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5.四人目の雷編
23再会の華 後編
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***
年が明け、最初の登校日である始業式の朝。
「――三日月雷華。よろしく」
頭を下げることなく、投げてよこす、という比喩が似合う口調で簡潔な挨拶をした彼女に、教室中がどよめいた。
「すげーっ、マジで双子だーっ!」
「雷ちゃんそっくり!」
「名前も一文字違いだ!」
「皆さん、静かにーっ。本来なら、きょうだいはクラスを分けるんですが、どうせあと三か月でクラス替えですし、その三か月間は慣れている人と同じクラスがいいだろうということで、三日月雷奈さんと同じB組に割り振られたとのことです。色々教えてあげてくださいね」
興奮冷めやらないクラスメイト達の中で、雷奈は冷静に、年の瀬のファミレスでの会話を思い出していた。
――お前たちは、皇学園中等部に通っていると言っていたな?
その質問の意味をはかりかねて問えば、何食わぬ顔で彼女はこう答えたのだ。
――時間のループが解決されるまで、私は光丘に留まる。その間は、皇学園が私の通う学校だ。
生活費、学費などもろもろ合わせても、計算した結果、金銭的には事足りると判断したらしい。もちろん、雷華が自腹を切らなければならないのは、例えば学費なら静岡の公立中学校から皇学園に転校した場合の差額というように、無理を言ったせいで生じる額面だけだ。耀から全く支給されないわけではないらしい。それでも、学費の差額と生徒寮の費用、エトセトラの生活費を涼しい顔でまかなえるというのだから、考えるだに子供離れした資産をお持ちである。
チャイムが鳴った。本来なら一限開始の時刻だが、始業式の今日は、指示があるまで待機だ。
一番後ろの空いた席に座った雷華のもとへ、さっそく雷奈が駆け寄った。
「雷華、おはよう! 皇学園にようこそ!」
人懐っこい笑顔でそう言った雷奈に、彼女と同じ顔に無表情を張り付けた雷華はぼそりと言った。
「お前の所有する学園ではないだろう。傲慢に聞こえるぞ」
「え……そう? ごめん」
頬をかき、気を取り直して笑顔を見せる。
「あの後すぐに編入試験受けたっちゃろ? ここ、私立やけん、それなりに偏差値高かとよ。雷華、公立中学出身やのに、すんなり受かっちゃうなんて、頭よかね!」
「出身校など関係ない。私の実力だ。お前も受かったのだ、私も受からぬはずがなかろう」
言葉を失う雷奈の周囲で、様子を見ていたクラスメイト達が思い切りひいている。
そんなことは意にも介さず、雷華は「それより」と声を落とした。
「あれが、前にファミレスで言っていた、ここに通うフィライン・エデンの住人の三人目か」
一瞬だけ、雷華の視線が左にそらされる。その先には、研ぎ澄まされた注意をこちらに向ける碧眼の少女が、頬杖をついて座っていた。
「う、うん、そう。河道ルシル。彼女にも、雷華のことは軽く説明してあるけど、式が終わったら紹介するばい」
言い終わると同時に、先生から体育館への移動の指示が出た。
***
放課後、級友たちがはけた教室に、フィライン・エデン関係者一同は集結していた。雷奈が転入してきたときは、放課後も話しかけてくる人がいたものだが、朝の雷華の態度で完全に敬遠したらしく、誰も声をかけようとはしなかった。
「さて、じゃあ紹介するったい。こちらが……」
「お前が希兵隊の河道ルシルだな」
のっけから不遜な雷華に、ルシルは眉根を寄せて「……そうだが」と答えた。
「所属は」
「執行部二番隊の隊長だ」
「二番隊……」
雷華はつと目を細めた。ルシルは、雷華が昔の選ばれし人間である耀から情報を得たという氷架璃の話を思い出し、一言補足した。
「元青龍隊、と言えば分かるか」
「名称が変わったのだな。相分かった」
頭にはてなが浮かぶ雷奈たちを置きざりにして、話は進む。
「希兵隊が人間界の学校にまで出てきている理由は聞いている。クロやダークがこちらで出没しているという現状もだ。それに関して、話がある。私をトップに会わせたまえ」
「……何?」
「総司令部最高司令官に伝えることがあるのだ。話をさせたまえ、と言っている」
ルシルははばかることなく顔をしかめた。口からわずかに牙がのぞく。
