戦国稲荷御伽草子

笠緒

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第三章 真実を穿つ雨音

3-10

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 ザァ、という雨音が室内に木霊する。
 直周なおちかは狸の置物のように座したまま扇を開けたり閉めたり繰り返す主に気付かれないよう溜め息を吐くと、伏せていたおもてを僅かに持ち上げた。それに気付いた男は、太い眉毛を軽く持ち上げると、視線で彼へ言葉を促す。

「先日の火事の件ですが、付け火の可能性はないようです。恐らく火の不始末が原因かと思われます。当日はいつもお世話をしている侍女も宿下がりをしていたとのことですし、燭台が倒れでもしたことによる火事ではないかと」
「…………そう、か……」

 この城に住む唯一の姫君の屋敷に火矢を射掛けた張本人が自分だといったら、この主はどんな表情かおをするのだろう。直周は常より細い一重の瞳を殊更細くしながら、上座に座する主――榊鷹郷さかきたかさとを見つめた。

「…………、他に何かあるか?」

 若い頃はそれなりに魅力的だったのだろう大きな瞳を直周に向けることなく、明後日の方向へと貼り付けたまま、ふと思いついたかのように鷹郷は呟く。広げられた扇を無駄にはためかせ、左手の指は落ち着きなく脇息を叩いていた。
 太い指がひらひらと仰ぐ扇に描かれた鮮やかな花は、薔薇そうび。日頃より女物の扇を愛用しているのか、それとも今彼の胸中を占める人物の持ち物か。なるほど確かに屋敷の燃え方としては、さほど被害は大きくなく出入り口付近がやや激しく炎上しただけのことだ。姫君の住まう部屋にあった扇ならば、無事だった可能性も高いだろう。
 何れにせよ、言外に「何か」を察せよと伝えてくる主に対し、直周の唇は薄く三日月を刷く。

「は……。何か、とは」

 日頃は忌み嫌い疎んじていると噂のむすめだが、行方知れずとなると流石に親心が芽生えるものなのか、それなりに心配をしているらしい。直周は胸中で遅すぎたそれを嘲笑いながら、何も知らないかのように小首を傾げながら鷹郷へと訊ね返した。

「ほれ、火事で怪我をした者や……その、行方がわからなくなった者などはおるか?」
「先日も申し上げましたが、幸いにも火はすぐに消し止められたため、怪我をした者はいなかったようです。行方知れずの者については、姫君が火事以降お姿を見かけなくなったとの話は御座いますが……それに関しては、この城の主であり、姫君の父上さまたる殿の方がよくよくご存知かと」

 直周は拳を畳へとつき頭を垂れながら、鷹郷へと答える。彼ら親子の不仲を知っているからこその嫌味に唇の端が思わず持ち上がりそうになり、主からは決して見えぬようさらに頭を深く下げた。
 嫌味に気付いたのか否か、鷹郷は喉の奥で呻くような声を上げ、癖ひとつない黒髪のたぶさがさらりと顔の横にこぼれ落ちるの見つめ、毛虫のように太い眉を殊更顰める。

「…………あれの髪もそなたのようであったらな」

 ぽつり、と誰に聞かせるわけでもない独り言が、老人の唇から溢れた。黒髪の少年は頬へと掛かる自身のたぶさへとちら、と視線を走らせながら、噂に聞いた彼の六女は見場が悪く、狐が如き外見だということを思い出す。

(現実や本質を見つめずに、いつまでも過去に築かれた見栄と外見に拘りすぎるから、こんな城にも平気で住めるんでしょうね)

 先ほど上がりかけていた唇を今度は抑えることが出来ず、直周は喉の奥を一度くつりと震わせた。肩が震えそうになるのを必死で我慢しながら、眉根を寄せ、如何にも気遣わしげな表情を作り出すと、おもてを持ち上げ、主へと視線を這わせた。

「殿……?」
「いや、何もない」
「度重なる火事……、そして、姫君がことで御心の優しい殿と致しましては気落ちする日々で御座いましょうが、殿あっての鳴海国なるみのくにで御座います。どうぞ、御身おんみは大切になさって下さい」
「……そうか。そうよの」

