フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

文字の大きさ
上 下
32 / 108
8.神隠し編

39問四:伝えたい言葉は何ですか 後編

しおりを挟む
***

 広い畳部屋に戻ってくると、美雷と各隊の隊長たち、アワとフー、そして日躍が席について待っていた。正統後継者の二人は、雷奈たちの顔を見ると心底ほっとした顔で何か言いかけたが、一声も発することなく口をつぐんだ。「無事でよかった」という言葉を受け入れられるほど、彼女らの心中は穏やかではないのを悟っていたからだ。
「さて……十番隊舎に行く前に、日躍ちゃんから経緯は全て共有してもらったわ。さっきも言ったけれど、霞冴ちゃんが見つかったとはいえ、リーフちゃんたちがまだ見つかっていない以上、事件は解決とは言えない。状況からしても、そして日躍ちゃんが思うにも、四人はやはり九年前の九月一日にいるみたいなのよね」
 滔々と話す美雷の目を直視する隊員はいなかった。皆、ルシルとコウ、霞冴の身を案じずにはいられず、そして何事もなかったかのような態度をとる美雷に対して、複雑な心情を抱いていた。
 同じ気持ちを抱えたまま、雷奈はそれでも前進するため、手を上に伸ばした。
「あの、質問。やっぱり、リーフたちば誘拐したのって……霞冴やったと? クロ化して、訳も分からなくなって連れてっちゃった……とか?」
「違うだろ」
 そこへ、氷架璃が口をはさんだ。
「だって、霞冴はちゃんと元に戻ったんだ。もしそんな犯罪まがいなことをしたら、完全にクロになってしまうはずだろ? だから違う……よな?」
 食らいつくように反証をあげた氷架璃だが、絶対の自信がなかったので、最後は日躍に同意を求めた。美雷と対極の位置に座った日躍は、しかし、かぶりを振った。
「それは勘違いよ、氷架璃。先に言ったとおり、猫をクロにするのは源子。霞冴を操っていたのも源子。源子の行いの是非を源子が判断して裁きはしないわ」
 その返答に、一座はぎょっと青ざめた。
「じゃあ、やっぱり霞冴が……!?」
「いいえ、だからといってそうではないの。もう一度言うわ。霞冴を操っていたのは、源子よ。私たちとは違って、源子は非常に単純な動きしかしない。霞冴も、ある程度の戦法があったとはいえ、ただ攻撃してくるだけだったでしょう? それに比べて、時空洞穴で連れ去るなんて、回りくどいと思わない?」
「確かに……不自然ね」
 芽華実が首肯すると、日躍もうなずきを返して、きっぱりと断言した。
「誘拐犯は霞冴じゃない。九年前のあの時点に、まだいるはずよ。真犯人が、ね」
 全員の心のざわつきが聞こえてくるようだった。それが収まるのを待ってから、日躍は再度口を開いた。
「霞冴のいる場所へ行ったとき、私は、妙な気配がするからといって先頭に立ったでしょう?」
「そうやったね」
