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12.文武抗争編
56ミッション・インパルシヴ ①
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源子侵襲症を患う天河雪那の一日は、朝七時に決まる。
音を鳴らさない、バイブレーションだけで仕掛けたスマホの目覚ましで、七時に起床するのが日課。その瞬間に、体調の良しあしははっきりわかるし、それによって一日の過ごし方が大きく変わってくるのだ。
体調が良い日は、少し伸びをした後すぐに布団から出て、朝ご飯からバディでの仕事から業務後の過ごし方まで、何もかもに心を躍らせる。足取り軽く、てきぱきと出勤準備をして家を飛び出すのである。
逆に体調が悪い日は、まず布団から出られない。くらくらとめまいがして、床に吸い込まれているのかというほど体が重くてたまらなくなる。朝ご飯など口にしようものなら、すぐさま拒絶反応を起こしてもどしてしまう。当然、気分がよくなるまでは出勤もできず、頓服薬をのんで安静にしているしかなくなるのだ。
さて、今日の運勢は。
「……うん、絶好調!」
するするっと布団から抜け出ると、カーテンを開けて大きく伸び。外の晴天に、気分はいやがうえにも上がる。
最近はかなり調子がいいとはいえ、時々は体調が芳しくないことはある。一日を元気よく、予定通りに過ごせるというのは気分がいいものだ。
鼻歌交じりに朝食の準備をし、機嫌よく平らげた後、必要なものを詰めた鞄を源子化して携えて出発する。自宅のアパートは勤務地の学院に近いところを選んだので、通勤時間はさほどかからない。赤レンガの門柱と、開かれた白い門扉のコントラストが美しい正門を抜ければ、垂河村の一の姫は期待の若手研究者に早変わりする。
学院というのはフィライン・エデンの教育・研究機関の総称で、広義にはあちこちに設置されている学校や研究施設も含まれるが、狭義にはそれらを傘下に入れている飛壇中央学院のことを指す。特に、各地に散らばる研究施設はあくまでもフィールドワーク用ということからも分かる通り、研究機関としての拠点は飛壇中央学院のみなのだ。よって、研究者を志した猫たちはこぞって飛壇に上京し、飛壇中央学院の応用科に通うことになる。
しかし、だからといってここには研究機関としての施設しかないかというと、全くそういうわけではなく、就学前の子供が入る幼稚園と義務教育の普通科も大規模なものがそろっている。
正門から入ってすぐの分かれ道を右に行けば幼稚園と普通科の校舎があり、左に進めば応用科の学舎がある。研究者たちが集う研究棟は中央奥だが、そこへつながるのは左の道だけだ。最初の分かれ道が、子供と大人を分かつといってもいい。
子供エリアと大人エリアの中央に座すゴシック調の研究棟は、学院で唯一の四階建てで、最も正門から遠いところにありながら、来校者を堂々と見下ろせる高さだ。右手すぐそばには普通科高学年の校舎やグラウンドがあるのだが、フェンスで仕切られていて行き来できないようになっており、そこへ通う、すなわち学者になるのに必要な能力水準の高さも相まって、普通科の子供たちからは「近くて遠い場所」と呼ばれている。
その近くて遠い研究棟が、せつなの職場でもあるのだが、その前に教務課に寄る。最初の分かれ道の真ん中に、奥に向かって伸びるように建つレンガ造りの棟の一階が教務課だ。ちなみにこの建物は二階建てなのだが、窓の形が一階部分は尖頭アーチ、二階部分は普通の四角というのが特徴だ。
教務課へ行き、毎年度この時期になんだかんだと求められる書類のいくつかを提出。ついでに、少し申し訳なさそうな声音を作って事務方に切り出す。
「あの、研究発表計画書なんですけど、今日締め切りの分、まだ書けてなくて……」
「ああ、大丈夫ですよ。締め切り、ちょうど一週間伸びたので。でも、これ以上は延期されないと思うので、それまでには必ず出すようにお願いしますね」
「はーいっ」
礼を言って教務課を出てから、せつなは「よっし」と小さくガッツポーズをする。
「締切、予想通り伸びてたわね。毎年伸びるんだから」
