フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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8.神隠し編

38問三:今、泣いているのは誰ですか 前編

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 行方不明者の一人、希兵隊総司令部の副最高司令官。
 クロの色彩に染まり、その身体的特徴まであらわにした彼女は、印象的なアリスブルーも柔らかな笑顔も失った、それでも見紛いようのない時尼霞冴だった。
 予期せぬ突然の出現に、そしてその変わり果てた姿に、皆驚愕を禁じ得ない。
 唯一、冷静さを保っていた日躍が、嘆くようにつぶやいた。
「……なんてこと」
「な、な、何だよ、あれ。霞冴……だよな? まるで……クロみたいに……」
「ええ、その通りよ」
「そ、その通りって、どういう……」
 声を震わせる芽華実の隣で、雷奈がひゅっと息を吸い込んだ。おぞましい悪夢を目にしたかのごとき瞠目。
「……まさか……っ」
「そのまさかよ。彼女は――クロ化してる」
 フィライン・エデンの住人を罪から遠ざけるいわれ。彼らが君臨者の天罰と信じて恐れる、猫のクロ化。
 ルシルもコウも、そして多くの猫たちが、実際に目の当たりにしたことのない現象。それが今、まさに十メートルも離れていない眼前で、現実のここに存在していた。
 呆然とその光景を見つめていた氷架璃が、そこで恐ろしい事実に気づいて体を震わせた。
「ま、待てよ……クロ化ってのは、罪を犯した猫に起こるんだろ? 霞冴が……罪を犯したってことだろ……!?」
 霞冴がどの時点でクロ化したのかはわからない。だが、もしこの過去世界に来てから変貌したのだとすれば。この近くで、咎人になるようなをしたとしたら。
 何かを壊したのかもしれない。店から品物を持ち出したのかもしれない。だが、氷架璃の頭を埋め尽くしたのは、そんなかわいい可能性ではない。ここから二棟しか離れていないビルで、十分余り前に起こったことを考えれば当然だ。
 脳裏に、二つの笑顔がよみがえる。誰よりも猫みたいにふにゃふにゃして、のんきに目を細める少女と、生まれた時から見守ってくれた、慈しみと母性にあふれた女性。大好きなルシルにくっついて甘える彼女と、忙しい中でも愛情を注いでくれた彼女と、寂寥の涙の中でも健気にふるまう彼女と、いつも味方でいてくれた彼女と、爆音と、黒煙と、あの日の訃報と、あの日以来消えた彼女と、目の前の闇に染まった彼女がぐちゃぐちゃに入り乱れて――。
「あんただったのかよ、霞冴……あんたが……母さんを殺したのか……!?」
 己の胸に五本指を突き立てた。きしむ心をひっかきまわしたい気分だった。信じたくはない。こんな結末などあってはならない。自分が見たいと懇願した真実が、真っ向から向かってやると豪語した犯人が、かくも残酷なことなど――。
「氷架璃」
 胸元をわしづかんで肩を震わせる彼女のすねに、ふわりと撫でられる感触があった。足元でしっぽを揺らす日躍が、クロよりも寂びた上品な金の目で見上げている。
「違うわ、氷架璃。断じて、彼女は罪を犯していない。あれは、別物よ」
「別物……?」
「ええ。確かにクロ化してはいるけれど、罪を犯したからじゃない。あれは、源子に食われているのよ」
「どういうことだ」
 問うたコウの方へと首を回して、日躍は続ける。
「あなたたちは、罪を犯した者がクロ化するのを、どういうメカニズムととらえているの?」
「一般的な見解では……オレたち猫の負の感情をクロやダークに変換するのと同じように、君臨者が罪びとに裁きを……」
