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10.三日月の真相編
48三日月××× ⑧
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滂沱と涙を流し続ける雷奈に、ガオンはフンと鼻を鳴らした。
「安心しろ、怖いからではない。ただの相性の問題だ。それに、お前の始末など、結局はクロやダークで事足りる」
その言葉を合図に、しばらく控えていた星のダークが天の川のごとき奔流を巻き起こした。雪の上を滑って雷奈の足を薙ぎ倒そうと迫る銀の川を、彼女はバネのようなジャンプ力でかわす。身長の数倍の高さに飛び上がりながら、雷奈は両手を突き出し,詠唱も言霊もなしに雷砲を乱れ撃った。不安定な心中を吐き出すように叫び散らしながら。
「っああああ!」
自棄を起こしたようにがむしゃらな雷の砲弾だが、感情のたかぶりがかえって威力を増した。時折あらぬ方向へ飛びながらも、確実に一つ二つと着弾した雷砲は、星のダークの体をみるみるうちに削っていく。これこそが、雷奈が異常であることの証明。人ならざる者であることを示す烙印。その抱えきれない重荷を、一撃一撃に乗せてぶちまける。
と、もう一体のダークが咆哮したかと思うと、硬い木の根が雪を突き破って空中にまで飛び出してきた。削がれたように鋭い先端が、肩やすねをかすめて赤い霧を舞わせるも、もはや痛みは感じない。
オーバーヒートした頭はただ攻撃を命じ、体の奥底から無尽蔵に湧いてくるエネルギーを電撃に変えて撃ち放つ。空を引き裂く轟音が聴覚を支配し、ストロボのごとき閃光が視界を明滅させる。フラッシュが焚かれるごとに縮んでいく草のダークは、さながらパラパラ漫画を見ているかのようだ。もう一体は既に見当たらない。いつ蒸発したのかも知れなかったが、もうどうでもよいことだ。
しなやかに地へ降り立った雷奈は、雪を蹴り上げて疾走しながら一撃の雷砲を放った。しかし、その標的はダークではない。狙ったのは、積雪を突き抜け、天へ向かってそそりたったままの堅肢だ。
真っ直ぐに伸びる根の、地面から約二メートルの箇所に高エネルギーが命中する。柏手のような音とともに焼き切れると、同じ二メートルほどの長さを残した先端は、向こう側へと倒れ伏した。
そこへ向かって走り続ける雷奈。背後の空気のわずかな揺れに気づいて振り向けば、ダークの足元から生えた、鞭のような草のつるが追ってきていた。目が離れている隙を逃すほど、ダークの知性は浅くない。
惜しげもなく舌打ちしながら猛進する雷奈の手から、もう一撃の閃光が奔る。追手の厄介さは承知のうえで、標的はやはり堅肢の残骸だ。残った根をさらに中間点で分断すると、はじかれた上部一メートル分がくるくると宙を舞った。
断面が焦げた、中途半端な長さの、もはや凶器としての性質を失ったただの棒切れ。地に落ち、雪とともに踏みつぶされる運命をたどるかと思われたそれは、滞空の間にパンッと小気味良い音を立てて少女の手中に収まった。小さくも、花や蝶を愛でていてはこうはならない、普通より硬く厚くなった手のひら。そこに握られただけで、ただの棒切れは、縦横無尽に立ち回る得物の道を得る。
「やあッ!」
振り向きざまに薙いだ即席の木刀は、生き物のごとく追ってきたつるを勢いよくはたき落とした。さすがに斬り落とすことは不可能だったが、隙を作るには十分だ。長いつるが蛇のように鎌首をもたげるその前に、雷奈は残すところ高さ二メートル程度になったダークへと方向を切り替えた。
