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9.過去編
43一水盈盈と暗黒の師走 ①
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朱雀隊隊長・郭明詩は、胆力の据わった女性だった。
今年二十三歳になる彼女は、希兵隊員としては引退の時期を考え始めるころだ。とはいえ、この豪胆さと実力を考えれば、あと一、二年は前線に立てる、と大和コウは思っていた。
朱雀隊の一員として彼女の活躍ぶりを見てきたコウは、その予想に自信を持っていた。早いうちから自分や同期をダークの前に放り出し、危なくなったら笑って間に入ってたちどころに形勢を逆転させてしまう。稽古も、厳しさと危険の境目を突っ走るような内容で、限界のギリギリを攻めて部下を伸ばす。それらに何の怖気も抱かず、必ず成功すると確信しているのだから恐れ入る。
どちらかといえば亭主関白な家に育ったコウは、ここまで強い女性を見たことがなかった。ルシルにさえ、これほどまでの度胸は見出していなかったのだから。
そういうわけで、まだしばらくは彼女の背中を見ながら励むことになるのだろう――と思っていた矢先のことだった。
「あたし、退職するから」
あっけらかんと言い放つ明詩に、銀髪の少年はぱかんと顎を落とした。
「……は?」
「夏頃決まったんだけど、嫁入りすることになってさ。寿退職ってやつ?」
「……え、ちょ」
「言うの遅くなってごめんだけど、今年度でさよならだから。じゃ、あとの朱雀隊は任せたよー」
「……はあぁ!?」
そんなやりとりがおこなわれたのが、三月も下旬にさしかかったころだった。
***
「……っつーわけで、オレ、四月から朱雀隊の副隊長らしいわ」
カラーン、と箸の落ちる音。数秒の沈黙の後、ルシルは空になった左手をバンと机に打ち付けて身を乗り出した。
「副隊長!? お前が!? もう!?」
「わっと……ルシル、危ないよ。お茶碗、倒すとこだったよ」
「あ、すまない、霞冴」
ルシルは箸を拾ったものの、洗いに行くのももどかしく、一緒に昼食の席を囲む残りの三人を見渡した。コウと霞冴、そして朱雀隊の同期である靭永自由という少女だ。コウはもちろんのこと、霞冴もみゅうも平然とした面持ちをしている。既知の事実だったのだろう。
「欅沢副隊長が隊長に繰り上がったのはわかる。だが、なぜ副隊長がコウなんだ? 普通、このような場合は、他の隊からでも、より経験のある人物を引っ張ってくるだろう」
「簡単な話だろ。オレが実力あったからだ。言っとくけど、トップ公認だぞ」
さらりと言ってのけたコウ。ルシルの目に対抗心の炎がついたのを見て、さらに胸を張ってみせる。
「どうやらオレは最司官にも認められているようだ。悪いな、抜かしちまったぜ」
「そ、そんなことはない! 私のほうが身軽さと剣術でいえば上だ!」
「体力は断然オレのほうがあるからな。今後の実績もオレのほうが多くなるだろうな」
「くっ……剣術など、にわかのくせに……!」
「大丈夫だよ、ルシル。私はコウよりルシルのほうが好きだから、それについては勝ってる」
「ありがとう、霞冴……その友情に免じて溜飲を下げるとしよう」
「なんじゃそりゃ」
呆れた様子のコウの隣で、みゅうがくすりと笑った。
「あと、四月になったら、ここはみんな先輩になるね。朱雀隊、青龍隊、総司令部……三か所とも、新入隊員がいるっていうんだから」
浅葱色の髪をした少女の言葉に、ルシルたちは表情を和ませた。
「そうだな。三年目だし、先輩として恥じぬような働きをしなければ」
「私、後輩の前で宮希に怒られたらどうしよう……」
「あまりマイナス思考でいると、余計に失敗してしまうぞ。リラックスしろ、霞冴」
そんな会話をしていると、ルシルのピッチが鳴った。通常の着信音ではない。出動を知らせる、少しだけ緊迫感のある音色だ。青龍隊の休憩時間はまだ残っているはずだが、ほかの隊がすでに出払ってしまっているので、残りの昼休みが少ない隊が時間に食い込んで出動要請されているのだ。もちろん、その分は時間なり給料なりできちんと考慮された処理がなされる。
ルシルは霞冴に、茶碗に残っている白米を冷蔵庫にでも入れておいてくれと頼むと、すぐさま食堂を飛び出していった。
「ルシルちゃん、食べた後すぐになんて、お腹痛くなったりしないといいけれど」
「だから昼休み始めを仕事に費やしてギリギリで食事するのやめろって言ってるのによ。ストイック癖は治らねえな、ったく」
「総司令部室も忙しくなってるかも……。ごめん、私も抜けるね」
「うん。霞冴ちゃんも頑張ってね」
すでに食べ終わっていた霞冴は、急いでルシルの食器を片付けると、みゅうに手を振られながら、仕事場へと戻っていった。
残された二人は、次は我が身かと案じて、念のため早めに食べ終え、残りの時間をお茶を飲んで過ごしていた。幸いのんびり流れていく時間の中、みゅうがぽつんとつぶやく。
「コウ君、本当にルシルちゃんと仲いいね」