「なるほどね。少し訂正させてもらうわ。それは主の仕事ではない。あなたたちの負の感情……正確には、汚い感情を吸い取ってクロに成り代わるのも、罪を犯した者にとりついて宿主ごとクロになるのも、源子よ」
 つまり、クロやダークの正体は源子だったのだ。倒した後、どこへともなく崩れ消え去っていくのも道理である。
「でも、食われているって、どういうこと?」
「ここ最近、霞冴に変わった様子はなかった?」
「体調崩してたな。今日だけじゃねえ、しばらく前からだ」
「精神面では?」
 コウは苦々しげに目を閉じ、吐き捨てたくなるのをこらえるように答えた。
「……死んだ姉にそっくりなヤツが現れて、そのひとを見るたびに姉を思い出して苦しんでたみたいだ。たぶん、体調不良の原因も……」
 体の横でこぶしを握り締める音が、雷奈たちの耳にも届いた。
「おそらく、原因はそれね。源子がフィライン・エデンの猫に従うのは、彼らが強者だからよ。どんな生き物だって、弱者は強者に従うもの。でも、魂が病み、力を失っていくと、強者は強者ではなくなる。源子のほうが上に立ってしまうの。そうなったら、源子が言うことを聞いてくれないどころか、最悪の場合、下克上よ。食い物にされて、結果、宿主の負の感情と混ざり合ってクロになる」
「そ……んな……」
 ルシルが口元を押さえて、ふるふると首を振った。
 その時だ。今までぼんやりとこちらを観察していた霞冴が、おもむろに手のひらを突き出した。
「霞冴?」
 思わず歩み寄りかけたルシルの襟首をコウがつかむのと、日躍が叫ぶのは同時だった。
「よけて!」
 二手に分かれた彼女らの間を、白い風が雪崩のように駆け抜けた。猫力を解放していなかった雷奈たちが、うまくよけられたのは奇跡に近い。受け身を取り損なって転がった三人は、もし運が悪ければと考えて震え上がった。
 反対側に逃げていたコウが、素早く駆けてきて合流し、小脇に抱えていたルシルを下ろしながら、日躍に流し目を向ける。
「おい、これはどういうことだ」
「もう自我を失っているのよ。源子が手足を動かし、遊び半分に相手を殺そうとする。ちなみに、霞冴をここへ連れてきたのも源子だとみて間違いないわ。代償は払ってない。契約も何も、源子自らの意思で飛躍したのだから」
 その言葉に、雷奈は我知らず息をつめた。
(まさか……リーフたちば誘拐したのって……!)
「日躍、時尼を元に戻すにはどうしたらいい」
 元に戻せるか、とは聞かなかった。戻せない場合など、万に一つも考えたくなかったのだろう。
 幸い、日躍はコウの期待に沿う返答をくれた。
「まだ間に合うわ、クロ化は今、途中過程にある。完全にクロ化したら、元の面影などなくなるもの。今なら、あの中で眠っている霞冴本人を呼び戻せば、源子が抜けてくれるかもしれない」
「あいつに呼びかけて、時尼の意識を引きずり出せばいいんだな?」
「ただし、状況は深刻よ」
 再び突き出された霞冴の手のひらから、霧の砲弾が発射された。身をすくませる雷奈たちを背に、最前線に立つコウが一息で抜刀し、直径にして顔ほどある砲弾を切り裂いた。
「……と、こんな風に攻撃してくるから、簡単にはいかないわ。だからといって反撃したら、傷つくのは霞冴の体。さらに、源子は宿主の体力を無視して術を使いまくるから、彼女自身がどんどん消耗していくわ。あまつさえ、本来は源子が体内に入れば拒絶反応を起こす。だから時間をかけすぎたら、霞冴の命が危ない」
「霞冴……が……っ」
 座り込んだルシルは、自分の体を抱くように腕を回して、ガクガクと震えていた。
 コウが鋭く目を細める。
「致命傷を避けて攻撃を加えて、動きが止まったところで説得する……って寸法か」
