フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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10.三日月の真相編

46三日月のひそむ風雲 ⑦

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***

 修学旅行三日目の夜、かねてから予定されていた枕投げ大会は、大盛況を博した。
 ルールは簡単。降参したら負けである。特に罰ゲームは設けていないが、降参するほどのダメージを与えられるような枕でもない。ふっかふかである。
 ようは、勝ち負けなど気にせず、枕投げなるものをしたかっただけであった。
 雷奈は持ち前の俊敏性で、投げては拾い、また投げるというサイクルを恐ろしい速さで回し、氷架璃はコントロールはまずまずながら、剛速球を連発する。芽華実は枕を盾にして防御に徹し、雷華は無造作にかざす手で見事に全ての弾を打ち払う。フーは初心者のため、全員から手心を加えられながら、背徳感があるのか、遠慮がちに投げる程度だ。
 そんな各々の性格により、試合の様相はうねるように変化していった。次第に芽華実はフーの援助に回るようになったり、涼しい顔の雷華に一泡吹かせてみようと、全員で集中砲火を浴びせてみたり。それすら全ていなされるので、結局アグレッシブな雷奈と氷架璃の一騎打ちになり、その背中を狙って芽華実とフーが再参戦。最後は誰が誰を狙っているかもわからぬ乱戦状態となった。
 結果、起きた悲劇がこれである。
「中庭に落ちとるねー……池からは外れただけマシったい」
 先ほど雷奈がブルーになっていた濡縁から下をのぞき込み、今は全員がブルーなため息をついていた。雷華だけは呆れの嘆息であったが。
「窓は閉めるべきやったね……」
「だって、埃すると思ったから……」
 無我夢中のあまり、投げる方向も力加減も考えなしになってしまったのだろう。あっと思ったときには、一擲の枕が、開け放った窓の外へと飛び出していた。そして、伸ばす手もむなしく重力にさらわれて地上、コの字型の棟に囲まれた中庭へと落下したのだった。
「あそこ、出られたっけ?」
「一応、本館のロビーから……」
「ばってん、もうこの時間やと、違う階に行くのも咎められるったい……」
 時刻は九時を回っていた。消灯は九時半だが、九時を過ぎたら他の階には行かないよう言われている。同じ階の別の部屋はセーフラインらしい。はしゃぎすぎないための、一つの線引きといったところだろう。とはいえ、雷奈たちの所業はわきまえるべき一線を軽々と超えてしまっているのだが。
「けど、あのまま放置しといたほうが問題になるよな……」
「私たちのせいで後輩達が来年から京都に来られなくなったらかわいそうだわ……」
「いや、またループしたら忘れてくれるんじゃね?」
「また都合の良いことを」
「少なくとも、今年度中は先生からの風当たりが強くなるとは思うけど……」
「風猫が言うと重みが違うねぇ」
「戯けておる場合か。叱責覚悟で取りに行くしかなかろう」
 気休めの冗談にも、雷華は容赦ない。意気消沈した一同をぐるりと見まわし、終始冷静な彼女は腕を組んだ。
「誰が投げた枕かもわからぬし、連帯責任という考え方もできる。ここは虫拳むしけんで決めようではないか」
「虫拳?」
「じゃんけんのことらしいったい」
「そうとも言う」
「そうとしか言わねえよ」
 時代劇で育てられた雷華も、幸いにグー・チョキ・パーからなるを知っていたので、それをもって平等に人柱が選ばれることとなった。
 選ばれた少女は、何度も深呼吸をしてから、部屋の扉に手をかけ、怯え切った目で振り返った。
「み、見つからないように……頑張って行ってくるね……!」
「ええ、気を付けてね、フー……!」
「ってか、見つかったら記憶と意識を飛ばす術、あれ使えばいいじゃん」
「い、嫌よ、大人数が急に倒れたりしたら、大変なことになるじゃない」
「学校ではホイッと使ったのに?」
「旅館に迷惑がかかるのだ。おもんぱかれ、氷架璃」
 そんな場所の制約により、術を封じられた贖罪の猫スケープフィラインは、おそるおそる扉を開け、廊下をきょろきょろと確認した。同フロアなら往来も自由だというのに、廊下に出る動作すら、抜き足差し足だ。
 扉が閉まり、フーの姿が見えなくなった五秒後。
「こら、風中さんったら」
「ひぃっ!」
「もう九時過ぎてるんだから、下に降りちゃダメですよ。共用トイレも自動販売機も、各フロアのを使うように、しおりにも書いてあったでしょう?」
「は、はい……」
「わかったら戻ってください。それじゃあ、おやすみなさい」
「お、おやすみなさい……」
 扉越しに聞こえた担任の声と、フーのか細い返事。
 雷華以外の三人は額に手を当て、無言のまま嘆いた。