急がなくて正解、とスキップしながら、細長い建物と建物の間をさらに奥へ進んでいく。そうして眼前に現れるのが、ワープフープ解放の一年前にせつなに門戸を開いた憧れの地、研究棟だ。
入る直前、脇にあるゴミ捨て場に、透明なごみ袋に交じって、中身が見えない真っ黒なそれが一袋あるのを発見した。開けてみずともわかる。中身は大量のリサイクル衣類だ。
「またシルクね」
人目を忍びながらも、副職で出たゴミはちゃっかり回収してもらおうとする友人に、苦笑。本業と副職を混同気味な友人に教務から指摘が入らないことを祈りつつ、玄関先の郵便受けを見ると、学内誌が投函されていた。表紙を眺めながら階段を上っていると、新規採択論文欄に、見慣れた「透里麗楽」の名が乗っていて、「やるじゃん」とつぶやく。
「私も負けてられないわね!」
階段を駆け上がり、二階。両側を研究室に挟まれた、まっすぐに伸びる廊下の中央に出ると、右手に折れてずんずん進む。コの字型の棟の右の翼廊に折れる直前の部屋が、せつなの研究室だ。
人間界でいう大学にあたる応用科の学生は、自分の研究室をもたない。せいぜい共用スペースに小さなブースが与えられるのみだ。彼らは教授や准教授といった指導研究者のもとで勉励し、あるいは仲間と切磋琢磨し、専門分野を極めて卒業する。難関といわれる論文試験、筆記試験、公開口頭試問の三段構えを切り抜けて、晴れて卒業した暁には、研究者への道が開かれる。その道を選んで初めて、学院のこの棟に個人研究室が与えられるのだ。せつなもその一人である。
研究室の広さは十畳ほどあるが、入って右手にあるミニ冷蔵庫や、いつでも横になれるように据えたソファ、そして左右の壁に沿って設置された本棚に、中央奥にどんと置かれた作業机と、いろいろなインテリアのおかげで手狭な印象になってしまった。
本棚や机は学院から支給されたものだが、そのほかはせつなが手ずからそろえたものだ。そして、学院の研究室であろうと、自分の縄張りは自分らしく飾るのがポリシー。そのため、向かって右の棚一列に並ぶファイルボックスはパステルピンクで花柄の透かし彫りが施されたかわいらしいものだし、デスクオーガナイザーは女児向けのおもちゃの鏡台のようなかわいらしいものだし、奥の壁に吊り下げてある「入院上等!」と書かれた掛け軸には、やはりリボンがあしらわれている。
かと思えば、左側の本棚に並ぶ書籍は装丁も厚みもいかめしく、向かいの棚のキュートな品々を圧するように厳然と鎮座している。装飾品をつけると配架しにくくなるため、本の装丁はさすがに改造しにくい。
だが、これが如実に表された天河雪那だ。お茶目な遊び心と、無駄のない知の研鑽の権化。それを両脇に携えて中央に座するのが、彼女の今の生きざまなのだ。
さて、部屋の奥に進んでデスクまでやってきたせつなは、郵便物を机上に下ろすと、それと引き換えに置いてあったノートパソコンを手にし、その場を後にしようとした――ところで、ついでにパソコンと一緒に机の上に置いてあった一冊の本も連れていく。
「名残惜しいけど、返さないとね」
表紙、裏表紙、また表紙と眺めながら、部屋を出て、向かう先は相棒の研究室だ。
***
ミストの研究室は階段を挟んでせつなの部屋とは反対側にある。つまり、階段から出て左手だ。その一番目の扉をノックすると、すでに来ていた親友が迎えてくれた。
「おっはよ、ユキナ。上がる?」
「おはよ。ええ、おじゃまするわね」
レイアウトや壁紙などはせつなの部屋と同じだが、雰囲気は全く違う。せつなと同じように棚に並べているファイルボックスは、白地に茶色い縁取りがされたシンプルなもの。下段には衣装ケースが置かれていて、ブランケットやアームカバー、ネックウォーマーなどの防寒具がしまわれている。寒がりな彼女が冬を越すのに、そして冬以外でも氷猫のせつなの実験に付き合うのになくてはならないものだ。冷気で満ちる実験室で手をこすり合わせるミストに申し訳なさが募って、せつなからプレゼントしたものもある。
そのほか、小さな観葉植物を置いたりもしていて、鮮やかなピンクが散りばめられたせつなの部屋より、幾分か目に優しい落ち着いた内装だ。
