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4:持田くんに近づきたい!
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慣れた手つきで、持田くんがギターを弾く。
それを真正面から見つめるあたし。
…その視線に少し緊張気味の、持田くん。
「…何緊張してるの?」
そんな彼の様子にあたしがそう聞けば、持田くんがギターを弾く手を止めて言った。
「あ、当たり前です。この至近距離でそんな真剣に見ないで下さいよ、」
「えぇー、歌手志望なのに?」
「…歌手志望でも、緊張くらいするんです」
持田くんはそう言うと、またギターを弾く。
今は、生徒会活動が終わった放課後。
今日はハルが独りで帰りたがったから、あたしは「もしかしたらいるかも」と思って教室に来ていた。
するとそこには、案の定曲作りをする持田くんの姿があって…。
思わず真剣に見ていたら、持田くんが緊張してしまった、というわけだ。
持田くんへの自分の気持ちに気付いてしまった今。
本当はあんまり認めたくないけど、でもいざこうやって持田くんを見ていたらドキドキするし、何よりこの空間が心地いい。
あたしがそう思いながら今度は目の前の持田くんのノートに視線を落としたら、ふいに彼があたしに言った。
「…菅谷さんって、大野くんのことはどう思ってるんですか?」
……ん?
その突然の問いかけに、あたしはまた顔を上げて持田くんを見る。
何でいきなりハルの話?
そう思いながらも、
「え、ハルは別に…ただの幼なじみだよ。同い年というよりか、可愛い弟みたいに思ってるし」
あたしがそう言うと、持田くんは心なしか顔の表情を曇らせて「…そうですか」と呟いた。
…?何なんだろう。なんかあるのかな?
……別にいいけど。
そう思ってしばらくは何も言わずに、持田くんのその姿を飽きずに見るあたし。
ギターって難しそうよね。
ピアノなら弾けるけど。
そう思って眺めていたら、やがて持田くんがまた手を止めて言った。
「……今日はもうここで終わりにします」
「え、もう!?」
「なんか、お腹空いたんで」
そう言うと、ノートを閉じてギターをケースに仕舞いはじめる持田くん。
その言葉に時計を見遣ると、時刻は18時。
片付けるには、いつもよりちょっと早いけど。
「じゃああたしも帰ろーっと」
そしてそんな持田くんにあたしもそう言って帰ろうとすると、持田くんが引き留めるように言った。
「あ、菅谷さん!」
「…ん?」
「あの、大野くんから聞いたんですけど…
菅谷さんって、大野くんの家で夜ご飯食べてたって本当ですか?」
「え?んー…うん。そだね。今は一人だけどね」
ってか、それがどうかした?
その言葉にあたしがそう聞こうとしたら、持田くんが言葉を続けて言った。
「じゃあ良かったら、今日は一緒に食べません?」
「…えっ、」
「あ…何と言いますか、俺夜ご飯はずっと独りなんですよ。家族とかいないんで、本当にずっーとで…」
だから…
しかし持田くんのその言葉を聞くと、あたしはいてもたってもいられなくなって、言葉を遮るように言う。
「そ、それって…あたしと持田くんが、二人で夜ご飯食べるってことっ!?」
だってそれって、明らかにそういうことだよね!?
あたしがそう思いながら聞くと、持田くんが突如あたしから目を逸らして言う。
「あ…や、やっぱ…図々しいですよね?」
「!」
「すみません。ほんと、言ってみただけなので。今のは気にしないで下さい」
持田くんは少し表情をひきつらせてそう言うと、本当に何事もなかったかのように鞄とギターを担ぐ。
けど…待って。そういうんじゃなくて、
「ち、違う!違うから!」
「!」
そしてあたしは離れて行く背中を引き留めるようにして、咄嗟にそう言って持田くんの腕を掴んだ。
「…え、」
「言ってみただけ、とか言わないで。あたしだってお腹空いてるの」
「!」
「帰りに寄り道…とかはさすがに無理だけど、出来たら、待ち合わせとかで、その……」
あたしは内心物凄くドキドキしながらそう言うと、持田くんを見れずに真っ赤な顔でうつむく。
掴んでいる手が何だか恥ずかしすぎてぱっと離したら、持田くんは少し黙り込んだあと言った。
「え……いいんですか?」
「も、もちろん。ってか、誘ったのは持田くんでしょ」
「いや、そうですけど……」
「~っ、ほら行くよ!」
そして照れ隠しであたしはそう言って、先に教室を後にして少し暗い廊下を歩いていく。
いや…もう、ほんとに信じられない。
今のあたしは、本当に持田くんを「ブサ男」呼ばわりして毛嫌いしていたあの菅谷美希と同一人物なのか?