 これが唯一の手段だ。失敗は許されない。手加減を間違えれば、深手を負う。手間取れば、体力が底をつく。そして完全にクロ化してしまえば、ほかのクロと同様に殺すしかなくなる。どの道、時尼霞冴は死ぬのだ。
 もう、時間は残されていない。できるだけ効率よく、霞冴の意識を引き出さなければならない。
 コウは、傍らで座り込んでいる、彼女の親友を見下ろした。
「ルシル」
「……っ」
「この中で一番、時尼に声が届きそうなのはお前だ。……やれるか」
 しかし、真っ青になって震えるルシルは、弱弱しく首を横に振った。
「無理だ……できるわけないだろう……。霞冴を……攻撃するなんて……!」
 瑠璃色の目は潤み、歯の根が合っていない。呼吸もひどく乱れている。こんな状態では、精神的にではなく物理的に、立ち向かえるわけがない。
 かといって、人間三人衆に任せるわけにもいかない。氷架璃と芽華実では押し負けるだろう。逆に雷奈では、力加減を間違えれば霞冴の命を吹き飛ばしてしまいかねない。何より、彼女らに傷一つ負わせれば、流清家と風中家が黙ってはいないだろう。
 コウは小さく息を吸うと、長い時間をかけて、細く吐き出した。そして一言、告げる。
「お前ら全員、下がってろ」
 一同の視線が、灰色髪の少年に集まる。ルシルがよろよろと立ち上がって、不安そうに幼馴染を見上げた。
「コウ……?」
「お前がやれねえなら、オレがやる。ルシル、後ろでそいつらを守ってろ。流れ弾一つ当てるな」
 悲壮な顔をしたルシルの袖を、氷架璃がそっとつかんだ。引っ張られ、後ずさったルシルの肩に手を添えながら、氷架璃はコウの背中に問うた。
「あんた、使うつもり? 大丈夫かよ?」
 氷架璃の視線が注がれているのは、コウの右手が提げている、ひと振りの刀だ。ダークを容赦なくたたき切るそれを霞冴に振るえば、後に何が残るかは想像に難くない。
 コウは前を向いたまま、氷架璃の語意に気づいたようだった。「いや」と一言で否定して、刀を手際よく鞘に納める。
「鞘つきをぶん回して一撃食らわせてもいいんだがな、あいにく相手は時尼だ。オレの力任せな太刀筋じゃ一つも当たらねえよ。だから――ちょい本気だ」
 言って、彼は左手をみぞおちのあたりに当てた。まぶたを下ろし、呼吸の波を確かめるように静かに立ち尽くす。その後方五メートルほどに避難した雷奈たちは、彼越しに、霞冴がゆっくりと刀印を結ぶのを見た。
 注意を喚起しようと口を開き、声を上げる直前。
「――封印解除、内界解放インサイドリリース
 硬質な響きとともに、コウの気配が一変した。何が、とは言いえぬ変化。例えば、周りの空気が冷えたような。例えば、見えない威圧感が生まれたような。
 同時に、霞冴が再び放った霧の砲弾が、コウの前方のみを覆う結界術に阻まれ、散った。
 前に突き出していた手を下ろし、結界を解いたコウの姿を見て、雷奈たちは息をのんだ。
 風に揺れる髪は、通常よりも光を反射し、金属のように冷たく輝いているようにみえた。光の加減や錯覚ではない。彼の髪は、いつもの灰色ではなかった。
 銀髪だ。
「まさか、コウって……猫力、封印しとったと……!?」
 美雷がらみで聞いた話によると、猫力を封印すると、髪や目の色が変化するという。つまり、今までのコウは、猫力をしまい込んで髪や目が変色した後の状態だったのだ。今の姿が、彼の本来の容姿ということになる。思い返せば、彼が人の姿で猫力を使うところを一度も見たことがなかった。
 コウはほんの少しだけ振り返り、雷奈を一瞥した。鋼のごとき、銀色の瞳だった。
 それも一瞬のこと、彼は無言で霞冴に向き直ると、一気に駆け出した。
