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1.フィライン・エデン編
4くすぶるものは炎か、あるいは 後編
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***
「これが、神社……」
「前に、フィライン・エデンでの神は君臨者ってやつだって聞いてさ。こっちと宗教観が違うなら、神社もないだろうなって思ったんだ。やっぱり、そっちにはこういうの、ないんだ?」
「ねえな。ここは人間界の神にまつわるところなんだな?」
「そ。神様を祀ってるところで、雷奈の今の住居」
「ああ、選ばれてない選ばれし人間か」
「あの子そんな風に呼ばれてんの?」
その雷奈は、今日は巫女として働いているはずだ。鳥居の正面からは見えないので、もっと奥で助勤しているのだろう。
当然物珍しいファイとリンは、鳥居を見上げながら無造作に参道へと足を踏み出していく。それを見とがめた氷架璃が、声を上げた。
「こら、不届き者」
「なんだ?」
「参道の真ん中は神様の通り道! ちゃんと端っこを歩かないと、神様に失礼だぞ」
「……あ?」
リンは端を歩いている。しかし、リンの隣を歩くファイは、ほぼ正中の域に足を踏み込んでしまっていた。
「オレ……人間界の神とやらに失礼を働いているのか?」
「働いてるね」
「失礼を働くと、どうなるんだ……?」
意外にも不安そうな顔をするものだから、少しからかいたくなった氷架璃は、「取って食われる」と答えた。
「取って……食われる……?」
「そう」
直後、
「うがあああ!」
「なんで火を出すー!?」
「上等だ! 食えるもんなら食ってみやがれ、神公! どんな相手だろうと燃やしてやる! 神がどれだけのものだあああ!」
不良に出した火力の比ではない。右手から噴き出す炎は氷架璃の半身ほどの大きさになり、参道脇の木の枝に触れるか否かというほどだ。
「ちょ、やめんか、火事になる!」
「知るか! 神はどこだ! 正々堂々勝負し……」
「だらっしゃあああああ!」
突如としてファイに水が降りかかり、瞬く間に鎮火した。ファイごと水をかぶったため、放火魔未遂の気概も鎮火された。
そこへ、雄たけびとともに水をぶっかけた勇者が怒鳴り散らす。
「なんばやっとーとか、このたわけ! 放火っちゃか!?」
勢いよく九州弁でたたみかける勇者・巫女雷奈。手にしたバケツで、膝をついたファイの頭をぶん殴らんばかりの苛烈さである。どうやら、上がった炎を遠目に発見して駆けつけた模様。
「って、氷架璃?」
「よ、お勤めご苦労さん、雷奈」
「む? 雷奈だと?」
起き上がったびしょ濡れファイは、小さな巫女の姿を見て、
「お前が三人目の……」
「三人目? もしかして……」
「ご名答。この二人、フィライン・エデンからわざわざデートに来たカップルだよ」
雷奈と、彼女についてきた芽華実――たまたま神社におすそわけに来ていたらしい――に、氷架璃はファイとリンを紹介した。
「よろしく、二人とも。それにしても、驚いたわ。いきなり参道で炎が上がるんですもの」
「芽華実が発見してくれたけん、消火できたばってん……ファイ、なして火出したと?」
「だってよ、オレが道の真ん中を歩いたら……」
かくかくしかじか、ファイがわけを話すと、だからと言って炎を出すな、と雷奈に説教された。ついでに、取って食われるなんて嘘を教えるな、と氷架璃も説教された。
「まったく……。というか、前から思っとったけど、アワの水とか、ファイの炎とか、どっから出とると? どういう仕組み?」
「なんだと、アワは正統後継者のくせにそんなことも話していなかったのか?」
ファイはやれやれと嘆息し、
「大気中のアレをコレしてそーするんだよ」
「あーそっか。アレをコレしてそーするんだな。なるほどわからん。リン、翻訳してくれ」
「え、えっと……」
氷架璃に話を振られ、リンはどぎまぎしながらも、
「あのね、この空気中に『源子』っていう、精霊っていうか、魂みたいなのがあるの。それは君臨者様が振りまいてくれるのよ。それに指示を出して、水や炎を出しているの」