「おいそれと会わせると思うか。最司官は私たちの要だ。用があるなら私が言伝ておく。今言え」
「意見のやり取りが生じるかもしれぬ。直接話させろ」
にらみ合いはしばらく続いた。ルシルが警戒しているのは、雷帆の件があるからかもしれない。
やがて、ルシルは重い口を開いた。
「テレビ電話の許可を取ってみる。少し待て」
ルシルはピッチを取り出し、素早く操作すると耳に当てた。発信先は、あのアリスブルーの少女だろう。
「……霞冴、今いいか。先日報告した、雷奈の双子の妹を名乗る者が、話をしたいと言っている。テレビ通話は可能か? ……わかった、いったん切るぞ」
どうやら、二つ返事で了承してもらえたようだ。ほどなくして、ルシルのスマホが鳴った。鞄を支えにして、それを横向きに机の上に立てると、呼び出し画面が表示されたディスプレイをタップした。すると、そこに臙脂と白のセーラー服を着た童顔の少女が映し出された。
『やっほ~。こんにちは~』
「霞冴、忙しいところすまない。彼女が、三日月雷華だ」
ルシルがスマホの正面から立ち退くと、代わりに雷華が進み出た。霞冴がのんきに笑う。
『話は聞いてるよ~。ま、大まかに、だけどね』
「お前が希兵隊のトップなのか。ずいぶん若いのだな」
『フィライン・エデンならこんなもんだよ。といっても、私や先代はちょーっと若すぎるかもだけどね。で、話って?』
雷華は落ち着き払った様子で本題を切り出した。
「皇の教員から聞いたが、もうすぐ私たちは北海道へ修学旅行に行くらしい。雷奈や氷架璃、芽華実もしかりだ。彼女らが人間界でクロやダークに襲われてきた状況に鑑みて、提案する。ルシルだけでなく、まとまった人数の希兵隊員を同伴させるべきだ」
一機関の最高指揮官に対しても強気な姿勢だ。だが、霞冴は気を悪くした風でもなく、シアンの瞳をわずかに細めて「その心は?」と問うた。
「何も光丘でのみ、やつらが現れるとは限らぬだろう。北海道も人間界だ。そこで襲われた時、ルシル一人で対処しきれるかどうかが問題だ」
『なるほどね』
霞冴は顎に手を当ててニッと笑った。
『キミは、なぜ人間界にやつらが出没しているのか知ってるの?』
「知らぬ」
『にもかかわらず……いや、だからこそその思考に至ったのかな? ワープフープがある光丘から遠く離れた地にもクロやダークが出現すると思うの?』
「悪魔の証明だ。おらぬとは言い切れぬ。今わかっているのは、光丘でやつらが確認されていることだけ。北海道におらぬことが証明されたわけではあるまい」
『的を射ているね。仮に出没していたとして、選ばれし人間以外の人間には認識できないのだから、取り沙汰されるはずもない。だから分からない。でも、もしそうだったとしたら、雷奈たちが北海道に行ったら襲われる危険があるということだ。クロ程度ならアワやフー、何なら人間たち自身で対処できるだろうけど、ダークや、考えたくもないけどチエアリが出てきた場合のことを考えると、希兵隊の派遣が必要だろうね』
満足げにそう言った霞冴に、言葉の端をとらえた雷華が問う。
「なぜ人間界にクロやダークが出現しているのか知っているか、と言ったな。お前たちは知っているのか」
『知らないよ。ただ、ワープフープを通ったわけではない、ということは確かだよ。だから、人間界でわいている可能性が高い。人間界のどこでかは皆目見当もつかないけれど』
霞冴は回転いすの背もたれにもたれて腕を組んだ。
『実を言うと、ルシルから修学旅行の話を聞いて以来、それについては検討していたんだ。ただ、人間界で遠方に行くなんて、フィライン・エデンの猫たちは慣れてない。だから大丈夫かなーって不安で、迷ってたんだよね。でも、改めて思った。私たちは、人間たちを守るべきだ。彼女らが脅かされる可能性が少しでもあるなら、その憂いは払わなければならない。背中を押してくれたこと、礼を言うよ、雷華。ルシル、寄合を開くから、今日、戻ってこられる?』
「了解した」
ルシルがうなずくのを見て、霞冴は雷華に視線を戻した。
「私としても、キミとはいずれもう少し話してみたいものだね。三大機関の一角として出しゃばらない程度に。そしてそこの二人ににらまれない程度に、さ」
苦笑するアワとフーにウインクして、霞冴は「それじゃ、話は終わりみたいだから切るよ~」と手を振った。ルシルは応えるように小さく手を挙げると、スマホの画面をタップして、通話を終了させた。