 三度目の砲撃を軽々と飛んでかわすと、霞冴に肉薄。左手を手刀の形に構え、肩口を薙いだ。身をかわした霞冴は右にバックステップし、フェンスを背に着地。そこへ加えられた追撃の一閃も、ぎりぎりで免れた。勢い余ったコウの手刀が、後ろの金網フェンスを直撃し、耳を覆いたくなるような音とともに三十センチほどの裂け目を作った。
「き、切れたあぁ!?」
「雷帆の時と同じったい! クロガネに取りつかれた雷帆も、手刀や木刀に刃物の切れ味ば宿しとったとよ!」
「刃物だけじゃないわよ」
 自身は猫術を使えないものの、民草の能力を熟知しているらしい日躍がそう添えた。
 取り壊し予定のビル側へよけた霞冴を、コウが追う。霞冴は彼の足元めがけて、そばに落ちていたコンクリートのかけらを器用に尾で弾き飛ばした。河原の石ほどある砕片は、まきびしとはいかないが、踏めば転びそうなトラップへと化す。
「小賢しいことしやがって……よ!」
 構わず、ダンッ、とトラップエリアに力強く踏み込んだ。ちょうど、一番大きな石塊の上だった――が、それはコウのわらじの下で砕け散った。おまけに、さらに下のアスファルトまでへこむ始末だ。雷奈たちは、思わず「ひぃっ」とすくみあがった。
鋼術こうじゅつは、刃物だけじゃなく、鈍器としての性質も自身や物に宿せるのよ」
 踏み込んだ足で地面を蹴り、突進してきたコウを、霞冴が上方へジャンプして回避。すぐさま身をひるがえし、コウは着地点を予測して疾走するが、空中から霧術を発せられ、舌打ちとともに断念。霞冴の足が地についてから、回り込んで接近すると、息つく間もない猛攻を繰り出した。
 肩への掌底、上腕への手刀、すねへの蹴り。移動と術の発動を鈍くさせるため、四肢を徹底的に狙う。身一つが武器となったコウは、術らしい術も使わず、霞冴を回避一辺倒に追い込む。詠言の必要がないため、スピードが落ちることもない。希兵隊最強の名ももっとも至極だ。
 かろうじて避け続けていた霞冴の肩口が、コウの左手の刃に裂かれて血を散らした。ルシルの口から、「ああ……っ」と声が漏れる。だが、聞こえているのかいないのか、コウはその腕をつかむと、容赦なく金網のほうへと投げ飛ばした。背中からぶつかるが、コンクリートの壁を選ばなかったのはコウの気遣いだ。倒れこんだ霞冴を見て、そろそろ駆け引きの頃合いか、と気を抜いたコウだが、そうもいかなかった。
 起き上がった霞冴が、間髪入れずに距離を詰めてくる。コウは歯噛みしながら応じた。鉄の重さをもったこぶしで、突き出された手のひらを叩き落とし、構えた刀印を横殴りにする。
 その隙に、反対の手刀が髪の一束を舞い散らせ、つま先がふくらはぎに裂傷を刻んだ。
「やめて……」
 たまらず、ルシルが叫んだ。
「やめて、コウ! それ以上霞冴を傷つけないで!」
「……そういうわけにはいかねえんだよ」
「お願い……お願いだから、もう……!」
「オレだってやめてえよ!」
 響き渡る怒号に、ルシルが目を見開いて口をつぐんだ。
 一度間合いを取ったコウが、霞冴を睨みつけながら肩で息をする。あのコウが、希兵隊一の強靭な体力を誇る彼が呼吸を乱しているのは、肉体的な疲労からではない。この程度で息が上がるわけもないのに、苦しげに喘ぐのは。
「オレだって嫌だよ……何でこんなことになってんだよ! 時尼を助けに来たのに、何でその時尼と戦ってんだよ! 何で友達に手をあげなきゃいけねえんだ! こんなこと、オレだってしたくねえよ……でも、このままじゃ時尼が向こうに行っちまう。時尼霞冴が消えちまうんだよ!」
 友人を傷つけることへの嫌悪に、自責に、そして恐怖に胸を締め上げられたコウの口から、やり場のない葛藤がほとばしる。
 ルシルは、ただ目を大きく開いて、その絶叫に鼓膜を震わせていた。言葉も、声も、呼吸すら忘れて。