「それは人間界にもあると?」
「ええ、君臨者様は、フィライン・エデンとも別の次元にいて、全パラレルワールドに源子を与えているわ。そこに、水猫なら水の指示を、炎猫なら炎の指示を出して、術を使う。普通に水や炎を出すだけなら、簡単だから頭の中で命じるだけでいいんだけど、術の形にしようと思ったら、詠唱とか言霊が必要ね」
「呪文みたいなもんか」
「そうそう」
「なるほど、よくわかった! ありがとう、リン!」
「な? オレが言ったとおりだろ?」
「あんたの説明のどこをこねて蒸してひっくり返せば言ったとおりになるんだよ」
「……美楓芽華実、こいつは一体何を言っているんだ?」
「待てこら! 頭の悪いヤツに向ける目で私を見るんじゃない!」
急ににぎやかになった参道に、雷奈が困り顔で頭をかいていると、リンがその袖を引っ張った。
「うん? どうしたと?」
「雷奈、ごめんなさい、お手洗いを貸してもらってもいいかしら?」
「うん、こっちばい」
まだ論争を続けている氷架璃とファイを一瞥して、雷奈はリンを連れて境内のほうへ向かった。
リンの姿がないことにファイが気付いたのは、話がひと段落してからである。
「あ? おい、リンはどこ行った?」
「雷奈もいないな。トイレにでも行ったんじゃないの?」
「そうか……ん?」
ファイが境内のほうへ目を向けた。
「なんだか、やけにドタドタした足音がするな」
「え? 足音なんて聞こえる?」
「オレたちは猫だから、耳がいいんだよ。ジャンプ力とかも猫並みだぞ、人間姿でもな」
「へえ、そういうもんなのか。……お、私にも聞こえてきた。誰が走って……」
氷架璃と芽華実も視線を投じた先、白衣に緋袴の雷奈が、リンを引きずるようにして猪突猛進してきていた。
「え、雷奈、どうし……」
尋ねる氷架璃の横をすり抜けてどこかへ走り去っていく。その後から、
「ウマソウ」
「イイニオイ」
「マルカジリ」
――三匹のクロが、同じくらいのスピードで追っていった。
「今のって!」
「やべえ、クロだ!」
「追うぞ、てめえら!」
走り出したファイに、氷架璃と芽華実も続いた。
***
トイレの帰り、クロ三匹は頭上から落ちてきた。
二人とも驚いたものの、雷奈はすぐに冷静さを取り戻し、リンに猫術で追い払うよう頼んだ。ところが、リンのほうは怯えてしまって、術を使うどころか逃げることもままならない。
どうやら二人を捕食したげなセリフを口ずさむクロから、雷奈はリンを引きずって逃げる羽目になったというわけである。
「速か! やっぱ速か! これ以上リンを引きずるのも限界ったい……リン、自分で走れる!?」
「は、はゆうぅ……」
引きずられながら首を横に振るリン。
「じゃあせめて、猫の姿になって!」
「はうう、は、はいっ!」
突然軽くなった右手への負担。見れば、リンの腕は人間ではなく猫のそれになっていた。髪と同じ色の子猫の姿になったリンを抱きかかえて、雷奈は巫女装束のまま路地を走る。
「マテ」
「マテ」
「マテー」
後をつけてくるクロたちが、突然二足歩行になった。かと思ったら、一様に両手を掲げ、そこに風の流れを作る。
「なんばやっとーと……?」
「雷奈、あのクロたち、風猫みたい」
「クロにも属性とかあると?」
「ええ、私たちと同様に術を使うわ。でも、大技は使わないかわりに、詠唱も言霊もなしで術を放ってくるのよ」
言い終わるや否や、クロたちの手から離れた風が小さな竜巻となり、雷奈たちに襲い掛かった。間一髪でよけるも、風にあおられてバランスを崩す。
「っ!」
地面に倒れこんだ雷奈は、リンを抱き寄せながら後ろを振り返り、もうクロたちとの間に距離がないことを知った。それでも、クロたちは容赦なく、次の風を繰り出そうとしている。
「いけない、雷奈、あの風はかまいたちよ!」
「切れるっちゃか!?」
先ほどよりも鋭い音を発しながら渦巻いていた風は、クロの手を離れると、予想以上の速さで飛んできた。足元を狙って放たれたそれを、雷奈は地面を蹴ってかわす。二発目をバックステップで、三発目はついた手を軸にし、体をひねってやりすごす。しかし、最後の所作で、下駄の裏にいやな感触。それと同時に、体勢を崩した。足に感じた悪い予感、それは袴の裾を踏んだ感覚だった。
