フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

文字の大きさ
上 下
35 / 77
12.文武抗争編

57モノクロームの君 ①

しおりを挟む
 いうなれば、親指サイズのトランシーバー。
 それが、雷奈の手のひらに乗せられた物体だった。
「これが……」
「『チエアリ検出センサー、但し試作品につき動作性未検証』です」
 下の句が上の句を一気に心もとなくさせる名称を謳い上げた彼女は、悪びれもせずにっこりと顔をほころばせた。
 いつもの神社の一室にて、雷奈たちが相対しているのは、執行着をまとわないもう一つの希兵隊部署の者だった。
 クセのある桜色のロングヘアが華やかな、女性になりつつある十八歳の少女。メガネの奥の紺碧の目は穏やかで、オフィスカジュアル風の服装も手伝って、大人びた温和な印象だ。
 だが、彼女が一番上に羽織っているものが、その威厳ある正体と本性を物語っている。
 知の象徴、白衣――彼女こそ、希兵隊の技術開発の本丸・開発部の長、花雛はなひな木雪こゆきだ。
「これ、木雪が作ったと?」
「もちろん私だけではなく、他の開発部員達との共同開発です。責任者は私ですが」
「これでチエアリの出現がわかるのね?」
「ボクたちでさえ気配を感じることのできないチエアリを、このセンサーは感知できるのか……」
「理論上は。ただ、先ほども言いましたが、動作は未検証です。なぜなら、それが正しく働くかを調べるには、実際にチエアリに近づかなければなりませんから」
「そりゃ検証できないわけだ」
 氷架璃と芽華実、そして猫姿のアワとフーも、雷奈の手の上の筐体をまじまじと見つめた。一見して、食玩のおまけのようなシンプルななりだが、中はとんでもなく緻密な構造になっているらしい。もし副題を返上する代物なら、チエアリの不意打ちを防ぎ、逆に奇襲を可能にする強い味方になるだろう。
「ガオンを黒幕とするチエアリの最後の一体であるホムラは消滅しました。ですが、ガオンに関わらず、チエアリは出現するときはするものです。試作品で恐縮ですが、お三方を代表して、雷奈さん、持っていてくださいませんか」
「そうっちゃね……『先の侵攻』みたいなことがまた起こるかもしれんけんね……」
 その予想が当たらないことを祈りつつ、雷奈はこのミニチュア筐体をどのように常時しておこうか考え始めた。お守りのように鞄につけてもいいし、ペンダント風にアレンジするのもいいかもしれない。単にポケットに入れるだけでは、着替えたら忘れてしまいそうだし、最悪の場合、洗濯機の中で事切れた状態で発見されるなんてこともあり得なくはない。
 雷奈が素材になりそうなものを探して鏡台をあさっている間に、芽華実がうかがうように木雪に尋ねた。
「木雪は……戦闘員ではないのよね?」
「ええ、開発部員は戦闘に赴くことはありませんし、入隊試験でも戦闘力を求められることはありません。一応、希兵隊員として、戦闘の基本や戦術などには精通している必要はありますが、ほとんど執行部や総司令部のお仕事をサポートするためのものです。……例外も、ありましたが」
「例外?」
 木雪はちらりと雷奈を見て、先ほどの彼女の言葉を踏まえるように言った。
「……件の侵攻の際は、本部にもダークが攻めてきて……執行部員は総出でしたので、私や本部待機の医療班だった深翔さんも、籠城での戦闘を余儀なくされました。本心を言うと、戦える気などしていなかったのですが、背水の陣だと思うと、不思議と度胸がついたものです」
 木雪はルシル達よりも古株だそうで、となると当然、先の侵攻の経験者だ。下手をすればここにはいなかったかもしれない人物なのだ。
「けれど、そんなことを言ってはおこがましいかもしれませんね。今日ここへ案内してくれたルシルさん含め、死地へ乗り込んだ執行部の方達の胸中は、私などが察するに余りあるでしょう」
 まるで肩身が狭いかのように、肩をすくめて木雪は小さく笑った。大人びた木雪だが、こうした笑顔は可憐な少女のそれだ。
 ちなみに、この場にルシルはいない。木雪を神社まで連れてきた後、もう一人の案内対象を迎えにワープフープへ戻っている。あんな小柄ななりでも、執行部で二番目に強い隊員だ。それが、特に危険があるわけでもないのに、護衛という名の送り迎え要員に使われているというのは、平和な証だろう。
「でも、その執行部を技術的に支えてるのが開発部なんだろ? それはそれで胸張るべきだって」
「氷架璃の言う通りだわ。クロ類検出センサーを作ったのも開発部なんでしょう?」
「あの総造学研究科ってところがやってそうな仕事っちゃね」
 氷架璃と芽華実の言葉に「恐縮です」と気恥ずかしそうにしていた木雪は、雷奈の一言でぱちぱちと目をしばたたかせた。
「総造学研究科……」
「学院にそういう研究科があるって聞いたったい。そこ出身の子と知り合いで……」
 他でもない、叶ユメのことだ。ユークリッドの玉手箱だの、キュリー夫人の更衣室だの、トンデモなブツを作ってきたキュートな発明家は、ああ見えてせつなと同じく応用科卒業生なのだ。
 だから、機材開発の手腕があり、頭も良さそうな木雪の次の言葉に、一同は驚きもしなかった。
「私も、総造学研究科の卒業生なんです」