「でも、クロ化していたとはいえ、まだ途中までしか変化していなかった霞冴から、あんな邪悪な気配がするわけがないのよ。あの場には、他にそういう気配を放つ存在がいたということ」
「ばってん、ルシルとコウは気づいとらんかったよ?」
「そこよ」
 日躍の指摘に続いて、霊那が舌打ちした。
「クロやダークのような明確な気配のしない……もとい、あたしたち普通の猫にはそれを感じられない、邪悪な存在。……チエアリか」
「そういうことよ」
 戦慄する隊員たちに、日躍はため息混じりに弁明した。
「実を言うとね、霞冴戦の時から気づいていたの。そばにチエアリがいること。でも、気づかないふりをして、みんなにも言わなかった。気づいたとバレれば襲ってくるだろうし、言えば雷奈たちも気が気でなくなるだろうから。あの時は、霞冴で手いっぱいだったから、一度退いて出直すべきと判断したのよ」
「なるほどね。それじゃ、そのチエアリがリーフちゃんたちをさらった真犯人なのね?」
「ええ、十中八九。あの時代の人間界にチエアリはいないわ。ってことは、あのチエアリはここから飛躍したもので間違いない」
 日躍の言葉を受けて、美雷はふうむと考えこむ仕草をした。
「相手はチエアリ。執行部の戦闘力トップ二人は倒れてる。となると、必然的に三番隊の出動となるわね。一番隊のコウ君と二番隊のルシルちゃんが組んだように、三番隊と四番隊の隊長で組んでもいいけれど、ここの警備がこれ以上手薄になるのも考え物ね。霊那ちゃん、副隊長の撫恋ちゃんと一緒に行ってくれる?」
「了解です。あとの三名は?」
「止めたところで、雷奈ちゃんたち、行くんでしょ?」
 ちらっと視線を向けられ、三人は意気込んで答えた。
「もちろんだ! 今度こそ母さんを殺した犯人かもしれないんだからな!」
「さっきだって、チエアリがいるかもしれないっていう条件で行ったもの。状況は変わらないわ」
「同感ったい」
 アワとフーが盛大にため息をついた。だが、言っても聞かないのはわかっているので、黙って判断を委ねる。
 美雷は予想通りの反応をする三人を見回した。
「氷架璃ちゃんにとっては、命を懸ける価値のある真実。そして雷奈ちゃんと芽華実ちゃんにとっては、命を懸ける価値のあるお友達……ってことね。いいでしょう。……それに……」
 琥珀色の瞳が見つめる時間が、雷奈だけ長かった……ような気がした。雷奈が首を傾げたときには、また視線は順繰りに三人をなぞっていた。
「くれぐれも、霊那ちゃんと撫恋ちゃんの足を引っ張らないようにね。何の喩えでもなく、命に関わるから。日躍ちゃん、もし危ないと思ったら、いつでも撤退して。出直せるなら出直すに越したことはないわ」
「了解よ」
 日躍は瞳に真剣な光を宿すと、美雷に代わって締めくくるように言った。
「じゃあ、早速準備しましょう。さっきと同様、人間界で時空洞穴を開くわ。今度こそ、事件を解決しましょう」