「しまった!」
クロはすでに、次の攻撃の予備動作に移っている。またかまいたちの風だ。下手に逃げようとすれば、その隙を突かれるだろう。雷奈は背中に冷や汗を感じながら、リンを隠すように抱きかかえた。
「く、来るなら来るったい……」
風の音は、徐々に大きくなっていく。
「リンには、傷一つつけんとよ! せっかく楽しむために人間界に来たのに、そこで嫌な思いするなんて、許せなか! 私が護るったい!」
「よく言ったぞ、三日月雷奈!」
横殴りに、熱風が吹き付けた。風上を振り向くと、氷架璃と芽華実、そしてファイが駆けつけてくるところだった。
「リンにとって初めての人間界! それを怖い記憶にするなんて、許せねえ! そんなことをするヤツは……ここでこそ、燃やすッ!」
走りながら、ファイは手のひらの上に炎を宿した。そして、
「原初の知恵、灯明の詩歌、角なき命令に手綱は歩く!」
その炎は、徐々に球形へと形を変えていく。
「鴇色の犠牲に渇望の声を発せよ! 弾け、火砲!」
突き出した手から、炎の球が猛進してきた。熱量と光を発しながら宙を飛ぶそれは、並んでいたクロ三匹を、団子を串にさすようにまとめて焼いていく。クロたちは、「ギャー」というふざけたような断末魔を発しながら、霧のように消えた。
「雷奈、リン、大丈夫?」
「私は大丈夫ったい」
「こ、怖かったけど、ありがとう、助かったわ……!」
猫姿のリンは涙目でそう言った。氷架璃がファイの肩をたたく。
「グッジョブ、ファイ。正しい『燃やす』の使い方だね」
「ああ。言ったろ。リンの身の安全を脅かすものはみんなオレが排除するってな」
***
クロの件でリンが疲れ切ったこともあり、今日のデートはここでお開きとなった。
「礼を言うぞ、三日月雷奈。よくぞリンを護ってくれた。そして案内をしてくれた水晶氷架璃もな。美楓芽華実、今回はあまり話せなかったが、今後、リンとも仲良くしてくれ」
ワープフープの前で、リンと同様、猫の姿になったファイは、それぞれにそう言った。猫の姿のファイは、リンと似た薄黄色の体で、耳としっぽの先に炎のような赤い模様が入っている。
「うん、こちらこそ、神社に来てくれてありがとう。また人間界ば遊びに来てくれると嬉しかよ」
「ええ、また来るわ! 三人も、フィライン・エデンに遊びに来てね」
「えー……悪いけど、私はもういいかな……」
「どうして? あなたはアワのパートナーになるんじゃないの?」
渋る氷架璃に、リンが率直に問う。
「ならないよ。なんでそんな面倒なこと」
「面倒って……アワはとても楽しみにしていたのに」
「楽しみぃ!?」
ありえない、と両手を広げる氷架璃。しかし、リンの目は本気だ。
「本当よ。アワはパートナーを持てること、正統後継者としてとても誇らしげにしていたし」
「嘘だろ? 義務だからしゃーなし接待してるんじゃないの?」
「そんなことないわ。アワは一年前、あなたのことを神託で知ってから、人間界について猛勉強していたのよ。それはフーも同じだけれど。それに、彼は神託を受けてから、ずっとあなたのことを名前で呼んでいた。『氷架璃に早く会いたい』『氷架璃は何が好きかな』『氷架璃とうまくやっていくために頑張らなくちゃ』って」
ふいに、氷架璃の頭に、見たことのないはずの情景が浮かんだ。アワが、氷架璃のことを一心に考えながら勉強をしている姿、誰かに話している姿、自分を奮い立たせている姿。リンの話を聞いて思い浮かんだ勝手な想像だと切り捨てることは容易だ。しかし、氷架璃には、それがすべて本当にあったことのように感じた。
「あまり、アワの気持ちを無下にしないであげて。……じゃあ、今日はありがとう。またね」
リンは手を振ると、ワープフープの中へと消えていった。ファイも「じゃあな」と一言残し、フィライン・エデンへと帰っていく。
閃光が止んだ後も、氷架璃は考えていた。
(アワが……そんなに……。でも、私には、関係、ない……)
ずっと持っていたビニール袋が音を立てる。そういえば、祖父に嫌がらせをしようと道草を食っていたのだった。それを思いついた時には感じなかったのに、今は胸の中でくすぶるもの。罪悪感という名のそれを見て見ぬふりをして、氷架璃は二人とともにワープフープを後にした。