「否定はしねえけど、さっきのやり取りの後で言うか、それ?」
タイミングを明らかに間違えている、とコウは思ったが、みゅうは笑って首を振る。
「あんな風に言い合えるのって、信頼しあってる証拠だもの。……ちょっと、うらやましいな」
「え、靭永もルシルと口論したいのか?」
「違うよぅ。……はぁ。私もルシルちゃんみたいになりたいな。強くて、かっこよくて……」
「お前だって十分強いだろ。あの郭隊長の稽古をこなせていたんだしよ」
素朴なコウの言葉にも、みゅうは物悲しげに笑って、うつむき加減に首を振った。
「ううん……。私なんて、所詮ちょっと猫術が得意なだけだもん。郭隊長の稽古にだって、まともについていけてるのは欅沢副隊長とコウ君だけだよ。コウ君が次期副隊長に選ばれたのは、だからだよ」
確かに女子とはいえ、ルシルや、四月より玄武隊から白虎隊に移籍になる霊那に比べれば、みゅうは体力があるほうではない。それは、コウも密かに思っていた。それもそのはず、もともと彼女は剣も体術も、その他のアウトドアな活動にいそしんできたわけでもないのだ。
そこそこ親しく話すようになったときに教えてくれたことには、彼女の両親は大変厳しい人物で、是が非でも公務員になれ、という教育方針だったらしい。
しかし、あまり勉強が得意ではないみゅうは、真っ先に学院勤めを却下し、情報管理局も、どの部署の仕事にも向いていないと諦めるしかなかった。
唯一、雷術や弾趾の精密性には自信があったので、それを生かせる希兵隊の門を叩いた。戦闘向きの性格でもないので、総司令部を志望したかったが、その狭き門を突破する頭は持ち合わせていないという歯がゆい選択だったようだ。それでも、試験をクリアしたのだから、基本的な能力値は高めなはずである。
よって、コウの目線から見れば術の精度は評価するべきである一方、みゅう本人の内省では、それ以外が必ずしもこの仕事に合った適性を持っているとは言えない点がコンプレックスだった。
「別に完璧になる必要はねえだろ。ルシルだって、ああ見えて穴だらけだぞ」
コウはお茶で舌を湿らせると、本人がいないことをいいことに、幼馴染の欠点難点弱点をつらつらと並べだした。
「音痴だし、ちょっと複雑な機械を触らせたら、使えないどころか壊しちまうし。ピッチを持たされた時はヒヤヒヤしたぜ。あと、捨て台詞レベルの嫌味言われたくらいで気にするし。そんなもので価値が揺らぐようなヤツじゃねえだろっての」
出会った当初はルシルをお堅い優等生と敬遠していたみゅうに念を押すように、コウがほかにないかと粗探しに精を出していると、
「……やっぱり、かなわないな」
「は?」
「……ううん、何でもない」
みゅうは顔を上げて笑った。頬を袂で隠すような仕草に、ご飯粒でもついていたのだろうか、気づかなかったな、とコウは首をかしげた。
「そろそろ仕事に戻らなきゃだね。新入りの子に示しがつくように、しっかりやらなきゃ」
「そうだな」
あるいは、ナメられないように。生意気なルーキーもいるときはいる。だが、純粋なみゅうの前で、それは口には出さないでおいた。
すでに入寮しているはずだが、コウはその名前も顔も知らない。そもそも、女子寮に入っていたらすれ違ったことすらないかもしれない。もしそうなら、きっと仲良くなるのはみゅうのほうで、クールで一見冷たい印象のコウとは、彼が隊長や副隊長とそう接してきたように、名字で呼び合うだけの一線を引いた上下関係になるのだろう。
この時の彼の予想は、おおかた間違っておらず、その新入隊員は年下の少女で、みゅうによく懐く、馴れ馴れしくて上下の垣根も超えてくるような人物だった。
ただし、一部、想定の矢は大きく的を外していた。
のちにコウの声でも呼ばれることになるその少女の名は、波音といった。
***
朱雀隊一堂に会してのファーストコンタクト直前、前もって顔合わせを済ませていた新隊長の欅沢レノンは、コウに告げた。
「あの新米、いろいろ大変そうだ。覚悟しとけ」
具体性に欠くその忠告に、何をどう覚悟したものかつかみあぐねていたコウは、その新入隊員の第一声で全てを悟った。
「新しく入った水鈴波音だよ! 波音って呼んでね! 今日からよろしく!」
薄紅色をした、アーモンド形耳の子猫は、道場に響く甲高い声で元気よく敬礼すると、双体のコウを見て目を輝かせた。
「わぁ、あなたの髪、すっごくきれい! 銀色でキラキラしてるね! えっと、名前なんて言うの?」
「……大和コウ」
「よろしくね、こーちゃん!」
「誰がこーちゃんだ!」
コウは思わず、肩に飛び乗ってきたしなやかな体をひっぺがした。レノンが憐みの視線を送り、「な、言っただろ?」と無言で同意を求める。同時に、「お守は頼んだ」とも。
副隊長時代から、何かと厄介な仕事は部下に押し付け気味だったレノン。隊長になってもそのあたりは変わらず、コウはため息をついた。