「霞冴のやつめ、今日中に寄合を開くということは、既に派遣の人員編成も決めていたな。そこまで考えておいて、実行を迷うなど……」
「だって、アワやフーも電車に乗ったのはこの前が初めてだって言ってたしな。東京はおろか、光丘から外に行くことってほとんどないんじゃないのか、猫たち」
「さもありなんだ」
「……あんたは大丈夫なのか、飛行機」
「外は見ないことにしている」
「この怖がりー」
ルシルを肘でつついてからかう氷架璃には目もくれず、雷華はすっと立ち上がって出口へと向かった。
「待ってよ、雷華ー。せめて寮まで、一緒に帰らん?」
「寮は敷地内だぞ。すぐそこではないか。同行するに足りぬ距離だ。ではな」
雷華はそっけなく言うと、振り返ることなく教室を後にした。
「なんか、性格は雷奈とは似ても似つかないね……」
「緊張しているのかしら、もう少し柔らかくなってもいいのに」
「みんなの前でも容赦なかったったいね。いじめられんといいけど……」
自分が罵られるのはまあいいとして、それをほかの人間にもすることで雷華が避けられるのは、雷奈としても心苦しい。授業が始まる明日から、もう少し仲良くできたら、と静かに願った。
***
「おはよう、雷華!」
「うむ」
「朝ごはん何食べたとー?」
「何でもよかろう」
「私はねー、ご飯三杯と、目玉焼きと、みそ汁と、バナナ三本とー……」
「聞いておらぬ」
さすが寮に住んでいるだけあって朝早くから来ていた雷華に、雷奈は登校するなり、さっそくコミュニケーションをとりに行った。案の定、すげなく返されるが、雷奈はめげない。
「朝ごはんはパンとご飯、どっちが好きっちゃか?」
「どうでもよい。食に関心がない」
「あーっ、お兄ちゃんと同じこと言ってる!」
背後で笑い声がして、雷奈は振り向いた。セミロングの髪をツーサイドアップにした、クラスでも明るく元気な少女だ。雷奈たちにとっては、小学校からの友人でもある。
「おはよう、雷ちゃん。……あ、妹ちゃんの方は何て呼ぼうか?」
「名前など、個人を識別する記号にすぎぬ。機能さえ果たせば、好きに呼ぶがよい」
笑顔のひとかけらもなくそう言った雷華に、彼女はきょとんと雷奈を見た。雷奈は苦笑するしかない。
「そっか、それなら、ニックネームは考えておくね! あのね、あたしは大須賀てまち。よろしくね! ねえ、あなた、雷ちゃんと違って、標準語だね! どこに住んでたの? 何県のどの辺?」
「個人情報だ。言う必要はなかろう」
「そ、そう? まあ……言いたくなかったらいいけどさ」
てまちは調子を狂わされて、どもりながらそう言った。そして、思い出したように、「そうだ!」と雷奈に向き直る。
「雷ちゃんに聞きたいことがあったんだ。十二月に、捨て犬の引き取り手を探してたでしょ? あれ、どうなったのかな?」
無邪気なてまちの言葉に、雷奈は胸をえぐられる思いがした。心拍を整えて、幼い柴犬の末路を告げる。てまちは口元を覆って目を見開いた。
「ええっ、じゃあ、殺されちゃったの!?」
「もし、保健所に柴犬が欲しいって人が行ってたら助かっとるかもやけど、そうじゃなかったら、たぶん……」
「そ、そうなんだ……」
てまちは少なからずショックだったようで、しばらくうつむいていた。だが、「教えてくれてありがと、気になってたの」とほほ笑むと、授業の準備をするため自分の席へ戻っていった。
彼女を見送ると、雷奈は雷華を振り返った。
「十二月にね、神社の近くの路地に、犬が捨てられとったとよ。まだ小さい、赤毛の柴犬。ばってん、やっと里親が見つかったってときには、もう誰かが保健所に通報しとったらしくて……」
「ああ、あの犬か」
雷華の相槌に、一瞬耳を疑った。蝶の羽ばたきのように瞬いて、雷奈は身を乗り出す。
「え、雷華、知っとーと?」
「知っているも何も」
雷華は顔色一つ変えず、無頓着な様子で言い放った。
「保健所には、私が通報したのだ」
雷奈はおろか、近くで様子見していた氷架璃と芽華実も、これには声を失った。
近所の主婦の話では、通報していたのは小学生くらいの少年のはずだ。何かの間違いでは、と思ったが、雷奈はこの双子の片割れと初めて出会った時の、彼女の服装を思い出した。
パーカーにジーンズ、そして黒いキャスケット。それらは、主婦の目撃した人物と一致する。しかも、出会ったとき、雷華は髪を帽子の中に入れ込んでいた。普段からそうしているとすれば、通報時も髪は隠していたのだろう。加えて、小さめの身長とやや低い声。確かに、小学五、六年生くらいの男子と間違えられてもおかしくない。後ろ姿しか見ていなければなおさらだ。