***

「フーがやられたか……。くくく、ヤツは我々の中でも人間界の常識に関しては最弱……。新米教師・黒田教諭ごときに追い返されるとは、風中家の面汚しよ……」
「もう、意地悪言わないの、氷架璃」
 半べそになって震えるフーを撫でてあげながら、芽華実がたしなめる。育ちもよく、根が素直なフーにとっては、先生のお叱りなど慣れていないのだ。
「仕方ないな……。あ、そうだ、雷華。あんたの合気道で、見つからないように抜け出せないのか?」
「合気道と鬼道を混同しておらぬか」
「いや、ぶっちゃけ、雷華がヘマする姿が想像できないから、案外するっと行けるんじゃないかなーと……」
 そんなわけがなかろう、と雷華は目を細めた。
 この時間にもなると、教員たちは生徒がハメを外しすぎていないか廊下を見回りに来る。階段は二か所あるとはいえ、遭遇する確率は高い。
 そうでなくとも、本館ロビーに行けば、何名かの教諭が会議……という名の談笑をしているだろうし、そこには東館の男子部屋を担当する男性教諭も交じる。敵数は二倍、危険度は跳ね上がるというわけだ。
 だが、氷架璃は引き下がらない。ぱんっ、と手を合わせ、腕の輪の中に顔を突っ込むように低頭する。
「な、頼む! あんたなら教員も大目に見てくれるだろうし!」
「何を根拠に。……まあいい、叱責された折には、全員の名をあげておく。そもそも、私は防ぐばかりで一度たりとも投げておらぬのだから、犯人たりえぬのだがな」
 雷華は重い腰を上げると、引き戸の扉を開けて廊下に出た。
 その後の様子を、一同は耳をそばだててうかがう。足音のしない雷華は、進行状況の把握が難しい。もう階段に差し掛かっているのだろうか。ともかく、教員の声がしなければ、首尾よしと考えていいだろう。便りのないのが良い知らせというわけだ。
 順調な静寂。
 それは突如、崩された。
「あらあら、どうしたの? 階段を下りてきて……」
「む」
「体調でも悪くなっちゃった? ごめんねぇ、ちょうど席を外しちゃってて。ロビーで気分が悪くなった一般客の方がいたみたいで、先生方に呼ばれて出動してたのよ。いわゆる『この中に医療従事者の方はいらっしゃいませんかー』って状態ね」
「……ふむ」
「まあ、ただの貧血だったみたいで、大したことはなかったんだけどねぇ。ああ、それよりあなたも体調が悪かったんだったわ。とりあえず熱を測りに行きましょうか」
「いや、私は……」
「それにしてもあなた、細いわねぇ! ちゃんと食べてる? 中学生はねぇ、カルシウムと鉄分をよく摂らなきゃダメよ。これらを効率よく摂るにはね……」
「一度離していただいて……」
「あらあら! よく見たら、第二ボタンが取れそうになっているじゃないの。ついでにあとで補強してあげましょうね。着たままでも大丈夫だから」
「…………」
 舞台女優もかくやのよく通る声が、階段側から雲雀の間の前を通り過ぎ、廊下の奥へと消えていく。
 雷華は、それから二十分間、帰ってくることはなかった。

