
玄関先でカリカリ音がする。
木製の扉を引っかく音だ。
「開けて。開けてぇ~」
か細い声も聞こえてくる。
「え、えっと。桃太郎は何歳なん?」
「余は桃から……リカ殿、玄関から妙な呻きが聞こえるぞよ」
「えっ、アタシにはぁ、何にも聞こえないけれどぉ……あぁ、もぅ。うるさいッ! 分かってるわ!」
何とか耳を塞ぎたくて、気を紛らわせるために変な会話を始めたとこなのに。
「開けて、開けてぇ~!」
一歩間違えれば怪談みたいなその声に、アタシは根負けしてドアを開けた。
ただし、チェーンはしっかりかけたまま。
廊下につっ立っていたのは虫捕りに出た筈のうらしま太郎──姉の夫。
アタシにとっては初めて会った義兄ってことになる。
「お腹がすいたから、虫捕りの帰りに商店街の中華屋でギョーザを1皿食べたんだ。そしたら乙姫サマに見付かって、口臭がただならぬから家に入るなって命令されて……」
「お姉は今、入浴中ちゃうん?」
「うん。でも玄関脇にお風呂を建て増ししたから、人の出入りは窓からチェックされるんだ」
「あぁ、そう……。じゃ、お気の毒やけど」
絶対コイツを家に入れまいと、強く念じながらそう言った。
コイツを匿ったばかりに、お姉に敵認定されたらどうしてくれんねん。
第一、これ以上ややこしい変な奴に関わってたまるか!
一緒に来てくれぇ~と、うらしまはドアの隙間からアタシの腕を引っ張る。
グイグイ引っ張る。
「ちょっ、痛いやん! 放して。うちのお姉は昔から鼻利くねん。鼻だけちゃう。アホみたいに目もいいし、耳もいい。歯もいいし、顔もいい、頭もいいし、外面もいいねん。悪いんは性格だけや。あと根性な!」
だいたいお姉の名前が乙姫で、妹がカタカナのリカやからな。
生まれた時から何だか随分差があったわけだ。
色々不満に思ったこともあったけど、まぁ名前に関しちゃアタシはこれで良かったと思ってる。
現代社会で乙姫なんておかしな名前、逆に生きにくいと思うねん。
学校で絶対イジられるわ。
うらしまは人の話を聞いていない。
「乙姫サマ、良い鼻を生かして麻薬犬みたいなことをすればいいのに」
アホなこと言ってる。
「麻薬犬ならぬ麻薬嬢、麻薬姫か……いいな、空港にそんな人がいたなら……」
「それ、どっちにしても元締めみたいなネーミングやで。い、痛いって! 腕放せって! 抜けるしッ!」
人の腕を引っ張りながら、うらしまは妄想を爆発させていた。
「空港にそんな……ちょっとスタイリッシュな格好をした麻薬姫がいて、15センチくらいのヒール履いて、眼帯して、胸元のポケットにはボールペンが3本ささってるけど、そのうち1本は実は注射器で、ワルいことした僕は容赦なくチクッとやられて……ハァハァ」
「アンタ、ずいぶんマニアックやな」
そう言うと、うらしまは嬉しそうに「あふんっ」と叫んだ。
……義兄は本物のヘンタイでした。
「とにかく帰って。このドアは絶対開けへん!」
うらしまの腕をガンガン挟みながら、アタシは扉を閉めようとした。
そこへしたり顔でやってきたのがもう1人の問題児・桃太郎だ。
「冷たいおなごよのぅ。そちは」
糾弾するようにアタシを見て、それから勝手にチェーンを外してしまった。
「そちがうらしまか。構わぬ。入れ。近うよれ」
君がウワサの桃太郎くんっ!