「ミスト、これ返すわ。どうもありがとう」
「ああ! 読み終わったんだね! どうだった?」
カバー表紙に「猫力学実験・データ解析(応用編)」と書かれた本を渡しながら、せつなは恍惚とした表情で感想を述べた。
「すっっっごくよかった。他の人にも勧めたいくらい」
「でしょ、でしょ! よかったでしょ!」
「久々に、また何度も読み返したいって思えるほどの傑作だわ」
「ユキナにそこまで言わせるなんてね」
感心したように言いながら、ミストは本のカバーを外した。下から出てきた本体の表紙には、「気弱ちゃんと無口くん」というタイトルロゴと、背中合わせになって互いをちらりとうかがいあう構図の少年少女のイラストが描かれている。
「前巻の最後がああいう展開だったからさー」
「そうそう、これまで登校時間変更作戦とか、給食大盛り作戦とかで何とか気持ちを伝えようとしてた気弱ちゃんが!」
「手旗信号作戦とかモールス信号作戦とかにも手を出した気弱ちゃんがね!」
「ついに勇気を出してラブレターを無口くんの下駄箱に……!」
「そこへイジワル女子たちがラブレターを抜き取って、代わりに上履きに画鋲を入れるとこで終わってて……」
「今回の冒頭で、登校してきた無口くんが、女子たちに『あの子が画鋲を入れてた』って言われたシーンの、次のページがさ……!」
「『あの子はそんなことしない。優しいから』って手旗信号で反論するとこでしょ! しかもそれを陰から見てた気弱ちゃんの赤面でしょ!」
「気弱ちゃんの手旗信号での『好きです』も伝わってたんだと思うと、神回だよねぇ……!」
「これは最終回近いかもねー……さっすが、人間界の産物は斬新だわ……」
「ワープフープ解放に伴って、輸入物が増えつつあるから、今後も楽しみね」
はぁー……と熱っぽいため息をつく二人。
そんな二人の夢見心地を切り裂き、重々しくも激しいロック調の音楽が鳴り響いた。「魔王」だ。
「せ、先生っ!?」
「やばっ、もうこんな時間じゃん!」
時計を見たミストが慌てて本を椅子の上に置き、荷物を抱える。電話に出るのも忘れて、けたたましい「魔王」のメロディを廊下に鳴り響かせながら、猫力学者・幸村の研究室へと急ぐ不肖の弟子たちだった。
音を鳴らさない、バイブレーションだけで仕掛けたスマホの目覚ましで、七時に起床するのが日課。その瞬間に、体調の良しあしははっきりわかるし、それによって一日の過ごし方が大きく変わってくるのだ。
体調が良い日は、少し伸びをした後すぐに布団から出て、朝ご飯からバディでの仕事から業務後の過ごし方まで、何もかもに心を躍らせる。足取り軽く、てきぱきと出勤準備をして家を飛び出すのである。
逆に体調が悪い日は、まず布団から出られない。くらくらとめまいがして、床に吸い込まれているのかというほど体が重くてたまらなくなる。朝ご飯など口にしようものなら、すぐさま拒絶反応を起こしてもどしてしまう。当然、気分がよくなるまでは出勤もできず、頓服薬をのんで安静にしているしかなくなるのだ。
さて、今日の運勢は。
「……うん、絶好調!」
するするっと布団から抜け出ると、カーテンを開けて大きく伸び。外の晴天に、気分はいやがうえにも上がる。
最近はかなり調子がいいとはいえ、時々は体調が芳しくないことはある。一日を元気よく、予定通りに過ごせるというのは気分がいいものだ。
鼻歌交じりに朝食の準備をし、機嫌よく平らげた後、必要なものを詰めた鞄を源子化して携えて出発する。自宅のアパートは勤務地の学院に近いところを選んだので、通勤時間はさほどかからない。赤レンガの門柱と、開かれた白い門扉のコントラストが美しい正門を抜ければ、垂河村の一の姫は期待の若手研究者に早変わりする。
学院というのはフィライン・エデンの教育・研究機関の総称で、広義にはあちこちに設置されている学校や研究施設も含まれるが、狭義にはそれらを傘下に入れている飛壇中央学院のことを指す。特に、各地に散らばる研究施設はあくまでもフィールドワーク用ということからも分かる通り、研究機関としての拠点は飛壇中央学院のみなのだ。よって、研究者を志した猫たちはこぞって飛壇に上京し、飛壇中央学院の応用科に通うことになる。