刀身を右後方に寝かせる脇構えで突進してくる雷奈に、ダークはつるではなく自らの触手を伸ばした。黒く揺らめく、実態の有無も怪しい腕は、しかし雷奈の左腕に巻き付いて質量を主張する。
フィライン・エデンの独自的な剣術はともかく、雷奈が得意とする剣道において、左腕は要。さすがにそれをダークが知っていたわけではないが、体の一部の束縛は基本的に優勢だ。
もっとも、雷奈がそれを見越したカウンター手段を持っていなければ、の話だが。
「触るな危険、感電注意ッ!」
得物を右手に預ける。直後、強烈なフラッシュが雷奈の左腕を包んだかと思うと、またたく間に触手を伝って稲妻が駆けた。終着点は、いわずもがな触手の根本、その主だ。腕を切り離す術もないダークの本体に到達した電撃は、巨体を余すことなく包み込み、蹂躙の限りを尽くした。巻き付いていた触手がはじけ飛んだ後も、雷奈の左手からは電流がほとばしり、直接ダーク本体へと苦痛を供給する。
響き渡るダークの絶叫、それをかき消さんばかりに轟く雷鳴。止まぬ猛吹雪の咆哮すら、これには敵わない。
ダークの足元で、電流による熱量に敗した雪が溶けだした。徐々に水となってしぼんでいく積雪。呼応するように、黒い化け物も縮んでいく。
やがて、白と黒のコントラストを描いていた両者は、激しい明滅の中で互いに交じり合い、最後は顔を出した芝の色に溶け込んでいった。
「はあっ……はあっ……!」
荒い息が白く煙って宙を舞う。首筋を流れる汗に寒風が吹きつけ、ややもすれば霜が降りるのではないかというほどの冷感を突き付けてきた。
いい加減、寒さも限界だ。そもそも、十一月の服装でこのような極寒をしのげるはずもない。だというのに、汗による気化熱に加えて、雷を手の先ではなく腕から放出したせいで左肘から下の袖がはじけとび、白い肌が露出している。あまつさえ、 傷を負った脇腹は痛み、体力は消耗の一途。
普段の雷奈なら投げ出したかっただろう。四肢を放り出して倒れこみ、後は野となれ山となれと現実逃避したかっただろう。
だが、振り向いた先に立つ男を一目見たなら、闘志は嫌でも燃え上がり、まばたき一つのうちに電光石火の突貫を仕掛けていた。
「やああぁぁッ!」
跳躍力を利用した肉薄で間合いを詰めると、大きく踏み込み、脇構えの得物を大きく振りぬいた。横腹を思い切り打ち抜いてやろうと全力を乗せたが、先端が浅く服の表面をかすめるだけだ。だが、渾身の一撃とはいえ、外れた打突に一喜一憂する元剣道部員ではない。
すぐさま体勢を整え、正面打ちで襲い掛かる。脳天を狙ったまっすぐな太刀筋。ただの木の根といえど、本物の木刀ほどの太さと、振り下ろしの鋭さは、かけあわさればそれなりの殺傷力を生むだろう。
ガオンの右腕が動く。頭部をかばうというより、片手で白刃取りに臨む気だ。ガオンならやってのけるだろうし、真剣ならまだしも、木の根では手のひらを傷つけることすらできないだろう。
――そう考える頭より、動く体のほうがはるかに早かった。
「ったあぁぁあ!」
ゴッ、と確かな手ごたえと鈍い響き。今まで歩行か回避にしか使われなかったガオンの足が、初めてたたらを踏む不規則な音を生んだ。翻った得物にがら空きの右胴を打ち抜かれたガオンは、脇を抜けていく雷奈に素早く左手を伸ばす。
しかし、雷奈の敏捷な足さばきは、なびく長い髪すらつかむことを許さない。あっという間に一メートル半の距離をとると、武器を構えたまま振り返って残心をとった。
ふーふーと息を荒らげながら、振り向くガオンをにらみつける。何食わぬ顔をしているが、彼の動きはほんのわずかにぎこちなかった。多少なりともダメージはあるのだろう。
剣道の経験があるといえど、当然のこと無防備な人を棒で殴ったことなどない。そんなことをしようと思ったこともない。まして、親に手をあげるなど、子としてあるまじき行為だと思っている。
