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11.七不思議編
54正体ショータイム ②
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警察・消防機関である希兵隊、情報・役所機関である情報管理局と共に三大機関と呼ばれるのが、教育・研究機関である学院だ。
ここを職場と称するなら、教員か研究者。せつなは後者だという。
研究者と名乗る猫とは、これまで二名出会っている。
「ってことは、うららやシルクと同じか」
「そうそう! 二人とも私達の友達よ。研究科は違うけれどね。で、私と同じ研究科、同じ研究室のこちらが!」
「瀧翠都、霧猫です。よろしくね、三人とも!」
両頬を人差し指で指すようにして愛嬌たっぷりの笑みを浮かべるミストに、氷架璃が一言。
「霧猫でミストって。まんまだな。リーフとかもそうだけど」
「こら、氷架璃! いきなり失礼!」
このような時の芽華実の声は、氷架璃も一瞬すくむほど厳しい。
一方、名前をいじられた本人はけろっとした顔で。
「でもさ、人間だって似たような名付け方しない? 八月生まれだから葉月とか、長男だから一男とか、そんな感じで」
「お、確かに」
さすがは研究者というべきか、異世界の知識をも引き合いに出したミストに速やかに論破された氷架璃だったが、こちらもこちらでけろっとしたものだった。
「さてさて、じゃあ行きますか。『これまでのこと』と『これからのこと』を話しながら、ね」
くる、と楽しげに方向転換して、せつなはさっき雷奈たちとやってきた道を引き返すように歩き出した。どこへ行くのかわからないまま、雷奈たちも一応ついていく。
先頭を進むせつなは、人差し指を振りながら話し出した。
「音響学、総造学、社会学……学院には様々な学問の研究科があって、その数だけ研究者がいるわけだけど、私たちの属する猫力学研究科だけ、特徴的な点がある。猫力学者はね、タッグで研究することが多いのよ」
「タッグ……」
「そう。もちろん、パートナーがうまく見つからずに一人で研究する場合もあるけど。タッグを組む場合は、一人は理論家で、もう一人は実践家。理論家は私、実践家はミスト」
人差し指が最後尾を指す。振り返った雷奈たちに、ついてくるミストがにっこりうなずいて補足。
「ちなみに、幸村研究室のテーマは猫力の攻撃応用。ユキナの研究テーマは源子の運動および状態の人為的変容、わたしのは物質型猫術の空間的指向性制御」
「あら、私の研究テーマはそういう包括的概念を扱う基礎研究じゃないけれど」
「でも、検討対象としている事象としてはあってるんじゃないの?」
「それはただの手段であって目的じゃないもの。源子の動的・静的な様相を観測・測定しようと思ったら、もっと数理物理学的アプローチが必要だと思うわ」
「それもそうだね」
聞き手を完全に置いてけぼりにして、議論したいだけして満足すると、せつなは本筋に戻った。
「で、理論家である私は、実践の土台となる理論や概念を作り出さなきゃいけないわけ。それには、既存のものを掘り下げる論理的思考力も大事なんだけど、ひらめきによって創造的な発想をする拡散的思考も大事なのよ。これがなかなか簡単にできるものじゃなくてね」
時折飛び出す難しげな言葉につまずきながら、雷奈たちは駆け足で話についていく。雷奈たちにはなじみのない固い熟語が、せつなにとっては日常的な単語らしい。
「そうして行き詰まった私は、はたと気づいたの。やっぱり視点を変えるって大事だなと。既存の観点から抜け出して、新鮮なモノの見方をするというのは、重要だなと。それはきっと、知識のまっさらな人がそれを見た時の反応に学ぶんだろうなと」
「……え、ちょ、まさか……」
「人間界の子供なんて、まっさらの権化よねぇ」
線がつながった。それが、彼女が児童館にいた理由だったのだ。
「大道芸も考えたけど、ちょうど通りかかった施設の壁にボランティア募集のポスターが貼ってあってさ。手品とかで子供達を楽しませられる方歓迎って書いてあったから、そのまま飛び込んじゃった」