***

「雷華がやられたか……。くくく、ヤツは我々の中でも口数が最少……。おかん養護教諭・白岩氏におんぶに抱っこされるとは、三日月家の面汚しよ……」
彼奴あやつ、一向に話を聞かぬ。一方的に熱を測られて、平熱と分かればボタンを付け直されて、髪が乱れているからとくしけずられて、早寝が健康の秘訣だと言って帰された」
「たぶん、お腹痛くなって訪ねても、頭痛薬飲まされるっちゃね」
 ともかく、今回も失敗である。
 次に白羽の矢が立ったのは雷奈であった。
「いや、確かに私もわんぱくしたっちゃけど……氷架璃だって……」
「私もわんぱくしたけど、雷奈もしたよな?」
「……次はあんたの番やけんね」
 威嚇する子犬のような、可愛らしい表情でジトッとにらむと、雷奈は扉の向こうに消えた。
 雷奈の武器といえば、剣道で培った運動能力が一番に挙げられるが、それに匹敵するのが演技力だ。皇学園初等部における必修のクラブ活動は、小学生のそれといえど、中高生の部に仮入部するような形で、かなり本格的な体験ができる。そこの先輩をして「女優の素質あり」と言わしめるほどで、天性の度胸も手伝って、なかなかの腕前といえた。
 そんな雷奈なら、先生に出くわしてもうまく切り抜けられるのでは……と期待が高まっていたのだが。
「コラァ、三日月! 何しとんねん!」
「こ……こんばんは、河内先生」
「こんばんは、やあるかい! 別の階行ったらあかん言うたやろ!」
「いや、実はですね……」
「ええから早よ戻らんかい! 帰りに大阪寄って道頓堀に沈めたろか!」
「……えぇ……」
「ちゅーか、もう九時半になんねん! 早よ寝ろ、アホが!」
「は、はい……」

***

「雷奈がやられたか……。くくく、ヤツは我々の中でもエンゲル係数最悪……。ミナミのオバハン教師・河内教諭ごときに奥歯カタカタ言わされるとは、光丘神社の面汚しよ……」
「エンゲル係数がどう関係するっちゃか」
 まだわんわんと響く耳を押さえながら、雷奈は顔をしかめた。なんだって、オバハンは声が大きいのだろうか。
 消灯時刻と言われてしまえば、廊下に出ることすら許されないのだから、引き下がるほかなかった。あと考えられるのは、先生たちも寝静まった後に、忍び足で抜け出すという手段。しかし、そんな深夜ともなると、ロビーから中庭に出る扉も施錠されてしまうだろう。
 濡縁からのぞいてみれば、枕はまだ落下位置で寒そうにしている。つまり、誰にも見つかっていない。このままホテルを出るまでやり過ごすという手もあるが……。
「いやいや、この部屋の真下やけん、後になっても『雲雀の間の生徒さんが』って苦情が来たら、私たちってバレるったい……」
「どうするかねー」
「氷架璃、あんたまだ何もしてなかね」
「そうだな。でももう部屋から出ちゃいけないからな」
 まだ辛酸をなめていない、そして今後もなめるつもりがなさそうな氷架璃をむすっとにらみつけ、雷奈は手すり壁の外を指さした。
「根性見せるったい」
「死ねと!?」
「案ずるな。清水の舞台から飛び降りたとて、生存率は八割を超える」
「でも無事ではないよな!? しかも約二割は死ぬよな!? 余計に旅館に迷惑だっつの!」
 声量を落として叫んだ氷架璃は、はっとしてフーを振り返った。
「そうだ、フー! あんた、空飛べるじゃん! 白翔はくしょうだっけ? それで取ってきたらいいんじゃ!?」
「下の階の人が外を見てたら、びっくりしちゃうんじゃないかしら。あの翼、結構大きいから、目立つし。わざわざ部屋に入って記憶を消しに行くわけにもいかないんだし……」
「むぅ、確かに……」
 口をつぐんだ氷架璃の横で、芽華実が「猫力を使う……」とつぶやきながら考え込んでいた。雷奈が唇を尖らせて言う。
「氷架璃が根性見せないんやったら、芽華実に根性見せてもらうったい?」
「うおお、それはダメだ……芽華実がかわいそう……!」
「私たちはよかったとか」
 頭を抱えて懊悩する氷架璃に、雷奈は呆れ果ててため息。
 と、その時。
「あ、あの、今さらで申し訳ないんだけど……」
 一同、おそるおそる手を挙げる芽華実に注目した。気弱そうな茶色の瞳を、鮮やかな萌葱色に変えながら、彼女は小さく拳を握った。
「……根性、見せていいかな?」 
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