だが、もう罪悪感も感じなかった。感じている暇などない。さっき相手は、雷奈がためらう間にダークを通して殺しにかかってきたのだ。もとより、彼は倒すべき悪と相成った。父である以上に、この男は。
「なして、こんなことすると……なしてフィライン・エデンば滅ぼして、そのくせに母さんと結婚して普通に暮らして、かと思ったら母さんば殺して、またフィライン・エデンを滅ぼそうとしとると!?」
あまりに身勝手で、残虐で、許しがたい蛮行だ。いくら舌鋒鋭くしたところで足りるものではない。地上すべての非難と糾弾をかき集めて浴びせかけたところで、粛清には至らないだろう。
はなから、その問いにガオンが答えるとは思っていなかった。
ただ、質問で返されるとも思っていなかったので、彼が呆れたように口にした言葉には少々の驚きを覚えた。
「お前はそんな質問をチエアリにも投げかけたのか?」
「……何……!?」
「鋼、炎、念……これまで何度もチエアリをさしむけているが、そいつらにも同じことを尋ねたのか? なぜこんなことをするのか、などと」
雷奈が言葉に詰まるのを見て、ガオンは仕方なさそうに首を振る。
「なぜ俺がフィライン・エデンを滅ぼしたか、だと? 簡単だ。それが本能だからだ。お前たちが生きたいと思うのと同じように、他者となれ合うのと同じように、クロは悪事を働き、ダークは暴力をふるい、チエアリは陰謀を企てる」
生存本能と暴虐を当然のように並べられた。自然界で残酷に獲物を襲う肉食獣だって、生存本能がそうさせているにすぎないのだ。よもや悪行を働かねば存在できないわけでもあるまいに、狩りと同列に並べられるなど、いかがなものか。
だが、クロやダークたちは、フィライン・エデンの住人の負の感情――日躍の言葉を借りるなら「汚い感情」――から生まれた化け物だ。根っからの悪だとしても不思議はないのだろう。
「俺も同じだ。もはや君臨者と同格ともいえる強大な力にあかせて世界を滅ぼし、ほんの余興のつもりで人間と戯れた。だが、やはり本能たる破壊欲求は消えることはなかった。邪魔な雷志も排除したところで力を蓄え、再度の終焉の幕を上げたということだ。時間を遡行したおかげで、今のフィライン・エデンは平和そのもの。実に壊しがいがある」
これを残忍そうな笑みを浮かべて口にすればわかりやすい悪者だが、ガオンの口ぶりは教壇で説くかのような淡々としたものだった。かえってサイコパシーな不気味さは、ある意味、冷酷で非情な黒幕にふさわしいものにも思えた。
そう――こいつが黒幕だ。母との絆を余興と称し、時間遡行してまで世界を潰す感触を何度も味わおうとした、紛うことなき悪者。
それらの所業に信じがたさと怒りを覚えるとともに、雷奈の頭には、一つの可能性が浮かび上がっていた。
「……君臨者と同格って言ったね」
即席の木刀を構えなおし、寒さか怒りかで唇を震わせながら、雷奈は言う。
「確かに、それだけ全能で年もとらんってなったら、神にも等しかろうね。……ばってん、その言い方……まるで比べたことがあるみたい」
君臨者という存在は、学者たちの知の結晶の上に仮定されている。猫力学者も含まれるのであれば、ガオンもまた、君臨者を肯定する者の一人だ。
だが、雷奈の知る限り、誰一人としてその存在を確認できた者はいないはずだ。日躍の登場で、存在は確信めいたものにはなってきているが、今なお全容を見た者はいない。
けれど、持つ能力の数だけでなく、何らかの理由で年齢を重ねないだけでなく、もっと本質的な意味で「君臨者と同格」と言っているのだとすれば。
(親父は……君臨者の何を知って……!?)