そうして活動していたところを、由実と美由に発見され、スカウトされたというわけだ。
彼女ら曰く、そこでせつなは過冷却水を使って一瞬で紐を凍らせたり、気化熱を利用してフェルトのクリスマスツリーに霜をつけたりと科学ショーを披露して――。
「って、ちょっと待って。猫術の研究のために人間界に来たってことは、科学ショーって言って見せてたのって、全部……」
「そうよ。水中でひもを凍らせたのも、フェルトに霜を降らせたのも、私自身の力。原理の説明を求められたときに科学で説明できる現象を選んだだけよ」
「じゃあ、昨日グラウンドで見せてくれたのも……」
「液体窒素なんて、あんなちゃっちいアルミ瓶で持ち運べるわけないじゃない。ただの軍手で扱えるはずもないし。中身はただのドライアイスよ。科学好き三人娘の中に化学担当がいなくて助かったわ」
唖然とする雷奈たちに、くっくっと肩を揺らして笑ったせつなは、「でも」と穏やかな声で言った。
「由実と美由が私を見つけて、スカウトしてくれたおかげで、もっと色んな人に見てもらえる機会に出会えたんだから、棚からぼたもちとはこのことよ。迎え入れてくれた朝季にも感謝しなくっちゃ」
「迎え入れられた学校で怪談の一つに数えられるのもどうかと思うけどな」
氷架璃の言葉に、後ろでミストがくすくすと笑っている。どうやら、せつなから光丘中の七不思議――六つしかないが――の話は聞いているらしい。
せつなはくるんと外にハネた横髪を触りながら答えた。
「いやぁ、人間界の中学校という新鮮な場所で実践するのも悪くないと思ってね。人のいない遅い時間を選んでたんだけど、まさかバレて怪異に仕立て上げられていたとは。学校の口コミって瞬く間に広がるわねぇ。何か根も葉もない尾ひれがついてるようだったけれど」
「古の氷魔法使いって言われとったね」
「失礼よねぇ、ぴちぴちの十四歳よ」
頬に手を当ててしなを作って見せる。おどけているのだろうが、所作には妙に品があり、雑誌モデルのように絵になる。
「で、やっぱり、あの夜も、校舎に?」
「ええ」
モデルポーズをやめて体の後ろで手を組み、少し落ち着いたトーンで言った。
「あの夜もデモンストレーションのために忍び込んだんだけど、妙な気配は感じていたわ。何かいるな、とは思っていたけど、クロはもう人間界で発生しないと思ってたから、クロではない何かの可能性を考えて、様子を見ていたのよ。そしたら、急に騒がしくなって、見ればあなたたちがグラウンドに乗り込んできてたわけ。その後もしばらく観察していたけれど、やっぱりただのクロのようだったから、ちょっと寒い風を吹かせて追っ払ってやったの。あの程度、氷術を使うまでもないわ」
氷術。
フェルトに霜を下ろし、物を凍らせ、冷気の風を発する力をもつ彼女の猫種は問うまでもない。
「あなたは……氷猫」
「ええ。霧猫のミストの前で言うことじゃないけれど、少ーしばかり珍しいかしら」
雷奈たちは、まるで知らない国からの帰国子女を見つめるように、初めて出会う氷雪使いの少女を眺めた。
遺伝の関係で霧猫は少ないという話はいつだったか聞かされたことがあり、実際、時尼の二人しか見たことがない。しかし、これまでたくさんの猫たちと出会ってきたが、氷猫と名乗る者に出会ったのは初めてではないだろうか。
だが、その存在は既知の事項であった。先の侵攻で霞冴の行く手を阻んだというのは氷のチエアリだったそうだし、雷奈たちのよく知る河道ルシルの妹は、氷猫だったと聞いている。
「猫力の研究をするのに、猫種が違う二人でタッグ組んでんのか?」
「研究科に進むひとは一握りなのよ。同じ猫種で組めるほうがラッキーだわ。それに大事なのは相性と考え方の方向性の一致。私は相棒がミストで大満足」
「わたしもユキナで大満足」
ねー、と息ぴったりに首を傾げあう二人に、そういうものか、と納得しつつ、雷奈は先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「ところでっちゃけど、せつな」
