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12.文武抗争編
59文武抗争 ③
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***
「これが、わたしたちがここへきた理由」
ミストは、普段の愛想はどこへやったのか、淡々とした口調で話を結んだ。
対するルシルは、じっと唇を引き結んだまま、彼女に相対している。
表情一つ変えないルシルに、ミストがすっと目を細めた。
「驚かないんだね」
むしろ、その一言にルシルの眉が一瞬の反応を示した。嘆息して、仕方なさそうに問う。
「経緯は分かった。それで、メルを眠らせておいて、お前は私に何を要求するつもりだ?」
「……」
「……尋ねたところで、必ずしも答えてもらえるとは思っていないが」
ルシルの言葉に、ミストは静かに瞑目した。諦念を含んだセリフにも関わらず、逆にそれに後押しされたように、ミストはまぶたを上げると同時に口を開いた。
「問答法、あるいは産婆術……古くから知的探求の源泉は対話。学者の務めとは、すなわち問いに答えること。いいよ、教えたげる。端的に言えば、抵抗せずにここから撤退してほしい。それが、ここへ来たわたしたち学院勢の総意」
普段のミストの性格を知っているルシルからすれば、彼女の要求はらしくない強腰なものだ。「学院勢の総意」と言っていることからも、ミスト個人の意志というより、強気な目的をもったチームにミストも加わっている、という状態なのだろう。
そうであっても、今ここに来ているという仲間のためにも、ミストがただで退くとは思えない。しかし、だからといって手荒な真似をするわけにもいかない。あちらが先に手を出したとはいえ、希兵隊は戦闘のプロだ。民間には過剰防衛と捉えられるかもしれない。
さあ、どう出る――ルシルが逡巡していると。
「……なんだけど」
ミストの口から、ミストの言葉が出た。そう感じた。決められた口上を読み上げるではなく、わずかとはいえ、思考と感情が入り込んだような声色の変化があったのだ。
決して笑顔ではないものの、表情にもいつもの彼女らしい緩さを取り戻しながら、ミストは一歩一歩近づいてくる。雰囲気が変わったとはいえ、彼女がメルを攻撃したのは事実だ。ルシルは抱き上げたメルをかばうように体の向きを変えながら、低い声で牽制した。
「何をするつもりだ」
黙ったまま、歩みを止めないミストに、ルシルは普段の仲は脇に置いて声を荒らげた。
「来るなッ!」
「大声出さないで」
ついに、彼女はピリピリと神経を尖らせるルシルの間近までやってきた。つま先同士が触れるか触れないかというほどの距離。それでも、相手が何もしてこない以上、ルシルが先制攻撃に出るわけにはいかない。
瑠璃色の眼光を吸い込むように、エメラルドの瞳がまっすぐに見つめ返す。柔らかくも神妙な面持ちの奥が知れない。膠着状態が続いた。
やがて、ミストが動いた。緊張に体をこわばらせるルシルの耳元に、ミストはそっと口元を近づけ、そしてささやいた。
「――……」
顔を離したミストは、再び至近距離でルシルと相対した。予想通りに大きく見開いた瞳を揺らすルシルを、ミストは見つめる。
インカムが、接続音を発した。
『こちら那由他。執行部隊員に告ぎます。先程、西側班から学院と接触したとの報告あり。敵性あり、警戒してください。詳細を告ぎます――』
ざらついた声が、学院の主張と要求を手短に並べていく。声色だけでその緊急性がわかる語り口なのに、ミストの声は暖簾でも分けるようにそれすり抜けて、ルシルの耳に滑り込んだ。
「協力してくれるよね」
「…………」
「本家のお姫様の命は惜しいでしょう? ねえ、分家のお嬢様」
ふらり、とルシルの足元が揺らいだ。何とか踏みとどまったが、いつ崩れ落ちてもおかしくないほど、袴の内側で足が震えていた。
彼女に選択の余地はない。それがわかっているから、ミストは返事を待たずに踵を返す。
「ついてきて。腕の中の相棒は置いて、ね」
控えていた白霧《はくぶ》が、ミストの命令に従って再び姿を現しだす。
いまだ意識の戻らないメルを見下ろし、ルシルはしばらく立ちすくんでいた。
けれど、それも長い時間ではなかった。
一番近い木の根元に、相棒をそっと横たえると、ルシルは立ち上がって歩き出した。