言葉もなく瞳を揺らす雷奈を見て、雷華は胡乱げに目をすがめた。
「なんだ、その顔は。捨て犬を見つけたら、保健所に通報するのがセオリーだろう。放っておけば、感染症をばらまいたり、人間に危害を加えたりと、ろくなことがない。そうは思わぬか」
「そう、やけど……。ばってん、少しでも、殺処分から助けてあげようとは思わんかったと? 里親さえ見つけられれば、感染症の心配もなく、誰かを襲うこともなく、犬も助かって、全部丸く収まったのに」
「いつ見つかるのか、果たしていつか見つかるのかどうかも分らぬのにか?」
「それは……」
雷奈は口ごもった。雷華の言い分はもっともだ。だが、そんな理性や論理ではない、もっと感情的で直感的な部分が、納得できないと声をあげていた。
雷華は緩く首を振った。
「解せぬな。なぜそこまでこだわる」
「だって……」
胸の内からの本心を、雷奈は切実な声音で告げた。
「目の前で困ってたら、それが誰だろうと、みんなみんな助けたいもん。誰も見捨てたくなかとよ」
真摯なまなざしを、雷華は眺めるように見返した。二人の視線は、空気が揺らぎそうなほど温度差が激しい。
やがて、雷華はふんと鼻を鳴らすと、
「愚かな」
「……え?」
「愚かだと言っている。みんな助けたいだと? それは愚者の考えることだ」
雷奈は愕然として立ちすくんだ。目の前で、自分と同じ姿をした人物が放った言葉を信じられなかった。雷華は吐き捨てるように続ける。
「何を寝ぼけておるのだ。困っている者をすべて救うなど、不可能に決まっている。できもせぬ綺麗事を並べ立てて、そのような幻想を抱くやつは、ことごとく愚かであると心得ろ」
これには、氷架璃と芽華実も胸の奥をひっかかれたような感覚を味わった。特に、芽華実は相当あの犬に入れ込んでいたのだ。いくら新しい友達だからといって、看過できる発言ではない。
涙をのんだ芽華実が、勇気を振り絞って言い返そうとした、その時だ。
「――撤回しろッ!」
教室の空気を、それどころか壁や天井さえも震わせる大声量が、一点から響き渡った。一連のやり取りを全く聞いていなかった生徒たちも、飛び上がって声の発生源を振り向く。
陽炎が垣間見えた。それほどの苛烈な激情だった。
爪が食い込むほど拳を握って、肩を震わせて、雷奈は再度、爆炎のような怒号を放った。
「私だけならよか、好きに言えばよか! ばってん、今のは聞き捨てならんとよ! 目の前で困っている誰かをみんな助けたいっていうのは……姉貴の言葉ったい!」
母を失い、父におびえ、二人の妹を守らなければというプレッシャーに追い込まれた長女が、多くの人の慈悲によって助けられた感謝の念から、雷奈たちにもそうであれと教えた信条だ。雷奈と雷帆も、絶望から這い上がれたのは周囲のおかげだと、それを胸に深く刻み込んだ。
その信念を、敬愛する姉が行動原理の支柱とする特別な哲学を――一笑に付された。
「撤回しろ、雷華」
「断る。私は間違っておらぬ」
「間違ってる! 雷華が、誰かを助けなくていいと思うのは自由ったい。ばってん、姉貴が大切にするこの尊い気持ちを馬鹿にするのは……私が許さなか!」
「そうか」
燃え盛り、感情の荒れ狂う瞳を、静かに見つめ返す。激昂する雷奈にわずかも動じることなく、雷華はきっぱりと断言した。
「私は、撤回するつもりは、ない」
憤怒の炎と凍るような拒絶が、譲ることなくせめぎあう。
限界まで緊迫した教室に、チャイムが無機質に鳴り響いた。
年が明け、最初の登校日である始業式の朝。
「――三日月雷華。よろしく」
頭を下げることなく、投げてよこす、という比喩が似合う口調で簡潔な挨拶をした彼女に、教室中がどよめいた。
「すげーっ、マジで双子だーっ!」
「雷ちゃんそっくり!」
「名前も一文字違いだ!」
「皆さん、静かにーっ。本来なら、きょうだいはクラスを分けるんですが、どうせあと三か月でクラス替えですし、その三か月間は慣れている人と同じクラスがいいだろうということで、三日月雷奈さんと同じB組に割り振られたとのことです。色々教えてあげてくださいね」
興奮冷めやらないクラスメイト達の中で、雷奈は冷静に、年の瀬のファミレスでの会話を思い出していた。
――お前たちは、皇学園中等部に通っていると言っていたな?