「ん?」
「なして私たち、ワープフープに来とーと?」
「なしてって、決まってるじゃない。人間界に行くためよ」
自明も自明な答えを、いたずらっぽい笑みで口にする。どうやら雷奈の問いの真意をわかった上で、すっとぼけたようなことを言っているようだったが、ご期待に応えて、具体的に、丁寧に、訊いてやる。
「……なして、ワープフープを通って、人間界へ、行くとですか」
「それが、『これからのこと』よ」
冗長な会話さえ楽しむように、せつなは表情を緩ませた。そのまま、ワープフープに足を踏み入れ、青い光に包まれる。雷奈たちも後を追うと、視界はたちまち、路地裏とそこにたたずむせつなの後ろ姿に変わる。
「ミストは猫術の空間的指向性を専門とする実践家。それが意味するは、空間内の源子の所在、流動、濃度に敏感ということ」
せつなは胸を張ってそう言い、相棒を振り返った。得意げな視線を受けて、ミストは嬉しそうに顔をほころばせる。雷奈たちには、その笑顔が、自分が褒められたことというより、パートナーが誇らしげにしていることへの喜びを映しているように見えた。
「細かいことは取っ払って結論から言うわ。ミストは三日以内なら、過去もさかのぼって源子の残滓を検知できる」
「源子の残滓を、検知……」
言葉の意味は分からないでもない。つまり、ミストは最大で三日前の源子がそこにあるか、どのように動いていたか、どれくらいあったかを感知することができると言っているのだ。
けれど、何の脈絡もなくミストの特技を紹介されても、それがどう「これからのこと」に繋がるのか、皆目見当もつかない。まるで雷奈達が必死に掴もうとしている糸を、せつながつまんで意地悪く先端を揺らしているかのようだ。
「行方不明になっていた犬達のうち、一匹でもいいんだけど、今の居場所、わからない?」
再び、脈絡のない発言。
いい加減に順を追って話せ、と噛みつきたくなってきた雷奈と氷架璃をよそに、芽華実がおっとりと答える。
「もしかしたら、なんだけど……あの群れにいた白いチワワ、ミルクちゃんかも」
「誰だよミルクちゃん」
「ほら、忘れたの? 初めて希兵隊に出会った時よ。蘭華と一緒に、迷子になった犬のお家を探したでしょう?」
「ああ! 蘭華も迷子になっとったあの時っちゃね! 確か、首輪に名前が彫られてたとよね。で、飼い主の名前は……斉藤さん?」
「鈴木さんじゃなかったか?」
「佐藤さんよ」
苦味を噛み殺しきれない微笑で芽華実が言った。
「佐藤さんの家なら、道は覚えてるけど……せつな、そろそろ教えて。ミストの能力とか、犬の居場所とか、いったい何の話がしたいの?」
芽華実の真剣な眼差しに負けたか、あるいは元からこの辺りを引き際に決めていたのか、せつなはようやく、手にした糸口を三人に差し出した。
「犬が誘拐されたとか、かと思えば群れで見つかっただとか、そういうのは全部抜きにして。犬が激しく人を襲う……何か心当たりはない?」
「心当たり、って……特に覚えはございませんが」
「いや、待って」
一度、同じような目にあったことがある気がして、雷奈は記憶をたどった。少し前に、動物に襲われかけたことがあったはずだ。
そう、雷奈たちは結局ことなきを得たものの、本来は襲ってくるはずのない獣が――。
「――……」
氷架璃と芽華実も、同時に思い当たったようだった。さっと顔を青ざめさせる。
「マジかよ……」
「そんな、まさか……」
「そのまさかの可能性を考慮しなければならないでしょうね」
せつなはうなずき、ミストに視線を配した。
「フィライン・エデンが関わっているなら、どんな力であれ、おそらく源子を介している。ということは、術をかけられた犬には、源子の痕跡が残るはずよ。さて、それを調べることができるのは?」
残りのメンバーも一斉に、せつなの視線の先を追った。期待を一身に受けたミストは、にっこりと笑って見せる。
話がまとまったところで、せつながぱんぱんと手を叩いた。
「そういうこと。さあ、芽華実。わかったら早く、佐々木さんのところへ案内してちょうだい」