コウ自身も副隊長になった現在だが、ほかの平隊員に責任を横流しにする気分にはなれない。一人は同期のみゅうだし、もう一人は去年入ったばかりの慧斗という気弱な少年隊員なのだ。昨日まで同じ地位に立っていた少女に投げるのは嫌味な気がするし、なぜ希兵隊に入ったのか不思議で仕方ないほどおろおろした二年目の彼に任せるのも心もとない。
やれやれと頭をかきながら、私的な付き合いはみゅうと睦まじくやってもらうとして、業務上の指導はコウが引き受けることに決めた。
元々、妹が欲しいと思っていた程度には世話好きなコウだ。断固拒否するほどでもなかった。
一度咳払いをし、
「あー、よろしく頼む、水鈴。諸々教えることはあるが、まずは礼儀からだ。上司には敬語を使う、あだ名で呼ばない、いきなり肩に飛び乗らない。わかったか」
「えー、いいじゃん、別に。くだけたほうが仲良くなれるよ? あと、あたしのことも波音って呼んでってば、こーちゃん」
反省の色がおぼろげにも見えない様子に、コウのこめかみがピクリと動く。
「あのな、確かにチームワークのために仲の良さを心掛けるひとはいるが、そういうのは目上のほうから持ち掛けるものだ。いきなり後輩が距離を詰めようとするんじゃねえ」
「カタいこと言わないでよー。ねえねえ、あたし、素振りってやってみたいな。早く刀をかっこよく振り回して、ダークとかやっつけたいの!」
無邪気に跳ねる波音は、コウの拳がわなわなと小さく震えていることに気づいていない。
「コ、コウ君……」
「大和さん……」
みゅうと慧斗がおののく前で、コウは細く長い息を吐きだすと、平坦な声を発した。
「水鈴、双体化しろ」
「あいさー!」
喜び勇んで人間の姿になった波音は、赤みがかった栗色のボブヘアーをした小さな少女の形をしていた。水縹色のくりくりした目が見つめる中、コウは鋼術で素振りの道具を構成する。大工を生業とする父親の手伝いをしたこともある彼にとって、金属加工はお手の物だ。
源子が大量に集まって、金属に姿を変え、一本の細長い形を作っていく。手に収まる太さの、長さにして一メートルと少しある黒い棒。先まで構成し終えると、コウは一端を床につけて立てたそれを倒すようにして、波音に差し出した。
「ん」
「これは?」
「オレ特製素振り用金属竹刀。もはや構造からして竹刀ですらない、中もみっちり金属の鬼畜仕様だ。これを百回振れたらタメ口とあだ名を許可してやる」
「う……お、重いぃ……無理だよぉ……」
「じゃあ諦めろ。オレのことは大和さん、あるいは副隊長と呼べ。ほかの隊員に対してもこれに準じろ」
「やだよ、こーちゃんのいけず……」
「お前、次その呼び方で呼んだら、先代隊長みたく初っ端からダークの眼前に放り出すぞ」
「やめんか」
ガコーン、と頭に衝撃が走り、コウの目の前を星がちらついた。鈍痛が尾を引く頭頂部を押さえながら振り返り、「何す……」と抗議しかけた声を止める。
そこにいたのは、コウより背丈の低い、不遜な目つきをした洋装の少年だった。カーキ色をした長めの髪や、色白な顔の輪郭の幼さが、自分と同じ男とは思えない中性的な容姿を作り上げている。
「……茄谷司令官」
コウの頭に一撃食らわせたクリップボード――容赦なく角で殴った――を手にした彼は、年齢不相応に達観したような呆れ顔で苦言を呈した。
「郭さんのあれは、彼女が必ず助けられるという保証付きが故の荒業だ。お前、同じことやれる自信あるのか」
「……すんません」
「うちの時尼も、いきなり呼び捨ての上タメ口だったが、言っても聞かなかったし、もう好きなようにさせてるぞ」
「それ、諦めたんじゃないんすか」
「そうとも言う」
そうとも言うのかよ、と喉の奥で呟いてから、ふとコウは根本的な疑問に気付く。
「司令官、なぜ道場なんかに……?」
「お前というより、欅沢隊長に説明することなんだがな。……欅沢隊長、今からここ、使わせてもらってもいいですかね」
最司官は、自分よりも古株のレノンに丁寧な口調で問うた。言葉遣いは礼儀正しいが、腰を低くすることも愛想笑いを浮かべることもない。最司官に昇格してから態度を変えたのではなく、最初からそういう性なのだろう、ということはコウにも分かった。
彼より十ほど上のレノンも、幼きトップに対し、逆の意味で同様の対応をする。
「急ぎなら構いませんけど。何の用です?」
聞かれ、宮希は軽く目を閉じると、くいっと親指で後ろを指した。道場の入り口方向だ。そこに、一礼して入ってくる逆光の影が二人分見えた。
向かって右は、漆黒の執行着を翻して歩く小柄な少女。アリスブルーの髪は腰より長く、歩を進めるごとに動きに合わせて揺れる。
そして、向かって左にいるのは、同じく執行着を着た隊員。なんとあの霞冴よりも小柄な少年だ。歓迎の挨拶をする集会では、一同主体だったため、人間姿に見覚えはなかったが、霞冴や宮希とともにいることから、その正体は察しが付く。
あれが、総司令部のルーキーだ。
それにしては、二人ともやや距離を取り、一言も交わさず歩いてくる様に違和感を覚える。
コウの疑問に答えるように、最高司令官は口を開いた。