「これが、神社……」
「前に、フィライン・エデンでの神は君臨者ってやつだって聞いてさ。こっちと宗教観が違うなら、神社もないだろうなって思ったんだ。やっぱり、そっちにはこういうの、ないんだ?」
「ねえな。ここは人間界の神にまつわるところなんだな?」
「そ。神様を祀ってるところで、雷奈の今の住居」
「ああ、選ばれてない選ばれし人間か」
「あの子そんな風に呼ばれてんの?」
その雷奈は、今日は巫女として働いているはずだ。鳥居の正面からは見えないので、もっと奥で助勤しているのだろう。
当然物珍しいファイとリンは、鳥居を見上げながら無造作に参道へと足を踏み出していく。それを見とがめた氷架璃が、声を上げた。
「こら、不届き者」
「なんだ?」
「参道の真ん中は神様の通り道! ちゃんと端っこを歩かないと、神様に失礼だぞ」
「……あ?」
リンは端を歩いている。しかし、リンの隣を歩くファイは、ほぼ正中の域に足を踏み込んでしまっていた。
「オレ……人間界の神とやらに失礼を働いているのか?」
「働いてるね」
「失礼を働くと、どうなるんだ……?」
意外にも不安そうな顔をするものだから、少しからかいたくなった氷架璃は、「取って食われる」と答えた。
「取って……食われる……?」
「そう」
直後、
「うがあああ!」
「なんで火を出すー!?」
「上等だ! 食えるもんなら食ってみやがれ、神公! どんな相手だろうと燃やしてやる! 神がどれだけのものだあああ!」
不良に出した火力の比ではない。右手から噴き出す炎は氷架璃の半身ほどの大きさになり、参道脇の木の枝に触れるか否かというほどだ。
「ちょ、やめんか、火事になる!」
「知るか! 神はどこだ! 正々堂々勝負し……」
「だらっしゃあああああ!」
突如としてファイに水が降りかかり、瞬く間に鎮火した。ファイごと水をかぶったため、放火魔未遂の気概も鎮火された。
そこへ、雄たけびとともに水をぶっかけた勇者が怒鳴り散らす。
「なんばやっとーとか、このたわけ! 放火っちゃか!?」
勢いよく九州弁でたたみかける勇者・巫女雷奈。手にしたバケツで、膝をついたファイの頭をぶん殴らんばかりの苛烈さである。どうやら、上がった炎を遠目に発見して駆けつけた模様。
「って、氷架璃?」
「よ、お勤めご苦労さん、雷奈」
「む? 雷奈だと?」
起き上がったびしょ濡れファイは、小さな巫女の姿を見て、
「お前が三人目の……」
「三人目? もしかして……」
「ご名答。この二人、フィライン・エデンからわざわざデートに来たカップルだよ」
雷奈と、彼女についてきた芽華実――たまたま神社におすそわけに来ていたらしい――に、氷架璃はファイとリンを紹介した。
「よろしく、二人とも。それにしても、驚いたわ。いきなり参道で炎が上がるんですもの」
「芽華実が発見してくれたけん、消火できたばってん……ファイ、なして火出したと?」
「だってよ、オレが道の真ん中を歩いたら……」
かくかくしかじか、ファイがわけを話すと、だからと言って炎を出すな、と雷奈に説教された。ついでに、取って食われるなんて嘘を教えるな、と氷架璃も説教された。
「まったく……。というか、前から思っとったけど、アワの水とか、ファイの炎とか、どっから出とると? どういう仕組み?」
「なんだと、アワは正統後継者のくせにそんなことも話していなかったのか?」
ファイはやれやれと嘆息し、
「大気中のアレをコレしてそーするんだよ」
「あーそっか。アレをコレしてそーするんだな。なるほどわからん。リン、翻訳してくれ」
「え、えっと……」
氷架璃に話を振られ、リンはどぎまぎしながらも、
「あのね、この空気中に『源子』っていう、精霊っていうか、魂みたいなのがあるの。それは君臨者様が振りまいてくれるのよ。それに指示を出して、水や炎を出しているの」
「それは人間界にもあると?」
「ええ、君臨者様は、フィライン・エデンとも別の次元にいて、全パラレルワールドに源子を与えているわ。そこに、水猫なら水の指示を、炎猫なら炎の指示を出して、術を使う。普通に水や炎を出すだけなら、簡単だから頭の中で命じるだけでいいんだけど、術の形にしようと思ったら、詠唱とか言霊が必要ね」
