フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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11.七不思議編

55焔フォーミュラ ⑤

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 ホムラとの戦闘が終わり、せつなの搬送について雷奈たちもフィライン・エデンに向かう途中に、朝季から「今どこにいるの?」とメッセージがあった。
 今から希兵隊本部に……とは言えるわけもないので、カラスに追いかけられて学校の外に逃げたところ、せつなが急に倒れてしまい、救急搬送に付き添って行った、と遠からぬ答えを返しておいた。
 熱中症の季節でもないこの時期に、「急に倒れた」など無理のある言い訳だっただろうかと思ったが、前に通院で欠席していたこともあって、何かしらの持病があるものと察してくれたらしい。それ以上の追求はなかった。
「変に詮索しないところが彼女のいいところね」
 せつなは静かに笑った。その言葉にこもるのは、短い期間に築かれた、せつなの朝季への友愛だ。
「で、グラウンドで飛び回ってみんなを襲ってたカラスは、急にぼとぼと落ちてきたらしくて。まるで空中で突然気絶したみたいに」
「ふうん……?」
 せつなは、ちら、と一瞬だけミストに目をやった。
「そういうわけで、この連絡ばくれた時には、無数のカラスがグラウンドに転がってるっていう終末感あふれる状況でした。これ、送られてきた画像」
「うわぁカタストロフ。その後どうしたのよ」
「しばらくしたら目を覚まして、何事もなかったかのようにそれぞれ飛んでったって。事態の収拾がついてから、フェスは再開したっちゃけど、お客さんはほとんど帰っちゃって、閑散とした状態で終了時刻を迎えましたとさ」
「そう……せっかく準備したのにね」
 せつなが残念そうに笑う。
 彼女が光丘中学校に潜入した目的は、より多くの子供たちに氷術を見てもらい、その新鮮な反応や感想を取り入れることだった。それは、ホムラの横槍によって、むなしくも叶わぬものとなってしまった。無念の心中は察するに余りある。
 けれど、それだけではないように見えた。今の彼女は、目的のための手段だったはずのフェスが、そして朝季たちの奔走が、最高の形では結実しなかったことを、心から嘆いているように見えた。
「しかも、朝季たちにもちゃんと挨拶もしないまま、お別れかぁ」
「あら、連絡先は知ってるんだから、落ち着いたらメッセージを送ったらいいじゃない」
「それに、お別れじゃないだろ。また人間のふりして会いに来てもいいんじゃないの」
「そうかしら……フェスが終わったから、彼女らとも、もう……」
 スマホを取り出し、眠っていた間の通知を確認していたせつなの言葉が、ふと止まった。
 しばらく画面を凝視した後、やがて、その目がふっと細められる。
 何か、温かいものを目にしたように微笑んだ後、彼女はスマホをそっとポケットにしまった。
「そうね。……友達だものね」
「そうだぞ! もちろん、私たちもな!」
「これからもよろしくね、せつな」
「次はぜひ、神社に遊びに来るとよ!」
「ありがとう」
 雷奈たちににっこり笑うと、せつなは柊花に礼を言い、まだ心配そうにしているルシルにはデコピンをお見舞いし、悶える彼女を尻目に美雷に向き合った。
「すみません、お世話になりました」
「いいえ、すぐに元気になったみたいでよかったわ。念のため、近いうちにお医者さんへ行ってらっしゃいね」
「はい」
 お見送りするわ、と言う美雷について、せつなとミストは医務室を後にしていった。
 彼女らに続いて出ていこうとしていた雷奈たちは、ルシルに呼ばれて足を止めた。
「雷奈たち、帰る前に少しいいか」
「何ね?」
「今回の一連の出来事、かいつまんで聞かせてもらってはいるが、念のため、一部始終を詳しく聞かせてもらいたい。私から美雷さんに報告しておくのでな」
「うん、よかよ。ちょっと長くなるかもやけど」
「長くなるなら、よそでやりなさいよ! ここ、医務室よ!」
「ああ、そうだな。すまない、柊花。それなら、ゆっくり話せる場を設けたほうがいいな。日を改めようか。神社に出向こうか?」
「そうね、雷奈の部屋ならいつもみたいに話せそうね」
「じゃあ日程だけ合わせとくかー」
「だから、そういうのもよそでやりなさいよ!」
 一刻も早く人間を外に出そうとする柊花をいなしつつ、日取りを決め始めた雷奈たち。
 そんな彼女らを見守る二匹がいた。いつもいた輪の外で、いつもよりほんの少し遠い喧騒を聞きながら、アワは傍らのフーにだけ聞こえる声でぼやいた。
「……なーんか、さ。この距離が寂しいね」
「そうね」
 フーも、三人に視線を投じたまま、苦笑いした。
「ボクたちがいない間に、ほかの人間の友達作って、そこで青春を謳歌してたんだってさ」
「まあ、距離を置いちゃったのは私たちのほうだからね。これからも芽華実たちとともにいるためには強くならなきゃって、躍起になって鍛錬していたけれど……本末転倒ね。私たちの使命は、彼女らとともにいることなのに」
「それは……そうだね。……なんか、空回りしちゃったな。今になってから思う。やっぱり、毎日の放課後、今までみたいに話をしたり、笑いあったりしてればよかったかもって。……ボクたちの関係は、期限付きだから」
 最後の言葉は、フーの耳にわずかに届いた後、空気に溶けて消えた。
 初めからわかっていた。大人になれば、フィライン・エデンとの関係は終わる。わかってはいたが、それは遠い未来のことのように思っていた。
 けれど、最近、雷志の話を耳にするようになって、ようやく実感がわいてきた。
 耀と雷志は、もうフィライン・エデンにやってくることはない。そしてそれはいつか、氷架璃と芽華実、そして雷奈にも訪れる運命だ。
「そうね……でも」
 フーは寂しげな表情の中で、慈しみを込めてパートナーを見つめた。
「たまには、いいんじゃないかしら。いつか時間のループが終わったとき、彼女らのフィライン・エデンとの生活は終わる。けれど、同時に、人間としての学園生活にも幕は下りる。……貴重な時間なのは、どちらも同じよ。彼女らの青春の全てを捧げさせる権利は、私たちにはないわ」
「……その通りだ」
「それに」
 フーの目に、強い光が宿った。家柄に敷かれたレールに背き、自ら選んだ回り道でつかんだ輝きだ。
「空回りなんかじゃない。この数か月間、寂しさと引き換えに手に入れた強さは、無駄になんかならない」
「そうだね」
 それは、アワも同じだ。
 ただの使命感だけでは生まれなかっただろう、本物の絆がもたらした決意。
 己の胸に刻み込むように、アワはそれを、小さくも力強く声に出した。
「……次こそは、守って見せる」
「ええ」
「おーい、アワ、フー!」
 雷奈が二匹のほうを向いて、大きく手招きする。
「ルシルが神社に話聞きに来るって! 日程調整するとよー!」
「アワとフーも聞きたいだろ、私たちの武勇伝!」
「二人の予定も聞かせてちょうだい」
 二匹は顔を見合わせた。そして、自分たちを待つ少女たちへと、改めて目をやる。
 ――この距離が寂しいね。
 とんだ思い違いだ。寂しいはずがあるだろうか。
 だって、当たり前のように振り向いてくれる。当たり前のように名を呼んでくれる。
 そこに、距離などない。
 まるで、背中合わせで違う景色を見ていただけで、本当は初めから隣にいたように。
「おーし、来たな。この日どうよ」
「ちょ、画面光って見えない。スケジュール帳ないの?」
「うっさいな、今日は持ってきてないんだよ!」
「アワ、私のでよかったら。フーも、見える?」
「ええ。……ああ、この日なら大丈夫よ」
「あー……その日は……」
「何だよ、雷奈。デートの予定か?」
「……うん。新発売の期間限定フラッペと」
「延期しろや!」
「売り切れるったい……」
「諦めんな、次の日もあるさ!」
 いつもの喧騒は、すぐそばだ。