しかし、だからといってここには研究機関としての施設しかないかというと、全くそういうわけではなく、就学前の子供が入る幼稚園と義務教育の普通科も大規模なものがそろっている。
正門から入ってすぐの分かれ道を右に行けば幼稚園と普通科の校舎があり、左に進めば応用科の学舎がある。研究者たちが集う研究棟は中央奥だが、そこへつながるのは左の道だけだ。最初の分かれ道が、子供と大人を分かつといってもいい。
子供エリアと大人エリアの中央に座すゴシック調の研究棟は、学院で唯一の四階建てで、最も正門から遠いところにありながら、来校者を堂々と見下ろせる高さだ。右手すぐそばには普通科高学年の校舎やグラウンドがあるのだが、フェンスで仕切られていて行き来できないようになっており、そこへ通う、すなわち学者になるのに必要な能力水準の高さも相まって、普通科の子供たちからは「近くて遠い場所」と呼ばれている。
その近くて遠い研究棟が、せつなの職場でもあるのだが、その前に教務課に寄る。最初の分かれ道の真ん中に、奥に向かって伸びるように建つレンガ造りの棟の一階が教務課だ。ちなみにこの建物は二階建てなのだが、窓の形が一階部分は尖頭アーチ、二階部分は普通の四角というのが特徴だ。
教務課へ行き、毎年度この時期になんだかんだと求められる書類のいくつかを提出。ついでに、少し申し訳なさそうな声音を作って事務方に切り出す。
「あの、研究発表計画書なんですけど、今日締め切りの分、まだ書けてなくて……」
「ああ、大丈夫ですよ。締め切り、ちょうど一週間伸びたので。でも、これ以上は延期されないと思うので、それまでには必ず出すようにお願いしますね」
「はーいっ」
礼を言って教務課を出てから、せつなは「よっし」と小さくガッツポーズをする。
「締切、予想通り伸びてたわね。毎年伸びるんだから」
急がなくて正解、とスキップしながら、細長い建物と建物の間をさらに奥へ進んでいく。そうして眼前に現れるのが、ワープフープ解放の一年前にせつなに門戸を開いた憧れの地、研究棟だ。
入る直前、脇にあるゴミ捨て場に、透明なごみ袋に交じって、中身が見えない真っ黒なそれが一袋あるのを発見した。開けてみずともわかる。中身は大量のリサイクル衣類だ。
「またシルクね」
人目を忍びながらも、副職で出たゴミはちゃっかり回収してもらおうとする友人に、苦笑。本業と副職を混同気味な友人に教務から指摘が入らないことを祈りつつ、玄関先の郵便受けを見ると、学内誌が投函されていた。表紙を眺めながら階段を上っていると、新規採択論文欄に、見慣れた「透里麗楽」の名が乗っていて、「やるじゃん」とつぶやく。
「私も負けてられないわね!」
階段を駆け上がり、二階。両側を研究室に挟まれた、まっすぐに伸びる廊下の中央に出ると、右手に折れてずんずん進む。コの字型の棟の右の翼廊に折れる直前の部屋が、せつなの研究室だ。
人間界でいう大学にあたる応用科の学生は、自分の研究室をもたない。せいぜい共用スペースに小さなブースが与えられるのみだ。彼らは教授や准教授といった指導研究者のもとで勉励し、あるいは仲間と切磋琢磨し、専門分野を極めて卒業する。難関といわれる論文試験、筆記試験、公開口頭試問の三段構えを切り抜けて、晴れて卒業した暁には、研究者への道が開かれる。その道を選んで初めて、学院のこの棟に個人研究室が与えられるのだ。せつなもその一人である。
研究室の広さは十畳ほどあるが、入って右手にあるミニ冷蔵庫や、いつでも横になれるように据えたソファ、そして左右の壁に沿って設置された本棚に、中央奥にどんと置かれた作業机と、いろいろなインテリアのおかげで手狭な印象になってしまった。
本棚や机は学院から支給されたものだが、そのほかはせつなが手ずからそろえたものだ。そして、学院の研究室であろうと、自分の縄張りは自分らしく飾るのがポリシー。そのため、向かって右の棚一列に並ぶファイルボックスはパステルピンクで花柄の透かし彫りが施されたかわいらしいものだし、デスクオーガナイザーは女児向けのおもちゃの鏡台のようなかわいらしいものだし、奥の壁に吊り下げてある「入院上等!」と書かれた掛け軸には、やはりリボンがあしらわれている。
