田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜

皐月なおみ

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仲直りのところてん

久しぶりの

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 今川町のお文の寝ぐらから、行方知れずになっていた四人の子が発見されたのは、その日の午後のことだった。

 当然ながら、お文が子どもらを引き連れて歩いている姿にのぶがかどかわしを思い浮かべただけで、菊蔵が動いたわけではない。
 でもお文から聞いていた彼女の毎日歩く道筋が、いなくなった子の家の場所とぴったり一致していたことから、念のため調べてみようとなったのである。

 子どもたちは連れ去ったのではなく、ついてきたのだとお文は言った。帰すべきなのはわかっていたが、彼らの身体にある親からつけられたと思しきあざを見て、帰せなくなったのだ。

「あざができるまで殴るなんて親ではなく鬼でしょう。鬼のところへ子を返せますか」

 お文はそう言って、お奉行を睨んだのだという。
 そういう彼女も飲んだくれの父親から殴られて育った。しかもその中で小さな弟を亡くしている。

 彼女が可愛がっていた弟は、表向には原因不明の突然死ということになっているが、お文は父親が殺したのだと言い切った。
 亡くなる前の日に父親からひどく殴られて弟は頭を打った。お文は濡れた手拭いで冷やしてやり布団で寝かせてやったが、次の日冷たくなっていたのだという。

 そんなお文だから寄ってくる子どもらの中に傷のある子どもたちがいることに気がついたのだろう。そして彼らに事情を聞いた。
 子どもたちの中には、誰にも言っちゃならねえと親に脅かされていた者もいたが、まだ子どもに近いお文には安心して話せたのだ。

 そしてお文は『家に帰りたくない、連れて行ってくれ』と言う彼らを放っておけなかった……。

 お文の寝ぐらにいた四人の子は皆、怪我もなく元気だった。
 驚いたことに、お文は四人の子を立派に養っていたという。もちろん元々のお文の売上だけでは厳しい。だから彼女は子どもたちに自身の商売を手伝わせていた。
 でんでん太鼓の貼り方から、風ぐるまの作り方までおもちゃの作り方を丁寧に教えて自分が売り歩いている間作らせていたのである。そして自分は普段よりたくさん歩き回って売っていたのだという。
 さらにそれだけでなく、子どもたちが作ったおもちゃを知り合いのからから売りたちに、卸してもいたという。年老いて細かい作業が難しくなったからから売りたちは、それらを喜んで買った。
 いなくなった子どもらは、自分たちの力でちゃんと生活していたのだ。
 奉行所がいくら捜しても見つからなかったのは当然で、子どもたち自身が、殴られることのない安全な暮らしから離れたくなくて、見つからないように慎重に行動していたのだ。
 そして彼は、見つかった後も、誰ひとり親元へは帰りたがらなかった。

 結局お奉行は、一連の出来事はかどかわしなどではなく、迷い子を親切なからから売りが面倒を見ていただけだと結論づけお文には褒美としていくらかの金子が下された。

 子どもらのうち男の子ふたりは、親元へは帰らずに一旦差配に預けられたあと奉行所が責任を持って然るべきところへ奉公に出ることになった。油問屋の娘は、離縁された母親の元へ行くことになった。
 おいちだけは、材木町の小料理屋に戻されたが、代わりに小夜が家を出た。小夜がおいちにしていたことを知らなかった父親が、泣いておいちに詫び、小夜と夫婦別れすることにしたからである。

「しつけでもなく腹いせのように親が子を殴るなんて、嫌な話ですね」

 田楽屋の小上がりで、晃之進の夕食の給仕をしながら、のぶはため息をついた。
 事件がひと段落して、ようやく晃之進はのぶが起きているうちに帰ってきた。朔太郎は二階で夢の中だから、久しぶりの夫婦の時間である。

「お文ちゃんの言う通り、子どもらの親たちは人ではなく鬼だったのでしょうか。人の皮を被った……」

 小さな子があざを作るまで殴るなんて、とても人のやることとは思えない。

「どうかな」

 晃之進が首を傾げて、湯呑みを置いた。

「そりゃ下手人の中には血も涙もねえ鬼みてえな奴もいるが、大抵の事件はなんの変哲もない普通のやつが下手人だ。誰かの息子で誰か父親で。もともと鬼なんじゃねえ。普通のやつらよ」

「普通の……だけどそれならどうして鬼みたいなことをしでかすんです?」

 誰かの息子であり誰かの父である普通の人が、なぜ罪を犯すのか……。
 晃之進が箸を止めしばらく考えてから口を開いた。

「人は心に鬼を飼っているんだとおれは思う。それが何かの拍子にひょっこり顔を出すんだろう。……棒手振りのぼうずを殴ってたって継母は、はじめは継子を、精一杯可愛がろうとしたらしい。だけどいつまで経っても実の母を恋しがる姿にだんだん憎くなったって言ったとよ。重ねて亭主ともうまくいかなくなってきたんでだんだん怒りをぶつけるようになったって話だ。……ま、だからといって許されることじゃねえがな」

「心に鬼を飼っている……」

 兄とともに数々の捕物に関わって、たくさんの下手人を見てきた晃之進の言葉に、のぶはぶるりと震えた。
 人は心の中に鬼を飼っていて、それは何かの拍子に顔を出す……怖い話だった。