***
ところ変わってグラウンド。こちらもこちらで、青龍隊の三人が、今日から仲間入りする少女に圧倒され切っていた。
「ですので、まとめると、私の見た目や表情や声から能力や性格まで推測して、訓練を易しめにしようなど、お情けですらなくプロ意識を疑う愚かしさなのです。わかりますか、ルシルさん」
「はい……」
背筋を正しながらも委縮したようにうなだれる少女と、その前に立って叱責する少女。あろうことか、前者は先輩のはずのルシル、後者が一歳年上の新入隊員・天草芽瑠だ。
白茶色のセミロングヘアは細く、体つきも痩せ型で、繊細な印象を与える。色白の顔に乗っている若草の目は、眉ごと怯えたような困ったような形をしており、体調でも悪いのかと周囲の不安をかき立てる。あげく、消え入りそうなか細い声とあって、通常よりも軽めの訓練から始めては、という提案をしたルシルは、見事に地雷を踏んだ。甲高いかすれ気味の声ながら、有無を言わさぬ滔々とした口調で説教される羽目になったのだった。
ルシルの後ろで呆然と眺めている執行着姿の二人がささやきを交わす。
「すごいお嬢ちゃんだね、初日に先輩に訓戒垂れてるよ……」
「ひとは見かけによらないってわかってたつもりだけど……稀に見ないギャップだわ」
実はひそかにルシルに賛同していたうとめとカヅチは、口に出さなくてよかった、と胸をなでおろしていた。同時に、うとめは、薄弱そうでいて直言居士に物申すこの少女が、何かと無理しがちなルシルを時に引っ張り、時に押してくれれば……と期待を寄せていた。どうしても、うとめやカヅチといった上司からの提言には身を固くしてしまうようなのだ。
「えっと、じゃあ、さっきの提案は撤回します……メルさん」
「なぜあなたが私に敬語なんですか。堂々としてください、先人」
「う……わかった、メ……メル」
「そうです」
ある意味、希兵隊に向いていそうな度胸の据わり方だ……とうとめが感心していると、そこへザッザッと土を蹴って駆け寄ってくる人物がいた。銀髪銀目の朱雀隊員だ。
「お疲れ様です、宇奈川さん、竈戸さん」
「大和君。どうしたの?」
「いや、忙しかったらいいんですけど……」
コウはちらっとルシルを見た。「私?」と自分のあご辺りを指さすルシルに曖昧にうなずいて、彼はあとの三人も見渡して告げた。
「道場で、最司官護衛官の選抜戦がおこなわれるんです」
「……何だって?」
ルシルが一歩前に出る。
「どうも、新人が護衛官に立候補したらしくてな。護衛官の座は一つ。だから、ポジション争いだ。……時尼と、な」
「護衛官選抜戦なんて……聞いたことないわ」
「まあ、総司令部で腕の立つひとが少ないから、ケースが稀なだけで、隊則としてはあるからねぇ」
カヅチの声はのんびりとしたものだが、ルシルはいても立ってもいられない。
「それ、見に行っても構わないのか? 霞冴が頑張っているなら、見守ってあげたいし、勝ったらその場で『おめでとう』って言ってやりたいんだ」
コウは黙ってうとめを手で示した。ルシルがすがるような目でうとめを見上げると、彼女は少し考えてからうなずいた。
「わかったわ、メルちゃんの指導は私と竈戸さんがやっておくから、行ってらっしゃい。大切なお友達なんでしょ?」
「はいっ……ありがとうございます!」
風を切る速さで頭を下げると、ルシルはコウの手を引いて足早に道場のほうへと去っていった。
その姿を見送りながら、うとめが笑みをこぼす。
「時尼さんが護衛官になりたくて張り切ってるからって、あの子も稽古に付き合ってたみたいだから、そりゃ試合結果が気になるわよね。私も興味あるけど、やることもあるし、野次馬はよしておきましょう。竈戸さん、初日の練習メニュー、宮希から聞いてきたんでしょう?」
「それなんだけどね、うとめちゃん」
この手の嫌な予感は、毎度、寸分違わず大当たりする。
「さっき行ったらお留守だったから、あとでいっかーって……。でも、試合始まるってことは、余計に聞きに行けなくなっちゃったね。許してちょ」
「あなたってひとはぁっ!」
***
道場には、ルシルとコウ以外にも見物人がいた。人員の入れ替わりで戦力の調整のため白虎隊に移籍した霊那、同じ隊になる前から彼女と親しかったらしい撫恋、ケガ人がいなければ暇を持て余すしかない麒麟隊が三名、そして元々道場にいた朱雀隊一同。
じっと立って見物する彼らを見渡して、宮希は「ダークが出現したらちゃんと行って来いよ」と呆れ顔だ。ちなみに、何かあれば総司令部室で留守番しているみちねがすぐに知らせてくれることになっている。
道場の中央、四角くテープで区切られた場内に、宮希の二人の部下が相対していた。両者、額金と胴をつけ、道場の備品の木刀を携えて、ピリピリとしびれるような緊張感を放っている。
ルシルがコウの袖を引いた。
「あの新入隊員……剣術の経験があったのか?」
「オレが知るかよ。完全に部外者なんだからよ。……けど、そうじゃなきゃ護衛官には立候補しねえだろ」
コウは、年齢に比して低身長な少年を、難解なものに向けるような目で見つめた。