***

「じゃあ、気を付けてね」
 最高司令官自らの見送りを受けて、せつなとミストは頭を下げた。
「お邪魔しました。ルシルとコウと、あと今日は会えなかった霞冴にもよろしくお伝えください」
「わたしは、共同任務にあたらせてもらった二番隊のみなさんに!」
「ええ、伝えておくわね。ミストちゃん、今回は力を貸してくれてありがとう。せつなちゃんも、討伐に加勢してくれてありがとう……ではあるけれど、あまり無理しちゃだめよ」
「そーだよ、ユキナ。無理して協力した挙句、倒れて世話になってちゃ、元も子もないよ」
「えへへー、善処します」
 きまり悪そうに頭をかいて笑うせつなを、しばらく微笑を浮かべて見つめていた美雷は、少し考えるそぶりをしてから、「これはまだ非公式だけど」と口を開いた。
「せつなちゃんの能力を見込んで、近々、協力要請をしたいと思っているの。正式には、学院長を通じてお願いすることになると思うから、その時はどうぞ、ご助力賜れると嬉しいわ」
「ぜひぜひ! 希兵隊の力になれるなら、喜んで!」
 至極嬉しそうなせつなを、ミストもほっこりした気持ちで見守っていた。
 思い描いていた形とは違うかもしれないけれど、これもまた、一つの夢の叶い方じゃない? ――そう、思いながら。
 弾む声で美雷と暇乞いを交わしたせつなは、ミストを連れ立って、スキップ交じりに本部を後にした。一度振り返り、まだ見送ってくれている美雷に大きく手を振る。
 門から遠ざかり、せつなの足取りも落ち着いてきたころ、彼女はもう一度、本部を振り返った。美雷はもう中に戻ってしまったようで、その姿はない。
 歩を止め、しばらくそのまま眺めているせつなに、ミストは、そんなにあのお偉いさんに懐いたのかと顔を覗き込み、
「……ユキナ?」
 様子の変わった彼女に、首をかしげた。
 せつなの顔には、嬉々とした色は浮かんでいなかった。何かを思案する研究者のごとき、感情の一切を排した無表情が張り付いていて、その奥が見えない。
「……どうしたの?」
「ううん、別に」
 ミストの視線に気づいて、せつなは小さく微笑むと、前に向き直った。
「……ただ、なんとなーく……」
 再び歩き出した彼女は、長い前髪を耳にかけ直しながら、意識の先端だけを後方に向けると、ただ一言だけを言い置いていった。
「――同類のにおいがしただけよ」
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