ミストについていく直前、一度だけ振り返って。
「……すまない、メル」
一言だけ言い置くと、白くけぶる夜闇の中へと消えていった。
***
「作戦その一! 飛び出してきたチエアリに私が盲爛で目くらましをする!」
「その間に私が撓葛で拘束する!」
「そしてそれを雷奈に引き渡す!」
「なして私!?」
「作戦その二! 芽華実が養叢で成長させまくった草で動きを鈍らせる!」
「そこへ氷架璃が燎光を浴びせる!」
「でもそれじゃ倒せないと思うから、あとは雷奈に任せる!」
「なして私!?」
「作戦その三! 二人で畳みかける!」
「でも返り討ちにあった場合は?」
「雷奈に丸投げする!」
「ちょっとぉぉぉ!?」
作戦会議と呼ぶにはあまりにもお粗末な茶番劇を繰り広げる人間三人衆を横目に見て、彼女らのお守を請け負ったコウが呆れたようにため息をつく。
「お前ら、もっと緊張感もてよ。チエアリいるかもしれねえんだぞ」
「わかっとるわい! だからこうやって作戦会議してるんだろ?」
「時尼さんはガオンの可能性も踏んでんだぞ」
「その場合は作戦三だな」
「決定ね」
「二人ともぉぉ」
その想定だと、自分に丸投げされる理不尽さというより、返り討ちに合った時の二人の被害の大きさが目に浮かぶようで、雷奈は悲壮な顔をした。
「だって、この場にいる全員のうち、ガオンに敵ったのはあんただけだぞ、雷奈」
「アワもフーもコウもやられちゃったものね。……あら、そういえばあの時、波音はいなかったわ」
「おっ! ということは、あたしにはまだチャンスが……」
「やめろ。無理だ。諦めろ。一目散に逃げろ」
「あたしも希兵隊だよっ!?」
人間の姿をとった波音が、ぴょこぴょこ飛び跳ねて抗議する。そのたびにガシャガシャと音を立てる長物を腰に差しているくらいには、彼女も戦える――はずだ。雷奈たちはせいぜいクロをのした猫姿の波音しか見たことがないが。
「それとも何か、リベンジしたいのか、コウ? あのままじゃ希兵隊最強の名が廃るもんなー?」
からかい気味に氷架璃が顔を覗き込むと、コウは眉の形でうっとうしさを露わにしながら見返したが、すぐに視線の役割を周囲への警戒に戻した。
「怒んなよー」
「別に」
氷架璃に一瞥もくれない彼の視線が、ふと懐に吸い寄せられた。ピッチへの着信だ。おもむろに懐に手を突っ込み、取り出したそれの画面を見て、コウは雷奈たちに背を向けた。
「波音」
「んっ?」
「少し外す。ここは任せたぞ。……流清と風中も」
「あ、うん……」
「ええ……」
アワとフーの返事を聞きながら、コウは鳴り続けるピッチとともに、暗い木々の向こうへ消えていった。その背を見送る芽華実が、そわそわとほかのメンバーを見回す。
「どうしたのかしら、何だかいつもより余裕がない様子だけど……」
「そうかぁ? いつも通りのぶっきらぼうだろ」
そう言って頭をかく氷架璃だが、波音は「めーちゃんもそう思うっ?」と反応した。
「やっぱり、こーちゃん、何かおかしいよね?」
「確かに、いつもよりピリピリしてるね」
「ええ、ちょっと心ここにあらずというか……」
アワとフーも賛同する。氷架璃と雷奈は「そうかな?」と首をかしげるが、三人の中で最も他人の感情の機微に敏感な芽華実が言うのなら、といった様子だ。
「何か心当たりはある? 波音」
「わかんない、けど……昨日の晩、こーちゃん、外でかみっちゃんと何か話してて。話し終わって、一人になってたところに、あたしが話しかけたら、その時にはもう、様子がおかしかったの」
「ルシルと喧嘩でもしたのかぁ?」
「ばってん、今日はそんな仲悪そうには見えんかったよ?」
「何だろうね……そこまで悪い上京の仕方したわけではなかったと思うし」
アワの言葉に、フーもうなずく。突然出てきた脈絡のない言葉を、雷奈が聞きとがめた。
「上京? どう関係あると?」
「ああ、この森を抜けるとね、垂河村があるはずなんだよ。ほら、ルシルとコウの故郷。反対を押し切って出てきたっていうんなら、故郷の近くに出向くのは神経をとがらせるようなことではあるだろうけど、そんな話は聞いてないしなぁ」
「垂河村……」
雷奈の口の中で、その単語が妙に響いた。
様子のおかしいコウ。彼と遅い時間に話し込んでいたルシル。二人の故郷、垂河村。そして、そのすぐ近くの森で起こった現象。
偶然だろうか?