「呪文みたいなもんか」
「そうそう」
「なるほど、よくわかった! ありがとう、リン!」
「な? オレが言ったとおりだろ?」
「あんたの説明のどこをこねて蒸してひっくり返せば言ったとおりになるんだよ」
「……美楓芽華実、こいつは一体何を言っているんだ?」
「待てこら! 頭の悪いヤツに向ける目で私を見るんじゃない!」
急ににぎやかになった参道に、雷奈が困り顔で頭をかいていると、リンがその袖を引っ張った。
「うん? どうしたと?」
「雷奈、ごめんなさい、お手洗いを貸してもらってもいいかしら?」
「うん、こっちばい」
まだ論争を続けている氷架璃とファイを一瞥して、雷奈はリンを連れて境内のほうへ向かった。
リンの姿がないことにファイが気付いたのは、話がひと段落してからである。
「あ? おい、リンはどこ行った?」
「雷奈もいないな。トイレにでも行ったんじゃないの?」
「そうか……ん?」
ファイが境内のほうへ目を向けた。
「なんだか、やけにドタドタした足音がするな」
「え? 足音なんて聞こえる?」
「オレたちは猫だから、耳がいいんだよ。ジャンプ力とかも猫並みだぞ、人間姿でもな」
「へえ、そういうもんなのか。……お、私にも聞こえてきた。誰が走って……」
氷架璃と芽華実も視線を投じた先、白衣に緋袴の雷奈が、リンを引きずるようにして猪突猛進してきていた。
「え、雷奈、どうし……」
尋ねる氷架璃の横をすり抜けてどこかへ走り去っていく。その後から、
「ウマソウ」
「イイニオイ」
「マルカジリ」
――三匹のクロが、同じくらいのスピードで追っていった。
「今のって!」
「やべえ、クロだ!」
「追うぞ、てめえら!」
走り出したファイに、氷架璃と芽華実も続いた。
***
トイレの帰り、クロ三匹は頭上から落ちてきた。
二人とも驚いたものの、雷奈はすぐに冷静さを取り戻し、リンに猫術で追い払うよう頼んだ。ところが、リンのほうは怯えてしまって、術を使うどころか逃げることもままならない。
どうやら二人を捕食したげなセリフを口ずさむクロから、雷奈はリンを引きずって逃げる羽目になったというわけである。
「速か! やっぱ速か! これ以上リンを引きずるのも限界ったい……リン、自分で走れる!?」
「は、はゆうぅ……」
引きずられながら首を横に振るリン。
「じゃあせめて、猫の姿になって!」
「はうう、は、はいっ!」
突然軽くなった右手への負担。見れば、リンの腕は人間ではなく猫のそれになっていた。髪と同じ色の子猫の姿になったリンを抱きかかえて、雷奈は巫女装束のまま路地を走る。
「マテ」
「マテ」
「マテー」
後をつけてくるクロたちが、突然二足歩行になった。かと思ったら、一様に両手を掲げ、そこに風の流れを作る。
「なんばやっとーと……?」
「雷奈、あのクロたち、風猫みたい」
「クロにも属性とかあると?」
「ええ、私たちと同様に術を使うわ。でも、大技は使わないかわりに、詠唱も言霊もなしで術を放ってくるのよ」
言い終わるや否や、クロたちの手から離れた風が小さな竜巻となり、雷奈たちに襲い掛かった。間一髪でよけるも、風にあおられてバランスを崩す。
「っ!」
地面に倒れこんだ雷奈は、リンを抱き寄せながら後ろを振り返り、もうクロたちとの間に距離がないことを知った。それでも、クロたちは容赦なく、次の風を繰り出そうとしている。
「いけない、雷奈、あの風はかまいたちよ!」
「切れるっちゃか!?」
先ほどよりも鋭い音を発しながら渦巻いていた風は、クロの手を離れると、予想以上の速さで飛んできた。足元を狙って放たれたそれを、雷奈は地面を蹴ってかわす。二発目をバックステップで、三発目はついた手を軸にし、体をひねってやりすごす。しかし、最後の所作で、下駄の裏にいやな感触。それと同時に、体勢を崩した。足に感じた悪い予感、それは袴の裾を踏んだ感覚だった。
「しまった!」
クロはすでに、次の攻撃の予備動作に移っている。またかまいたちの風だ。下手に逃げようとすれば、その隙を突かれるだろう。雷奈は背中に冷や汗を感じながら、リンを隠すように抱きかかえた。
