フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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12.文武抗争編

57モノクロームの君 ①

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 いうなれば、親指サイズのトランシーバー。
 それが、雷奈の手のひらに乗せられた物体だった。
「これが……」
「『チエアリ検出センサー、但し試作品につき動作性未検証』です」
 下の句が上の句を一気に心もとなくさせる名称を謳い上げた彼女は、悪びれもせずにっこりと顔をほころばせた。
 いつもの神社の一室にて、雷奈たちが相対しているのは、執行着をまとわないもう一つの希兵隊部署の者だった。
 クセのある桜色のロングヘアが華やかな、女性になりつつある十八歳の少女。メガネの奥の紺碧の目は穏やかで、オフィスカジュアル風の服装も手伝って、大人びた温和な印象だ。
 だが、彼女が一番上に羽織っているものが、その威厳ある正体と本性を物語っている。
 知の象徴、白衣――彼女こそ、希兵隊の技術開発の本丸・開発部の長、花雛はなひな木雪こゆきだ。
「これ、木雪が作ったと?」
「もちろん私だけではなく、他の開発部員達との共同開発です。責任者は私ですが」
「これでチエアリの出現がわかるのね?」
「ボクたちでさえ気配を感じることのできないチエアリを、このセンサーは感知できるのか……」
「理論上は。ただ、先ほども言いましたが、動作は未検証です。なぜなら、それが正しく働くかを調べるには、実際にチエアリに近づかなければなりませんから」
「そりゃ検証できないわけだ」
 氷架璃と芽華実、そして猫姿のアワとフーも、雷奈の手の上の筐体をまじまじと見つめた。一見して、食玩のおまけのようなシンプルななりだが、中はとんでもなく緻密な構造になっているらしい。もし副題を返上する代物なら、チエアリの不意打ちを防ぎ、逆に奇襲を可能にする強い味方になるだろう。
「ガオンを黒幕とするチエアリの最後の一体であるホムラは消滅しました。ですが、ガオンに関わらず、チエアリは出現するときはするものです。試作品で恐縮ですが、お三方を代表して、雷奈さん、持っていてくださいませんか」
「そうっちゃね……『先の侵攻』みたいなことがまた起こるかもしれんけんね……」
 その予想が当たらないことを祈りつつ、雷奈はこのミニチュア筐体をどのように常時しておこうか考え始めた。お守りのように鞄につけてもいいし、ペンダント風にアレンジするのもいいかもしれない。単にポケットに入れるだけでは、着替えたら忘れてしまいそうだし、最悪の場合、洗濯機の中で事切れた状態で発見されるなんてこともあり得なくはない。
 雷奈が素材になりそうなものを探して鏡台をあさっている間に、芽華実がうかがうように木雪に尋ねた。
「木雪は……戦闘員ではないのよね?」
「ええ、開発部員は戦闘に赴くことはありませんし、入隊試験でも戦闘力を求められることはありません。一応、希兵隊員として、戦闘の基本や戦術などには精通している必要はありますが、ほとんど執行部や総司令部のお仕事をサポートするためのものです。……例外も、ありましたが」
「例外?」
 木雪はちらりと雷奈を見て、先ほどの彼女の言葉を踏まえるように言った。
「……件の侵攻の際は、本部にもダークが攻めてきて……執行部員は総出でしたので、私や本部待機の医療班だった深翔さんも、籠城での戦闘を余儀なくされました。本心を言うと、戦える気などしていなかったのですが、背水の陣だと思うと、不思議と度胸がついたものです」
 木雪はルシル達よりも古株だそうで、となると当然、先の侵攻の経験者だ。下手をすればここにはいなかったかもしれない人物なのだ。
「けれど、そんなことを言ってはおこがましいかもしれませんね。今日ここへ案内してくれたルシルさん含め、死地へ乗り込んだ執行部の方達の胸中は、私などが察するに余りあるでしょう」
 まるで肩身が狭いかのように、肩をすくめて木雪は小さく笑った。大人びた木雪だが、こうした笑顔は可憐な少女のそれだ。
 ちなみに、この場にルシルはいない。木雪を神社まで連れてきた後、もう一人の案内対象を迎えにワープフープへ戻っている。あんな小柄ななりでも、執行部で二番目に強い隊員だ。それが、特に危険があるわけでもないのに、護衛という名の送り迎え要員に使われているというのは、平和な証だろう。
「でも、その執行部を技術的に支えてるのが開発部なんだろ? それはそれで胸張るべきだって」
「氷架璃の言う通りだわ。クロ類検出センサーを作ったのも開発部なんでしょう?」