その質問の意味をはかりかねて問えば、何食わぬ顔で彼女はこう答えたのだ。
――時間のループが解決されるまで、私は光丘に留まる。その間は、皇学園が私の通う学校だ。
生活費、学費などもろもろ合わせても、計算した結果、金銭的には事足りると判断したらしい。もちろん、雷華が自腹を切らなければならないのは、例えば学費なら静岡の公立中学校から皇学園に転校した場合の差額というように、無理を言ったせいで生じる額面だけだ。耀から全く支給されないわけではないらしい。それでも、学費の差額と生徒寮の費用、エトセトラの生活費を涼しい顔でまかなえるというのだから、考えるだに子供離れした資産をお持ちである。
チャイムが鳴った。本来なら一限開始の時刻だが、始業式の今日は、指示があるまで待機だ。
一番後ろの空いた席に座った雷華のもとへ、さっそく雷奈が駆け寄った。
「雷華、おはよう! 皇学園にようこそ!」
人懐っこい笑顔でそう言った雷奈に、彼女と同じ顔に無表情を張り付けた雷華はぼそりと言った。
「お前の所有する学園ではないだろう。傲慢に聞こえるぞ」
「え……そう? ごめん」
頬をかき、気を取り直して笑顔を見せる。
「あの後すぐに編入試験受けたっちゃろ? ここ、私立やけん、それなりに偏差値高かとよ。雷華、公立中学出身やのに、すんなり受かっちゃうなんて、頭よかね!」
「出身校など関係ない。私の実力だ。お前も受かったのだ、私も受からぬはずがなかろう」
言葉を失う雷奈の周囲で、様子を見ていたクラスメイト達が思い切りひいている。
そんなことは意にも介さず、雷華は「それより」と声を落とした。
「あれが、前にファミレスで言っていた、ここに通うフィライン・エデンの住人の三人目か」
一瞬だけ、雷華の視線が左にそらされる。その先には、研ぎ澄まされた注意をこちらに向ける碧眼の少女が、頬杖をついて座っていた。
「う、うん、そう。河道ルシル。彼女にも、雷華のことは軽く説明してあるけど、式が終わったら紹介するばい」
言い終わると同時に、先生から体育館への移動の指示が出た。
***
放課後、級友たちがはけた教室に、フィライン・エデン関係者一同は集結していた。雷奈が転入してきたときは、放課後も話しかけてくる人がいたものだが、朝の雷華の態度で完全に敬遠したらしく、誰も声をかけようとはしなかった。
「さて、じゃあ紹介するったい。こちらが……」
「お前が希兵隊の河道ルシルだな」
のっけから不遜な雷華に、ルシルは眉根を寄せて「……そうだが」と答えた。
「所属は」
「執行部二番隊の隊長だ」
「二番隊……」
雷華はつと目を細めた。ルシルは、雷華が昔の選ばれし人間である耀から情報を得たという氷架璃の話を思い出し、一言補足した。
「元青龍隊、と言えば分かるか」
「名称が変わったのだな。相分かった」
頭にはてなが浮かぶ雷奈たちを置きざりにして、話は進む。
「希兵隊が人間界の学校にまで出てきている理由は聞いている。クロやダークがこちらで出没しているという現状もだ。それに関して、話がある。私をトップに会わせたまえ」
「……何?」
「総司令部最高司令官に伝えることがあるのだ。話をさせたまえ、と言っている」
ルシルははばかることなく顔をしかめた。口からわずかに牙がのぞく。
「おいそれと会わせると思うか。最司官は私たちの要だ。用があるなら私が言伝ておく。今言え」
「意見のやり取りが生じるかもしれぬ。直接話させろ」
にらみ合いはしばらく続いた。ルシルが警戒しているのは、雷帆の件があるからかもしれない。
やがて、ルシルは重い口を開いた。
「テレビ電話の許可を取ってみる。少し待て」
ルシルはピッチを取り出し、素早く操作すると耳に当てた。発信先は、あのアリスブルーの少女だろう。
「……霞冴、今いいか。先日報告した、雷奈の双子の妹を名乗る者が、話をしたいと言っている。テレビ通話は可能か? ……わかった、いったん切るぞ」
