フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

文字の大きさ
上 下
9 / 108
6.新最司官編

30最司官、来訪 前編

しおりを挟む
 四月八日、
 もはや、一週間遅れのエイプリルフールだなどとは思わなかった。
「……戻ったったいね……」
「戻っちゃったな……」
「戻ってしまったわね……」
 朝起きて、スマホの画面を見ると、そこに表示されていたのは一年前の日付。否、一度繰り返していることを考えると、もう二年前になる。
 結局、再び時は戻ってしまったのだった。
「本当にフィライン・エデンはこの件解決しようとしてんのか? 進展あんのか?」
「まだ進捗聞いてないなぁ……また問い合わせとくね。あ、雷奈、お茶ありがとう」
「いえいえ。フーもどうぞ」
「ありがとう。……フィライン・エデンも同じように戻っちゃってるから、現象としては去年と同じことが起きているわね」
「今朝、耀にも連絡したところ、彼女も気づいているそうだ。早く解決してくれ、と。これはアワに伝言だ」
「ぜ、善処します……」
 アワがこうべを垂れた相手は、昨日、東京に戻ってきた雷華だ。彼女の育ての親、上山手耀は流清家のパートナーだったので、正統後継者の少年は彼女の頼みは断れない。
 神社に帰ってくるなり、荷物を片付ける暇もなく、雷華は雷奈から、最高司令官交代についてのあらましを聞いた。そして、選ばれし人間ではないにしろ、フィライン・エデンを知る者として、挨拶に立ち会うことにしたのだ。
 すっかり集会所となった雷奈と雷華の部屋。今日は風も強くないので、戸を開け放って新鮮な空気を取り入れている。花びらがひらひらと舞っていくのを、窓枠を通さず眺められるのは、なかなかの美観だ。
 静かで、しかし全くの静寂でないのが耳に心地いい。鳥のさえずり、遠くで境内を掃き掃除する音。
 そこへ、待ち人の足音が混ざった。
「みんな、おはよう」
 縁側から姿を現したのは、いつものセーラー服姿の霞冴だ。早朝の晴れた空に似た色の髪が、春風にそよいでふわりふわりと揺れる。彼女の挨拶に応じると、一同はその腕の中の猫に視線を集めた。
「初めまして。私が現最高司令官、時尼美雷です。以後お見知りおきを」
 全身琥珀色をした長毛の猫は、霞冴の腕から飛び降りると、小さく頭を下げた。
 確かにそっくりだ――誰もがそう思った。
 色こそ全く違うが、霞冴と同じく、耳や首の周りに飾り毛がある。霞冴と姉がそっくりで、霞冴と美雷がそっくりなら、やはり姉と美雷も酷似しているのだろう。
 声の使い方も、体の動きも気品がただようもので、いっそう気おくれしてしまう。雷奈は緊張気味に、上座を案内した。
「霞冴は道のガイドでついてきたっちゃか?」
「それもあるけど、護衛官だから」
「ああ、そうやったね」
 雷奈が二人にお茶を出すと、美雷は飲みやすいようにと双体に変化した。やはり霞冴によく似た、目元の柔和な少女だ。しかし、三つ年上といえど、それ以上に大人びた雰囲気をまとっていた。敬語を使おうとすると、美雷に笑って遠慮された。
 服装は、霞冴と同じデザインのセーラー服だ。ただし、襟やスカートなど、霞冴のものは臙脂色である箇所は、優しい色合いのオレンジ。聞けば、昨日卸したてだという。
 一息ついたところで、部屋主・雷奈から時計回りに自己紹介をしていく。雷奈の斜向かいに座るフーの番が終わると、フリートークタイムとなった。とはいえ、あまりくつろいだ雰囲気ではない。にこにこしているのは美雷だけで、残りの面子は肩に力が入り気味になっていた。
 咳払いをして、最初にアワが口を開いた。
「えーっと……ボクは一応、家柄、顔が広いと自負しているんだけど、君とは会ったことないよね?」
「そうね。初対面だと思うわ」
「飛壇にいるひとたちのことはたいてい知っているつもりだったんだけどな。ずっとあの辺に住んでた?」
「いいえ、北のほうから上京してきたの」
「え、そうなんですか」
 これは、霞冴も知らない事実であった。北に自分の親戚がいたのか、という驚きも含んでいる。
「頭いいから、てっきり中央学院の研究科にでも所属していたのかと……」
「違うのよ。父が勉強熱心だったから、いろいろ教えてもらいはしたけれど、研究できるほどではないわ。実家でも、普通に家業の手伝いを仕事にしていたしね」
「……本当に、ですか?」
 雷奈たちは、霞冴の目の色が変わったのを見た。床に手をついて、隣の美雷に向かって前のめりになり、まるですがりつくように、必死にたたみかける。
「本当に、研究科の所属とかじゃないんですか?」
「ええ、違うわ」
「時空学専攻とかじゃ、ないんですか?」
「あら、どこから時空学が出てきたの?」
 美雷の問いかけで、霞冴はハッと口をつぐんだ。憑依が解けたかのような呆けた表情。
「す……すみません。その……時空学は、姉が……」
「あら、すごいのね。時空学といったら、フィライン・エデンの学問で最難関じゃない。私には荷が重いわ」
「……すみません」