その時だ。
爆風というべき強烈な吹雪が横殴りに襲い掛かり、雷奈の細い体をなぎ倒した。手を離した木刀が、あれよあれよという間に飛ばされて転がっていく。雪が礫のように凶暴に雷奈の体を叩いた。目を開けていることもできず、風がやむまでうずくまって、衝撃と切れんばかりの厳寒に耐える。
風は数秒で収まった。目をゆっくりと開けて、まぶたが凍り付かなかったことに安堵を覚える。
が、その安堵もすぐに凍てついた。
「な……」
雷奈の周りには、高さ二メートルはあろう氷の柱がいくつもそそり立っていた。いずれも雷奈の片腕がギリギリ回る太さの、精確な五角錐だ。それが、それぞれ少しずつ傾いてそびえ立ち、中央の空間に雷奈を閉じ込めていた。隙間はあるものの、どれも腕は通れど、体ごと脱出することが叶わない幅だ。拳を打ち付けても、ヒビすら入らない。
ガオンは、いつの間にか現れていた氷のダークを背に、氷柱の檻に捕らえられた雷奈を、その隙間から見下ろしていた。ポケットに手を突っ込んで、無感動に言う。
「先程、君臨者と同格と言ったが、一つ訂正しよう。正確には、君臨者と同格以上だ」
その意味を問おうと喉まで出かかった声は、突如現れた異様な感覚に驚いて引っ込んだ。
寒い。氷柱に風を遮られて感じないはずの極寒が、声すら制して雷奈を襲った。
慌てて見渡した周囲には、白い煙が立ち込めていた。出所は氷柱だ。雷奈を閉じ込める全ての氷柱が、まるでドライアイスのように白い冷気を吐き出していた。
風を遮る氷柱に囲まれているということは、それすなわち、内側に噴出している冷気も外へは逃げないことを意味する。
それに気づいて青ざめる雷奈の耳に、変わらず平坦な講和が届く。
「世界を壊すということがどういうことかわかるか。それは、その世界の神を殺すということだ。俺はフィライン・エデンの神を――君臨者を殺した。君臨者は、俺に屈したんだ」
神を、殺した。源子を振りまき、アワとフーに神託をもたらし、フィライン・エデンの秩序を保つ君臨者を。
フィライン・エデンと出会った初期に耳にして以来、少しずつ情報が増えるにつれて、輪郭をわずかずつ変えていった、神と呼ばれし者。けれど、首尾一貫して変わらない枠組みが一つあった。
君臨者は、フィライン・エデンの頂点だ。世界を、民を見下ろす超越した存在だ。
――その神を、殺したというのか。
身震いをするとともに、めまいがした。続いて目の前がかすんで、どうやらショックを受けたせいだけではないようだと気づく。もう手足を動かすこともままならなかった。
体中の血液が冷えていくのを感じながら、意識が朦朧としていく中で、それでも眼前の光景は幻ではないと確信していた。
ガオンの体の輪郭が揺らぎ、黒々とした陽炎が立つ。大きく膨れ上がっていく暗色の中に溶け込むように、彼の容貌が変化していく。頭部に三角の耳をもつ、四つ足の巨大な獣の姿へ――。
「誇れ、お前は強い。理由は先ほどお前が自分で言った通りだ。お前は普通じゃない。なにせ――」
最後に見たのは、深紅に光る鋭利な双眸をもつ巨大な黒猫の姿で。
最後に聞いたのは、絶望の暗闇に突き落とすのに十分な、言葉の烙印だった。
「――罪深き、神殺しの娘だからな」
「安心しろ、怖いからではない。ただの相性の問題だ。それに、お前の始末など、結局はクロやダークで事足りる」
その言葉を合図に、しばらく控えていた星のダークが天の川のごとき奔流を巻き起こした。雪の上を滑って雷奈の足を薙ぎ倒そうと迫る銀の川を、彼女はバネのようなジャンプ力でかわす。身長の数倍の高さに飛び上がりながら、雷奈は両手を突き出し,詠唱も言霊もなしに雷砲を乱れ撃った。不安定な心中を吐き出すように叫び散らしながら。
「っああああ!」
自棄を起こしたようにがむしゃらな雷の砲弾だが、感情のたかぶりがかえって威力を増した。時折あらぬ方向へ飛びながらも、確実に一つ二つと着弾した雷砲は、星のダークの体をみるみるうちに削っていく。これこそが、雷奈が異常であることの証明。人ならざる者であることを示す烙印。その抱えきれない重荷を、一撃一撃に乗せてぶちまける。
と、もう一体のダークが咆哮したかと思うと、硬い木の根が雪を突き破って空中にまで飛び出してきた。削がれたように鋭い先端が、肩やすねをかすめて赤い霧を舞わせるも、もはや痛みは感じない。
オーバーヒートした頭はただ攻撃を命じ、体の奥底から無尽蔵に湧いてくるエネルギーを電撃に変えて撃ち放つ。空を引き裂く轟音が聴覚を支配し、ストロボのごとき閃光が視界を明滅させる。フラッシュが焚かれるごとに縮んでいく草のダークは、さながらパラパラ漫画を見ているかのようだ。もう一体は既に見当たらない。いつ蒸発したのかも知れなかったが、もうどうでもよいことだ。