自分でもそう疑ってしまうけれど…
「あ、あの…菅谷さん」
「なにっ」
「音楽室はこっちです」
「!」
正真正銘、同一人物だからしかたない。
あたしは思わず生徒玄関に向かって歩いていたけれど、その持田くんの言葉で黙って反対側に方向転換をした。
…………
そのあとは持田くんと一旦別れて、それぞれの家に帰宅した。
本来なら着替えて必要なものを持ってから、またすぐに家を出るつもりだったけど…
「…あれ?」
家に帰って、鍵を開けようとしたら…何か、違和感。
…鍵が開いてる…。
もしかして、今朝締め忘れた?
……まさか、
そう思って、急いでドアを開けて廊下を進んで行くと…
居た。
最近はまともに会えていなかった、父親が。
「…お父さん…」
「おお、美希」
お父さんはリビングでタバコを吸いながら、大きな黒い鞄のチャックを閉めていた。
「…何してるの?」
「いや、今から出張だから。その準備だよ」
「お母さんは?」
「アイツは……まだ仕事の打ち合わせ中だ、たぶん。当分帰って来れそうにない」
お父さんはそう言うと、「じゃあな」って鞄を抱えてまたリビングを後にしようとする。
でも、
「待って!」
「!」
「あたし…いつまで我慢してればいいの?」
「…」
あたしがお父さんの腕を掴んでそう聞くと、お父さんは特に何も言わずにあたしの手を振り払って、家を後にした。
「…っ…」
その背中を、また追いかけることは出来ない。
お父さんとお母さんには、話したいことがたくさんある。
あたしが生徒会長になったことすら、知らない二人だから。
今日会ったの、もう何ヵ月ぶりだろ…。
さっきのお父さんが見せた、冷たい背中が頭から離れない…。
…………
「…どうかしたんですか?」
「えっ」
その後は持田くんとファミレスで待ち合わせをして、二人でチキンカレーを注文した。
だけど、せっかくの持田くんとのご飯なのに……あたしは何だか、ぼーっとしてしまうことが多くて。
それに、あのあとテーブルの上に生活費が置いてあることに気がついて、余計にショックが大きくなった。
その渡された金額が多ければ多いほど、二人は帰ってこないのだから。
「…んーん。何でもない」
あたしは持田くんの言葉にそう言って首を横に振ると、またメニューを取り出して言う。
「後でスイーツ食べたーい」
「…菅谷さん何好きなんですか?」
「え、何でも好きだよ。スイーツなら何でも来い!だから。持田くんも食べなよ」
あたしはそう言うと、持田くんにもメニューを向ける。
でも持田くんは首を横に振ると、言った。
「いえ。俺は結構です」
「えーっ、何で!?」
「俺、甘いの苦手なので」
そう言うと、菅谷さんだけ好きなの頼んで下さいよ、とまたあたしにメニューを向ける。
えー…一人でスイーツ食べるとかつまんないなぁ。
……じゃあ今日はやめておこうかなぁ。
そう思って、ため息交じりにメニューを閉じたら…
「あれ?美希じゃん!」
「!!」
その時───…
物凄く聞き覚えのある声に、突然話しかけられた。
思いもよらないその声に、思わずあたしの顔が強ばる。
突如、バクバクと高鳴る心臓に…胸が苦しい。
だって、あたしに声をかけてきたのは…
「なに、最近家に来ねーと思ったら友達とメシ食ってたのか」
「…っ、」
隣に女の人を連れた、春夜くんだったから。
なんで…なんで…。
あたしがそう思いながら春夜くんからバッと顔を逸らすと、ふいに向かいに座っている持田くんと目が合う。
何も知らない持田くんは、突然の春夜くんの登場に「だれ?」って顔。
あたしはもう………春夜くんを見ることが出来ない。
「ひ…久しぶりだね」
それでも何とか平然を装ってあたしがそう言えば、春夜くんは隣にいる女の人を紹介するようにあたしに言った。
「あ、美希さ、コイツのことまだ紹介してなかったな」
「…」
やだ。聞きたくない。
「コイツ、俺の彼女…あ、もう籍入れたから嫁か。嫁の志歩」