「……佐藤さんだってば」
ちなみに、佐々木などフィライン・エデンでは多い名字というわけでもなく、せつなのいつものおふざけである。
ここを職場と称するなら、教員か研究者。せつなは後者だという。
研究者と名乗る猫とは、これまで二名出会っている。
「ってことは、うららやシルクと同じか」
「そうそう! 二人とも私達の友達よ。研究科は違うけれどね。で、私と同じ研究科、同じ研究室のこちらが!」
「瀧翠都、霧猫です。よろしくね、三人とも!」
両頬を人差し指で指すようにして愛嬌たっぷりの笑みを浮かべるミストに、氷架璃が一言。
「霧猫でミストって。まんまだな。リーフとかもそうだけど」
「こら、氷架璃! いきなり失礼!」
このような時の芽華実の声は、氷架璃も一瞬すくむほど厳しい。
一方、名前をいじられた本人はけろっとした顔で。
「でもさ、人間だって似たような名付け方しない? 八月生まれだから葉月とか、長男だから一男とか、そんな感じで」
「お、確かに」
さすがは研究者というべきか、異世界の知識をも引き合いに出したミストに速やかに論破された氷架璃だったが、こちらもこちらでけろっとしたものだった。
「さてさて、じゃあ行きますか。『これまでのこと』と『これからのこと』を話しながら、ね」
くる、と楽しげに方向転換して、せつなはさっき雷奈たちとやってきた道を引き返すように歩き出した。どこへ行くのかわからないまま、雷奈たちも一応ついていく。
先頭を進むせつなは、人差し指を振りながら話し出した。
「音響学、総造学、社会学……学院には様々な学問の研究科があって、その数だけ研究者がいるわけだけど、私たちの属する猫力学研究科だけ、特徴的な点がある。猫力学者はね、タッグで研究することが多いのよ」
「タッグ……」
「そう。もちろん、パートナーがうまく見つからずに一人で研究する場合もあるけど。タッグを組む場合は、一人は理論家で、もう一人は実践家。理論家は私、実践家はミスト」
人差し指が最後尾を指す。振り返った雷奈たちに、ついてくるミストがにっこりうなずいて補足。
「ちなみに、幸村研究室のテーマは猫力の攻撃応用。ユキナの研究テーマは源子の運動および状態の人為的変容、わたしのは物質型猫術の空間的指向性制御」
「あら、私の研究テーマはそういう包括的概念を扱う基礎研究じゃないけれど」
「でも、検討対象としている事象としてはあってるんじゃないの?」
「それはただの手段であって目的じゃないもの。源子の動的・静的な様相を観測・測定しようと思ったら、もっと数理物理学的アプローチが必要だと思うわ」
「それもそうだね」
聞き手を完全に置いてけぼりにして、議論したいだけして満足すると、せつなは本筋に戻った。
「で、理論家である私は、実践の土台となる理論や概念を作り出さなきゃいけないわけ。それには、既存のものを掘り下げる論理的思考力も大事なんだけど、ひらめきによって創造的な発想をする拡散的思考も大事なのよ。これがなかなか簡単にできるものじゃなくてね」
時折飛び出す難しげな言葉につまずきながら、雷奈たちは駆け足で話についていく。雷奈たちにはなじみのない固い熟語が、せつなにとっては日常的な単語らしい。
「そうして行き詰まった私は、はたと気づいたの。やっぱり視点を変えるって大事だなと。既存の観点から抜け出して、新鮮なモノの見方をするというのは、重要だなと。それはきっと、知識のまっさらな人がそれを見た時の反応に学ぶんだろうなと」
「……え、ちょ、まさか……」
「人間界の子供なんて、まっさらの権化よねぇ」
線がつながった。それが、彼女が児童館にいた理由だったのだ。
「大道芸も考えたけど、ちょうど通りかかった施設の壁にボランティア募集のポスターが貼ってあってさ。手品とかで子供達を楽しませられる方歓迎って書いてあったから、そのまま飛び込んじゃった」
そうして活動していたところを、由実と美由に発見され、スカウトされたというわけだ。
彼女ら曰く、そこでせつなは過冷却水を使って一瞬で紐を凍らせたり、気化熱を利用してフェルトのクリスマスツリーに霜をつけたりと科学ショーを披露して――。