どうやら、二つ返事で了承してもらえたようだ。ほどなくして、ルシルのスマホが鳴った。鞄を支えにして、それを横向きに机の上に立てると、呼び出し画面が表示されたディスプレイをタップした。すると、そこに臙脂と白のセーラー服を着た童顔の少女が映し出された。
『やっほ~。こんにちは~』
「霞冴、忙しいところすまない。彼女が、三日月雷華だ」
ルシルがスマホの正面から立ち退くと、代わりに雷華が進み出た。霞冴がのんきに笑う。
『話は聞いてるよ~。ま、大まかに、だけどね』
「お前が希兵隊のトップなのか。ずいぶん若いのだな」
『フィライン・エデンならこんなもんだよ。といっても、私や先代はちょーっと若すぎるかもだけどね。で、話って?』
雷華は落ち着き払った様子で本題を切り出した。
「皇の教員から聞いたが、もうすぐ私たちは北海道へ修学旅行に行くらしい。雷奈や氷架璃、芽華実もしかりだ。彼女らが人間界でクロやダークに襲われてきた状況に鑑みて、提案する。ルシルだけでなく、まとまった人数の希兵隊員を同伴させるべきだ」
一機関の最高指揮官に対しても強気な姿勢だ。だが、霞冴は気を悪くした風でもなく、シアンの瞳をわずかに細めて「その心は?」と問うた。
「何も光丘でのみ、やつらが現れるとは限らぬだろう。北海道も人間界だ。そこで襲われた時、ルシル一人で対処しきれるかどうかが問題だ」
『なるほどね』
霞冴は顎に手を当ててニッと笑った。
『キミは、なぜ人間界にやつらが出没しているのか知ってるの?』
「知らぬ」
『にもかかわらず……いや、だからこそその思考に至ったのかな? ワープフープがある光丘から遠く離れた地にもクロやダークが出現すると思うの?』
「悪魔の証明だ。おらぬとは言い切れぬ。今わかっているのは、光丘でやつらが確認されていることだけ。北海道におらぬことが証明されたわけではあるまい」
『的を射ているね。仮に出没していたとして、選ばれし人間以外の人間には認識できないのだから、取り沙汰されるはずもない。だから分からない。でも、もしそうだったとしたら、雷奈たちが北海道に行ったら襲われる危険があるということだ。クロ程度ならアワやフー、何なら人間たち自身で対処できるだろうけど、ダークや、考えたくもないけどチエアリが出てきた場合のことを考えると、希兵隊の派遣が必要だろうね』
満足げにそう言った霞冴に、言葉の端をとらえた雷華が問う。
「なぜ人間界にクロやダークが出現しているのか知っているか、と言ったな。お前たちは知っているのか」
『知らないよ。ただ、ワープフープを通ったわけではない、ということは確かだよ。だから、人間界でわいている可能性が高い。人間界のどこでかは皆目見当もつかないけれど』
霞冴は回転いすの背もたれにもたれて腕を組んだ。
『実を言うと、ルシルから修学旅行の話を聞いて以来、それについては検討していたんだ。ただ、人間界で遠方に行くなんて、フィライン・エデンの猫たちは慣れてない。だから大丈夫かなーって不安で、迷ってたんだよね。でも、改めて思った。私たちは、人間たちを守るべきだ。彼女らが脅かされる可能性が少しでもあるなら、その憂いは払わなければならない。背中を押してくれたこと、礼を言うよ、雷華。ルシル、寄合を開くから、今日、戻ってこられる?』
「了解した」
ルシルがうなずくのを見て、霞冴は雷華に視線を戻した。
「私としても、キミとはいずれもう少し話してみたいものだね。三大機関の一角として出しゃばらない程度に。そしてそこの二人ににらまれない程度に、さ」
苦笑するアワとフーにウインクして、霞冴は「それじゃ、話は終わりみたいだから切るよ~」と手を振った。ルシルは応えるように小さく手を挙げると、スマホの画面をタップして、通話を終了させた。
「霞冴のやつめ、今日中に寄合を開くということは、既に派遣の人員編成も決めていたな。そこまで考えておいて、実行を迷うなど……」
「だって、アワやフーも電車に乗ったのはこの前が初めてだって言ってたしな。東京はおろか、光丘から外に行くことってほとんどないんじゃないのか、猫たち」