***

 二度目に訪れた九月一日は、通り雨が上がったばかりだった。帰還した時刻から約十分後の世界である。
「同じ座標に何度も飛躍するのはよくないのよ。歴史改変のリスクが高まるから」
 日躍はそう説明した。
 いまだ厚い雲に覆われた空の下、彼女らは再びビジネス街を訪れた。激戦が繰り広げられた社員寮裏へ、注意深く足を踏み入れる。ひびの入ったコンクリート面に、すっぱりと切られた金網フェンス。戦いの傷跡は、当然のこと生々しく残っていた。ただ、血だまりは大雨で洗い流されたらしく、うっすらと赤茶色が残っているものの、それを血と認識して大騒ぎされる可能性は低いだろう。
「壊れたものは、誰かがやったとして通報されるかもしれないし、こんな場所だから放っておかれるかもしれない。もし通報されたとしても、歴史が変わるほどの重大なことではないから、大丈夫よ」
「それより、チエアリは……」
「ここには気配を感じないわ。移動したみたいね。おそらく……こっちよ」
 日躍について、袋小路から出たところの道を進む。雷奈たちはおろか、猫である霊那と撫恋もチエアリの気配はたどれない。今、どれくらい近づいているのかを肌で感じられないことが、緊張の糸を休みなく張りっぱなしにさせる。
 その緊張感に気を取られていたからか、雷奈は今さらになって、並々ならぬ異変に気づいた。
「ね、ねえ、おかしくなか? 事故があったとはいえ、なして……こんなに人がおらんと?」
 それを聞いて、氷架璃と芽華実もようやく違和感を意識に上らせた。まるでゴーストタウンにでもなったように、人も車も見えない。だが、一つ辻を離れたところからは、自動車の走行音がする。つまり、無人と化しているのはこの辺りだけだ。
 人間姿の霊那が目をすがめた。
「こんな不自然な閑散さ。決まってるだろ、人払いだ。あたしたち以外にこの時代この場所にいる、フィライン・エデン出身者による……ね」
「それって……」
「着いたわ」
 日躍が足を止めたのは、見るも無残な一軒のビルの前。立ち入り禁止の黄色いテープが張られた向こうには、壁がぶち抜かれ、中が燃えカスと化した飲食店の成れの果てが、呆けたように座していた。確かめるまでもない、この日多くの死傷者を出した爆発事故の現場だ。ここで母が死んだと思うと、氷架璃の手は小刻みに震えた。
「チエアリの気配はこの中から強く感じる。ここが決闘場所になりそうね」
「不意打ちが来るかもしれない。あたしと撫恋が先に入る。三人は絶対に前に出ないで、戦闘になっても遠距離攻撃に徹すること。あと、戦えない日躍は守り切ること」
「了解ったい」
 霊那は、同じく人間姿の相棒に目配せすると、壁の穴から慎重に焼け跡に入った。
 当然のこと電灯は消え、外もこの天気ときて、内部は暗い。だが、入ってしまえば、外から見た時よりも目が慣れて物が視界に浮かんでくる。床も壁も焦げ、テーブルや椅子だったものの残骸がそこここに散らかっている。奥の個室のふすまも焼け落ちて、ほぼ骨組みだけとなっていた。炎は、価値ある何もかもを無に帰す凶器だ。
 消防署が近かったこともあり、一時間の間に消火・救出は完了していた。それでも、頭が痛くなるような異臭は残っていたし、もし取り残された人間が転がっていたら……などと考えると、吐き気がしそうだ。
 火葬場のようなそこで、突然、霊那が立ち止まった。撫恋も同時に足を止める。
「なあ、一つ聞きたいんだが」
 前を向いたまま発せられた問いが、誰に向けたものなのか分かりかねた。だが、仲間に向ける声にしてはあまりにも冷たく、鋭く――そこまで感じた時、雷奈たちは体をこわばらせた。
「あんたが犯した罪は、誘拐と爆破の二つか?」
 山吹色の瞳が、これまでにないほど殺気をはらんで見つめる先。お座敷になっている個室のうち、ちょうど壁に隠れた左手の一室から、黒いものが飛び出した。
 頭に三角の耳をつけ、長い尾と黒光りする瞳を携えたそれは、不吉の象徴。フィライン・エデンの住人からすれば、災厄そのものだ。
「へっ、待ってたぜ、小娘ども」
 獰猛な目つきをした黒猫は、ハスキーがかった声で笑った。
 氷架璃と芽華実の目に映るそれは、姿かたちも大きさも、ほかの猫たちと同じだった。特別に脅威を感じる風貌でもない。それを言うなら、巨大なダークのほうがよほど迫力があるというものだ。何なら、首根っこをつまんで、ちょっと床に叩きつけてやったら、きゅうと気絶するのではないかと思うほど。
 だが、二人は、どうやっても肩から力が抜けないことに気づいた。黒猫そのものではなく、霊那と撫恋が、そして雷奈が放つ極限の緊張感が、体をこわばらせる。同時に、目の前の小さな一匹が、希兵隊長をも戦慄させる賊であることを、嫌でも理解する。
「これが……」
「……チエアリったい」
 誰もが一様に恐れる最凶の敵を前に、氷架璃と芽華実は固唾をのんだ。
 少女たちを見渡して、チエアリは歪に口の端をつり上げた。
「ったく、もう少し観客でいられるかと思ったが、残念だぜ」
「か、観客……?」
 思わず声を漏らしてしまった芽華実に、チエアリが視線を向けた。芽華実がすくみ上るのを見て、面白いおもちゃでも見つけたような笑みを口元に浮かべる。
「おうとも。あァ、そうか。何もわかっちゃいねェもんな。いいだろう、第四の壁をぶっ壊して教えてやる。お前らがどんなユカイな台本に従って踊ってたのか。その方が、もっとユカイなもんが見られそうだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

処理中です...