しなやかに地へ降り立った雷奈は、雪を蹴り上げて疾走しながら一撃の雷砲を放った。しかし、その標的はダークではない。狙ったのは、積雪を突き抜け、天へ向かってそそりたったままの堅肢だ。
真っ直ぐに伸びる根の、地面から約二メートルの箇所に高エネルギーが命中する。柏手のような音とともに焼き切れると、同じ二メートルほどの長さを残した先端は、向こう側へと倒れ伏した。
そこへ向かって走り続ける雷奈。背後の空気のわずかな揺れに気づいて振り向けば、ダークの足元から生えた、鞭のような草のつるが追ってきていた。目が離れている隙を逃すほど、ダークの知性は浅くない。
惜しげもなく舌打ちしながら猛進する雷奈の手から、もう一撃の閃光が奔る。追手の厄介さは承知のうえで、標的はやはり堅肢の残骸だ。残った根をさらに中間点で分断すると、はじかれた上部一メートル分がくるくると宙を舞った。
断面が焦げた、中途半端な長さの、もはや凶器としての性質を失ったただの棒切れ。地に落ち、雪とともに踏みつぶされる運命をたどるかと思われたそれは、滞空の間にパンッと小気味良い音を立てて少女の手中に収まった。小さくも、花や蝶を愛でていてはこうはならない、普通より硬く厚くなった手のひら。そこに握られただけで、ただの棒切れは、縦横無尽に立ち回る得物の道を得る。
「やあッ!」
振り向きざまに薙いだ即席の木刀は、生き物のごとく追ってきたつるを勢いよくはたき落とした。さすがに斬り落とすことは不可能だったが、隙を作るには十分だ。長いつるが蛇のように鎌首をもたげるその前に、雷奈は残すところ高さ二メートル程度になったダークへと方向を切り替えた。
刀身を右後方に寝かせる脇構えで突進してくる雷奈に、ダークはつるではなく自らの触手を伸ばした。黒く揺らめく、実態の有無も怪しい腕は、しかし雷奈の左腕に巻き付いて質量を主張する。
フィライン・エデンの独自的な剣術はともかく、雷奈が得意とする剣道において、左腕は要。さすがにそれをダークが知っていたわけではないが、体の一部の束縛は基本的に優勢だ。
もっとも、雷奈がそれを見越したカウンター手段を持っていなければ、の話だが。
「触るな危険、感電注意ッ!」
得物を右手に預ける。直後、強烈なフラッシュが雷奈の左腕を包んだかと思うと、またたく間に触手を伝って稲妻が駆けた。終着点は、いわずもがな触手の根本、その主だ。腕を切り離す術もないダークの本体に到達した電撃は、巨体を余すことなく包み込み、蹂躙の限りを尽くした。巻き付いていた触手がはじけ飛んだ後も、雷奈の左手からは電流がほとばしり、直接ダーク本体へと苦痛を供給する。
響き渡るダークの絶叫、それをかき消さんばかりに轟く雷鳴。止まぬ猛吹雪の咆哮すら、これには敵わない。
ダークの足元で、電流による熱量に敗した雪が溶けだした。徐々に水となってしぼんでいく積雪。呼応するように、黒い化け物も縮んでいく。
やがて、白と黒のコントラストを描いていた両者は、激しい明滅の中で互いに交じり合い、最後は顔を出した芝の色に溶け込んでいった。
「はあっ……はあっ……!」
荒い息が白く煙って宙を舞う。首筋を流れる汗に寒風が吹きつけ、ややもすれば霜が降りるのではないかというほどの冷感を突き付けてきた。
いい加減、寒さも限界だ。そもそも、十一月の服装でこのような極寒をしのげるはずもない。だというのに、汗による気化熱に加えて、雷を手の先ではなく腕から放出したせいで左肘から下の袖がはじけとび、白い肌が露出している。あまつさえ、 傷を負った脇腹は痛み、体力は消耗の一途。
普段の雷奈なら投げ出したかっただろう。四肢を放り出して倒れこみ、後は野となれ山となれと現実逃避したかっただろう。
だが、振り向いた先に立つ男を一目見たなら、闘志は嫌でも燃え上がり、まばたき一つのうちに電光石火の突貫を仕掛けていた。
「やああぁぁッ!」
跳躍力を利用した肉薄で間合いを詰めると、大きく踏み込み、脇構えの得物を大きく振りぬいた。横腹を思い切り打ち抜いてやろうと全力を乗せたが、先端が浅く服の表面をかすめるだけだ。だが、渾身の一撃とはいえ、外れた打突に一喜一憂する元剣道部員ではない。
すぐさま体勢を整え、正面打ちで襲い掛かる。脳天を狙ったまっすぐな太刀筋。ただの木の根といえど、本物の木刀ほどの太さと、振り下ろしの鋭さは、かけあわさればそれなりの殺傷力を生むだろう。
ガオンの右腕が動く。頭部をかばうというより、片手で白刃取りに臨む気だ。ガオンならやってのけるだろうし、真剣ならまだしも、木の根では手のひらを傷つけることすらできないだろう。
