フィライン・エデン Ⅰ

夜市彼乃

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4.因縁編

19少女には向かない競技 後編

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***

 迎えた体育祭当日は、快晴に恵まれた。セルリアンブルー一色で塗られた平坦な空は、雲一つないせいで、ことごとく距離感を狂わせてくる。まるで手を伸ばせば届く高さで頭上に蓋をしているようだ。空気の温度は秋の暮れをも感じさせるが、降り注ぐ陽光が体感温度を上げてくれる。さらに全学年の生徒がグラウンドに集まり、そこに教員陣や保護者達も加わったとあって、本日限り、寒さは出禁のようだ。前日から準備されたテントが立ち並び、端には紅白の大玉や巨大な蛇のような綱などが控えている。地面には、各競技に必要なラインが、色分けされた石灰で描かれていて鮮やか。本部前では六クラス分の得点板が、まるで互いに競争心の火花を散らしあっているかのようだ。いつも体育の授業や部活動で使われる際には味気ない運動場が、今日一日は祭りの晴れ着をまとっていた。
「――というわけで、私からの挨拶とさせてもらいます」
 そんな祭りの始まりを宣言する校長挨拶がようやく終わり、生徒たちは大きく息を吐いた。ここまで華やかな場所でただ話を聞いているだけなど、どうして耐えられようか。
 やっと動ける――そう思った生徒たちに、校長は「それから、もう一つ」と一声。そして、生徒たちから射殺さんばかりの殺気が放たれるその前に、彼は告げた。
「今年の体育祭ですが、せっかくPTA会長さんから多大な寄付をいただきましたので、優勝クラスには豪華な賞品を付けようと思います」
 一瞬、グラウンドが水を打ったように静まり返る。しかし、直後、打った水が沸騰せんばかりの熱気が巻き起こった。それは拍手や感嘆、叫び声といった形で場内を震わせる。
「落ち着いて、落ち着いて。賞品ですがね、年長者ということで三年生を優先して考えました。三年生は、今年の修学旅行は二月の北海道に決まったということで、優勝クラスだけ、向こうでは豪華なものを食べてもらおうかと」
 三年生の列から熱烈な歓声が上がった。中でも狂喜乱舞しているのは、列の中で最も小さな少女。
「き、聞いたっちゃか!? 豪華なもんって! 北海道で豪華なもんって、何が食べられると!?」
「落ち着いて、雷奈ってば」
「雷ちゃん、ほんと食べ物好きだよねー」
「四月の修学旅行先アンケートで北海道に決まってよかったったい~!」
 候補には、沖縄、京都と他にもあったのだが、今年は北海道に決まった。時間が完全にループしているなら、同様、行先は京都になったはずだ。そのあたりは変動するらしい。
「すでにホテル側にはお願いしていてね。一部メニューを教えてもらったところによると、まずは身がぎっしり、味噌は濃厚なカニが食べ放題!」
「おー!」
「器からこぼれまくりのキラキラぷちぷち、イクラ丼はおかわり自由!」
「おおーっ!」
「ミディアムレアをスパイシーなタレでいただく、やみつきジンギスカン!」
「おおお~っ!」
「校長、謎に食レポうまいな……」
 盛り上がりに便乗しないのは、ベジタリアンな猫陣だ。列の近い位置に立っていたアワとルシルは、「ボクたちには関係ないね」「しっぽりトウモロコシでも食うか」とささやきあっていた。
 三年生ずるい、という下級生のブーイングも、「一、二年生の当該クラスには、一か月掃除免除をプレゼント」との言葉に喝采へと化した。校長の挨拶はまさかの大盛り上がりで締められ、いよいよ祭り本番だ。
 応援席に戻っていく生徒たち。その流れの中で、雷奈はある事実に気づき始めていた。
「……ねえ、氷架璃、芽華実」
「どした?」
「なにかあったの?」
「これ、みんな血眼になって優勝狙うよね。足引っ張ったらいかんやつよね」
「まあ、そうかな……?」
「私……今更やけど、二人三脚やってる場合じゃなかった……よね……?」
「……」
 氷架璃と芽華実は顔を見合わせた。幼少期から共に過ごしてきた二人は、目だけで伝え合う。
 気づいちゃったかー。
 気づいちゃったねー。
「ど、どうしよ、ヘマして得点低くなっちゃったら……」
「大丈夫よ、雷奈なら一番とはいかなくても、悪い成績にはならないと思うわ」
「そうそう。ルシルも運動神経いいんだし、ついてきてくれるって。……練習できてないのはネックだけど」
 たまには得意を捨てて好きなものをやろう、とした矢先にこれだ。プレッシャーにほだされる思いで、雷奈は出番を待つことにした。