うらしまは叫んだ。
2人は手を取り合っている。
何だか通じるモノがあるらしい。
「桃太郎、何で招き入れるねん。お姉にとって臭いっちゅうことは、アタシらにとってもこの人は臭いってことやで」
誰もアタシの話なんて聞いてない。
それにしてもアタシに対してもご丁寧に「殿」付けで呼ぶ桃太郎に、初対面で「うらしま」と呼び捨てされるうちの義兄って……。
「早く、早く!」
そんなうらしまは何事か叫んでアタシたちの手を引っ張った。
どうやら階下の自分の部屋に連れて行こうとしているようだ。
「ちょっ、腕だけ引っ張らんといて。痛いって! 外れんねん、肩! 外れたことあるねん。外れやすいねん!」
そうやって連れて行かれたのが1ー1号室。
アタシの部屋の真下。
大家のお姉(+うらしま)の部屋だ。
入りたくないと断固抗議したのだが、うらしまに引っ張られ、アタシたちはそこに放り込まれた。
「こ、これは……」
桃太郎が絶句している。
無理もない。
性格以外に、お姉の欠点はもう1つあったのだ。
昔からあの人の部屋は恐ろしく汚い。
服とか食器に始まって、ゴミや食べ物が悲惨なまでに散乱してる。
出したものを決して片付けない。
故に部屋はゴミの巣窟。
いつもアタシが片付けさせられたものだ。
アタシの部屋と同じ造りの狭い1Kの部屋──臭ってないだけ、これはまだましな段階だ。
勝手に部屋に入ったとお姉にバレるのも恐ろしいし、こんな部屋に足を踏み入れるのも気持ち悪いという思いから、アタシは玄関先で尻込みした。
「イヤや。帰る」
「頼む、リカちゃん!」
そんなアタシの前に、うらしまがいきなり土下座した。
「な、何? やめてぇな、うらしま。顔上げてぇな」
うらしまはゴミの中に顔面を埋める。
「お金がなくて困ってるんだ。リカちゃん、協力してくれ」
「義妹に無心か? アカンて。言っとくけどアタシはお金ないで。家出中やもん。文無しの16歳や」
「家賃払って昼メシ買って、会社に行く定期代出して……。お小遣いがもう1円もないんだ。だから協力してくれよ」
「へ?」
会社行くって……この人、サラリーマンやったん?
何も説明されなかったけど、絶対無職と思ってた。
昼ごはんに定期代……そりゃ大変やん。サラリーマンの悲哀やね。
ん? ちょっと待って?
「家賃って? アンタはお姉の部屋に一緒に住んでんのちゃうの?」
ポカンとした表情でうらしまは頷く。
その顔を見て、ようやくアタシは合点がいった。
姉は当然のように夫・うらしまからも家賃を取っているのだ。
更に彼の給料は全額巻き上げ、コイツには僅かな額の小遣いのみを与えているようだ。
お姉、金はため込んでる筈なのに、このセコさ。頭が下がるわ。
「アンタも何で従うの? だいたい嫁にサマ付けなのもどうかと思うで。その時点で主従関係できあがってるやん」
まぁ、アタシも初対面のコイツをうらしまって名字呼び捨てにしてるけどな。
「昼ごはんのタシにしようと、釣りをしてもダメ。コオロギも獲れない。イナゴもダメ……」
「釣りがダメって……アンタ、完全に名前負けしてんな」
「やー、照れるなー。いっそオオクワガタでも探してみようか」
「褒めてへんわ! オオクワガタなんて見付からへんわ。ここはトーキョーやで?」
かなりアホっぽい貧乏な義兄は釣りをしても失敗。
目当ての食料(?)も獲れず、こうなったら部屋を漁るしかないという考えに行き着いたのだろう。
でも1人でやるのは怖い、と。
「現金を勝手に取るのはマズイ。金目のモノ、プレミアもの、或いは売れそうな何か。なくなっても乙姫サマが気付かなさそうな何か。一緒に探してくれ!」
もう一度、うらしまは土下座した。
コイツ、土下座が似合いすぎる。