 霞冴が間合いを狭めてくる。一直線にコウへと向かいながら、右手で結んだ刀印を反対の肩口まで振り上げた。彼は舌打ちしたい衝動にかられながら、泰然と待ち構えた。そして、長身の利を生かして霞冴の右手をさらに上へとはらい上げ、一歩下がって身をひねり――。
「悪い、こらえろ」
 セーラー服の裾がせりあがってあらわになった腹部に、かかとからの踏み蹴りを叩きこんだ。
 ルシルが声にならない悲鳴をあげて、己の腹を押さえた。さすがに金属の重みを乗せてはいないだろうが、勢いには手加減がなかった。かはっ、と息を漏らして吹き飛ばされた霞冴は、地面にバウンドして転がっていく。コウは足を軽く振って、かかとにこびりついた、吐き気がするほど嫌な感触を振り払った。
 よほど効いたのか、なかなか起き上がれない様子の霞冴。コウはすぐさま走り寄り、緩慢に身を起こそうとする彼女のそばに滑り込むように膝をついた。セーラーの前襟をつかんで、いささか乱暴に引っ張り起こす。幼さの残る顔をすぐそばまで引き寄せると、光の消えた空虚な目をまっすぐに覗き込んで、至近距離で叫んだ。
「時尼、しっかりしろ! 源子なんかに呑まれてんじゃねえ! いつもののんきで能天気なお前に戻りやがれ!」
 霞冴はさしたる反応もなく、ぼんやりとコウを見つめている。届いているのかどうかわからない。それでも、この中に霞冴がいるのは間違いない。コウは小柄な体躯を揺さぶりながら呼び続けた。
「聞こえるか、時尼! 時――」
 声は、ぴたりと止まった。瞳が凍り付く。コウの視界は、霞冴の右の手のひらに埋め尽くされていた。
「まずっ……!」
 手を放し、立ち上がり、後退する。その第一段階しか達成できなかった。
 目と鼻の先で大量の霧を噴射され、コウはとっさに袂でかばおうとするも、間に合わなかった。呼吸器に作用するタイプの霞冴の毒霧は、一息吸い込んだだけで、たちまちコウの気道を絞り上げた。
「が……は……っ」
「コウ……!」
 たまらず体を折り、その場にうずくまる。咳は出るのに、息を吸おうとしても喉に弁がついたように叶わない。ヒューヒューと音を立てながら、かろうじて呼吸をつなぐだけのコウを、霞冴は無感動に眺めていた。
 やがて、その手が動く。術を発動させる様子はない。前方に伸ばされた手は、コウの左腰へと向かい――無造作に、実に無造作に、コウの腰帯の鞘から刀を引き抜いた。
「……ッ!」
 コウの背筋を、ぞわりと悪寒が駆け抜けた。霞冴の行動に、何のためらいもなかった。刀を左手にさげると、だいぶ回復したのか、すっと立ち上がった。右手に持った柄を一度握りなおし、唖然とするコウに無機質な視線をくれる。
 そして、表情一つ変えず、手にした得物を高く振り上げた。白銀の物打ちが、陽光を反射して鈍く光った。
 愕然と目を見開くコウを、金色の双眸は、何の感情も映さないまま見下ろしていた。
 結局、声は一つも届かなかったようだった。
 交渉の余地もなかった。待て、と一言訴える暇もなかった。
 予備動作もなく、刃は振り下ろされた。泣き叫ぶ悲鳴が三人分。鋼の硬度を宿した手で切り結ぼうとするも、咳き込んでままならない。かわそうとして立ち上がれば、頭を割られるまでの時間が縮まるだけだ。
 一瞬、彼女のあどけない笑顔がよみがえった。護衛官として守り続けた、アリスブルーの少女が。人懐っこくて、少しだけずる賢くて、脆くて脆い友人の姿が。
 願わくは、自分が護衛官を降り、彼女が最司官を降りた今も、その役目は続けてやりたかったのに。
 守れなかったのか。助けられなかったのか。
 親友に斬られる無念など微々たるもの。それを遥かに上回る、親友に斬らせてしまう後悔に、ごめんな、と一言だけが頭に浮かんだ。
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