「って、ちょっと待って。猫術の研究のために人間界に来たってことは、科学ショーって言って見せてたのって、全部……」
「そうよ。水中でひもを凍らせたのも、フェルトに霜を降らせたのも、私自身の力。原理の説明を求められたときに科学で説明できる現象を選んだだけよ」
「じゃあ、昨日グラウンドで見せてくれたのも……」
「液体窒素なんて、あんなちゃっちいアルミ瓶で持ち運べるわけないじゃない。ただの軍手で扱えるはずもないし。中身はただのドライアイスよ。科学好き三人娘の中に化学担当がいなくて助かったわ」
唖然とする雷奈たちに、くっくっと肩を揺らして笑ったせつなは、「でも」と穏やかな声で言った。
「由実と美由が私を見つけて、スカウトしてくれたおかげで、もっと色んな人に見てもらえる機会に出会えたんだから、棚からぼたもちとはこのことよ。迎え入れてくれた朝季にも感謝しなくっちゃ」
「迎え入れられた学校で怪談の一つに数えられるのもどうかと思うけどな」
氷架璃の言葉に、後ろでミストがくすくすと笑っている。どうやら、せつなから光丘中の七不思議――六つしかないが――の話は聞いているらしい。
せつなはくるんと外にハネた横髪を触りながら答えた。
「いやぁ、人間界の中学校という新鮮な場所で実践するのも悪くないと思ってね。人のいない遅い時間を選んでたんだけど、まさかバレて怪異に仕立て上げられていたとは。学校の口コミって瞬く間に広がるわねぇ。何か根も葉もない尾ひれがついてるようだったけれど」
「古の氷魔法使いって言われとったね」
「失礼よねぇ、ぴちぴちの十四歳よ」
頬に手を当ててしなを作って見せる。おどけているのだろうが、所作には妙に品があり、雑誌モデルのように絵になる。
「で、やっぱり、あの夜も、校舎に?」
「ええ」
モデルポーズをやめて体の後ろで手を組み、少し落ち着いたトーンで言った。
「あの夜もデモンストレーションのために忍び込んだんだけど、妙な気配は感じていたわ。何かいるな、とは思っていたけど、クロはもう人間界で発生しないと思ってたから、クロではない何かの可能性を考えて、様子を見ていたのよ。そしたら、急に騒がしくなって、見ればあなたたちがグラウンドに乗り込んできてたわけ。その後もしばらく観察していたけれど、やっぱりただのクロのようだったから、ちょっと寒い風を吹かせて追っ払ってやったの。あの程度、氷術を使うまでもないわ」
氷術。
フェルトに霜を下ろし、物を凍らせ、冷気の風を発する力をもつ彼女の猫種は問うまでもない。
「あなたは……氷猫」
「ええ。霧猫のミストの前で言うことじゃないけれど、少ーしばかり珍しいかしら」
雷奈たちは、まるで知らない国からの帰国子女を見つめるように、初めて出会う氷雪使いの少女を眺めた。
遺伝の関係で霧猫は少ないという話はいつだったか聞かされたことがあり、実際、時尼の二人しか見たことがない。しかし、これまでたくさんの猫たちと出会ってきたが、氷猫と名乗る者に出会ったのは初めてではないだろうか。
だが、その存在は既知の事項であった。先の侵攻で霞冴の行く手を阻んだというのは氷のチエアリだったそうだし、雷奈たちのよく知る河道ルシルの妹は、氷猫だったと聞いている。
「猫力の研究をするのに、猫種が違う二人でタッグ組んでんのか?」
「研究科に進むひとは一握りなのよ。同じ猫種で組めるほうがラッキーだわ。それに大事なのは相性と考え方の方向性の一致。私は相棒がミストで大満足」
「わたしもユキナで大満足」
ねー、と息ぴったりに首を傾げあう二人に、そういうものか、と納得しつつ、雷奈は先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「ところでっちゃけど、せつな」
「ん?」
「なして私たち、ワープフープに来とーと?」
「なしてって、決まってるじゃない。人間界に行くためよ」
自明も自明な答えを、いたずらっぽい笑みで口にする。どうやら雷奈の問いの真意をわかった上で、すっとぼけたようなことを言っているようだったが、ご期待に応えて、具体的に、丁寧に、訊いてやる。