「く、来るなら来るったい……」
風の音は、徐々に大きくなっていく。
「リンには、傷一つつけんとよ! せっかく楽しむために人間界に来たのに、そこで嫌な思いするなんて、許せなか! 私が護るったい!」
「よく言ったぞ、三日月雷奈!」
横殴りに、熱風が吹き付けた。風上を振り向くと、氷架璃と芽華実、そしてファイが駆けつけてくるところだった。
「リンにとって初めての人間界! それを怖い記憶にするなんて、許せねえ! そんなことをするヤツは……ここでこそ、燃やすッ!」
走りながら、ファイは手のひらの上に炎を宿した。そして、
「原初の知恵、灯明の詩歌、角なき命令に手綱は歩く!」
その炎は、徐々に球形へと形を変えていく。
「鴇色の犠牲に渇望の声を発せよ! 弾け、火砲!」
突き出した手から、炎の球が猛進してきた。熱量と光を発しながら宙を飛ぶそれは、並んでいたクロ三匹を、団子を串にさすようにまとめて焼いていく。クロたちは、「ギャー」というふざけたような断末魔を発しながら、霧のように消えた。
「雷奈、リン、大丈夫?」
「私は大丈夫ったい」
「こ、怖かったけど、ありがとう、助かったわ……!」
猫姿のリンは涙目でそう言った。氷架璃がファイの肩をたたく。
「グッジョブ、ファイ。正しい『燃やす』の使い方だね」
「ああ。言ったろ。リンの身の安全を脅かすものはみんなオレが排除するってな」
***
クロの件でリンが疲れ切ったこともあり、今日のデートはここでお開きとなった。
「礼を言うぞ、三日月雷奈。よくぞリンを護ってくれた。そして案内をしてくれた水晶氷架璃もな。美楓芽華実、今回はあまり話せなかったが、今後、リンとも仲良くしてくれ」
ワープフープの前で、リンと同様、猫の姿になったファイは、それぞれにそう言った。猫の姿のファイは、リンと似た薄黄色の体で、耳としっぽの先に炎のような赤い模様が入っている。
「うん、こちらこそ、神社に来てくれてありがとう。また人間界ば遊びに来てくれると嬉しかよ」
「ええ、また来るわ! 三人も、フィライン・エデンに遊びに来てね」
「えー……悪いけど、私はもういいかな……」
「どうして? あなたはアワのパートナーになるんじゃないの?」
渋る氷架璃に、リンが率直に問う。
「ならないよ。なんでそんな面倒なこと」
「面倒って……アワはとても楽しみにしていたのに」
「楽しみぃ!?」
ありえない、と両手を広げる氷架璃。しかし、リンの目は本気だ。
「本当よ。アワはパートナーを持てること、正統後継者としてとても誇らしげにしていたし」
「嘘だろ? 義務だからしゃーなし接待してるんじゃないの?」
「そんなことないわ。アワは一年前、あなたのことを神託で知ってから、人間界について猛勉強していたのよ。それはフーも同じだけれど。それに、彼は神託を受けてから、ずっとあなたのことを名前で呼んでいた。『氷架璃に早く会いたい』『氷架璃は何が好きかな』『氷架璃とうまくやっていくために頑張らなくちゃ』って」
ふいに、氷架璃の頭に、見たことのないはずの情景が浮かんだ。アワが、氷架璃のことを一心に考えながら勉強をしている姿、誰かに話している姿、自分を奮い立たせている姿。リンの話を聞いて思い浮かんだ勝手な想像だと切り捨てることは容易だ。しかし、氷架璃には、それがすべて本当にあったことのように感じた。
「あまり、アワの気持ちを無下にしないであげて。……じゃあ、今日はありがとう。またね」
リンは手を振ると、ワープフープの中へと消えていった。ファイも「じゃあな」と一言残し、フィライン・エデンへと帰っていく。
閃光が止んだ後も、氷架璃は考えていた。
(アワが……そんなに……。でも、私には、関係、ない……)
ずっと持っていたビニール袋が音を立てる。そういえば、祖父に嫌がらせをしようと道草を食っていたのだった。それを思いついた時には感じなかったのに、今は胸の中でくすぶるもの。罪悪感という名のそれを見て見ぬふりをして、氷架璃は二人とともにワープフープを後にした。
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