フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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11.七不思議編

51降臨コーリング ①

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 四度目の、中学三年の春が来た。
 結局、時はまた四月七日の火曜日でリセットされ、一年前の四月八日、月曜日につながった。
 そろそろ、「新しいカレンダーを買わなくて大変よろしい」などと言っている事態ではなくなりつつあるいつものメンバーは、現在下校中である。
 クラス替えもされず、担任も変わらず、授業内容も同じでいい加減退屈な学校生活になってきた――と思いきや。
「なんで!? なんでカリキュラム変わった!? なんで教科書内容足された!? なんで高校の範囲突っ込んできた!? なんで!?」
「時間のループも、知っての通り、全く同じ歴史を繰り返すわけではないからね……。人々があたかも不可逆的な時間上を生きているように行動する限り、こういうこともあるよ」
「くっ……変更後の授業内容も分かるからって、冷静な意見述べやがって……! 君臨者は何考えてんだよ!」
「たぶん、私たちの勉強事情は考慮してないと思うけど……」
「薄情な! おい、アワ、フー! フィライン・エデン代表として、おたくの世界の神様に物申せ!」
「おたくの世界の文科省に物申しなよ」
 拳を握り締めて歯ぎしりをする氷架璃、それをまあまあとなだめる芽華実、呆れ顔の学ランなアワと苦笑いするセーラー服なフー。そして、後ろを遅れ気味についてくる、最後の一人。
 その最後尾の彼女を、氷架璃が勢いよく振り返る。
「あんたも何か言えよ、雷奈!」
「ん?」
 きょとんとした笑顔で氷架璃を見上げる雷奈の手には、スマホ。
 氷架璃の目が、糾弾の三角になる。
「あんた歩きスマホしてたのかよ! どうりで遅いと思ったわ!」
「危ないわよ、雷奈」
「えへへ、ごめん」
「で、話聞いてたか?」
「え? うん、聞いとった聞いとった」
「確実に聞いてなかっただろ」
「聞いとったよ! 私もそう思うったい! 絶対チョコソースかけたほうがおいしかよ!」
「確実に聞いてなかったな!?」
 気が立っていた氷架璃の矛先が文科省から雷奈に向いた。
 どこをくすぐってやろうかと手をわきわきさせる氷架璃――の眼前に、ずいっとスマホが突き出される。
「見て、氷架璃! 芽華実も! 新しいフラッペ、バナナフレーバーだって!」
 目をキラキラさせる雷奈に、二人は顔を見合わせた。雷奈は歩きながら、熱心に人気チェーンカフェの新作を調べていたのだ。
「絶対チョコソース合うったいね! ね!」
「それの話かよ」
 肩をすくめてため息をつく氷架璃に、芽華実は困ったように笑いながらも、おっとりと言う。
「でも、いいじゃない」
 芽華実の瞳は、スマホを両手で突き出して目を輝かせる無邪気な少女を、この上なく尊いものを見るように映していた。
「こういう日常が、私たちが願った去年のクリスマスプレゼントなんだから」