「……なして、ワープフープを通って、人間界へ、行くとですか」
「それが、『これからのこと』よ」
冗長な会話さえ楽しむように、せつなは表情を緩ませた。そのまま、ワープフープに足を踏み入れ、青い光に包まれる。雷奈たちも後を追うと、視界はたちまち、路地裏とそこにたたずむせつなの後ろ姿に変わる。
「ミストは猫術の空間的指向性を専門とする実践家。それが意味するは、空間内の源子の所在、流動、濃度に敏感ということ」
せつなは胸を張ってそう言い、相棒を振り返った。得意げな視線を受けて、ミストは嬉しそうに顔をほころばせる。雷奈たちには、その笑顔が、自分が褒められたことというより、パートナーが誇らしげにしていることへの喜びを映しているように見えた。
「細かいことは取っ払って結論から言うわ。ミストは三日以内なら、過去もさかのぼって源子の残滓を検知できる」
「源子の残滓を、検知……」
言葉の意味は分からないでもない。つまり、ミストは最大で三日前の源子がそこにあるか、どのように動いていたか、どれくらいあったかを感知することができると言っているのだ。
けれど、何の脈絡もなくミストの特技を紹介されても、それがどう「これからのこと」に繋がるのか、皆目見当もつかない。まるで雷奈達が必死に掴もうとしている糸を、せつながつまんで意地悪く先端を揺らしているかのようだ。
「行方不明になっていた犬達のうち、一匹でもいいんだけど、今の居場所、わからない?」
再び、脈絡のない発言。
いい加減に順を追って話せ、と噛みつきたくなってきた雷奈と氷架璃をよそに、芽華実がおっとりと答える。
「もしかしたら、なんだけど……あの群れにいた白いチワワ、ミルクちゃんかも」
「誰だよミルクちゃん」
「ほら、忘れたの? 初めて希兵隊に出会った時よ。蘭華と一緒に、迷子になった犬のお家を探したでしょう?」
「ああ! 蘭華も迷子になっとったあの時っちゃね! 確か、首輪に名前が彫られてたとよね。で、飼い主の名前は……斉藤さん?」
「鈴木さんじゃなかったか?」
「佐藤さんよ」
苦味を噛み殺しきれない微笑で芽華実が言った。
「佐藤さんの家なら、道は覚えてるけど……せつな、そろそろ教えて。ミストの能力とか、犬の居場所とか、いったい何の話がしたいの?」
芽華実の真剣な眼差しに負けたか、あるいは元からこの辺りを引き際に決めていたのか、せつなはようやく、手にした糸口を三人に差し出した。
「犬が誘拐されたとか、かと思えば群れで見つかっただとか、そういうのは全部抜きにして。犬が激しく人を襲う……何か心当たりはない?」
「心当たり、って……特に覚えはございませんが」
「いや、待って」
一度、同じような目にあったことがある気がして、雷奈は記憶をたどった。少し前に、動物に襲われかけたことがあったはずだ。
そう、雷奈たちは結局ことなきを得たものの、本来は襲ってくるはずのない獣が――。
「――……」
氷架璃と芽華実も、同時に思い当たったようだった。さっと顔を青ざめさせる。
「マジかよ……」
「そんな、まさか……」
「そのまさかの可能性を考慮しなければならないでしょうね」
せつなはうなずき、ミストに視線を配した。
「フィライン・エデンが関わっているなら、どんな力であれ、おそらく源子を介している。ということは、術をかけられた犬には、源子の痕跡が残るはずよ。さて、それを調べることができるのは?」
残りのメンバーも一斉に、せつなの視線の先を追った。期待を一身に受けたミストは、にっこりと笑って見せる。
話がまとまったところで、せつながぱんぱんと手を叩いた。
「そういうこと。さあ、芽華実。わかったら早く、佐々木さんのところへ案内してちょうだい」
「……佐藤さんだってば」
ちなみに、佐々木などフィライン・エデンでは多い名字というわけでもなく、せつなのいつものおふざけである。
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