「だが……そうだとしてもだ。あの時尼と秤にかけられるほど強いってのか? あの鋼猫……確か、名前は……」
今年二十三歳になる彼女は、希兵隊員としては引退の時期を考え始めるころだ。とはいえ、この豪胆さと実力を考えれば、あと一、二年は前線に立てる、と大和コウは思っていた。
朱雀隊の一員として彼女の活躍ぶりを見てきたコウは、その予想に自信を持っていた。早いうちから自分や同期をダークの前に放り出し、危なくなったら笑って間に入ってたちどころに形勢を逆転させてしまう。稽古も、厳しさと危険の境目を突っ走るような内容で、限界のギリギリを攻めて部下を伸ばす。それらに何の怖気も抱かず、必ず成功すると確信しているのだから恐れ入る。
どちらかといえば亭主関白な家に育ったコウは、ここまで強い女性を見たことがなかった。ルシルにさえ、これほどまでの度胸は見出していなかったのだから。
そういうわけで、まだしばらくは彼女の背中を見ながら励むことになるのだろう――と思っていた矢先のことだった。
「あたし、退職するから」
あっけらかんと言い放つ明詩に、銀髪の少年はぱかんと顎を落とした。
「……は?」
「夏頃決まったんだけど、嫁入りすることになってさ。寿退職ってやつ?」
「……え、ちょ」
「言うの遅くなってごめんだけど、今年度でさよならだから。じゃ、あとの朱雀隊は任せたよー」
「……はあぁ!?」
そんなやりとりがおこなわれたのが、三月も下旬にさしかかったころだった。
***
「……っつーわけで、オレ、四月から朱雀隊の副隊長らしいわ」
カラーン、と箸の落ちる音。数秒の沈黙の後、ルシルは空になった左手をバンと机に打ち付けて身を乗り出した。
「副隊長!? お前が!? もう!?」
「わっと……ルシル、危ないよ。お茶碗、倒すとこだったよ」
「あ、すまない、霞冴」
ルシルは箸を拾ったものの、洗いに行くのももどかしく、一緒に昼食の席を囲む残りの三人を見渡した。コウと霞冴、そして朱雀隊の同期である靭永自由という少女だ。コウはもちろんのこと、霞冴もみゅうも平然とした面持ちをしている。既知の事実だったのだろう。
「欅沢副隊長が隊長に繰り上がったのはわかる。だが、なぜ副隊長がコウなんだ? 普通、このような場合は、他の隊からでも、より経験のある人物を引っ張ってくるだろう」
「簡単な話だろ。オレが実力あったからだ。言っとくけど、トップ公認だぞ」
さらりと言ってのけたコウ。ルシルの目に対抗心の炎がついたのを見て、さらに胸を張ってみせる。
「どうやらオレは最司官にも認められているようだ。悪いな、抜かしちまったぜ」
「そ、そんなことはない! 私のほうが身軽さと剣術でいえば上だ!」
「体力は断然オレのほうがあるからな。今後の実績もオレのほうが多くなるだろうな」
「くっ……剣術など、にわかのくせに……!」
「大丈夫だよ、ルシル。私はコウよりルシルのほうが好きだから、それについては勝ってる」
「ありがとう、霞冴……その友情に免じて溜飲を下げるとしよう」
「なんじゃそりゃ」
呆れた様子のコウの隣で、みゅうがくすりと笑った。
「あと、四月になったら、ここはみんな先輩になるね。朱雀隊、青龍隊、総司令部……三か所とも、新入隊員がいるっていうんだから」
浅葱色の髪をした少女の言葉に、ルシルたちは表情を和ませた。
「そうだな。三年目だし、先輩として恥じぬような働きをしなければ」
「私、後輩の前で宮希に怒られたらどうしよう……」
「あまりマイナス思考でいると、余計に失敗してしまうぞ。リラックスしろ、霞冴」
そんな会話をしていると、ルシルのピッチが鳴った。通常の着信音ではない。出動を知らせる、少しだけ緊迫感のある音色だ。青龍隊の休憩時間はまだ残っているはずだが、ほかの隊がすでに出払ってしまっているので、残りの昼休みが少ない隊が時間に食い込んで出動要請されているのだ。もちろん、その分は時間なり給料なりできちんと考慮された処理がなされる。
ルシルは霞冴に、茶碗に残っている白米を冷蔵庫にでも入れておいてくれと頼むと、すぐさま食堂を飛び出していった。
「ルシルちゃん、食べた後すぐになんて、お腹痛くなったりしないといいけれど」
「だから昼休み始めを仕事に費やしてギリギリで食事するのやめろって言ってるのによ。ストイック癖は治らねえな、ったく」
「総司令部室も忙しくなってるかも……。ごめん、私も抜けるね」
「うん。霞冴ちゃんも頑張ってね」
すでに食べ終わっていた霞冴は、急いでルシルの食器を片付けると、みゅうに手を振られながら、仕事場へと戻っていった。
残された二人は、次は我が身かと案じて、念のため早めに食べ終え、残りの時間をお茶を飲んで過ごしていた。幸いのんびり流れていく時間の中、みゅうがぽつんとつぶやく。
「コウ君、本当にルシルちゃんと仲いいね」
「否定はしねえけど、さっきのやり取りの後で言うか、それ?」
タイミングを明らかに間違えている、とコウは思ったが、みゅうは笑って首を振る。
「あんな風に言い合えるのって、信頼しあってる証拠だもの。……ちょっと、うらやましいな」