かと思えば、左側の本棚に並ぶ書籍は装丁も厚みもいかめしく、向かいの棚のキュートな品々を圧するように厳然と鎮座している。装飾品をつけると配架しにくくなるため、本の装丁はさすがに改造しにくい。
だが、これが如実に表された天河雪那だ。お茶目な遊び心と、無駄のない知の研鑽の権化。それを両脇に携えて中央に座するのが、彼女の今の生きざまなのだ。
さて、部屋の奥に進んでデスクまでやってきたせつなは、郵便物を机上に下ろすと、それと引き換えに置いてあったノートパソコンを手にし、その場を後にしようとした――ところで、ついでにパソコンと一緒に机の上に置いてあった一冊の本も連れていく。
「名残惜しいけど、返さないとね」
表紙、裏表紙、また表紙と眺めながら、部屋を出て、向かう先は相棒の研究室だ。
***
ミストの研究室は階段を挟んでせつなの部屋とは反対側にある。つまり、階段から出て左手だ。その一番目の扉をノックすると、すでに来ていた親友が迎えてくれた。
「おっはよ、ユキナ。上がる?」
「おはよ。ええ、おじゃまするわね」
レイアウトや壁紙などはせつなの部屋と同じだが、雰囲気は全く違う。せつなと同じように棚に並べているファイルボックスは、白地に茶色い縁取りがされたシンプルなもの。下段には衣装ケースが置かれていて、ブランケットやアームカバー、ネックウォーマーなどの防寒具がしまわれている。寒がりな彼女が冬を越すのに、そして冬以外でも氷猫のせつなの実験に付き合うのになくてはならないものだ。冷気で満ちる実験室で手をこすり合わせるミストに申し訳なさが募って、せつなからプレゼントしたものもある。
そのほか、小さな観葉植物を置いたりもしていて、鮮やかなピンクが散りばめられたせつなの部屋より、幾分か目に優しい落ち着いた内装だ。
「ミスト、これ返すわ。どうもありがとう」
「ああ! 読み終わったんだね! どうだった?」
カバー表紙に「猫力学実験・データ解析(応用編)」と書かれた本を渡しながら、せつなは恍惚とした表情で感想を述べた。
「すっっっごくよかった。他の人にも勧めたいくらい」
「でしょ、でしょ! よかったでしょ!」
「久々に、また何度も読み返したいって思えるほどの傑作だわ」
「ユキナにそこまで言わせるなんてね」
感心したように言いながら、ミストは本のカバーを外した。下から出てきた本体の表紙には、「気弱ちゃんと無口くん」というタイトルロゴと、背中合わせになって互いをちらりとうかがいあう構図の少年少女のイラストが描かれている。
「前巻の最後がああいう展開だったからさー」
「そうそう、これまで登校時間変更作戦とか、給食大盛り作戦とかで何とか気持ちを伝えようとしてた気弱ちゃんが!」
「手旗信号作戦とかモールス信号作戦とかにも手を出した気弱ちゃんがね!」
「ついに勇気を出してラブレターを無口くんの下駄箱に……!」
「そこへイジワル女子たちがラブレターを抜き取って、代わりに上履きに画鋲を入れるとこで終わってて……」
「今回の冒頭で、登校してきた無口くんが、女子たちに『あの子が画鋲を入れてた』って言われたシーンの、次のページがさ……!」
「『あの子はそんなことしない。優しいから』って手旗信号で反論するとこでしょ! しかもそれを陰から見てた気弱ちゃんの赤面でしょ!」
「気弱ちゃんの手旗信号での『好きです』も伝わってたんだと思うと、神回だよねぇ……!」
「これは最終回近いかもねー……さっすが、人間界の産物は斬新だわ……」
「ワープフープ解放に伴って、輸入物が増えつつあるから、今後も楽しみね」
はぁー……と熱っぽいため息をつく二人。
そんな二人の夢見心地を切り裂き、重々しくも激しいロック調の音楽が鳴り響いた。「魔王」だ。
「せ、先生っ!?」
「やばっ、もうこんな時間じゃん!」
時計を見たミストが慌てて本を椅子の上に置き、荷物を抱える。電話に出るのも忘れて、けたたましい「魔王」のメロディを廊下に鳴り響かせながら、猫力学者・幸村の研究室へと急ぐ不肖の弟子たちだった。
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