 悪いことをしたわけでもないのに、霞冴は小さく肩を縮めた。
 時空学。以前、霞冴がかじったことがあると言っていた学問。あれは姉の影響だったのだ、と雷奈たちは合点がいった。
「じゃあ、遠路はるばる、わざわざ飛壇に希兵隊になりに来たってわけか?」
 氷架璃が頭の後ろで手を組みながら問うと、美雷は朗らかにうなずいた。
「飛壇で働いてみたかったのよ。公務員、中でも希兵隊の総司令部がいいなって思って」
「ばってん、いきなりトップなんかになって、嫌じゃなかと? 責任とか緊張感とか、ハンパなかろ?」
「あら、全然嫌なんかじゃないわ。むしろ嬉しいのよ」
「う、嬉しいの?」
 解せない、という顔の芽華実に、美雷は心底わくわくした様子で、
「だって、あの規模の組織が私の言う通りに動いてくれるのよ。ゴーもノーゴーも私の思い通り。胸が躍るじゃない」
 天衣無縫の笑顔で放たれた言葉が、雷奈たちの肌をざらりと撫でた。霞冴はすでに、美雷のこの顔を本部で見知っている。実姉のみらいとは程遠い、聞きようによっては無思慮な口ぶり。
「……言うとおりに動くって、どう動かす気と?」
「もちろん、希兵隊の目的に沿って指示を出すわ。クロやダークの討伐、災害救助などね」
「そんなまともな目的だけっちゃか?」
「あら、どういう意味かしら」
 雷奈を見つめる美雷の目は、にっこりと弧を描いている。なのに、なぜか奇妙な威圧感が視線から伝わってくる。
「まともではない目的のために動かしそう、ってこと?」
「……まあ、そう捉えられてもしょうがない言い方やったね」
「そう」
 美雷は気を悪くするでもなく相槌を打った。
「じゃあ、仮に私が何かを企んでいるとしましょう。私が希兵隊内でよろしくない行為に走ったら、当然、霞冴ちゃんのように他の二機関から罷免されるわ。けれど、他でもないその二機関が、私を最司官にと推薦したのよ? 自らが推薦した者を罷免しなければなくなるって、かなりの名誉の損失ね。だって、見る目がなかったってことですもの」
 立て板に水のごとく、つらつらと並べられる言葉は、黒鉄のように冷たい。明確な悪意があるわけではない。ただ、通常は慎むべき発言を、はばかることなく発していることに、このうすら寒さは起因している。
「だとしたら、二機関は果たして私を罷免するかしら? 私のことを放っておくのではなくて? あるいは、もし清く正しく私を罷免したとして、次期最司官を誰が選ぶの? そう、やはり二機関よ。私という不適合者を推した二機関が、次の最司官も決めるの。そのひとを、みんなは信用するのかしら。……と、この時点で希兵隊は組織的に崩壊、終わりね」
「――……」
 誰もが慄然と言葉を失う中、美雷はくすりと笑みをこぼして、
「……というように、考え出すとどんどん悲観的になっていくから、あまり憂うのもよくないわ。第一、私にはそんなつもりないもの。言い方が悪かったならごめんなさいね。……ところで、私からも質問していいかしら?」
 仮定の話とはいえ、劣悪な状況を忌憚なく言葉にされ、閉口する一同。美雷の問いかけにも、すぐには応じられなかったが、彼女は返事も待たずに雷奈に尋ねた。
「雷奈ちゃんは九州地方から上京してきたと聞いたわ。理由を尋ねてもいいかしら」
 本人にとってはトラウマになってもおかしくない経緯だが、もうずいぶん慣れたもので、雷奈は要領よく事情を話した。毎回、こういう時はどういう顔をすればいいのか、氷架璃も芽華実もいまだにわからない。母親は故人に、父親は殺人犯に。なぜそうなったのかもわからないまま、彼女は一度に両親とも失ったのだ。
「……ってわけで、今はここに居候しとるってわけ。ちなみに、雷華は別ルート。生まれたときに病弱で、その療養のために、母さんと同じ選ばれし人間だった上山手さんのところに養子に出されたと。で、自己紹介の時にも話したように、時間のループになぜか気づいて、光丘で一緒に謎ば探るべく、私と同様、神社に居候中」
「そうだったの。大変だったわね……」
 美雷は声量を落として言った。さっきまで、胸三寸に何を抱えているか知れない態様であったのに、今の彼女は、心から気の毒に思っているように感じられた。
(……もしかして、思っとったより優しい人……?)
 こわばっていた心の扉をそっと開いて、中から覗いてみる。歯に衣着せぬだけで、実は裏など何もない人物なのではないだろうか。
 美雷は、雷奈の家族についてのこの話題を、相当にデリケートな問題と捉えているのか、言葉を選ぶようにゆっくりと問うた。
「その……雷奈ちゃんは、雷華ちゃんとは一緒に暮らしてはいなかったということは……お母さんとお父さんとの三人暮らし、だったのかしら」
「ううん、姉貴と、三つ下の妹がいるけん、五人家族やったとよ」
 雷奈は立ち上がると、鏡台の上の写真を手に取った。父母が後ろに立ち、三姉妹が前で無邪気な笑顔を見せているベストショットにして、種子島から持ち帰った唯一の写真である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...