「初めまして、美希ちゃん。美希ちゃんのことは春夜から話で聞いててね、ずっと会ってみたいなぁって思ってたの」
「…」
春夜くんはあたしの気持ちなんて知る由もなく、そう言ってあたしに奥さんを紹介してくる。
そして、一番聞きたくなかったのはその女の人の声。
美希ちゃん、なんて呼ばないで。
あたしはずっとアンタに会いたくなかった。
そして、その女の人が「よろしくね」って言った瞬間…あたしはまた持田くんとまっすぐに目が合って、
“たすけて”
思わず、声には出さずに口パクでそう言った。
伝えた瞬間持田くんは目をぱちくりさせていたけれど………ちゃんと伝わったのかな。
春夜くんのことはもう、ちゃんと諦めるって決めたから。
それなのに今、こんな形で会いたくない。
すると…あたしがそう思っていたら、春夜くんが言った。
「なぁ美希」
「…?」
「俺達の結婚式、必ず来いよ。待ってるから」
「…、」
…その言葉に、あたしは何も言葉を返せなくなる。
結婚式なんて、行きたくない。
しかし、あたしがそう思って困っていると…
「っ……あの、」
「…え?」
次の瞬間持田くんが、ふいに椅子から立ち上がって、春夜くんに言った。
「いい加減にしてもらえませんか?」
持田くんはそう言うと、今まで見たことのないような、真剣な表情を春夜くんに向ける。
そんな持田くんにあたしが目を見開いていたら、持田くんが言葉を続けて言った。
「俺たち今、デート中なんです」
「!」
「こうやって会うのも凄い久しぶりだし、失礼ですけど邪魔しないで下さい」
「えっ、あ…」
「………それに俺、嫉妬深いんで。彼女が誰かと話してんの見ると、イライラするんすよ」
持田くんは春夜くんに向かってそう言うと、深いため息をついてまた椅子に座る。
「…、」
…持田くん…。
うそ、本当に助けてくれた…。
そんな持田くんの言動にあたしが静かに感動していると、やがて春夜くんがあたしに…
「……お前、彼氏いたのか。初耳」
「!」
「“アイツ”の気も知らないでさ」
「…?」
何故かそんな言葉を残して、志歩さんとともにその場を後にした。
……アイツ、って?
最後の春夜くんの言葉が少し気になったけれど、でもあたしは瞬時に我に返って持田くんを見遣る。
お礼、言わなきゃ。
そう思って口を開くと、それを遮るように先に持田くんがあたしに問いかけてきた。
「菅谷さんは…」
「?」
「さっきの男のことが、好きなんですか?」
そう問いかけると、頬杖をついてあたしを見つめる。
その問いかけにどう答えようか迷ったけれど、やがてあたしは意を決すと持田くんに言った。
「…いや、まぁ…」
「…」
「正しくは、“好きだった”かな」
「…」
「さっきの人、春夜くんって言ってあたしの幼なじみなの。あ、ほら、ハルのお兄ちゃん。
あたしは春夜くんのことがずっと好きだったんだけど、この前諦めることにした。婚約しちゃったし」
………それに、他に好きな人もできちゃったわけだし。
だけどそのことは言わずに、あたしは持田くんに言葉を続ける。
「それより、ありがとね。助かったよ。いやほんと………どうなるかと思った」
「…いえ、」
「諦めるとか決めてて、平気だって感じてたけど…でもいざ婚約相手を紹介されると、なんかまだ辛いや…」
「…」
あたしはそう言うと、悲しい顔を見せないように必死に笑顔を作って見せる。
…このまま、悲しい雰囲気には持っていきたくない。
だってせっかくこうやって持田くんといるわけだし。
そう思いながら、「やっぱ後でスイーツ注文しようかなー」って言おうとしたら、その時先に注文していたチキンカレーがきた。
「お待たせしました、チキンカレーです」
「わーおいしそー!」
「ごゆっくりどうぞ、」
「ありがとうございます、」
そして店員さんがその場を離れて行ったあと、あたしはスプーンを手に持ってチキンカレーを食べはじめる。
でも………一方の持田くんは何故か全くチキンカレーに手をつけなくて。
食べないの?