***

 午前の種目は雷奈たちのクラスであるB組の優勢で進んだ。その過程で、アワがハードルをすべて倒したり、フーが五十メートル走でうっかり追い風を使ってしまったり、氷架璃が玉入れで芽華実に玉をぶつけてしまったりしたが、ご愛嬌である。
 そして、ついに迎えた午前の部の最終競技、二人三脚。隣り合ったそれぞれの片足を結ばれ、雷奈とルシルはスタートラインに立った。
「落ち着いていくぞ、雷奈」
「カニ……イクラ……ジンギスカン……勝たなきゃ、勝たなきゃ……」
「聞こえてないな」
 これは自分が合わせるしかなさそうだ、とルシルは息を吐いた。彼女も一人の隊長だ。四名の部下とはもちろん、他の隊の構成員とも協力するときはチームワークを発揮する。誰かに合わせる、というのは慣れていた。
 いよいよピストルが天に向けて掲げられる。緊張感の高まる間の後、男性教員が掛け声に続けて発砲し――。
「いくぞ、雷……わっ!?」
 一歩目から、B組代表は盛大に転んだ。観客席から驚嘆と苦笑が漏れる。さすがのルシルも合わせられる範疇を超えた動きだった。手をついて起き上がり、嘆息交じりに雷奈をたしなめる。
「いたた……こら、全速力で走ろうとするな、個人走ではないのだぞ」
「ご、ごめん……。あと、起き上がれん……」
 焦るあまり、前のめりに倒れたまま立ち上がれずもがく姿はゴキブリのようだった。ルシルに助け起こされ、何とか持ち直すも、他クラスとの差はすでに大きい。
「冷静に。一歩ずつ私と合わせるんだ」
「う、うんっ、一、二……きゃ!?」
 せっかく立ち上がったものの、今度は二歩目で転倒した。場内で失笑がちらほらと上がった。放送部の平坦な声が、二人を無感動に案じているのが聞こえて、かえって情けなさを助長させる。
 またもガサゴソとうごめく雷奈に、ルシルは呆れ顔だ。
「莫迦、剣道の癖なのはわかるが、左足の蹴りが強すぎる。踏み込みではないのだから」
「うう……もう引きずってって……」
「戯けたことを言うな、最後まで走るんだ。せっかくただの徒競走以外の種目に参加できたんだろ?」
 ルシルに叱咤されて、どうにか完走こそしたものの、他クラスには大幅な遅れをとって最下位でのゴールだった。得点板を見れば、一位をキープしていたB組は三位に転落。唖然とする雷奈に、ルシルが何か話しかけていたが、彼女の耳にはほとんど届いていなかった。全レースが終わると、退場の合図に続いて昼休みの案内。それすらもただの雑音にしか聞こえないまま、退場門を抜けた後、雷奈は応援席に戻ることなく行方をくらませた。