――インカムから声がした。
スピーカーからノイズ交じりに流れてきた全体連絡。その一部始終は、ここにいる全ての者たちの耳に届いた。
総造学研究科の主張。今宵、この森に来ている研究者たち。ぶつかり合う希兵隊と学院。
戸惑わなかった者はいなかった。誰もが驚き、疑い、混乱した。
けれど、それよりも――その事実が、先の憶測と結びついた時、化学反応を起こした劇薬のような衝撃が襲った。
「垂河村……学院……」
一見無関係に見える二つの領域。両者が重なり合ったとき、そこに浮かび上がる者が一人だけいる。
「……一の、姫……」
雷奈のつぶやきが、風に乗って森の奥に吸い込まれる。まるで、それが形を変えて戻ってきたかのように――気配と足音が近づいてきた。
素早く振り向いた波音が、小さな足を動かして、雷奈たちの前に回り込んだ。
誰もが見据える闇の中に、赤い双眸が浮かび上がった。
雷奈たちは、心拍数の急な上昇を感じながら、猫力を解放しようと身構えた。が、アワに腕で制される。
その理由は、聞こえてきた声で察された。
「希兵隊の来訪は予期していたけれど、まさか人間や二家まで来るなんて。これは予想外だったわ」
徐々に人間たちの目にも映りだす、その姿。
つややかな黒髪と、深窓の令嬢らしい白い肌。首元のチョーカーを取り払うことで力を発動した、彼女の名は。
「……せつな」
「これが、わたしたちがここへきた理由」
ミストは、普段の愛想はどこへやったのか、淡々とした口調で話を結んだ。
対するルシルは、じっと唇を引き結んだまま、彼女に相対している。
表情一つ変えないルシルに、ミストがすっと目を細めた。
「驚かないんだね」
むしろ、その一言にルシルの眉が一瞬の反応を示した。嘆息して、仕方なさそうに問う。
「経緯は分かった。それで、メルを眠らせておいて、お前は私に何を要求するつもりだ?」
「……」
「……尋ねたところで、必ずしも答えてもらえるとは思っていないが」
ルシルの言葉に、ミストは静かに瞑目した。諦念を含んだセリフにも関わらず、逆にそれに後押しされたように、ミストはまぶたを上げると同時に口を開いた。
「問答法、あるいは産婆術……古くから知的探求の源泉は対話。学者の務めとは、すなわち問いに答えること。いいよ、教えたげる。端的に言えば、抵抗せずにここから撤退してほしい。それが、ここへ来たわたしたち学院勢の総意」
普段のミストの性格を知っているルシルからすれば、彼女の要求はらしくない強腰なものだ。「学院勢の総意」と言っていることからも、ミスト個人の意志というより、強気な目的をもったチームにミストも加わっている、という状態なのだろう。
そうであっても、今ここに来ているという仲間のためにも、ミストがただで退くとは思えない。しかし、だからといって手荒な真似をするわけにもいかない。あちらが先に手を出したとはいえ、希兵隊は戦闘のプロだ。民間には過剰防衛と捉えられるかもしれない。
さあ、どう出る――ルシルが逡巡していると。
「……なんだけど」
ミストの口から、ミストの言葉が出た。そう感じた。決められた口上を読み上げるではなく、わずかとはいえ、思考と感情が入り込んだような声色の変化があったのだ。
決して笑顔ではないものの、表情にもいつもの彼女らしい緩さを取り戻しながら、ミストは一歩一歩近づいてくる。雰囲気が変わったとはいえ、彼女がメルを攻撃したのは事実だ。ルシルは抱き上げたメルをかばうように体の向きを変えながら、低い声で牽制した。
「何をするつもりだ」
黙ったまま、歩みを止めないミストに、ルシルは普段の仲は脇に置いて声を荒らげた。
「来るなッ!」
「大声出さないで」
