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仲直りのところてん
いなくなった子の共通点
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その日の夜遅く、帰ってきた晃之進にのぶは昼間の出来事を話した。なんだか胸がざわざわとして不吉な予感がしたからだ。おいちを心配する小夜の言葉に、朔太郎が耳を塞いだこと、その後のところてん屋の女房の話……。
「小夜が……」
田楽をかじっていた手を止めて、晃之進は難しい表情で考え込んだ。
「おまえさんは、直接小夜さんから話を聞いたんですか?」
「いや、小夜から事情を聞いたのは材木町を縄張りにしてる長吉って岡っ引きだ。近所の者にも話を聞いたが、小夜は弥吉を支えて、継子を可愛がる感心な女だって話だったが……」
近所の者……たとえばところてん屋の主人ならそう言うかもしれない。
「ご近所の旦那さんたちは、すっかり小夜さんに絆されてるっておかみさんは話しておられました。同じ近所の方でもおかみさん方の意見はまた別のようですよ」
もしかしたら、今日通りすがりののぶに、女房が話してくれたのは、亭主にうっぷんが溜まっていたからかもしれない。
「女の意見は違う……か。なるほど確かにあの小夜っておかみ、素人とは思えねえたおやかないい女だった……」
と、そこまで言いかけてのぶの視線に気がついて、晃之進は咳払いをした。
「いや、でも確かに、その話は興味深い」
「お前さん、たとえばその……小夜さんが……っていうのは考えられませんか?」
ためらいながらのぶは言う。嫌な話だが、子が邪魔になって……ということもありうると思ったのだ。
「いちおう親の動きも気にかけているが、今のところあやしい動きはない」
「そうですか……」
「まぁ、気にかけておくよ」
頷いてのぶはため息をついた。
「子どもっていてもいなくても心配ごとはつきないんものですね」
思わず思っていたことを口にする。朔太郎を可愛いと思えば思うほど、心配ごとは次々と湧いてくる。
親というものはこんなにもたくさんの思いを抱えて苦労して子を育てるものなのだということをのぶは思い知った。
自分が子だった時には考えつかなかったことだった。
一方で、晃之進はのぶの言葉の別のところを聞き咎めたようだ。眉を寄せて口を開いた。
「いなくても……。のぶ、まだ近所の連中から子ができねえことをあれこれ言われてるのか?」
「え? それは……まぁ……」
のぶは曖昧に頷いた。
朔太郎が晃之進の子だという噂を否定しないでいるせいで、近頃は前とは違ったことを言われるようになった。
『のぶさんは、この子を大切にしなくちゃいけないよ。子が生めない上に、大事な男の子をいじめたとなりゃ、いつ追い出されても文句は言えないからね』
つねは、いつもそう嫌味を言う。それをそのまま告げると、晃之進が顔をしかめた。
「ったく、うるせえ連中だな。こうなったら、もっとはっきり言って回ってやろうか。『おれはのぶに心底惚れてる、追い出すわけがねえだろう』って」
とんでもないことを言う晃之進に、のぶはぎょっとした。
「や、やめてくださいそんなこと……!」
考えただけで顔がから火が出そうだ。
「そのほうが私は困ります」
「だけどのぶがそんなことを言われてると知られたら、おれはまた義姉上にどやされる。噂をそのままにするなら、そう言うしかねえだろう」
「私は大丈夫です。もう前ほど気に病むことはありませんから」
痩せ我慢でもなくのぶは言う。実際、朔太郎が来てからはあまり気にならなくなったのだ。
「それにそんなことを言いふらされて、どんな顔して田楽を焼けっていうんです?」
「どんなって、安居晃之進の恋女房ですって顔をしとけばいい」
「こ、恋女房って……! へ、変なこと言わないでください」
のぶの頬が熱くなった。近頃の晃之進はこういう言葉を口にすることが増えた。もちろんふたりだけの時だが、それでも色恋ごとに慣れていないのぶは困ってしまう。
「夫婦なんだから、変なことじゃねえだろう」
「でも今までこんなこと言わなかったじゃないですか」
「おれはこの間の一件で反省したのよ。三年も一緒にいたのに、まさかのぶがおれの気持ちをわかっていないとは知らなかった。女は言葉にしなけりゃわからねえというのは本当なんだな。だけど考えてみりゃ、のぶはおれとこうなるまではうぶだったんだから、ちょっとくらい鈍くてもしかたねえわな」
からかうような晃之進の言葉に、のぶは頬を膨らませた。
「に、鈍くなんてありません!」
ぷいっと横を向くと晃之進がふっと笑う。心底愉快そうに、のぶの頬を突いた。
「だからこうやってちょいちょい言うことにしたってわけよ。でもそういえば、のぶ。おれはお前からまだなにも聞いてねえぞ? おう、一緒になって三年経つ亭主を、お前はどう思ってるんだ?」
「そ、そ、そんなの、言わなくても……」
のぶはもごもご言う。
「言わねえとわからねえよ。おれには兄上の前で言わせたくせに」
「あ、あれは……おまえさんが勝手に言ったんじゃないですか」
「だけど、ああでもしなけりゃお前は信じなかっただろ?」
そんなことを言いながらのぶの頬を楽しそうに突く晃之進は完全に面白がっている。絶対にのぶの気持ちなどお見通しなのに、ただ言わせたいだけなのだ。