***

「はあぁ……」
 離れた地面を見下ろしながら、吐息とともに活力を吐き出す。ひらり、とまた一枚、疲れ果てた葉が頬をかすめて落ちていった。斜め向かいに立つ時計塔を見れば、すでに午後の部も折り返し地点に差し掛かる時間帯だった。午前の間に、女子全員参加の団体演技も終わったので、席を外していても迷惑にはならない。
 結局、雷奈は昼休み中に食事をとることもなく、こうして人目を避けてグラウンドの外れまで来るだけでは飽き足らず、少しでも離れた場所に身を置きたくて、ケヤキの木の枝に登って反省しきりというわけである。自分のせいでクラスの順位を下げたとあっては、物を食べる気にもならない。
(氷架璃と芽華実以外のクラスメイト達も、リレー走ってほしかって言ってたもんな……。それば振り切って二人三脚させてもらったのに、あんな醜態を演じちゃ……。それに、今回はみんな絶対優勝したかっただろうに……)
 泣きたくなる、というよりは無気力になるような落胆だった。その後を見るのが怖くて、グラウンドに戻るに戻れない。だが、いずれはクラスメイト達と顔を合わせなければならないわけで……。地面で揺れる葉の影に答えを求めるように、言葉を落とす。
「どげんすっかね……」
「まず戻ろうか」
「……ひゃあっ!?」
 すぐそばで返答をよこしたアルト声に、雷奈は枝から落ちそうになった。
「ル、ルシル!? いつの間に、っていうかよく登れたったいね!?」
「莫迦者、私の正体を忘れたか。それは私のセリフだ、人間がここまで高く登れるとは思わなかったよ」
「わ、私は……種子島でよく登ってたけん、慣れとるだけ……」
 雷奈が座っている箇所より九十度左に生えている枝の根元に、ルシルは無造作に蹲踞していた。音もなく登ってきてしまう手腕はさすが猫である。
 二人は地上三メートルで言葉を交わした。
「……すまなかったな、私が練習を断ったせいで転ばせてしまったのもある。ケガはしていないか?」
「それは大丈夫やけど……私のせいで、北海道のご飯……」
 二人三脚でしくじったからといっても、さほどの痛手ではない――と慰めてやりたかったが、ルシルは昼休みの後、ずっと雷奈を探してグラウンドを離れていたのだ。現在の得点も知らずに安易なことは口にできない。
 代わりに、向かいに見える校舎を眺めながら軽い調子で言う。
「別に、そこまで気にしなくてもいいじゃないか。飯くらい」
「それでも」
 慮外の強い声に、ルシルは雷奈を見た。
「それでも……勝ち負けやけん。やっぱり私は、勝つためには我慢するべきだった」
 雷奈は唇をかんだ。その表情に、深い悔恨を見て、ルシルは言葉選びの慎重さを上げた。
 しばらく沈黙が流れ、
「雷奈、これは……」
「ルシル、もし……」
 声が重なり、視線を向けあう。ルシルが目で促すと、雷奈は斜め下に目を伏せて、
「もし、ルシルが負けられない勝負でしくじったら、どうする……?」
「……そうだな」
 一度目を閉じ、気休めと本音を秤にかける。迷ったのは一瞬。友人に対する態度として適切な方を紡ぐ。
「その時は、失敗を返上する勢いで貢献するよ」
 雷奈が出場する競技は、もう終わってしまった。よって、彼女に名誉挽回のチャンスはない。だから、このアドバイスには実践可能性が含まれない。それでも、自身の信念をまっすぐに伝えるのがふさわしいと思ったから。
「失敗を反省し、次はするまいと慎重になり、それでも自分にできることをするんだ。罪悪感に縛られてすくんでいてはそこまでだからな」
「できることを……」
 今からなら、せめて応援という形で何かできるだろうか――雷奈がそう思った時、下から声が駆け上がってきた。
「またあんたは、なんてところに登ってんだよ!」
「ルシル、雷奈を見つけたら連絡ちょうだいって言ったのにぃー」
 氷架璃は腰に、芽華実は口元に両手を添えて、雷奈たちを見上げている。
「二人とも……」
「いじけてる場合じゃないよ! スマホ置いていきやがって! すぐ戻ってきな! 仕事だよ!」
「仕事?」
「大変なの。リレーに出場する予定だった希湖が足くじいちゃって……」
「みんな、代走者にあんたを推薦してる! 手続きとかあるんだから、早く来な!」
 雷奈は目を見開いた。それは、奇跡のように舞い降りた挽回のチャンス。
「ばってん、私……」
「けっこう僅差なの! リレーで一番とったら、私たちは優勝できるわ!」
「来い、雷奈! さっきので責任感じてるならなおさら……私たちになまら旨いもん振る舞え!」
「……!」
 その瞬間、雷奈は木の幹を思い切り蹴っていた。長い髪を翻し、華奢な身を宙に舞わせる。ルシルはその様子を淡く笑って見届けると、自身も木から軽やかに飛び降りた。
「よし、機嫌直っ……ぐえっ」
 雷奈の着地点にいた氷架璃は見事に押し倒され、つぶれたカエルのような声を上げた。
「ごむたいな……」
「氷架璃、芽華実、ルシル……そしてB組のみんな!」
 立ち上がった雷奈は、拳を胸に当て、グラウンドで帰りを待っているクラスメイトにも届くような高らかな声で言い放った。
「任せて。いつも仲良くしてもらってるお礼に……北海道の幸ば、たらふく食わせちゃるけんね!」