「え、靭永もルシルと口論したいのか?」
「違うよぅ。……はぁ。私もルシルちゃんみたいになりたいな。強くて、かっこよくて……」
「お前だって十分強いだろ。あの郭隊長の稽古をこなせていたんだしよ」
素朴なコウの言葉にも、みゅうは物悲しげに笑って、うつむき加減に首を振った。
「ううん……。私なんて、所詮ちょっと猫術が得意なだけだもん。郭隊長の稽古にだって、まともについていけてるのは欅沢副隊長とコウ君だけだよ。コウ君が次期副隊長に選ばれたのは、だからだよ」
確かに女子とはいえ、ルシルや、四月より玄武隊から白虎隊に移籍になる霊那に比べれば、みゅうは体力があるほうではない。それは、コウも密かに思っていた。それもそのはず、もともと彼女は剣も体術も、その他のアウトドアな活動にいそしんできたわけでもないのだ。
そこそこ親しく話すようになったときに教えてくれたことには、彼女の両親は大変厳しい人物で、是が非でも公務員になれ、という教育方針だったらしい。
しかし、あまり勉強が得意ではないみゅうは、真っ先に学院勤めを却下し、情報管理局も、どの部署の仕事にも向いていないと諦めるしかなかった。
唯一、雷術や弾趾の精密性には自信があったので、それを生かせる希兵隊の門を叩いた。戦闘向きの性格でもないので、総司令部を志望したかったが、その狭き門を突破する頭は持ち合わせていないという歯がゆい選択だったようだ。それでも、試験をクリアしたのだから、基本的な能力値は高めなはずである。
よって、コウの目線から見れば術の精度は評価するべきである一方、みゅう本人の内省では、それ以外が必ずしもこの仕事に合った適性を持っているとは言えない点がコンプレックスだった。
「別に完璧になる必要はねえだろ。ルシルだって、ああ見えて穴だらけだぞ」
コウはお茶で舌を湿らせると、本人がいないことをいいことに、幼馴染の欠点難点弱点をつらつらと並べだした。
「音痴だし、ちょっと複雑な機械を触らせたら、使えないどころか壊しちまうし。ピッチを持たされた時はヒヤヒヤしたぜ。あと、捨て台詞レベルの嫌味言われたくらいで気にするし。そんなもので価値が揺らぐようなヤツじゃねえだろっての」
出会った当初はルシルをお堅い優等生と敬遠していたみゅうに念を押すように、コウがほかにないかと粗探しに精を出していると、
「……やっぱり、かなわないな」
「は?」
「……ううん、何でもない」
みゅうは顔を上げて笑った。頬を袂で隠すような仕草に、ご飯粒でもついていたのだろうか、気づかなかったな、とコウは首をかしげた。
「そろそろ仕事に戻らなきゃだね。新入りの子に示しがつくように、しっかりやらなきゃ」
「そうだな」
あるいは、ナメられないように。生意気なルーキーもいるときはいる。だが、純粋なみゅうの前で、それは口には出さないでおいた。
すでに入寮しているはずだが、コウはその名前も顔も知らない。そもそも、女子寮に入っていたらすれ違ったことすらないかもしれない。もしそうなら、きっと仲良くなるのはみゅうのほうで、クールで一見冷たい印象のコウとは、彼が隊長や副隊長とそう接してきたように、名字で呼び合うだけの一線を引いた上下関係になるのだろう。
この時の彼の予想は、おおかた間違っておらず、その新入隊員は年下の少女で、みゅうによく懐く、馴れ馴れしくて上下の垣根も超えてくるような人物だった。
ただし、一部、想定の矢は大きく的を外していた。
のちにコウの声でも呼ばれることになるその少女の名は、波音といった。
***
朱雀隊一堂に会してのファーストコンタクト直前、前もって顔合わせを済ませていた新隊長の欅沢レノンは、コウに告げた。
「あの新米、いろいろ大変そうだ。覚悟しとけ」
具体性に欠くその忠告に、何をどう覚悟したものかつかみあぐねていたコウは、その新入隊員の第一声で全てを悟った。
「新しく入った水鈴波音だよ! 波音って呼んでね! 今日からよろしく!」
薄紅色をした、アーモンド形耳の子猫は、道場に響く甲高い声で元気よく敬礼すると、双体のコウを見て目を輝かせた。
「わぁ、あなたの髪、すっごくきれい! 銀色でキラキラしてるね! えっと、名前なんて言うの?」
「……大和コウ」
「よろしくね、こーちゃん!」
「誰がこーちゃんだ!」
コウは思わず、肩に飛び乗ってきたしなやかな体をひっぺがした。レノンが憐みの視線を送り、「な、言っただろ?」と無言で同意を求める。同時に、「お守は頼んだ」とも。
副隊長時代から、何かと厄介な仕事は部下に押し付け気味だったレノン。隊長になってもそのあたりは変わらず、コウはため息をついた。
コウ自身も副隊長になった現在だが、ほかの平隊員に責任を横流しにする気分にはなれない。一人は同期のみゅうだし、もう一人は去年入ったばかりの慧斗という気弱な少年隊員なのだ。昨日まで同じ地位に立っていた少女に投げるのは嫌味な気がするし、なぜ希兵隊に入ったのか不思議で仕方ないほどおろおろした二年目の彼に任せるのも心もとない。