「あ! そうだ、私、さくちゃんを見てこなくちゃ。あの子すぐにお腹を出すんですよ。冷やしてしまう……」
言い訳をして立ち上がり、そそくさと階段を上る。
晃之進が肩を揺らしてくっくっと笑った。
「小夜が……」
田楽をかじっていた手を止めて、晃之進は難しい表情で考え込んだ。
「おまえさんは、直接小夜さんから話を聞いたんですか?」
「いや、小夜から事情を聞いたのは材木町を縄張りにしてる長吉って岡っ引きだ。近所の者にも話を聞いたが、小夜は弥吉を支えて、継子を可愛がる感心な女だって話だったが……」
近所の者……たとえばところてん屋の主人ならそう言うかもしれない。
「ご近所の旦那さんたちは、すっかり小夜さんに絆されてるっておかみさんは話しておられました。同じ近所の方でもおかみさん方の意見はまた別のようですよ」
もしかしたら、今日通りすがりののぶに、女房が話してくれたのは、亭主にうっぷんが溜まっていたからかもしれない。
「女の意見は違う……か。なるほど確かにあの小夜っておかみ、素人とは思えねえたおやかないい女だった……」
と、そこまで言いかけてのぶの視線に気がついて、晃之進は咳払いをした。
「いや、でも確かに、その話は興味深い」
「お前さん、たとえばその……小夜さんが……っていうのは考えられませんか?」
ためらいながらのぶは言う。嫌な話だが、子が邪魔になって……ということもありうると思ったのだ。
「いちおう親の動きも気にかけているが、今のところあやしい動きはない」
「そうですか……」
「まぁ、気にかけておくよ」
頷いてのぶはため息をついた。
「子どもっていてもいなくても心配ごとはつきないんものですね」
思わず思っていたことを口にする。朔太郎を可愛いと思えば思うほど、心配ごとは次々と湧いてくる。
親というものはこんなにもたくさんの思いを抱えて苦労して子を育てるものなのだということをのぶは思い知った。
自分が子だった時には考えつかなかったことだった。
一方で、晃之進はのぶの言葉の別のところを聞き咎めたようだ。眉を寄せて口を開いた。
「いなくても……。のぶ、まだ近所の連中から子ができねえことをあれこれ言われてるのか?」
「え? それは……まぁ……」
のぶは曖昧に頷いた。
朔太郎が晃之進の子だという噂を否定しないでいるせいで、近頃は前とは違ったことを言われるようになった。
『のぶさんは、この子を大切にしなくちゃいけないよ。子が生めない上に、大事な男の子をいじめたとなりゃ、いつ追い出されても文句は言えないからね』
つねは、いつもそう嫌味を言う。それをそのまま告げると、晃之進が顔をしかめた。
「ったく、うるせえ連中だな。こうなったら、もっとはっきり言って回ってやろうか。『おれはのぶに心底惚れてる、追い出すわけがねえだろう』って」
とんでもないことを言う晃之進に、のぶはぎょっとした。
「や、やめてくださいそんなこと……!」
考えただけで顔がから火が出そうだ。
「そのほうが私は困ります」
「だけどのぶがそんなことを言われてると知られたら、おれはまた義姉上にどやされる。噂をそのままにするなら、そう言うしかねえだろう」
「私は大丈夫です。もう前ほど気に病むことはありませんから」
痩せ我慢でもなくのぶは言う。実際、朔太郎が来てからはあまり気にならなくなったのだ。
「それにそんなことを言いふらされて、どんな顔して田楽を焼けっていうんです?」
「どんなって、安居晃之進の恋女房ですって顔をしとけばいい」
「こ、恋女房って……! へ、変なこと言わないでください」
のぶの頬が熱くなった。近頃の晃之進はこういう言葉を口にすることが増えた。もちろんふたりだけの時だが、それでも色恋ごとに慣れていないのぶは困ってしまう。
「夫婦なんだから、変なことじゃねえだろう」
「でも今までこんなこと言わなかったじゃないですか」
「おれはこの間の一件で反省したのよ。三年も一緒にいたのに、まさかのぶがおれの気持ちをわかっていないとは知らなかった。女は言葉にしなけりゃわからねえというのは本当なんだな。だけど考えてみりゃ、のぶはおれとこうなるまではうぶだったんだから、ちょっとくらい鈍くてもしかたねえわな」
からかうような晃之進の言葉に、のぶは頬を膨らませた。
「に、鈍くなんてありません!」
ぷいっと横を向くと晃之進がふっと笑う。心底愉快そうに、のぶの頬を突いた。
「だからこうやってちょいちょい言うことにしたってわけよ。でもそういえば、のぶ。おれはお前からまだなにも聞いてねえぞ? おう、一緒になって三年経つ亭主を、お前はどう思ってるんだ?」
「そ、そ、そんなの、言わなくても……」
のぶはもごもご言う。
「言わねえとわからねえよ。おれには兄上の前で言わせたくせに」
「あ、あれは……おまえさんが勝手に言ったんじゃないですか」
「だけど、ああでもしなけりゃお前は信じなかっただろ?」
そんなことを言いながらのぶの頬を楽しそうに突く晃之進は完全に面白がっている。絶対にのぶの気持ちなどお見通しなのに、ただ言わせたいだけなのだ。
「あ! そうだ、私、さくちゃんを見てこなくちゃ。あの子すぐにお腹を出すんですよ。冷やしてしまう……」
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