最初はびっくりしたけど、今回はアタシも這いつくばる奴を余裕で見下ろしていた。
アタシが桃太郎を叩き起こしてそう話しかけたのは現実から目を逸らせる為では、決してない。
一刻も早く、この男を追い出す気概に溢れている。
でも──。
「余は筆記の際、鉛筆が爪先に当たるのが嫌なのじゃ」
「あぁ、そうなん? その感覚、アタシもちょっと分かるわ」
玄関先でカリカリ音がする。
木製の扉を引っかく音だ。
「開けて。開けてぇ~」
か細い声も聞こえてくる。
「え、えっと。桃太郎は何歳なん?」
「余は桃から……リカ殿、玄関から妙な呻きが聞こえるぞよ」
「えっ、アタシにはぁ、何にも聞こえないけれどぉ……あぁ、もぅ。うるさいッ! 分かってるわ!」
何とか耳を塞ぎたくて、気を紛らわせるために変な会話を始めたとこなのに。
「開けて、開けてぇ~!」
一歩間違えれば怪談みたいなその声に、アタシは根負けしてドアを開けた。
ただし、チェーンはしっかりかけたまま。
廊下につっ立っていたのは虫捕りに出た筈のうらしま太郎──姉の夫。
アタシにとっては初めて会った義兄ってことになる。
「お腹がすいたから、虫捕りの帰りに商店街の中華屋でギョーザを1皿食べたんだ。そしたら乙姫サマに見付かって、口臭がただならぬから家に入るなって命令されて……」
「お姉は今、入浴中ちゃうん?」
「うん。でも玄関脇にお風呂を建て増ししたから、人の出入りは窓からチェックされるんだ」
「あぁ、そう……。じゃ、お気の毒やけど」
絶対コイツを家に入れまいと、強く念じながらそう言った。
コイツを匿ったばかりに、お姉に敵認定されたらどうしてくれんねん。
第一、これ以上ややこしい変な奴に関わってたまるか!
一緒に来てくれぇ~と、うらしまはドアの隙間からアタシの腕を引っ張る。
グイグイ引っ張る。
「ちょっ、痛いやん! 放して。うちのお姉は昔から鼻利くねん。鼻だけちゃう。アホみたいに目もいいし、耳もいい。歯もいいし、顔もいい、頭もいいし、外面もいいねん。悪いんは性格だけや。あと根性な!」
だいたいお姉の名前が乙姫で、妹がカタカナのリカやからな。
生まれた時から何だか随分差があったわけだ。
色々不満に思ったこともあったけど、まぁ名前に関しちゃアタシはこれで良かったと思ってる。
現代社会で乙姫なんておかしな名前、逆に生きにくいと思うねん。
学校で絶対イジられるわ。
うらしまは人の話を聞いていない。
「乙姫サマ、良い鼻を生かして麻薬犬みたいなことをすればいいのに」
アホなこと言ってる。
「麻薬犬ならぬ麻薬嬢、麻薬姫か……いいな、空港にそんな人がいたなら……」
「それ、どっちにしても元締めみたいなネーミングやで。い、痛いって! 腕放せって! 抜けるしッ!」
人の腕を引っ張りながら、うらしまは妄想を爆発させていた。
「空港にそんな……ちょっとスタイリッシュな格好をした麻薬姫がいて、15センチくらいのヒール履いて、眼帯して、胸元のポケットにはボールペンが3本ささってるけど、そのうち1本は実は注射器で、ワルいことした僕は容赦なくチクッとやられて……ハァハァ」
「アンタ、ずいぶんマニアックやな」
そう言うと、うらしまは嬉しそうに「あふんっ」と叫んだ。
……義兄は本物のヘンタイでした。
「とにかく帰って。このドアは絶対開けへん!」
うらしまの腕をガンガン挟みながら、アタシは扉を閉めようとした。
そこへしたり顔でやってきたのがもう1人の問題児・桃太郎だ。
「冷たいおなごよのぅ。そちは」
糾弾するようにアタシを見て、それから勝手にチェーンを外してしまった。
「そちがうらしまか。構わぬ。入れ。近うよれ」
君がウワサの桃太郎くんっ!
