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のぶの田楽

この場所で

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 雲ひとつない青い空をホトトギスが飛んでいく。冨岡八幡宮の門前町、中島町の田楽屋は今日も客が途切れない。

「おかみさん、殿ちびちゃんの田楽ひとつ! 菜飯付きで!」

「こっちはふたつ頼むよ!」

「はい、ただいま」

 それにのぶは答えながら、使い込んだ長火鉢に田楽を並べていく。真っ直ぐに串を打ってある田楽は、今朝朔太郎が、仕込んでくれたものだ。
 その彼は店の小上がりで常連客に混じって、昼食中である。隣でまるがのんびりと毛繕いをしていた。

「よう、殿ちびちゃん、今日も元気だな」

 声をかけられて、にっと笑った。

 通りの向こうでは、派手な柄の小袖を着た娘がふたり、こちらの様子を伺っている。店先で田楽を焼いているのぶを見て残念そうに帰っていった。
 あれは確か、晃之進が店に立っていた時に毎日来ていた水茶屋の娘たちだ。彼が店に立たなくなって随分経つのにまだ諦められないのだ。

 朔太郎が田楽屋に戻ってきてしばらくが経った。再びのぶが店に立つようになり、また客層は元の顔ぶれに戻りつつある。
 八幡宮への詣客、武家屋敷から来るお侍、忙しいおかみ連中……。

 晃之進が立っていた時によく来ていたおなごの客たちはもうあまり来なくなった。
 それを聞いた晃之進は、なら自分も何日かに一度は店に立とうかと言った。

『客が倍になるだろう?』

『結構です。おまえさんはお役目に専念してください』

 ぷりぷりして断ると、彼はくっくと肩を揺らした。

『悋気か。ようやくのぶも一人前だな』

 水茶屋の娘たちが帰っていった方から、でんでんでんと太鼓の音をさせながら、からから売りがやってきた。
 お文である。今日も風ぐるまや都鳥、でんでん太鼓をたくさん担いでいる。

「お文ちゃん!」

 声をかけると、にこっと笑ってこちらにやってきた。

「おかみさん!」

 彼女は手に青い千代紙でできた風ぐるまを持っていた。

「殿ちびちゃんの風ぐるまできましたよ」

 もともと朔太郎が大切にしていた風ぐるまは、彼の父親に渡してしまった。朔太郎はそれで納得はしてたが、やはり残念そうだった。あの青い千代紙の風ぐるまを彼は特別大切にしていたから。
 だからのぶは、また新しいものをお文に買い求めることにしたのだが。

『なら同じ千代紙がないか、紙屋に探してもらいますよ』

 お文がそう言ってくれたのだ。

「遅くなってすみません」

「そんなこと……わぁ、本当に一緒ね。よかった。さくちゃん、風ぐるま、お文ちゃんが持って来てくれたよ」

 店の奥に声をかけると、ちょうど昼食を食べ終えていた朔太郎が小上がりからぴょんと飛び降り、嬉しそうに走ってくる。お文から風ぐるまを受けった。

「かたじけない!」

 礼を言って、のぶを見た。

「かかさま、外で遊んでもいい?」

「はい、どうぞ。かかさまから見えるところにいてね」

 そう言うと、彼は「あい」と返事をして前の通りへ走り出す。くるくる回る風ぐるまに近所の子らも集まってきた。

 ここのところ朔太郎はこうやって店の外に出て遊ぶようになった。
 ずっとここにいられると聞いたからだろうと、のぶは思っている。自分の家はここなのだという安心感を得て、少しのぶから離れることができるようになったのだ。

「お文ちゃん、ありがとう。助かったわ、はいお代」

 のぶは金子箱から小銭を出してお文に差し出す。
 お文が、首を横に振った。

「おかみさんからは受け取れません。お世話になってるんだから」

「あら、それはいけないわ。それとこれとは分けないと」

 のぶも首を横に振った。
 風ぐるまのお代は、ひとりで頑張る彼女の生活を支える柱なのだ。軽く考えてはいけない。しかも今回はわざわざ以前と同じ千代紙を探してきてもらったのだ。余計に手間をかけさせた分、少し多めに払いたい。
 でもお文は頑なだった。

「じゃあ、おかみさんこそ分けないと。あたしおかみさんにたくさん食べさせてもらってるんですよ。そのお代を払うとしたら大変なことになっちゃいます。風ぐるまひとつどころじゃないですよ」

「あら」

 のぶは目をぱちぱちさせた。ここへ来はじめた頃は、まだ子どもみたいでのぶの店でも遠慮がちだった彼女だが、いつのまにかいっぱしの商売人の口をきくようになった。
 それがなんだか嬉しくて、のぶはふふふと笑みを浮かべた。

「それなら、今日はご馳走を用意して待ってるね」

「期待してます」

 そう言ってお文は八幡宮の方へ歩き出す。

「また夕方にね!」

 声をかけると、振り返り手をあげた。
 たくましいその背中に手を振りかえす。
 その彼女とすれ違うようにこちらへやってきたのは、さちの連れ合いの平吉だ。

「こんにちは、のぶさん」

「こんにちは、平吉さん。さっちゃんの様子はどうですか?」

「へえ、もういつ生まれてもおかしくないと産婆は言ってやすが、まだみてえです」

「そう。なんだかそわそわしちゃいますね」

 臨月に入ったさちは今、八丁堀の実家に里帰り中なのだ。平吉は毎日、店を母親に任せて様子を見に行っている。
 行きがけに田楽屋に寄り、のぶに彼女の様子を伝えてくれるのだ。
 彼の口から赤子が生まれたと聞くのを、のぶは今か今かと待っている。
 が、今日はまだのようだ。用意してあった風呂敷包みを彼に渡した。

「はい、平吉さん、今日の分。いつお腹がすいてもいいように、つまみやすい稲荷寿司にしましたよ」

「ありがてえ、さちが喜びますよ。実家は気楽だといいますが、あちらも義兄さん夫婦がおりますからね。そうしょっちゅう食べてばかりもいらねえみてえで。それに、もう実家の味よりものぶさんの味の方が安心するとか言ってやした」

「あはは、さっちゃんらしい」

 のぶは声を立てて笑った。
 ここに来てた時と同じように、さちがのぶのお菜を食べられるよう、こうして毎日平吉に持っていってもらうのだ。
 臨月に入ってからは、なんでも美味しく思えると言っていた彼女だが、ここへきて一度に食べられる量は減ったという。お腹の赤子が大きくなったからだ。その分お腹がすくのも早いからちょこちょこなにかつまみたくなるらしい。
 だからのぶは稲荷寿司をこさえたというわけだ。

「楽しみですね。平吉さん」

「へえ、だけどちょいと心配でどきどきしやす。前は赤子は女がいいと思ってやしたけど、今はとにかく無事に生まれてきてくれればどっちでもいいという心境です」

「そうですね、本当にそう思います」

「ではまた明日」

 幸せそうに稲荷寿司を抱えて、平吉は永代橋の方へ去っていく。その背中をお天道さまが照らしている。

 男も女も大人も子どもも、この江戸の町で皆一生懸命に生きている。

 たくさん笑って、たくさん泣いて。

 のぶは今日もこの場所で田楽を焼いている。それが、なにより幸せだ。

「かかさま!」

 朔太郎がのぶを呼ぶ。
 嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、手をぶんぶん振っている。ひたいの汗がきらきらと光っていた。

 春風が吹いて、風ぐるまがからからと回った。

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