「さもありなんだ」
「……あんたは大丈夫なのか、飛行機」
「外は見ないことにしている」
「この怖がりー」
ルシルを肘でつついてからかう氷架璃には目もくれず、雷華はすっと立ち上がって出口へと向かった。
「待ってよ、雷華ー。せめて寮まで、一緒に帰らん?」
「寮は敷地内だぞ。すぐそこではないか。同行するに足りぬ距離だ。ではな」
雷華はそっけなく言うと、振り返ることなく教室を後にした。
「なんか、性格は雷奈とは似ても似つかないね……」
「緊張しているのかしら、もう少し柔らかくなってもいいのに」
「みんなの前でも容赦なかったったいね。いじめられんといいけど……」
自分が罵られるのはまあいいとして、それをほかの人間にもすることで雷華が避けられるのは、雷奈としても心苦しい。授業が始まる明日から、もう少し仲良くできたら、と静かに願った。
***
「おはよう、雷華!」
「うむ」
「朝ごはん何食べたとー?」
「何でもよかろう」
「私はねー、ご飯三杯と、目玉焼きと、みそ汁と、バナナ三本とー……」
「聞いておらぬ」
さすが寮に住んでいるだけあって朝早くから来ていた雷華に、雷奈は登校するなり、さっそくコミュニケーションをとりに行った。案の定、すげなく返されるが、雷奈はめげない。
「朝ごはんはパンとご飯、どっちが好きっちゃか?」
「どうでもよい。食に関心がない」
「あーっ、お兄ちゃんと同じこと言ってる!」
背後で笑い声がして、雷奈は振り向いた。セミロングの髪をツーサイドアップにした、クラスでも明るく元気な少女だ。雷奈たちにとっては、小学校からの友人でもある。
「おはよう、雷ちゃん。……あ、妹ちゃんの方は何て呼ぼうか?」
「名前など、個人を識別する記号にすぎぬ。機能さえ果たせば、好きに呼ぶがよい」
笑顔のひとかけらもなくそう言った雷華に、彼女はきょとんと雷奈を見た。雷奈は苦笑するしかない。
「そっか、それなら、ニックネームは考えておくね! あのね、あたしは大須賀てまち。よろしくね! ねえ、あなた、雷ちゃんと違って、標準語だね! どこに住んでたの? 何県のどの辺?」
「個人情報だ。言う必要はなかろう」
「そ、そう? まあ……言いたくなかったらいいけどさ」
てまちは調子を狂わされて、どもりながらそう言った。そして、思い出したように、「そうだ!」と雷奈に向き直る。
「雷ちゃんに聞きたいことがあったんだ。十二月に、捨て犬の引き取り手を探してたでしょ? あれ、どうなったのかな?」
無邪気なてまちの言葉に、雷奈は胸をえぐられる思いがした。心拍を整えて、幼い柴犬の末路を告げる。てまちは口元を覆って目を見開いた。
「ええっ、じゃあ、殺されちゃったの!?」
「もし、保健所に柴犬が欲しいって人が行ってたら助かっとるかもやけど、そうじゃなかったら、たぶん……」
「そ、そうなんだ……」
てまちは少なからずショックだったようで、しばらくうつむいていた。だが、「教えてくれてありがと、気になってたの」とほほ笑むと、授業の準備をするため自分の席へ戻っていった。
彼女を見送ると、雷奈は雷華を振り返った。
「十二月にね、神社の近くの路地に、犬が捨てられとったとよ。まだ小さい、赤毛の柴犬。ばってん、やっと里親が見つかったってときには、もう誰かが保健所に通報しとったらしくて……」
「ああ、あの犬か」
雷華の相槌に、一瞬耳を疑った。蝶の羽ばたきのように瞬いて、雷奈は身を乗り出す。
「え、雷華、知っとーと?」
「知っているも何も」
雷華は顔色一つ変えず、無頓着な様子で言い放った。
「保健所には、私が通報したのだ」
雷奈はおろか、近くで様子見していた氷架璃と芽華実も、これには声を失った。
近所の主婦の話では、通報していたのは小学生くらいの少年のはずだ。何かの間違いでは、と思ったが、雷奈はこの双子の片割れと初めて出会った時の、彼女の服装を思い出した。