――そう考える頭より、動く体のほうがはるかに早かった。
「ったあぁぁあ!」
ゴッ、と確かな手ごたえと鈍い響き。今まで歩行か回避にしか使われなかったガオンの足が、初めてたたらを踏む不規則な音を生んだ。翻った得物にがら空きの右胴を打ち抜かれたガオンは、脇を抜けていく雷奈に素早く左手を伸ばす。
しかし、雷奈の敏捷な足さばきは、なびく長い髪すらつかむことを許さない。あっという間に一メートル半の距離をとると、武器を構えたまま振り返って残心をとった。
ふーふーと息を荒らげながら、振り向くガオンをにらみつける。何食わぬ顔をしているが、彼の動きはほんのわずかにぎこちなかった。多少なりともダメージはあるのだろう。
剣道の経験があるといえど、当然のこと無防備な人を棒で殴ったことなどない。そんなことをしようと思ったこともない。まして、親に手をあげるなど、子としてあるまじき行為だと思っている。
だが、もう罪悪感も感じなかった。感じている暇などない。さっき相手は、雷奈がためらう間にダークを通して殺しにかかってきたのだ。もとより、彼は倒すべき悪と相成った。父である以上に、この男は。
「なして、こんなことすると……なしてフィライン・エデンば滅ぼして、そのくせに母さんと結婚して普通に暮らして、かと思ったら母さんば殺して、またフィライン・エデンを滅ぼそうとしとると!?」
あまりに身勝手で、残虐で、許しがたい蛮行だ。いくら舌鋒鋭くしたところで足りるものではない。地上すべての非難と糾弾をかき集めて浴びせかけたところで、粛清には至らないだろう。
はなから、その問いにガオンが答えるとは思っていなかった。
ただ、質問で返されるとも思っていなかったので、彼が呆れたように口にした言葉には少々の驚きを覚えた。
「お前はそんな質問をチエアリにも投げかけたのか?」
「……何……!?」
「鋼、炎、念……これまで何度もチエアリをさしむけているが、そいつらにも同じことを尋ねたのか? なぜこんなことをするのか、などと」
雷奈が言葉に詰まるのを見て、ガオンは仕方なさそうに首を振る。
「なぜ俺がフィライン・エデンを滅ぼしたか、だと? 簡単だ。それが本能だからだ。お前たちが生きたいと思うのと同じように、他者となれ合うのと同じように、クロは悪事を働き、ダークは暴力をふるい、チエアリは陰謀を企てる」
生存本能と暴虐を当然のように並べられた。自然界で残酷に獲物を襲う肉食獣だって、生存本能がそうさせているにすぎないのだ。よもや悪行を働かねば存在できないわけでもあるまいに、狩りと同列に並べられるなど、いかがなものか。
だが、クロやダークたちは、フィライン・エデンの住人の負の感情――日躍の言葉を借りるなら「汚い感情」――から生まれた化け物だ。根っからの悪だとしても不思議はないのだろう。
「俺も同じだ。もはや君臨者と同格ともいえる強大な力にあかせて世界を滅ぼし、ほんの余興のつもりで人間と戯れた。だが、やはり本能たる破壊欲求は消えることはなかった。邪魔な雷志も排除したところで力を蓄え、再度の終焉の幕を上げたということだ。時間を遡行したおかげで、今のフィライン・エデンは平和そのもの。実に壊しがいがある」
これを残忍そうな笑みを浮かべて口にすればわかりやすい悪者だが、ガオンの口ぶりは教壇で説くかのような淡々としたものだった。かえってサイコパシーな不気味さは、ある意味、冷酷で非情な黒幕にふさわしいものにも思えた。
そう――こいつが黒幕だ。母との絆を余興と称し、時間遡行してまで世界を潰す感触を何度も味わおうとした、紛うことなき悪者。
それらの所業に信じがたさと怒りを覚えるとともに、雷奈の頭には、一つの可能性が浮かび上がっていた。
「……君臨者と同格って言ったね」
即席の木刀を構えなおし、寒さか怒りかで唇を震わせながら、雷奈は言う。
「確かに、それだけ全能で年もとらんってなったら、神にも等しかろうね。……ばってん、その言い方……まるで比べたことがあるみたい」
君臨者という存在は、学者たちの知の結晶の上に仮定されている。猫力学者も含まれるのであれば、ガオンもまた、君臨者を肯定する者の一人だ。
だが、雷奈の知る限り、誰一人としてその存在を確認できた者はいないはずだ。日躍の登場で、存在は確信めいたものにはなってきているが、今なお全容を見た者はいない。
けれど、持つ能力の数だけでなく、何らかの理由で年齢を重ねないだけでなく、もっと本質的な意味で「君臨者と同格」と言っているのだとすれば。
(親父は……君臨者の何を知って……!?)