そう聞こうとしたら、持田くんが言った。
「…いつまでも辛いのは、当たり前ですよ」
「え、」
「だって、その人のことが本気で好きだったんなら、尚更」
持田くんはそこまで言うと、真剣な表情であたしを見つめる。
その真っ直ぐな視線に、あたしは不思議なくらい目を逸らせなくなって…
そうしていたら、やがて我に返ったらしい持田くんがハッとした顔をして、そのあと「すみません」と謝った。
「…」
「なんか、凄い図々しいこと言いましたね俺!いや、ほんと、思ったことをそのまま言っただけなんすけど…」
「…」
「すみません菅谷さん、今のは忘れてくださいね。恥ずかしすぎる」
持田くんは少し顔を赤くしてそう言うと、さっきのことが本当に恥ずかしかったのか気を紛らわすようにようやくチキンカレーに手をつける。
でも、あたしは…
「嫌!忘れるなんて絶対やだ!」
その言葉を聞いて、すぐに持田くんに言った。
「い、今のはしっかりあたしの脳内に記憶されたからね!名前つけて保存したから!削除不可能!」
「え~」
…それに、ありがとう。
何か持田くんのおかげで、大切なことに気づけた気がするの。
今は確かにまだ辛いけど、きっとそれでいいんだなぁって。
…なんか、意外だ。
持田くんにこんなことを教わるなんて。
それに、さっきから見ていて飽きない。
チキンカレーを美味しそうに食べるその姿や、
窓の外を眺める姿、
そしてたまに…あたしと目が合って、照れたように慌てて目を逸らすその仕草。
なんかもう…あたし、何かの病気なのかな?
持田くんを見ていると、キュンキュンしすぎておかしくなりそう。
だけど持田くんはあたしからのその視線に気がつくと、
「た、食べにくいんでそんなに見ないで下さいよ」
って、恥ずかしそうにそう言ってうつ向いた。
「え、いいじゃん。だって凄い美味しそうに食べるんだもん」
「俺、ここのチキンカレー好きなんですっ」
「じゃあまた今度一緒に食べに来ようね。一回きりとか言わないでよ」
あたしが思いきってそう言ってみると、持田くんは一瞬目をぱちくりさせたあと…
「…菅谷さんさえ良ければ、ぜひ!」
そう言って、凄く素敵な笑顔を見せてくれた。
…………
チキンカレーを食べたあとは、二人でファミレスを出て夜道を歩いた。
悪いからって断ったのに持田くんはあたしを家まで送ってくれるらしく、いまは隣を歩いてくれている。
……でも何か、変な感じ。
いつもこの隣は、ハルがいるから。
それに何だか変な沈黙が続くから、そのうちあたしは耐えきれなくなって持田くんに聞いてみた。
「ね、持田くんってさ」
「はい?」
「何で、ミュージシャンになりたいの?」
素朴な疑問。
だって、意外だから。
音楽が好きなのかな?
もしや、意外と目立ちたがり?
あたしがなんとなくその理由を問いかけると、持田くんが少し考えたあとそれに答える。
でも、その答えは…
「……俺本当は、そもそも歌手志望じゃなかったんですよ」
「え、」
あたしの予想を、遥かに越えていた。
持田くんのその言葉を聞くと、あたしは少しだけ目を見開いて彼を見遣る。
…歌手志望じゃ、なかった…?
