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それぞれの明日
秘薬・1
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むかしむかし、とある東の島国に小さな薬屋があった。
古くからあるその店は、地元に親しまれながら細々と営業を続けていたのだが、六代目になる若旦那は活力ある人物で、店を盛り上げようと珍しい薬草や新しい薬を求めて世界各国を飛び回った。
ある時、彼は旅先で一人の医師と出会う。
その医師は大変優秀で高潔な人物であった。紛争のある地域や貧困に喘ぐ地域に国境なき医師団として向かい、無償で治療を施していた。
医師は、若旦那の行動力と薬に対する熱意を気に入り、若旦那は、医師の薬学と医療に関する造詣の深さに尊敬の念を抱いた。彼らはあっという間に親しくなり、薬草の採取のために一緒に世界各地へ出掛けたり、未開発地域の医療現場を訪ねたりする程の間柄になった。
そんなある時、若旦那は医師に頼み事をされる。
試作品の飲み薬を作ったので臨床データが欲しいとの事だった。色々な人種から広く集めたいから君の国でも取ってきてくれないか、というのだ。若旦那は国内のあちこちに自分の店の薬を卸すよい機会だと思い、その依頼を快く引き受けた。全国を回り、薬を卸しながら医師の薬も渡し、サンプルデータを集めて回った。
そうしているうちに、ふと奇妙なことに気が付いた。
渡された薬はα用とΩ用の二種類で、一本一本に製造番号のようなものが振られていた。よくよく見ると、中には同じ番号のものがある。製造日が一緒なのか、原料が一緒なのか。何の気なしに一つの店に揃えて渡した。
しばらく経ってデータの回収の為に再度その店を訪れると、薬を飲んだ被験者たちが同じ姓になっていた。店主曰く
「結婚されたんですよ。この店がご縁になったようです」
そういう縁はさほど珍しくないが、渡したのは同じ番号だったのだ。その偶然の一致が面白かった。
悪戯心に火が着いて、他の店にも揃いの番号を混ぜて渡してみた。すると、揃いの番号の被験者たちだけがカップルになっているではないか。それもかなり熱烈な。とある既婚者は妻子を捨てた略奪愛で、とある老人は自分の孫のような若さのΩと年の差婚。周囲が猛反対しているにも関わらず、本人たちは互いしか目に入らない程の熱愛っぷりなのだ。
これは……。
確定だ。同じ番号のものには惚れ薬の作用がある。それもかなり強力な。
医師は番号の事は何も言わず、渡された番号もばらばらだった。ということは、医師も知らない偶然の産物なのだろう。黙っていればこの事は誰にも分からない。
(もしこれを意図的に使ったら……)
興奮で背中がゾクゾクとした。
その後も若旦那の所へと薬は送られ続けた。送り返すデータに番号の記入は必要なく、本数も数をこなす事が重要だったので、治験者から多少の回収漏れがあっても何も言われなかった。なので同じ番号を見つける度に抜き取り、その他はデータを返した。
そのうち治験は無事に終了した。
医師は彼に感謝を伝え、若旦那は国内に出来た繋がりで店を全国に広げる旨を伝えた。互いに握手で別れ、その後は多忙を理由に段々と疎遠になっていった。
そうしてほとぼりが冷めた頃、若旦那は薬を使った。
同じ番号の片方を国内で名の知れた見目麗しく優秀なαに。もう一本はΩの自分に。
かくして二人は恋に落ち、若旦那は美しい伴侶を、店は経営の知略に富んだ優秀な人材を手に入れた。
こうして先祖代々の土地で小さな薬屋を営んできた天沼薬局店は、このさき全国に支店を持つ一大企業『天沼商会』へと成長していく。その第一歩を踏み出したのであった。
めでたしめでたし。
だが若旦那は知らなかった。
医師が、ただのαではなく稀少種だった事を。
渡された試薬が、年齢や相性に関係なく互いを強制的に<運命の番>にする呪いの品だった事を。
全国を回った治験はデータを採る為ではなく、日本にも運命のタネをばら撒く為であった。このあと医師は更に早く広く拡散できるように飲み薬からワクチンへと改良した。それを医療ボランティアとして向かった先々で、予防接種として数千人、数万人単位で拡散していった。
しばらくして、世界各地でドラマチックな出会いがあちこちで繰り広げられ、医師が狙っていた相手にも運命の出会いがあるのだが、それはまた別の話。
さて、若旦那はその世界中で起こり始めた出来事のカラクリにも気付けただろうか。
だけど人は後暗いことがあれば口を閉ざす。
稀少種の医師にはΩである若旦那の行動など筒抜けで、秘密に気づいた彼が薬を抜き取ることも自分自身に使うことも想定内だった。
何かに気付いても薬を己に使い、更に隠し持って家宝にした若旦那は沈黙を続けるしかない。
治験という名で薬を拡散できて、尚且つこの事を誰にも漏らさない。若旦那は、稀少種の望む最適な人物だったのだ。
厚意で積極的に協力し、口止めせずとも自発的に口を閉ざした若旦那だが、医師は彼との未来を三つ想定していた。
一つ目は、若旦那が何も気付かないまま治験が終了した場合。その時はその後も二人の交流は続き、友情も一生続いただろう。
二つ目は、同じ番号の作用に気付き、善意で医師に報告した場合。その時は口封じの為に若旦那を殺さなければならなかった。
三つ目である薬を手に入れてそれを秘匿し、自分のものとしたそのやり方が、お互いの利益のために最良の方法であった。