ついに、彼女はピリピリと神経を尖らせるルシルの間近までやってきた。つま先同士が触れるか触れないかというほどの距離。それでも、相手が何もしてこない以上、ルシルが先制攻撃に出るわけにはいかない。
瑠璃色の眼光を吸い込むように、エメラルドの瞳がまっすぐに見つめ返す。柔らかくも神妙な面持ちの奥が知れない。膠着状態が続いた。
やがて、ミストが動いた。緊張に体をこわばらせるルシルの耳元に、ミストはそっと口元を近づけ、そしてささやいた。
「――……」
顔を離したミストは、再び至近距離でルシルと相対した。予想通りに大きく見開いた瞳を揺らすルシルを、ミストは見つめる。
インカムが、接続音を発した。
『こちら那由他。執行部隊員に告ぎます。先程、西側班から学院と接触したとの報告あり。敵性あり、警戒してください。詳細を告ぎます――』
ざらついた声が、学院の主張と要求を手短に並べていく。声色だけでその緊急性がわかる語り口なのに、ミストの声は暖簾でも分けるようにそれすり抜けて、ルシルの耳に滑り込んだ。
「協力してくれるよね」
「…………」
「本家のお姫様の命は惜しいでしょう? ねえ、分家のお嬢様」
ふらり、とルシルの足元が揺らいだ。何とか踏みとどまったが、いつ崩れ落ちてもおかしくないほど、袴の内側で足が震えていた。
彼女に選択の余地はない。それがわかっているから、ミストは返事を待たずに踵を返す。
「ついてきて。腕の中の相棒は置いて、ね」
控えていた白霧《はくぶ》が、ミストの命令に従って再び姿を現しだす。
いまだ意識の戻らないメルを見下ろし、ルシルはしばらく立ちすくんでいた。
けれど、それも長い時間ではなかった。
一番近い木の根元に、相棒をそっと横たえると、ルシルは立ち上がって歩き出した。
ミストについていく直前、一度だけ振り返って。
「……すまない、メル」
一言だけ言い置くと、白くけぶる夜闇の中へと消えていった。
***
「作戦その一! 飛び出してきたチエアリに私が盲爛で目くらましをする!」
「その間に私が撓葛で拘束する!」
「そしてそれを雷奈に引き渡す!」
「なして私!?」
「作戦その二! 芽華実が養叢で成長させまくった草で動きを鈍らせる!」
「そこへ氷架璃が燎光を浴びせる!」
「でもそれじゃ倒せないと思うから、あとは雷奈に任せる!」
「なして私!?」
「作戦その三! 二人で畳みかける!」
「でも返り討ちにあった場合は?」
「雷奈に丸投げする!」
「ちょっとぉぉぉ!?」
作戦会議と呼ぶにはあまりにもお粗末な茶番劇を繰り広げる人間三人衆を横目に見て、彼女らのお守を請け負ったコウが呆れたようにため息をつく。
「お前ら、もっと緊張感もてよ。チエアリいるかもしれねえんだぞ」
「わかっとるわい! だからこうやって作戦会議してるんだろ?」
「時尼さんはガオンの可能性も踏んでんだぞ」
「その場合は作戦三だな」
「決定ね」
「二人ともぉぉ」
その想定だと、自分に丸投げされる理不尽さというより、返り討ちに合った時の二人の被害の大きさが目に浮かぶようで、雷奈は悲壮な顔をした。
「だって、この場にいる全員のうち、ガオンに敵ったのはあんただけだぞ、雷奈」
「アワもフーもコウもやられちゃったものね。……あら、そういえばあの時、波音はいなかったわ」
「おっ! ということは、あたしにはまだチャンスが……」
「やめろ。無理だ。諦めろ。一目散に逃げろ」
「あたしも希兵隊だよっ!?」
人間の姿をとった波音が、ぴょこぴょこ飛び跳ねて抗議する。そのたびにガシャガシャと音を立てる長物を腰に差しているくらいには、彼女も戦える――はずだ。雷奈たちはせいぜいクロをのした猫姿の波音しか見たことがないが。
「それとも何か、リベンジしたいのか、コウ? あのままじゃ希兵隊最強の名が廃るもんなー?」