***

 あの日。
 えぐられた傷口を、空元気の宴で埋めようともがいていた彼女らのもとに、雪とともに奇跡が舞い降りた、聖なる日。
「メリー、クリスマス」
 彼女らが最も望んだプレゼントを持って――というより、プレゼントとなって現れたサンタクロースの姿に、その場は雪の落つ音さえ聞こえてきそうな静寂と化した。
 そしてそれは、直後、歓喜の叫びに打ち破られた。
「うおおおお!」
「雷奈あぁっ!」
 飛びつく氷架璃、抱きつく芽華実。頭を撫で回されて帽子は早々に落ち、髪は乱れ、アワとフーがバタバタと駆け寄って来る頃には、雷奈は自身だけでなく二人の涙であちこち濡れている始末だ。
「なんで!? どういうこと!?」
「今はいいじゃない、雷奈が無事で帰ってきてくれたんだから!」
 氷架璃と芽華実の隙間を狙って、フーも抱きつく。アワも思わず肩を叩きかけて、氷架璃に「セクハラ!」と蹴っ飛ばされた。理不尽に尻もちをつきながらも、やれやれと笑った彼は、部屋の中からおもむろに縁側に出てくる、落ち着き払った少女の嘆息を聞いた。
「騒々しいぞ。とっとと中に入らぬか」
 無表情でそう言う雷華の視線の先、泣き笑いでぐちゃぐちゃになった顔で、氷架璃と芽華実が彼女を振り返る。
「いや、冷静すぎるだろ!? 雷奈が……雷奈が帰ってきたんだぞ! こりゃもう宴だ!」
「宴なら先程からしておったであろう。一喜一憂、忙しない奴らだ。其奴そやつがここへ帰ってくるなど、至極当然のことであろうに」
 呆れた様子でそう返すと、彼女はくるりと踵を返した。
「……雷華」
 その背に、雷奈が呼びかける。
「……もしかして、信じてくれとったと? 私が生きてるって」
「何の話か。生き死にの話などしておらぬ。ここはお前の家で、お前の帰る場所だ。ゆえに、お前がここへ戻ってくるのは必然であろう。く入れ。この寒い時分にあられもない格好をしおって」
 背中を向けたまま、いつもの調子で言うと、雷華はすたすたと部屋の中へ入り、何事もなかったかのように、座布団の上に正座した。
 あられもない――雷華は「冬に似つかわしくない」という意味合いを込めて言ったのだが、肩も太もももむき出しにした露出度の高い服装に、雷奈は「慎ましさのなさ」と解釈し、今さらながら身を縮ませた。
 ほんのついさっきまで、親友たちとの再会に胸が躍るあまり、自身の格好を省みることもなかった。だが、クリスマスケーキの売り子でもここまで媚びたサンタ衣装は着まい。端的に言って、恥ずかしい。
「ご、ごめん、私ったら……氷架璃のアレ、冗談やったよね? ひいとる?」
「私がひくというより、あんたが風邪ひくだろ。とにかく、早く中入れって」
「それにしても、コートも持ってない……というか完全手ぶらじゃない! え、どうやって来たの!?」
 大声を上げた芽華実のセリフに、ようやく一同は気づく。雷奈は、上着はおろか、ハンドバッグの一つも持っていなかった。文字通り着の身着のまま、そこに立っていたのだ。
「さっ……さてはチエアリか!? チエアリが雷奈に取り憑いてんのか!?」
「ち、違うったい! 取り憑かれてなか!」
「じゃあチエアリが雷奈に化けてんのか!?」
「化けてもなか!」
「それなら、チエアリが……」
「チエアリから離れんね! ちゃんと私やけん!」
 普段なら石橋を叩くこともなくスキップで渡る氷架璃が、ここまで用心している。クロガネが雷帆に取り憑いた件や、雷奈が手ぶらでここにいる事実に鑑みれば、無理もないだろう。
 ため息を一つ、雷奈はちらと後ろに視線をやり、きまり悪そうに言った。
「荷物類はね、持って来とるよ。今はサプライズの雰囲気を壊さんように、持ってもらっとるだけ」
「持ってもらってる? 誰に?」
 雷奈が一瞥した先に誰かいるのだろうか、と芽華実がそちらに視線をやる。他の者たちもそれに倣う。
 雷奈は、くるりと後ろを振り返り、参道脇に植わったサカキの木に呼びかけた。ごめん、お待たせ、出てきてよかよ、と。
 声に応じて、木の葉の陰から現れる姿があった。二つ折りにしたコートを抱え、パステルカラーのバッグを斜め掛けにしたその人物を見て、氷架璃と芽華実、そしてアワとフーも、衝撃ともいえる驚愕に頭を揺さぶられた。
 目を見開き、立ちすくんで動けない四人の、予想通りの反応に苦笑いしながら、雷奈は言った。
「とりあえず、中で話すけん、上がろ?」