やれやれと頭をかきながら、私的な付き合いはみゅうと睦まじくやってもらうとして、業務上の指導はコウが引き受けることに決めた。
元々、妹が欲しいと思っていた程度には世話好きなコウだ。断固拒否するほどでもなかった。
一度咳払いをし、
「あー、よろしく頼む、水鈴。諸々教えることはあるが、まずは礼儀からだ。上司には敬語を使う、あだ名で呼ばない、いきなり肩に飛び乗らない。わかったか」
「えー、いいじゃん、別に。くだけたほうが仲良くなれるよ? あと、あたしのことも波音って呼んでってば、こーちゃん」
反省の色がおぼろげにも見えない様子に、コウのこめかみがピクリと動く。
「あのな、確かにチームワークのために仲の良さを心掛けるひとはいるが、そういうのは目上のほうから持ち掛けるものだ。いきなり後輩が距離を詰めようとするんじゃねえ」
「カタいこと言わないでよー。ねえねえ、あたし、素振りってやってみたいな。早く刀をかっこよく振り回して、ダークとかやっつけたいの!」
無邪気に跳ねる波音は、コウの拳がわなわなと小さく震えていることに気づいていない。
「コ、コウ君……」
「大和さん……」
みゅうと慧斗がおののく前で、コウは細く長い息を吐きだすと、平坦な声を発した。
「水鈴、双体化しろ」
「あいさー!」
喜び勇んで人間の姿になった波音は、赤みがかった栗色のボブヘアーをした小さな少女の形をしていた。水縹色のくりくりした目が見つめる中、コウは鋼術で素振りの道具を構成する。大工を生業とする父親の手伝いをしたこともある彼にとって、金属加工はお手の物だ。
源子が大量に集まって、金属に姿を変え、一本の細長い形を作っていく。手に収まる太さの、長さにして一メートルと少しある黒い棒。先まで構成し終えると、コウは一端を床につけて立てたそれを倒すようにして、波音に差し出した。
「ん」
「これは?」
「オレ特製素振り用金属竹刀。もはや構造からして竹刀ですらない、中もみっちり金属の鬼畜仕様だ。これを百回振れたらタメ口とあだ名を許可してやる」
「う……お、重いぃ……無理だよぉ……」
「じゃあ諦めろ。オレのことは大和さん、あるいは副隊長と呼べ。ほかの隊員に対してもこれに準じろ」
「やだよ、こーちゃんのいけず……」
「お前、次その呼び方で呼んだら、先代隊長みたく初っ端からダークの眼前に放り出すぞ」
「やめんか」
ガコーン、と頭に衝撃が走り、コウの目の前を星がちらついた。鈍痛が尾を引く頭頂部を押さえながら振り返り、「何す……」と抗議しかけた声を止める。
そこにいたのは、コウより背丈の低い、不遜な目つきをした洋装の少年だった。カーキ色をした長めの髪や、色白な顔の輪郭の幼さが、自分と同じ男とは思えない中性的な容姿を作り上げている。
「……茄谷司令官」
コウの頭に一撃食らわせたクリップボード――容赦なく角で殴った――を手にした彼は、年齢不相応に達観したような呆れ顔で苦言を呈した。
「郭さんのあれは、彼女が必ず助けられるという保証付きが故の荒業だ。お前、同じことやれる自信あるのか」
「……すんません」
「うちの時尼も、いきなり呼び捨ての上タメ口だったが、言っても聞かなかったし、もう好きなようにさせてるぞ」
「それ、諦めたんじゃないんすか」
「そうとも言う」
そうとも言うのかよ、と喉の奥で呟いてから、ふとコウは根本的な疑問に気付く。
「司令官、なぜ道場なんかに……?」
「お前というより、欅沢隊長に説明することなんだがな。……欅沢隊長、今からここ、使わせてもらってもいいですかね」
最司官は、自分よりも古株のレノンに丁寧な口調で問うた。言葉遣いは礼儀正しいが、腰を低くすることも愛想笑いを浮かべることもない。最司官に昇格してから態度を変えたのではなく、最初からそういう性なのだろう、ということはコウにも分かった。
彼より十ほど上のレノンも、幼きトップに対し、逆の意味で同様の対応をする。
「急ぎなら構いませんけど。何の用です?」
聞かれ、宮希は軽く目を閉じると、くいっと親指で後ろを指した。道場の入り口方向だ。そこに、一礼して入ってくる逆光の影が二人分見えた。
向かって右は、漆黒の執行着を翻して歩く小柄な少女。アリスブルーの髪は腰より長く、歩を進めるごとに動きに合わせて揺れる。
そして、向かって左にいるのは、同じく執行着を着た隊員。なんとあの霞冴よりも小柄な少年だ。歓迎の挨拶をする集会では、一同主体だったため、人間姿に見覚えはなかったが、霞冴や宮希とともにいることから、その正体は察しが付く。
あれが、総司令部のルーキーだ。
それにしては、二人ともやや距離を取り、一言も交わさず歩いてくる様に違和感を覚える。
コウの疑問に答えるように、最高司令官は口を開いた。
***
ところ変わってグラウンド。こちらもこちらで、青龍隊の三人が、今日から仲間入りする少女に圧倒され切っていた。
「ですので、まとめると、私の見た目や表情や声から能力や性格まで推測して、訓練を易しめにしようなど、お情けですらなくプロ意識を疑う愚かしさなのです。わかりますか、ルシルさん」
