戦国稲荷御伽草子

笠緒

文字の大きさ
上 下
29 / 33
第四章 華の行方

4-1

しおりを挟む
 降ったりやんだりを繰り返す雨に些かうんざりしていた時に、その文は届けられた。
 人払いをしていたにも関わらず、現在直重なおしげが居室としている部屋近くまで音もなく訪れたその男は、懐から小さく折りたたまれた紙を出すと廊下で空を見ていた直重の足元へと滑らせ、そして再び音もなく去っていく。
 名も知らなければ、会ったことがあるのかないのかすら記憶にとどまらない男の姿に、「草の者(忍者)か」と独りごちた。濡れた地面だというのに、すでに彼がここにいた痕跡が地面にさえも残されていない。恐らく瞬時に、足跡がつきやすい場所つきにくい場所を判断し足裏を滑らせているのだろうが、そのような技能を身につけるためにどれほどの訓練をしてきたのだろう。
 生まれが下賤だったというだけで、あれほどの能力を持ちながらもあの男は生涯日陰の世界しか知らず生きていくのだろう。
 ――否。

(そういう時代は、もう終わろうとしているからこそこの計画があるのか)

 直重は男が消えた庭先から視線を足元へと落とすと、そこへ転がる小さく折りたたまれた紙へ手を伸ばし拾い上げる。

花咲城はなさきじょう攻略の儀――)

 視線を広げた文へと落とすと、そこにはやや癖の強い文字でしたためられた物騒な内容があった。

(もう、五月いつつきも前か)

 最初にことを起こしたのは。
 ――否。
 水尾景直みずおかげなおに初めて文を出してからすでに一年近く経つ。そしてこの謀叛を脳裏に思い描いてからは、すでに十数年の月日が流れている。邪魔だてする者は全て片付けたはずだが、そろそろいま国を留守にしているすぐ下の弟――父・水尾秀直みずおひでなおの嫡男も帰ってくる頃合だ。
 なんとしても、彼が戻ってくる前にケリをつけておかなければならないだろう。

(やるなら、今か)

 直重は六畳ほどの部屋へと入ると、文机へと向かう。そして筆を取ると、何の迷いもなく筆を白い紙へと滑らせた。筆が白い紙の上を流れる様をどこか他人事にように見つめながら最後に花押を書き込むと、一瞬筆を離すのが遅れ、まるで濡れたかのように花押が滲む。
 書き直すほどのものではないので乾くのを待ってそのまま小さく折りたたみ、外へと視線を流すといつ現れたのか先程の男が廊下に控えていた。
 一体どこから自分の様子を見ていたのかとうすら寒いものを感じながら、直重は男へと小さくたたんだ文を滑らせる。男は一礼するとそれを懐へと入れ、再び音もなく去って行った。
 どんよりとした曇りがどこまでも続く曇天に、決戦の火蓋を切って高揚するはずの心が重く澱んでいく。
 見続けるほどに気持ちが沈み込むというのに、どうしても視線を逸らす音が出来ない。直重の瞳は縫い付けられたかのように、外へと視線を送り続けた。

「…………雨?」

 ポツリ、と再び空が泣き始める。
 ひとつ、ふたつと地面に染みこむ雨は、やがて雫の薄絹を纏うように庭先の景色を暈した。まるで晴れることのない自身の心境を現すかのような空模様に、先ほどの花押が滲んだ理由を重ね――、そして、弧を宿す唇に嘲りの感情を刷く。
 書きなれた花押をしくじったのは、自覚のない迷いだとでもいうのか。
 涙を流せない自分の代わりに、空が泣いたとでもいうのか。

「馬鹿馬鹿しい」

 直重は鼻先で己を笑いながら、睫毛の影を頬へと落とした。縫い付けられた空への視線を無理矢理断ち切ると、衣擦れの音と共に立ち上がる。
 そして再び持ち上げられた睫毛の奥の瞳には、すでに迷いはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

自習室の机の下で。

カゲ
恋愛
とある自習室の机の下での話。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

処理中です...