***

 どこから話そっか。
 雷奈は温かいほうじ茶を喉に通すと、そう口を切った。パーティー用の炭酸飲料もあるが、冷えた体にはこれに限る。
 ガオンとの死闘の後、種子島で何があったのか。行方不明の間、雷奈は何をしていたのか。そして何より、なぜがここにいるのか。
 訊きたいことだらけの友人たちにおあずけを食らわせて、自分は余った一切れのケーキを食らっていた雷奈に、せっかちな氷架璃など、もういっそ雷奈の頭をかちわって中身をのぞいてやろうかとさえ思った。が、間を詰めて雷奈の隣に座った、新たに加わったの前では、そんな暴挙もはばかられる。
 とはいえ、がっついた雷奈はケーキ一切れなど瞬く間にぺろりと平らげてしまったので、本題に入るまでにそう時間はかからなかった。
 食後の茶を飲みながら、頭の中で話の整理をしていた雷奈は、「よし」と一同を見回した。
「たぶん、時系列で話したほうが理解しやすかろうね。だとすると、最初に話すべきは、雷帆と姉貴のことになるったい」
「え、なんで? あんたの話は?」
「まあ聞いてよ」
 光丘神社に来ていた雷帆と雷夢。彼女らは、氷架璃や芽華実たちが希兵隊とともに雷奈を探している間、神社で待機していた。その間に、雷奈が時空洞穴を通って種子島に渡ったことが判明。その報告を、神社を訪れた霊那れいな撫恋なでしこから受けた二人は、直後に神社を発った。次の日からの登校諸々の事情上、乗らなければ間に合わない飛行機があったのだ。そのため、二人は、現住所である宮崎に帰るべく空港に向かった――
「姉貴たちは……宮崎には帰らんかった」
「東京に滞在していたの?」
「いや、飛行機には乗ったばい。ばってん、行先は宮崎やなか。二人は……種子島に来とったとよ」
 当時、ガオンが引き起こした猛吹雪により、上空は到底飛行機が飛べる天候条件ではなかった。だが、それは雷奈たちがいた場所、西之表市辺りだけのことだ。雷帆と雷夢は、天候に異常のない中種子空港に着陸した。
 種子島に飛んだ理由は明快だ。フィライン・エデンに詳しくなくとも、ガオンに立ち向かえる力などなくとも、種子島における土地勘なら誰にも負けない。例えば希兵隊たちが帰り道に困っていたり、日が暮れたりしてしまっても、風景さえ伝えてもらえれば迎えに行けるし、宿に泊められるよう手配もできる。何らかの形で力になれると思ったのだ。
 そして、その二人の行動は、最高の形で結実する。
「姉貴たちのフライト中、私たちは親父と戦ってた。希兵隊の三人、アワとフー、そして氷架璃と芽華実も倒されちゃった後、私は今度こそ親父と決闘した。私は親父を道連れに、山の斜面を落ちていったとよ」
「山? 山だったのか、あそこ?」
「うん、吹雪で見えんかったろうけど、かなり見晴らしのいい展望公園だったとよ。私、一度行ったことがあるのを思い出したと」
「それで、なんか見覚えがある場所な気もする、って言ってたのね」
「で、そこの斜面を落ちていったと。死ぬだろ!?」
「そう。あのままだったら、本当に死んでた」
 冗談めかして言ったその言葉を、冗談成分を抜いてそのまま返され、氷架璃は口をつぐんだ。氷架璃も、芽華実も、アワもフーも皆、その深い闇のような一つの概念に全てを塗りつぶされ、モノクロの一ヶ月を送ってきたのだ。今でこそ軽く口にできた言葉だが、ほんの数十分前まで、到底声にできないほど重く胸の底に沈んでいた単語だった。
 そんな色あせた日常を、目の覚めるような赤と白の衣装で再び彩った雷奈。さすがに今は普段着に着替えた彼女は、その続きを口にした。
「意識を失った私が、再び目覚めたとき、私は種子島のとあるホテルのベッドに寝かされとった。たぶん、雪の上に落ちたからか、落下によるケガは大したことなくて、致命的だったのは低体温だけやったらしくて。やけん、温まったら復活したとよ」
「誰かが見つけてくれた……のか?」
「でも、そしたら普通、ホテルに預けるんじゃなくて救急車を呼ばないかい?」
「アワの言う通りったい。ばってん、私を見つけてくれた人は、
 フーが首を傾げ、あっと声を上げて背を伸ばした。猫姿だったならば、しっぽがぴんと立っていたことだろう。
「携帯電話を持っていなかったとか?」
「まあ、携帯電話も持ってなかった。ばってん……というか、だからこそ、私のスマホば使ったと。私のスマホは、もし私がクロガネがやろうとしたみたいに死体も見つからんような殺され方したとき、私が確かにそこにいたってすぐわかるように、あらかじめロックを解除してあったとよ」
「他人のスマホを使うのも気が引けるけど……使えるには使えたなら、救急車は呼べたんじゃないのかい?」
「いや、それでも呼べんかった。そりゃそうっちゃろ。だって通報したのは――」
 雷奈の視線が動く。左に。彼女の隣に座る人物に。
 それだけで、一同は全てを理解した。
 そうだ。確かに、彼女に救急車は呼べない。呼ぶことができたとして、もしそうしたならば、少し面倒なことになる。
「その代わり、スマホに登録されとる連絡先を見て……に連絡してくれた。そして、連絡を受けたその人物は、まさに種子島に到着したばかりで、すぐにホテルを手配し、遅れて駆けつけてくれて、宿泊費も全部工面してくれた」
 連絡を受けた人物――雷夢は、電話で雷奈たちのいる場所に一番近いホテルの一室を押さえ、タクシーも手配し、「先に入ってて、後で払う!」と妹を引き連れて自身も直行した。
 さすがは長女だ。そして、その長女をずっとそばで見守ってきたからこそ、何とかしてくれると、一番助けになる可能性の高い人物だと、は信じたのだ。
「ひとまず、いったんここで私の話は区切ろうかな。私も気を失ってたわけで、大体は伝聞やけん、その間のこととかは、一部始終を知っとるご本人に直接どうぞ」
 途中から、語り手の雷奈に視線をやるのも忘れて、食い入るように件の人物を見つめていた氷架璃や芽華実たちは、さっと居住まいを正した。
 携帯電話もお金も持ち合わせているはずがなくて、救急隊員に名乗れない立場で、それでも全幅の信頼を寄せる雷夢に助けを求めて、雷奈を救ってくれたその人物は、ここへ来た時からずっと、包容力のある上品な笑顔を浮かべている。
 そんな彼女に、四人は机の天板に額をこすりつけるようにして頭を下げた。
「この度は、雷奈を助けてくれてありがとうございました」
「いいえ。として当然の務めです。こちらこそ、雷奈ちゃんと……そして雷華ちゃんが、いつもお世話になっています」
 言って、彼女は――三日月雷志は、ゆっくりと会釈した。
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