「はい……」
背筋を正しながらも委縮したようにうなだれる少女と、その前に立って叱責する少女。あろうことか、前者は先輩のはずのルシル、後者が一歳年上の新入隊員・天草芽瑠だ。
白茶色のセミロングヘアは細く、体つきも痩せ型で、繊細な印象を与える。色白の顔に乗っている若草の目は、眉ごと怯えたような困ったような形をしており、体調でも悪いのかと周囲の不安をかき立てる。あげく、消え入りそうなか細い声とあって、通常よりも軽めの訓練から始めては、という提案をしたルシルは、見事に地雷を踏んだ。甲高いかすれ気味の声ながら、有無を言わさぬ滔々とした口調で説教される羽目になったのだった。
ルシルの後ろで呆然と眺めている執行着姿の二人がささやきを交わす。
「すごいお嬢ちゃんだね、初日に先輩に訓戒垂れてるよ……」
「ひとは見かけによらないってわかってたつもりだけど……稀に見ないギャップだわ」
実はひそかにルシルに賛同していたうとめとカヅチは、口に出さなくてよかった、と胸をなでおろしていた。同時に、うとめは、薄弱そうでいて直言居士に物申すこの少女が、何かと無理しがちなルシルを時に引っ張り、時に押してくれれば……と期待を寄せていた。どうしても、うとめやカヅチといった上司からの提言には身を固くしてしまうようなのだ。
「えっと、じゃあ、さっきの提案は撤回します……メルさん」
「なぜあなたが私に敬語なんですか。堂々としてください、先人」
「う……わかった、メ……メル」
「そうです」
ある意味、希兵隊に向いていそうな度胸の据わり方だ……とうとめが感心していると、そこへザッザッと土を蹴って駆け寄ってくる人物がいた。銀髪銀目の朱雀隊員だ。
「お疲れ様です、宇奈川さん、竈戸さん」
「大和君。どうしたの?」
「いや、忙しかったらいいんですけど……」
コウはちらっとルシルを見た。「私?」と自分のあご辺りを指さすルシルに曖昧にうなずいて、彼はあとの三人も見渡して告げた。
「道場で、最司官護衛官の選抜戦がおこなわれるんです」
「……何だって?」
ルシルが一歩前に出る。
「どうも、新人が護衛官に立候補したらしくてな。護衛官の座は一つ。だから、ポジション争いだ。……時尼と、な」
「護衛官選抜戦なんて……聞いたことないわ」
「まあ、総司令部で腕の立つひとが少ないから、ケースが稀なだけで、隊則としてはあるからねぇ」
カヅチの声はのんびりとしたものだが、ルシルはいても立ってもいられない。
「それ、見に行っても構わないのか? 霞冴が頑張っているなら、見守ってあげたいし、勝ったらその場で『おめでとう』って言ってやりたいんだ」
コウは黙ってうとめを手で示した。ルシルがすがるような目でうとめを見上げると、彼女は少し考えてからうなずいた。
「わかったわ、メルちゃんの指導は私と竈戸さんがやっておくから、行ってらっしゃい。大切なお友達なんでしょ?」
「はいっ……ありがとうございます!」
風を切る速さで頭を下げると、ルシルはコウの手を引いて足早に道場のほうへと去っていった。
その姿を見送りながら、うとめが笑みをこぼす。
「時尼さんが護衛官になりたくて張り切ってるからって、あの子も稽古に付き合ってたみたいだから、そりゃ試合結果が気になるわよね。私も興味あるけど、やることもあるし、野次馬はよしておきましょう。竈戸さん、初日の練習メニュー、宮希から聞いてきたんでしょう?」
「それなんだけどね、うとめちゃん」
この手の嫌な予感は、毎度、寸分違わず大当たりする。
「さっき行ったらお留守だったから、あとでいっかーって……。でも、試合始まるってことは、余計に聞きに行けなくなっちゃったね。許してちょ」
「あなたってひとはぁっ!」
***
道場には、ルシルとコウ以外にも見物人がいた。人員の入れ替わりで戦力の調整のため白虎隊に移籍した霊那、同じ隊になる前から彼女と親しかったらしい撫恋、ケガ人がいなければ暇を持て余すしかない麒麟隊が三名、そして元々道場にいた朱雀隊一同。
じっと立って見物する彼らを見渡して、宮希は「ダークが出現したらちゃんと行って来いよ」と呆れ顔だ。ちなみに、何かあれば総司令部室で留守番しているみちねがすぐに知らせてくれることになっている。
道場の中央、四角くテープで区切られた場内に、宮希の二人の部下が相対していた。両者、額金と胴をつけ、道場の備品の木刀を携えて、ピリピリとしびれるような緊張感を放っている。
ルシルがコウの袖を引いた。
「あの新入隊員……剣術の経験があったのか?」
「オレが知るかよ。完全に部外者なんだからよ。……けど、そうじゃなきゃ護衛官には立候補しねえだろ」
コウは、年齢に比して低身長な少年を、難解なものに向けるような目で見つめた。
「だが……そうだとしてもだ。あの時尼と秤にかけられるほど強いってのか? あの鋼猫……確か、名前は……」
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