からかい気味に氷架璃が顔を覗き込むと、コウは眉の形でうっとうしさを露わにしながら見返したが、すぐに視線の役割を周囲への警戒に戻した。
「怒んなよー」
「別に」
氷架璃に一瞥もくれない彼の視線が、ふと懐に吸い寄せられた。ピッチへの着信だ。おもむろに懐に手を突っ込み、取り出したそれの画面を見て、コウは雷奈たちに背を向けた。
「波音」
「んっ?」
「少し外す。ここは任せたぞ。……流清と風中も」
「あ、うん……」
「ええ……」
アワとフーの返事を聞きながら、コウは鳴り続けるピッチとともに、暗い木々の向こうへ消えていった。その背を見送る芽華実が、そわそわとほかのメンバーを見回す。
「どうしたのかしら、何だかいつもより余裕がない様子だけど……」
「そうかぁ? いつも通りのぶっきらぼうだろ」
そう言って頭をかく氷架璃だが、波音は「めーちゃんもそう思うっ?」と反応した。
「やっぱり、こーちゃん、何かおかしいよね?」
「確かに、いつもよりピリピリしてるね」
「ええ、ちょっと心ここにあらずというか……」
アワとフーも賛同する。氷架璃と雷奈は「そうかな?」と首をかしげるが、三人の中で最も他人の感情の機微に敏感な芽華実が言うのなら、といった様子だ。
「何か心当たりはある? 波音」
「わかんない、けど……昨日の晩、こーちゃん、外でかみっちゃんと何か話してて。話し終わって、一人になってたところに、あたしが話しかけたら、その時にはもう、様子がおかしかったの」
「ルシルと喧嘩でもしたのかぁ?」
「ばってん、今日はそんな仲悪そうには見えんかったよ?」
「何だろうね……そこまで悪い上京の仕方したわけではなかったと思うし」
アワの言葉に、フーもうなずく。突然出てきた脈絡のない言葉を、雷奈が聞きとがめた。
「上京? どう関係あると?」
「ああ、この森を抜けるとね、垂河村があるはずなんだよ。ほら、ルシルとコウの故郷。反対を押し切って出てきたっていうんなら、故郷の近くに出向くのは神経をとがらせるようなことではあるだろうけど、そんな話は聞いてないしなぁ」
「垂河村……」
雷奈の口の中で、その単語が妙に響いた。
様子のおかしいコウ。彼と遅い時間に話し込んでいたルシル。二人の故郷、垂河村。そして、そのすぐ近くの森で起こった現象。
偶然だろうか?
――インカムから声がした。
スピーカーからノイズ交じりに流れてきた全体連絡。その一部始終は、ここにいる全ての者たちの耳に届いた。
総造学研究科の主張。今宵、この森に来ている研究者たち。ぶつかり合う希兵隊と学院。
戸惑わなかった者はいなかった。誰もが驚き、疑い、混乱した。
けれど、それよりも――その事実が、先の憶測と結びついた時、化学反応を起こした劇薬のような衝撃が襲った。
「垂河村……学院……」
一見無関係に見える二つの領域。両者が重なり合ったとき、そこに浮かび上がる者が一人だけいる。
「……一の、姫……」
雷奈のつぶやきが、風に乗って森の奥に吸い込まれる。まるで、それが形を変えて戻ってきたかのように――気配と足音が近づいてきた。
素早く振り向いた波音が、小さな足を動かして、雷奈たちの前に回り込んだ。
誰もが見据える闇の中に、赤い双眸が浮かび上がった。
雷奈たちは、心拍数の急な上昇を感じながら、猫力を解放しようと身構えた。が、アワに腕で制される。
その理由は、聞こえてきた声で察された。
「希兵隊の来訪は予期していたけれど、まさか人間や二家まで来るなんて。これは予想外だったわ」
徐々に人間たちの目にも映りだす、その姿。
つややかな黒髪と、深窓の令嬢らしい白い肌。首元のチョーカーを取り払うことで力を発動した、彼女の名は。
「……せつな」
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