若旦那はよい選択をした。そう思いを巡らし、稀少種は静かに嗤った。
たとえその代償を遠い子孫が払うことになったとしても、だ。
古くからあるその店は、地元に親しまれながら細々と営業を続けていたのだが、六代目になる若旦那は活力ある人物で、店を盛り上げようと珍しい薬草や新しい薬を求めて世界各国を飛び回った。
ある時、彼は旅先で一人の医師と出会う。
その医師は大変優秀で高潔な人物であった。紛争のある地域や貧困に喘ぐ地域に国境なき医師団として向かい、無償で治療を施していた。
医師は、若旦那の行動力と薬に対する熱意を気に入り、若旦那は、医師の薬学と医療に関する造詣の深さに尊敬の念を抱いた。彼らはあっという間に親しくなり、薬草の採取のために一緒に世界各地へ出掛けたり、未開発地域の医療現場を訪ねたりする程の間柄になった。
そんなある時、若旦那は医師に頼み事をされる。
試作品の飲み薬を作ったので臨床データが欲しいとの事だった。色々な人種から広く集めたいから君の国でも取ってきてくれないか、というのだ。若旦那は国内のあちこちに自分の店の薬を卸すよい機会だと思い、その依頼を快く引き受けた。全国を回り、薬を卸しながら医師の薬も渡し、サンプルデータを集めて回った。
そうしているうちに、ふと奇妙なことに気が付いた。
渡された薬はα用とΩ用の二種類で、一本一本に製造番号のようなものが振られていた。よくよく見ると、中には同じ番号のものがある。製造日が一緒なのか、原料が一緒なのか。何の気なしに一つの店に揃えて渡した。
しばらく経ってデータの回収の為に再度その店を訪れると、薬を飲んだ被験者たちが同じ姓になっていた。店主曰く
「結婚されたんですよ。この店がご縁になったようです」
そういう縁はさほど珍しくないが、渡したのは同じ番号だったのだ。その偶然の一致が面白かった。
悪戯心に火が着いて、他の店にも揃いの番号を混ぜて渡してみた。すると、揃いの番号の被験者たちだけがカップルになっているではないか。それもかなり熱烈な。とある既婚者は妻子を捨てた略奪愛で、とある老人は自分の孫のような若さのΩと年の差婚。周囲が猛反対しているにも関わらず、本人たちは互いしか目に入らない程の熱愛っぷりなのだ。
これは……。
確定だ。同じ番号のものには惚れ薬の作用がある。それもかなり強力な。
医師は番号の事は何も言わず、渡された番号もばらばらだった。ということは、医師も知らない偶然の産物なのだろう。黙っていればこの事は誰にも分からない。
(もしこれを意図的に使ったら……)
興奮で背中がゾクゾクとした。
その後も若旦那の所へと薬は送られ続けた。送り返すデータに番号の記入は必要なく、本数も数をこなす事が重要だったので、治験者から多少の回収漏れがあっても何も言われなかった。なので同じ番号を見つける度に抜き取り、その他はデータを返した。
そのうち治験は無事に終了した。
医師は彼に感謝を伝え、若旦那は国内に出来た繋がりで店を全国に広げる旨を伝えた。互いに握手で別れ、その後は多忙を理由に段々と疎遠になっていった。
そうしてほとぼりが冷めた頃、若旦那は薬を使った。
同じ番号の片方を国内で名の知れた見目麗しく優秀なαに。もう一本はΩの自分に。
かくして二人は恋に落ち、若旦那は美しい伴侶を、店は経営の知略に富んだ優秀な人材を手に入れた。
こうして先祖代々の土地で小さな薬屋を営んできた天沼薬局店は、このさき全国に支店を持つ一大企業『天沼商会』へと成長していく。その第一歩を踏み出したのであった。
めでたしめでたし。
だが若旦那は知らなかった。
医師が、ただのαではなく稀少種だった事を。
渡された試薬が、年齢や相性に関係なく互いを強制的に<運命の番>にする呪いの品だった事を。
全国を回った治験はデータを採る為ではなく、日本にも運命のタネをばら撒く為であった。このあと医師は更に早く広く拡散できるように飲み薬からワクチンへと改良した。それを医療ボランティアとして向かった先々で、予防接種として数千人、数万人単位で拡散していった。
しばらくして、世界各地でドラマチックな出会いがあちこちで繰り広げられ、医師が狙っていた相手にも運命の出会いがあるのだが、それはまた別の話。
さて、若旦那はその世界中で起こり始めた出来事のカラクリにも気付けただろうか。
だけど人は後暗いことがあれば口を閉ざす。
稀少種の医師にはΩである若旦那の行動など筒抜けで、秘密に気づいた彼が薬を抜き取ることも自分自身に使うことも想定内だった。
何かに気付いても薬を己に使い、更に隠し持って家宝にした若旦那は沈黙を続けるしかない。
治験という名で薬を拡散できて、尚且つこの事を誰にも漏らさない。若旦那は、稀少種の望む最適な人物だったのだ。
厚意で積極的に協力し、口止めせずとも自発的に口を閉ざした若旦那だが、医師は彼との未来を三つ想定していた。
一つ目は、若旦那が何も気付かないまま治験が終了した場合。その時はその後も二人の交流は続き、友情も一生続いただろう。
二つ目は、同じ番号の作用に気付き、善意で医師に報告した場合。その時は口封じの為に若旦那を殺さなければならなかった。
三つ目である薬を手に入れてそれを秘匿し、自分のものとしたそのやり方が、お互いの利益のために最良の方法であった。
若旦那はよい選択をした。そう思いを巡らし、稀少種は静かに嗤った。
たとえその代償を遠い子孫が払うことになったとしても、だ。
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