***

 体育祭の鳳が、ついに始まろうとしていた。各クラス、一年、二年、三年の順でそれぞれ男女交互にバトンをつなぐ、六走者からなる混合リレーだ。選手たちはすでに持ち場で待機している。アンカーのハチマキを巻いた雷奈も、自身がスタートするラインのそばで片膝をつき、真剣な眼差しで第一走者を見つめていた。
 本部に申し出た走者交代は、迅速に承諾、処理された。三年女子がアンカーとなるのはわかっていたので、クラスカラーのグレーのハチマキを渡された時も、覚悟はできていた。だが、今度こそヘマはできないという重圧は大きい。
(大丈夫、こんなの、ただのかけっこ。私ならきっとできる)
 場内が静まり返った。皆、固唾を飲んでその瞬間を待つ。今、ラインに立つ者は、開始の合図の産声さえも聞き逃すわけにはいかない。
「位置について。よーい」
 掲げられたピストルの引き金に指がかかる。半呼吸の間の後、その指が動いて、待ったなしの狼煙が火蓋を切った。
 直後、今大会で一番の声援がグラウンド中を駆け巡った。
「っしゃー、走れー!」
「がんがん行けー!」
「負けんなー!」
 いの一番に飛び出したのはC組。手本のようなフォームで、二位のA組を引き離していく。雷奈たちのB組は、現在三位だ。
 アップテンポの曲が流れ、叫声がそこにさらなる熱を加えていく。白熱した勝負は、まだ序の口だ。
「おおう、なんだあの一年、速いな」
「ひかちゃん、あの子陸上部だよ。レギュラー入りしてる」
「マジか」
 バトンが手渡されると、第二走者、一年女子同士の戦いだ。各クラスの精鋭が互いに火花を散らして、一歩一寸の先を争う。
 順位は変動しないまま、今度は二年男子にレースを託した。半周した地点で一位と二位が入れ替わる。B組は四位のE組から辛うじて逃げ切ろうと奮闘する。
 最終種目も折り返し地点だ。二年女子に渡ったバトンが、トラック一周を旅して最上級生の手に握られる。三年男子の出撃とともに、アンカーがスタートラインに立った。豪華賞品を手にするのは誰か、その答えはもう目の前だ。
 一位はA組。C組、B組、E組と続き、DとF組がビリを押し付けあってしのぎを削る。だが、番狂わせは突如として訪れた。
「Bがバトンを落としたぞ!」
「今だ! 抜かせぇ!」
 グレーのバトンを拾う男子生徒を、後続の三人が無慈悲に抜いていく。一瞬にして、B組は窮地に立たされた。
 ルシルが小さく息を吐いた。
「むぅ……これは巻き返しがきかんな。氷架璃、あとで慰めてや……」
 そう言いかけて、隣を見た彼女の目が、奇怪なものでも見たように開かれる。
「……何だ?」
「うん?」
「何故……笑っているんだ?」
「いや、だって……なぁ、芽華実」
「ええ」
 芽華実も目を輝かせて口元を緩めている。
「ピンチであるならあるほど、今からの活躍が爽快じゃない?」
「活躍って……この勝負、一位でなければ意味がないのだろう? 最下位からたった一周で持ち直すなど……」
「周り見てみ」
 氷架璃の言葉に周囲を見回したルシルは、それこそ異様な光景に目を疑った。自分のクラスは、今、底辺を這いずっている。なのに、それを案じる者は一人としていない。皆、まるで予定調和のクライマックスに興奮を抑えられないかのような――。
「まあ、見てなって」
 他クラスの走者が、順次バトンをつないでいく。アンカーたちの勝負はもう始まっているのだ。
 クラスメイトの男子が、遅れに遅れて、息も絶え絶えに、それでも諦めず走り抜いて、雷奈に最後を託した直後、
「――イッツ、ショータイム」
 ニヤリと笑う氷架璃の期待を裏切らないすさまじい初速が、小さな体を弾丸のように飛ばした。彼女を知らない者たちから動揺のどよめきが生まれる。
 ビデオの早回しのような、桁違いの足の回転で、雷奈はまずD組との距離を縮めた。カーブもなんのその、スピードを少しも落とさないまま、最初の標的に追いついた。D組の走者は、足音に焦ったのだろう、うっかり振り向いてバランスを崩した。つんのめりそうになる彼女の横を、雷奈は風のように駆け抜ける。
 次の目標はF組だ。悪くない走りを見せる細身の走者だが、雷奈と比べてしまえば実力は歴然。そこそこあったはずの距離はどんどん短くなり、やがてゼロになったかと思えば、次の瞬間には雷奈が前を行っていた。
 慢心することなく三位に肉薄し、その座を奪い取らんと追い上げる雷奈。せめて上位は死守せんとがむしゃらに走るE組走者だが、雷奈の手加減なしの猛スピードには勝てず、無慈悲に後ろへと送られる。まだ半周だ。
 いよいよ我が身も危ないと、必死に逃げる二位のC組走者。それを獰猛に追いかける雷奈は、まるでシマウマを追走する小さな獅子だ。歯を食いしばって疾駆する長身の女子に、雷奈は触れれば切れそうな鋭い表情でせまる。そしてあっという間に、残酷なまでの力量差で三位に落とした。
「二位まで来たぞ!」
「あと一人だよーっ!」
「行け、三日月―っ!」
 徐々に前との距離を詰めていくも、A組の走者の逃げ場は近い。最後のカーブを蹴散らして、あとはゴールテープまでの直線コースだ。熱戦も熱戦、A組の応援席からも狂乱じみた声援が沸き立つ。
 逃げ切ろうと疾走する一番と、そうはさせまいとする二番が接戦を繰り広げる。
 テープまで三メートル、二メートル、一メートル――。
 最後まで、雷奈はトップを走るA組のアンカーの顔を、一目も見ることはなかった。
 後頭部を見つめることしかできなかったのではない。
 追い抜く相手の顔を一瞥する余裕などを見せては、失礼だからである。
 ゴールラインを突貫した彼女は、グレーのハチマキを翻し、手につかんだ白いゴールテープを高く掲げた。そして、大きく息を吐き、吸いこんで、
「北海道の海の幸、山の幸、空の幸は……我らB組がいただいたったい――っ!」
 青空に、勝利の雄叫びを轟かせた。後に続く大喝采の中に、氷架璃の「……空の幸ってなんだ?」というツッコミは小さく溶けて消えた。