「あの総造学研究科ってところがやってそうな仕事っちゃね」
 氷架璃と芽華実の言葉に「恐縮です」と気恥ずかしそうにしていた木雪は、雷奈の一言でぱちぱちと目をしばたたかせた。
「総造学研究科……」
「学院にそういう研究科があるって聞いたったい。そこ出身の子と知り合いで……」
 他でもない、叶ユメのことだ。ユークリッドの玉手箱だの、キュリー夫人の更衣室だの、トンデモなブツを作ってきたキュートな発明家は、ああ見えてせつなと同じく応用科卒業生なのだ。
 だから、機材開発の手腕があり、頭も良さそうな木雪の次の言葉に、一同は驚きもしなかった。
「私も、総造学研究科の卒業生なんです」
 むしろ、それに続いて紡がれた言葉の方が、彼女らにとって意外だった。
「しばらくその後も学院におりましたが、希兵隊の開発部に転職しまして」
「え、じゃあ木雪って、もしかして学院研究者だったの?」
「ええ、まあ……」
「なして希兵隊に? 警察・消防機関より研究機関にいる方が似合いそうやのに」
「……それは」
 木雪の声が小さくなり、上品な指先がそっと口元を隠した。そのまま、眼鏡の奥の視線を伏せる。
 思いがけずやわい部分に触れてしまった感触に、少しの間、沈黙が落ちた。
 一呼吸して、氷架璃が投げる。
「オイ、雷奈」
「ハイ」
「想像力を働かせて考えてみろ。あんたがどれだけ成績優秀で前途洋々な生徒だったとしても、皇を去る可能性は十分あるだろ」
「なきにしもあらずったい」
「例えば食堂と購買の食糧全部食い散らかして退学とか」
「やりかねんですたい」
「学費全部買い食いにつぎ込んで退学とか」
「否定できんですたい」
「芽華実もそう思うだろ」
「え、ええ、花壇のお花全部摘んじゃって、とか」
「そうそう、花盗人とて退学対象。だからな、いかに頭脳明晰で将来有望な木雪も、何らかの事情があっておかしくないんだって」
「そうだと思うったい」
「あんたほどムチャクチャな理由じゃないとは思うけど」
「勝手に想像しといて失礼な!?」
 とっさにツッコんだ雷奈の声に、木雪がくすりと声を漏らした。そのままくすくすと肩を揺らす彼女に、雷奈たちは幾分かほっとした。
「とにかく、これ、預からせてもらうったい。反応するようなことが起こらんことを祈りながら」
「ええ、よろしくお願いします」
 木雪は一礼すると立ち上がった。そうするとわかる、すらりと高い身長をうらやましそうに見上げながら、雷奈も立ち上がる。
「帰りは護衛なくて大丈夫と?」
「ええ、ご心配なく。ルシルさんに来ていただいたのは、ほぼ道案内です。一人でも身を守れるよう、持ってきているものが…………」
「お、何か物騒な武器でも隠してんの?」
 氷架璃に期待のまなざしで見つめられた木雪は、ソレを白衣のポケットから取り出した。
「いえ、クロ除けの鈴です」
「クマ除けみたいなノリで!?」
「音は鳴りませんが、クロを寄せ付けない効果があるんです」
「そのおもちゃみたいな真っ黄色の鈴でか!?」
「子供たちの間ではポピュラーなグッズだよ。ねぇ、フー」
「ええ、私達も昔持ってたわ」
 アワとフーまでそう言うのだから、そうなのだろう。雷奈たちにとっては防犯ブザーのようなものということだ。
「なので、ご心配なく。それでは、お邪魔いたしました」
 ぺこりと礼をして、木雪は部屋を後にした。雷奈とともに、他のメンバーも鳥居まで見送りに行く。……一人を除いて。
「ごめんね、木雪。雷華ったら、我関せずって感じで。見送りもせんし」
「いえ、どうぞお構いなく。クールな方ですね」
「この水晶氷架璃、途中から雷華の存在を忘れていたであります」
「それはひどいね」
「んだと、いい子ぶりやがって!」
 氷架璃がアワのほっぺを引き伸ばして頭部の縦横比を変えている間に、木雪は雷奈たちに見送られて帰って行った。
「それにしても」
 改めて、雷奈は手に握ったままの物体を眺めた。ちんとおとなしく雷奈の手中に収まっている、小さな黒い筐体は、考えた末、ストラップとしてスマホにつけておくことにした。そうすれば、どんな用事でどこへ出かけていても常時することができる。
「にしても、この小さいのが、チエアリば検出して、けたたましいアラートを、ねえ」
「さすが、対クロ類専門機関ね。画期的だわ」
「ばってん、まだ実証実験ができとらんけん、未完成といえば未完成っちゃろ? ちょっと不安」
「チエアリなんかには会わないに越したことはないけれど、それだとこの機械は完成しない。複雑ね」
 芽華実とフーの言葉を聞きながら、雷奈はつまみあげたセンサーを空にかざして見る。
 仰角を下げて、参道の先へ。
 隣でまだじゃれているアワと氷架璃へ。
 鳥居の方へ――。
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