その時だ。
爆風というべき強烈な吹雪が横殴りに襲い掛かり、雷奈の細い体をなぎ倒した。手を離した木刀が、あれよあれよという間に飛ばされて転がっていく。雪が礫のように凶暴に雷奈の体を叩いた。目を開けていることもできず、風がやむまでうずくまって、衝撃と切れんばかりの厳寒に耐える。
風は数秒で収まった。目をゆっくりと開けて、まぶたが凍り付かなかったことに安堵を覚える。
が、その安堵もすぐに凍てついた。
「な……」
雷奈の周りには、高さ二メートルはあろう氷の柱がいくつもそそり立っていた。いずれも雷奈の片腕がギリギリ回る太さの、精確な五角錐だ。それが、それぞれ少しずつ傾いてそびえ立ち、中央の空間に雷奈を閉じ込めていた。隙間はあるものの、どれも腕は通れど、体ごと脱出することが叶わない幅だ。拳を打ち付けても、ヒビすら入らない。
ガオンは、いつの間にか現れていた氷のダークを背に、氷柱の檻に捕らえられた雷奈を、その隙間から見下ろしていた。ポケットに手を突っ込んで、無感動に言う。
「先程、君臨者と同格と言ったが、一つ訂正しよう。正確には、君臨者と同格以上だ」
その意味を問おうと喉まで出かかった声は、突如現れた異様な感覚に驚いて引っ込んだ。
寒い。氷柱に風を遮られて感じないはずの極寒が、声すら制して雷奈を襲った。
慌てて見渡した周囲には、白い煙が立ち込めていた。出所は氷柱だ。雷奈を閉じ込める全ての氷柱が、まるでドライアイスのように白い冷気を吐き出していた。
風を遮る氷柱に囲まれているということは、それすなわち、内側に噴出している冷気も外へは逃げないことを意味する。
それに気づいて青ざめる雷奈の耳に、変わらず平坦な講和が届く。
「世界を壊すということがどういうことかわかるか。それは、その世界の神を殺すということだ。俺はフィライン・エデンの神を――君臨者を殺した。君臨者は、俺に屈したんだ」
神を、殺した。源子を振りまき、アワとフーに神託をもたらし、フィライン・エデンの秩序を保つ君臨者を。
フィライン・エデンと出会った初期に耳にして以来、少しずつ情報が増えるにつれて、輪郭をわずかずつ変えていった、神と呼ばれし者。けれど、首尾一貫して変わらない枠組みが一つあった。
君臨者は、フィライン・エデンの頂点だ。世界を、民を見下ろす超越した存在だ。
――その神を、殺したというのか。
身震いをするとともに、めまいがした。続いて目の前がかすんで、どうやらショックを受けたせいだけではないようだと気づく。もう手足を動かすこともままならなかった。
体中の血液が冷えていくのを感じながら、意識が朦朧としていく中で、それでも眼前の光景は幻ではないと確信していた。
ガオンの体の輪郭が揺らぎ、黒々とした陽炎が立つ。大きく膨れ上がっていく暗色の中に溶け込むように、彼の容貌が変化していく。頭部に三角の耳をもつ、四つ足の巨大な獣の姿へ――。
「誇れ、お前は強い。理由は先ほどお前が自分で言った通りだ。お前は普通じゃない。なにせ――」
最後に見たのは、深紅に光る鋭利な双眸をもつ巨大な黒猫の姿で。
最後に聞いたのは、絶望の暗闇に突き落とすのに十分な、言葉の烙印だった。
「――罪深き、神殺しの娘だからな」
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