パーカーにジーンズ、そして黒いキャスケット。それらは、主婦の目撃した人物と一致する。しかも、出会ったとき、雷華は髪を帽子の中に入れ込んでいた。普段からそうしているとすれば、通報時も髪は隠していたのだろう。加えて、小さめの身長とやや低い声。確かに、小学五、六年生くらいの男子と間違えられてもおかしくない。後ろ姿しか見ていなければなおさらだ。
言葉もなく瞳を揺らす雷奈を見て、雷華は胡乱げに目をすがめた。
「なんだ、その顔は。捨て犬を見つけたら、保健所に通報するのがセオリーだろう。放っておけば、感染症をばらまいたり、人間に危害を加えたりと、ろくなことがない。そうは思わぬか」
「そう、やけど……。ばってん、少しでも、殺処分から助けてあげようとは思わんかったと? 里親さえ見つけられれば、感染症の心配もなく、誰かを襲うこともなく、犬も助かって、全部丸く収まったのに」
「いつ見つかるのか、果たしていつか見つかるのかどうかも分らぬのにか?」
「それは……」
雷奈は口ごもった。雷華の言い分はもっともだ。だが、そんな理性や論理ではない、もっと感情的で直感的な部分が、納得できないと声をあげていた。
雷華は緩く首を振った。
「解せぬな。なぜそこまでこだわる」
「だって……」
胸の内からの本心を、雷奈は切実な声音で告げた。
「目の前で困ってたら、それが誰だろうと、みんなみんな助けたいもん。誰も見捨てたくなかとよ」
真摯なまなざしを、雷華は眺めるように見返した。二人の視線は、空気が揺らぎそうなほど温度差が激しい。
やがて、雷華はふんと鼻を鳴らすと、
「愚かな」
「……え?」
「愚かだと言っている。みんな助けたいだと? それは愚者の考えることだ」
雷奈は愕然として立ちすくんだ。目の前で、自分と同じ姿をした人物が放った言葉を信じられなかった。雷華は吐き捨てるように続ける。
「何を寝ぼけておるのだ。困っている者をすべて救うなど、不可能に決まっている。できもせぬ綺麗事を並べ立てて、そのような幻想を抱くやつは、ことごとく愚かであると心得ろ」
これには、氷架璃と芽華実も胸の奥をひっかかれたような感覚を味わった。特に、芽華実は相当あの犬に入れ込んでいたのだ。いくら新しい友達だからといって、看過できる発言ではない。
涙をのんだ芽華実が、勇気を振り絞って言い返そうとした、その時だ。
「――撤回しろッ!」
教室の空気を、それどころか壁や天井さえも震わせる大声量が、一点から響き渡った。一連のやり取りを全く聞いていなかった生徒たちも、飛び上がって声の発生源を振り向く。
陽炎が垣間見えた。それほどの苛烈な激情だった。
爪が食い込むほど拳を握って、肩を震わせて、雷奈は再度、爆炎のような怒号を放った。
「私だけならよか、好きに言えばよか! ばってん、今のは聞き捨てならんとよ! 目の前で困っている誰かをみんな助けたいっていうのは……姉貴の言葉ったい!」
母を失い、父におびえ、二人の妹を守らなければというプレッシャーに追い込まれた長女が、多くの人の慈悲によって助けられた感謝の念から、雷奈たちにもそうであれと教えた信条だ。雷奈と雷帆も、絶望から這い上がれたのは周囲のおかげだと、それを胸に深く刻み込んだ。
その信念を、敬愛する姉が行動原理の支柱とする特別な哲学を――一笑に付された。
「撤回しろ、雷華」
「断る。私は間違っておらぬ」
「間違ってる! 雷華が、誰かを助けなくていいと思うのは自由ったい。ばってん、姉貴が大切にするこの尊い気持ちを馬鹿にするのは……私が許さなか!」
「そうか」
燃え盛り、感情の荒れ狂う瞳を、静かに見つめ返す。激昂する雷奈にわずかも動じることなく、雷華はきっぱりと断言した。
「私は、撤回するつもりは、ない」
憤怒の炎と凍るような拒絶が、譲ることなくせめぎあう。
限界まで緊迫した教室に、チャイムが無機質に鳴り響いた。
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