***

 一躍クラスの英雄となった雷奈は、閉会式の後、教室で幸せに揉みくちゃにされた。ちょうど普段の終業と同じ時間帯の帰り道、まだ夢見心地にふわふわと笑う雷奈に、隣を歩くルシルが感心の息を吐く。
「それにしても、あの走力……お前、本当に人間か?」
「人間った~い」
「人間がこのように育つとは……種子島とは一体どんな仙境なんだ……」
 何やら誤った想像を始めて慄くルシルに、雷奈はくるくると踊りながら笑いかけた。
「ありがとね、ルシル。あなたのおかげで、リレーに出ようって気になれたとよ」
「む? いや、私は何も……」
「素直に受け取っとけって」
 氷架璃に頭を押さえられ、ルシルは数秒黙った後に「どういたしまして」とつぶやく。
「そういえば、あの時、ルシルも何か言おうとしとったよね?」
「……よく覚えていたな」
 木の上での会話で、雷奈とルシルの切り出しが重なったとき、雷奈の発言を優先したのだ。
 もう、今となっては特に意味をなさないかもしれないが、ルシルは少し考えた後、答えた。
「……これは、私たち希兵隊に限った話であって、体育祭における勝負にはそぐわない考え方かもしれない。だが、私は思うんだ。勝ち負けを楽しめる間は、勝利以外のものを欲してよいのではないか、と」
「勝ち負けを、楽しめる……? いや、本気で勝ちたかったっちゃけど……」
「比べるものではないとは思うが、今回はまだ楽しめるほうだったのだと思う。……なぜなら、私たちにとっての敗北とは、すなわち死なのだから」
 雷奈は息をつめた。一緒に歩く氷架璃と芽華実も、思わず呼吸を止める。
 こうして、まるで普通の女子中学生のように過ごすルシルの本当の姿は、クロを狩り、時には危険なダークと命がけで戦う希兵隊員だ。言葉の重みは、ただの女学生のそれではない。
「だが、もしかしたらこの先、お前たちも、決して負けられない戦いに巻き込まれるかもしれない。だから、その時こそ……楽しむ余地など一縷もない、本当の本当の本当に負けてはいけない時こそ、すべてを捨てて、勝ちにいけ」
 穏やかな瞳の奥に、鋭い本気を見て、三人はゆっくりとうなずいた。
 無論、そんな戦いになど、遭わないほうがいいに決まっている。しかし、遭わないでいたいと願うことと、遭うはずがないから大丈夫と悠長に構えることは全くの別物だ。それに、三人とも、予感していたのだ。フィライン・エデンにかかわり、さらに前代未聞の状況に陥っている以上、最後まで平穏に済むはずはないと。
 しばらく、口を閉ざしたまま歩いていた彼女らだったが、後ろを歩くアワとフーが雰囲気を変えようと切り出した、北海道とはいかような、という問いに、子供らしい姦しさを取り戻した。濃紺が下りてくる暮れの空に、修学旅行を待ちわびる少女たちの声が響く。
 雪国への出発まで、あと三か月だ。
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