 自身の行いを見返してみれば世辞とわかりそうなほどの口が痒くなるほどのそれを、満更でもなさそうに受け止める初老の男に、内心失笑しながらけれども表情へと貼り付けた偽りの表情を剥がすことはしない。

(父上が、謀叛をお考えになるのもわかるな)

 父・景直かげなおが何代も前に傍流となった親戚の、さらに当主の庶子である直重なおしげから話を持ちかけられ、それを受けたときは流石に反対をした。父が長年患っている持病の件もあるし、何より水尾本家は現時点でこの鳴海国の守護大名である榊家を家老職の立場から牛耳っているといっても過言ではない。
 成功した時のうまみよりも、失敗した時の危険の方がよほど大きかった。
 直周本人、出世欲や顕示欲といった野心がないとはいわないが、幸運にも守護代を務める家柄に生まれた手前、下手な博打を打つよりも平穏に一生を終えたいという気持ちの方が大きいのだ。

(まぁ、時と場合によりけり……ですが、でも流石にあの場面ではないと……そう思っていた)

 だが、この生まれが高貴だという以外、何の取り柄もない無能な主を見ている限り、いとも容易くこの城を獲れるのだと錯覚しそうになる。
 ――否。
 実際、鷹郷相手ならば簡単に城を獲ることは出来るだろう。
 上座でひらひらと扇を仰ぐ鷹郷へ、嘲りの感情を浮かべた瞳を向ける。そしてふと、桃色の薔薇そうびが描かれた紅の扇面へと視線を移し――。

  ――お気を付けて。曼珠沙華は、不吉な花とも言われますから。

 鮮やかな紅が描く弧に、不意に脳裏に若い男の声が蘇り、直周の肩がギクリと強ばった。

(そう、いえば――)

 あの少年は――直重が弟だと言ったあの少年は、どうしただろう。
 確かにあの日、射殺いころした。
 けれど。

(行方不明の、六の姫)

 あの日、廃寺にて彼と共にいたのは恐らく彼女だろう。
 直重は捨て置いていいほどの、愚かな女だと評していたが。

(愚かな女が、逢瀬のために城を出るか?)

 高貴な生まれの姫君が。
 もし本当に男と睦み合う逢瀬のためだけにそれをしたのならば、なるほど愚かな女だろう。

(けれど)

 もし、そうではなかったら――?
 直周は思案するように視線を一瞬畳へと落とし、すぅっと瞳を細めた。この花咲城はなさきじょうは、流石に守護大名の居城とあって築城の際使われた材質は一流のものだ。公家贔屓な鷹郷の趣味により、調度品もいま都で流行っているものばかりで、いま直周が座する畳も青いにおいが鼻腔を擽るほどに真新しい。

(でも)

 この畳の下には、築城当時の板間があるのだ。
 そう。
 あのとき足を踏み入れた廃寺のような古く硬い板間が――。
 しばらく畳の目へと睫毛の先を向けていた直周は、軽く息を吐くと、呼吸を整える。そして、先ほどしたように哀憫の感情をおもていっぱいに貼りつけると、ツとそれを持ち上げた。
 額の上で、前髪がさらりと揺れる。

「殿」
「ん? 如何致した?」
「いえ、姫君がことですが……もし宜しければ、もう一度私に調べることをお許し頂けないでしょうか? 殿が手を尽くして姫君をお捜しされていることは重々承知しておりますが、殿のご心中を察すれば、我ら家臣が諦めていいわけは御座いません」

 気遣わしげな表情を貼り付けたまま紡がれた上辺だけの言の葉は、素直ではない親心を刺激するのに十分だった。





 バラバラバラ、と不規則に傘を叩く雨音が頭上から鳴り響く。
 柄を持つ右の拳が傘からの雫で僅かに濡れ、その冷たさに指先が赤くなった。先日までの陽射しが嘘のように、空から降り注ぐのはただただ冷たい雨。見上げた高い空には、鈍い色が広がっていた。
 鷹郷の居住区である本丸御殿を出て、二の丸、三の丸を越え、六の姫が住んでいた屋敷の方向へとつま先を向けて歩き出す。しばらくすると、花咲城の搦手からめて(裏門)近くにある、まるで軟禁場所のようにも見える屋敷の垣根が視界に映った。
 先日の火災により、屋敷のみならず垣根も煤で黒くなっており、ふわりと焦げ臭さのようなものが漂っている。