 むしろ、それに続いて紡がれた言葉の方が、彼女らにとって意外だった。
「しばらくその後も学院におりましたが、希兵隊の開発部に転職しまして」
「え、じゃあ木雪って、もしかして学院研究者だったの?」
「ええ、まあ……」
「なして希兵隊に? 警察・消防機関より研究機関にいる方が似合いそうやのに」
「……それは」
 木雪の声が小さくなり、上品な指先がそっと口元を隠した。そのまま、眼鏡の奥の視線を伏せる。
 思いがけずやわい部分に触れてしまった感触に、少しの間、沈黙が落ちた。
 一呼吸して、氷架璃が投げる。
「オイ、雷奈」
「ハイ」
「想像力を働かせて考えてみろ。あんたがどれだけ成績優秀で前途洋々な生徒だったとしても、皇を去る可能性は十分あるだろ」
「なきにしもあらずったい」
「例えば食堂と購買の食糧全部食い散らかして退学とか」
「やりかねんですたい」
「学費全部買い食いにつぎ込んで退学とか」
「否定できんですたい」
「芽華実もそう思うだろ」
「え、ええ、花壇のお花全部摘んじゃって、とか」
「そうそう、花盗人とて退学対象。だからな、いかに頭脳明晰で将来有望な木雪も、何らかの事情があっておかしくないんだって」
「そうだと思うったい」
「あんたほどムチャクチャな理由じゃないとは思うけど」
「勝手に想像しといて失礼な!?」
 とっさにツッコんだ雷奈の声に、木雪がくすりと声を漏らした。そのままくすくすと肩を揺らす彼女に、雷奈たちは幾分かほっとした。
「とにかく、これ、預からせてもらうったい。反応するようなことが起こらんことを祈りながら」
「ええ、よろしくお願いします」
 木雪は一礼すると立ち上がった。そうするとわかる、すらりと高い身長をうらやましそうに見上げながら、雷奈も立ち上がる。
「帰りは護衛なくて大丈夫と?」
「ええ、ご心配なく。ルシルさんに来ていただいたのは、ほぼ道案内です。一人でも身を守れるよう、持ってきているものが…………」
「お、何か物騒な武器でも隠してんの?」
 氷架璃に期待のまなざしで見つめられた木雪は、ソレを白衣のポケットから取り出した。
「いえ、クロ除けの鈴です」
「クマ除けみたいなノリで!?」
「音は鳴りませんが、クロを寄せ付けない効果があるんです」
「そのおもちゃみたいな真っ黄色の鈴でか!?」
「子供たちの間ではポピュラーなグッズだよ。ねぇ、フー」
「ええ、私達も昔持ってたわ」
 アワとフーまでそう言うのだから、そうなのだろう。雷奈たちにとっては防犯ブザーのようなものということだ。
「なので、ご心配なく。それでは、お邪魔いたしました」
 ぺこりと礼をして、木雪は部屋を後にした。雷奈とともに、他のメンバーも鳥居まで見送りに行く。……一人を除いて。
「ごめんね、木雪。雷華ったら、我関せずって感じで。見送りもせんし」
「いえ、どうぞお構いなく。クールな方ですね」
「この水晶氷架璃、途中から雷華の存在を忘れていたであります」
「それはひどいね」
「んだと、いい子ぶりやがって!」
 氷架璃がアワのほっぺを引き伸ばして頭部の縦横比を変えている間に、木雪は雷奈たちに見送られて帰って行った。
「それにしても」
 改めて、雷奈は手に握ったままの物体を眺めた。ちんとおとなしく雷奈の手中に収まっている、小さな黒い筐体は、考えた末、ストラップとしてスマホにつけておくことにした。そうすれば、どんな用事でどこへ出かけていても常時することができる。
「にしても、この小さいのが、チエアリば検出して、けたたましいアラートを、ねえ」
「さすが、対クロ類専門機関ね。画期的だわ」
「ばってん、まだ実証実験ができとらんけん、未完成といえば未完成っちゃろ? ちょっと不安」
「チエアリなんかには会わないに越したことはないけれど、それだとこの機械は完成しない。複雑ね」
 芽華実とフーの言葉を聞きながら、雷奈はつまみあげたセンサーを空にかざして見る。
 仰角を下げて、参道の先へ。
 隣でまだじゃれているアワと氷架璃へ。
 鳥居の方へ――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

(完結)「君を愛することはない」と言われて……

青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら? この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。 主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。 以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。 ※カクヨム。なろうにも時差投稿します。 ※作者独自の世界です。

念動力ON!〜スキル授与の列に並び直したらスキル2個貰えた〜

ばふぉりん
ファンタジー
 こんなスキルあったらなぁ〜?  あれ?このスキルって・・・えい〜できた  スキル授与の列で一つのスキルをもらったけど、列はまだ長いのでさいしょのすきるで後方の列に並び直したらそのまま・・・もう一個もらっちゃったよ。  いいの?

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...