うらしまは叫んだ。
2人は手を取り合っている。
何だか通じるモノがあるらしい。
「桃太郎、何で招き入れるねん。お姉にとって臭いっちゅうことは、アタシらにとってもこの人は臭いってことやで」
誰もアタシの話なんて聞いてない。
それにしてもアタシに対してもご丁寧に「殿」付けで呼ぶ桃太郎に、初対面で「うらしま」と呼び捨てされるうちの義兄って……。
「早く、早く!」
そんなうらしまは何事か叫んでアタシたちの手を引っ張った。
どうやら階下の自分の部屋に連れて行こうとしているようだ。
「ちょっ、腕だけ引っ張らんといて。痛いって! 外れんねん、肩! 外れたことあるねん。外れやすいねん!」
そうやって連れて行かれたのが1ー1号室。
アタシの部屋の真下。
大家のお姉(+うらしま)の部屋だ。
入りたくないと断固抗議したのだが、うらしまに引っ張られ、アタシたちはそこに放り込まれた。
「こ、これは……」
桃太郎が絶句している。
無理もない。
性格以外に、お姉の欠点はもう1つあったのだ。
昔からあの人の部屋は恐ろしく汚い。
服とか食器に始まって、ゴミや食べ物が悲惨なまでに散乱してる。
出したものを決して片付けない。
故に部屋はゴミの巣窟。
いつもアタシが片付けさせられたものだ。
アタシの部屋と同じ造りの狭い1Kの部屋──臭ってないだけ、これはまだましな段階だ。
勝手に部屋に入ったとお姉にバレるのも恐ろしいし、こんな部屋に足を踏み入れるのも気持ち悪いという思いから、アタシは玄関先で尻込みした。
「イヤや。帰る」
「頼む、リカちゃん!」
そんなアタシの前に、うらしまがいきなり土下座した。
「な、何? やめてぇな、うらしま。顔上げてぇな」
うらしまはゴミの中に顔面を埋める。
「お金がなくて困ってるんだ。リカちゃん、協力してくれ」
「義妹に無心か? アカンて。言っとくけどアタシはお金ないで。家出中やもん。文無しの16歳や」
「家賃払って昼メシ買って、会社に行く定期代出して……。お小遣いがもう1円もないんだ。だから協力してくれよ」
「へ?」
会社行くって……この人、サラリーマンやったん?
何も説明されなかったけど、絶対無職と思ってた。
昼ごはんに定期代……そりゃ大変やん。サラリーマンの悲哀やね。
ん? ちょっと待って?
「家賃って? アンタはお姉の部屋に一緒に住んでんのちゃうの?」
ポカンとした表情でうらしまは頷く。
その顔を見て、ようやくアタシは合点がいった。
姉は当然のように夫・うらしまからも家賃を取っているのだ。
更に彼の給料は全額巻き上げ、コイツには僅かな額の小遣いのみを与えているようだ。
お姉、金はため込んでる筈なのに、このセコさ。頭が下がるわ。
「アンタも何で従うの? だいたい嫁にサマ付けなのもどうかと思うで。その時点で主従関係できあがってるやん」
まぁ、アタシも初対面のコイツをうらしまって名字呼び捨てにしてるけどな。
「昼ごはんのタシにしようと、釣りをしてもダメ。コオロギも獲れない。イナゴもダメ……」
「釣りがダメって……アンタ、完全に名前負けしてんな」
「やー、照れるなー。いっそオオクワガタでも探してみようか」
「褒めてへんわ! オオクワガタなんて見付からへんわ。ここはトーキョーやで?」
かなりアホっぽい貧乏な義兄は釣りをしても失敗。
目当ての食料(?)も獲れず、こうなったら部屋を漁るしかないという考えに行き着いたのだろう。
でも1人でやるのは怖い、と。
「現金を勝手に取るのはマズイ。金目のモノ、プレミアもの、或いは売れそうな何か。なくなっても乙姫サマが気付かなさそうな何か。一緒に探してくれ!」
もう一度、うらしまは土下座した。
コイツ、土下座が似合いすぎる。
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