「……ん?」

 曲がり角へと足を踏み入れた、その瞬間、足元でチャリチャリと何かが歌ったことに気付いた。

(あぁ。敷石、か……)

 直周が白石へと落としていた睫毛を再び雨の流れる高さまで持ち上げると、古びた垣根が目の前まで迫ってきている。そのまま雨で湿った草履を垣根へ沿うようにと進ませていくと、雨の中に石を踏む音が溶けるように響いた。
 細い瞳で雨を追うかの如く、細かく上下へと動しながら己で起こした火災の跡を探したが、放った火矢の痕跡はこの垣根には確認出来ない。やはりこの先にある出入り口付近に刺さったというのは間違いないようだ。

(屋敷の出入り口への出火が先ということは、やはり逃げ延びるのは不可能か……?)

 報告に上がってきていた被害状況は、屋敷の出入り口部分が一番酷かったとあった。恐らく火矢が刺さり、燃え始めたのがその辺りなのだろう。

(でも遺体が発見されないのは……)

 そもそも屋敷の被害にしろ、それほど甚大なものではない。煙に巻かれて絶命、ということならばなるほど考えられるが、そうだとしたら姫君の姿が掻き消えていることに矛盾が出てくる。
 元より直周としては「どちらに転んでもよい」と思っていた。
 いまならばまだ自身の身の安全はどうとでもなるだろう。
 だからこそ、どちらにもいい顔が出来るよう手を打っておいた。
 故に、直重に命じられたからといっても六の姫の始末をそこまで本気でやり遂げようと思っていたわけではない。
 そしてそれは、水尾分家の三男にも同じことがいえた。

(まぁどちらでもいいと思っていたが……どちらに転ぶにせよ、事実の確認把握は必要だしな)

 何か見落としはないのか、と比較的被害の少なかったと思われる垣根を上から下へと視線を這わせていき――とある箇所へと視線が動いた瞬間、少年の肩が思わずギクリと揺れた。

「こ、れは……」

 雨の寒さに固まっていた薄い唇が、吐息とともに僅かに動く。
 垣根の下部に、不自然な穴があった。
 直周は思わず一瞬止まった足を、再び濡れた白石へと転がす。カチャカチャ、と石が歌う中、穴の前まで歩を進め、そして膝を地面につけないよう気をつけながらしゃがみこんだ。
 成長に伴い堅く太く骨ばってきた指が、垣根の穴に軽く触れる。断面は既に尖っておらず泥にまみれ丸まっており、明らかに昨日今日あいたものではない年季を思わせた。

(いくら華奢であろうとも、姫君は御年十六になられる。流石に無理か……)

 地面にも、最近何かが這い出たような跡は見当たらない。

(杞憂に過ぎない、か)

 軽く溜息を吐きながら音もなく立ち上がると、傾いた傘から雫が零れ少年の肩先を叩き濡らす。カチャ、と再び足元で石が鳴る。
 何の気なしに、睫毛の先を落としていき――そして、視界に飛び込んできた白い石に、喉の奥から何かがこみ上げてきそうな錯覚に陥った。
 この屋敷を囲うかのように敷き詰められた、白い敷石。
 音を奏でる、石。

(誰が、愚かな女だって――?)

 直周は弾かれたように、来た道を引き返す。
 チャリチャリと先ほどからずっと足元で鳴り響いていた音が、今は苛立つほどに煩わしい。

(侵入者対策用の石を)

 屋敷を囲むように敷き詰めるような女が、愚かなものか。
 そんな女が、色恋のためにわざわざ城を抜け出て男と密会などするものか。
 気持ちの昂ぶりを代弁するかのように先ほどよりも激しく肩先を傘は濡らしたが、そのことに少年が気付くことはなかった。
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