 今までのぶは、奉行所の世話になる下手人なんて人ではないと思っていた。人の姿をした恐ろしい何かだと。それこそ、お文がいうように鬼なのだと思っていた。
 だけど晃之進の話が本当なら、どこにでもいるその辺の人がいつ鬼になるかもわからないということだ。

 ……なにより一番怖いのは、その話をどこかで納得している自分だった。
 八百屋からの帰り道に感じたちりちりと胸を炙られるような感覚を思い出していた。

「……おまえさんの心には鬼はいなさそうですね」

 怖いことを言っておきながら、彼はのぶが作った小茄子の蓼漬けを美味そうに食べている。彼はいつも穏やかで、そういった感情とは無縁のように思えた。
 晃之進が肩をすくめた。

「んなわけねえだろう。おれの中にも鬼はいる。ただそれを飼い慣らせているだけよ」

「鬼を飼い慣らす……ですか」

「暴れて出てこねえようにな」

 そう言って彼は、飯に白湯をかけて、さらさらとかっ込んだ。

「鬼は……どういうときに出てくるんでしょう? どうやったら飼い慣らせるんでしょう」

 着物の胸元をぎゅっと掴んで、のぶは彼に問いかけた。胸の中はまだちりちりとしている。
 晃之進が箸を置いてのぶを見た。

「そうだなぁ」

 鬼気迫る様子ののぶに、やや驚いて月代をぽりぽりとかき、口を開いた。

「足るを知るということが、大事かもしれねえな」

「足るを知る?」

「ああ、ないものねだりしねえで今あるものをありがてえと思うことよ。人が人を傷つける事件の根底には憎む気持ちがあるものだが、さらにその奥には不要な欲があるんじゃねえかとおれは思う」

「不要な欲……?」

「あいつより偉くなりてえとか、おれの方がすごいんだとか。誰かと自分を比べて相手を妬む気持ちよ。お文の父親は腕のいい大工だったんだろ? 親方からも大事にされていた。でも、"後継になれねえ、ほかの弟子が羨ましい"という気持ちを飼い慣らすことができなかった、で、鬼になってわけよ」

「足るを知る……。今あるものをありがたいと思う……」

 呟くと少し胸のちりちりが薄まっていくような心地がした。お文の父親も、大工てしていい腕があり、可愛い子どもたちがいることをありがたいと思えれば、酒に溺れることはなかっただろう。

「おれは、帰るところがあって美味いものが食える。それ以上のことは望まねえんだ」

 そう言って晃之進は空になった茶碗が並ぶ箱膳に向かって手を合わせた。その姿に、のぶはまだふたりが安居家にいた頃の出来事を思い出した。

「そういえばあの時も、おまえさんは平然としていましたね」

「あの時?」

「細川さまの件ですよ。あの時旦那さまも奥さまもは、ずいぶん悔しがっておられました。でも当のおまえさんは、まったく平気なようでした」

 のぶと晃之進がわりない仲になって、半年ほどが経った頃のことだ。晃之進に与力の家から養子の話が舞い込んだ。実現すれば大出世だから、このときばかりは倉之助も大喜びで話を進めた。
 だが、それを妬んだ晃之進の道場の朋輩が、晃之進の普段の人柄をお話するという口実で密かに細川家に取り入り、あることないこと吹き込んで話を潰してしまったのだ。そしていったいどうやったのか、晃之進の代わりにその男が養子に収まった。
 悔しがる倉之助をよそに晃之進は口では「残念にござりまする」と言いながら、相変わらず飄々としていた。

「あれか」

 晃之進が懐かしそうに目を細めた。

「あの時もおまえさんは悔しい気持ちを飼い慣らしていたわけですね」

 晃之進が首を横に振った。

「いやあれは違うな。養子の話をおれは本心では望んでいなかったからな。だからおれはあの男がおれの悪りい話を細川さまに吹き込んでいるのを知っていて放っておいたんだ。別に悔しいなんか思っちゃいねえよ」

「そうなんですか? ……でもどうして? あんなにいいお話だったのに」

 のぶは驚いて首を傾げた。与力の家への養子の話なんて、めったにない幸運だ。

「どうしてって……。ったく、これだからのぶは」

 呆れたようにそう言って、彼はのぶの腕をぐいっと引く。

「あ」

 あっという間にのぶは彼の腕の中に収まった。

「あの時すでに、おれとのぶはこういう仲だったろう?」

「お、おまえさん……」

 自分を包む彼の匂いに、のぶの頬が熱くなる。ついさっきまで確かにあった胸の中のちりちりが、どこかへ消えてなくなって、代わりに温かな幸せな思いに満たされてゆくのを感じていた。

 すぐ近くで見つめる眼差しに、のぶの口から素直な言葉が出た。

「私、おまえさまと一緒になれてよかったです。あの時はなりゆきに身をまかせただけですけど、今はそう思います。私、おまえさまに心底惚れていますから……」

 広い背中に手を回すと、晃之進がふっと笑みを漏らした。

「やっと言ったな」

 そしてふたりは、唇を寄せ合った。
 足るを知り、今あるものをありがたいと思う。
 目を閉じて、のぶはその言葉を胸に刻み込んだ。
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