「え、じゃあ今なんで目指してるの?」
わけがわからなくてあたしがそう聞くと、持田くんは心なしかどこか表情を曇らせながら話し出した。
持田くんがミュージシャンを目指すようになった理由は、こうだった。
持田くんには数年前、中学生の時に学校のクラスメイトで唯一仲の良かった女子生徒がいた。
彼女の名前は三原汐里(みはら しおり)。
ピアノやギターを弾くのが大好きな音楽系女子で、この頃から既に作詞作曲は当たり前だった。
そんな彼女の夢はミュージシャン。
彼女はいつも、「自分が作った歌を、想いをできるだけ多くの人に届けたい」と言っていた。でも……
そんなある日。彼女は突然事故に遭い…下半身の自由を、奪われてしまった。
何とか命は助かったものの、彼女はその事故がきっかけで、それからはずっと車椅子生活を送らなきゃいけないことになった。
そしてその日から彼女は、大好きだったピアノやギターすら…夢の世界をも、諦めるしかない状況に追い込まれて…
持田くんを含む周りの人達に、心を閉ざすようにもなった。
足が動かないならミュージシャンなんて目指せない。
こんな体で夢なんて、追いかけられるはずがない。
そんな彼女に持田くんは、「歌は歌えるし、手も動かせるから大丈夫だよ」って一生懸命励ましたけれど、汐里さんの夢が叶う可能性は極めて低かった。
それからは持田くんも汐里さんと会えることが無くなり、
そもそも会いに行っても汐里さんは誰とも会いたくなかったらしく、結局しばらくは全く会えずにいた。
…────でも。
それから約一年が経った頃。
ある日持田くんは突如汐里さんに呼ばれて、近所の公園まで連れて来られた。
一年ぶりに会った汐里さんは少し痩せていて、でも前から比べれば笑顔が少し戻っていた。
会うのは凄く久しぶり。
前はあれほど会いたがらなかったのに、何で…?
持田くんがそう思っていたら、汐里さんが言った。
「…ねぇ、渉くん」
「うん?」
「あのね、あたしの代わりに…ミュージシャン、目指してくれないかな?」
「…え、」
その言葉は、本当に突然なものだった。
まさかこんなことを言われるなんて、思ってもいなかったのだから。
そもそも持田くんは、今はストリートミュージシャンをやっているけれど、それをする前は音楽に全く興味がなかった。
ピアノやギターなんて弾いたこともなければ、そもそも触ったことすらない。
それに、人前に出ることが物凄く苦手で、出来れば隅の方で独り大人しくしていたい…と思うような暗い性格だった。
でも、びっくりする持田くんに汐里さんが言った。
「渉くんなら出来るよ」
「!」
「あたし、渉くんが歌上手いの知ってる。音楽の歌のテストとかで、見てたもん。ギターとかの楽器だって、あたしが教えてあげるよ。
だから…あたしの代わりに目指してみない?
っていうか、目指してほしいの」
汐里さんはそう言うと、今までに見たことのないような真剣な表情で、持田くんを見つめる。
あまりの急な展開にさすがの持田くんもすぐには答えを出せなかったらしいけど……
その日から数日後。
やっと決心をして、汐里さんに言った。
ミュージシャンを目指す、と。
「じゃあ…今でもその汐里さんと、連絡とかとり合ったりしてるの?」
持田くんのその話を聞いてあたしがそう問いかけると、持田くんが頷いて言った。
「はい。まぁ、彼女車椅子なので、実際にはなかなか会えていませんけど。電話とかメールなら頻繁にしてます」
「…」
そう言って、横顔で少し微笑んで見せる。
…なんか、やだな。
もしかして、持田くんは…
「………ねぇ、」
「はい?」
あたしはそう思うと、さりげなく持田くんに問いかけた。
「もしかして、持田くん…その汐里さんのこと、好きなの?」
「!」
あたしは真っ直ぐにそう問いかけて、怖いくせに持田くんを見遣る。
本当はこんなこと聞きたくないけど、独りでクヨクヨ悩むのも嫌だから。
すると持田くんは、意外にもあたしの問いかけに素直に答えた。
「はい、好きですよ」
「!!」
「もう五年くらい片想いしてます。じゃなきゃ俺、今頃ミュージシャンなんて目指してません」
持田くんははっきりそう言うと、照れくさそうに少し笑う。
…一方そんな持田くんの言葉を聞いたあたしは、なんだか心臓の奥で嫌な音が響きだして。
「…そ、だよね」
って、必死で平然を装ってみるけど……作っている笑顔も、きっと引きつっていると思う。
…また、だ。
また、こんな辛いのばっかりだ。
でも、
「え、じゃあそこまで好きなら、告白しちゃいなよ!」
「!」
あたしは持田くんにこのショックな気持ちがバレたくなくて、気がつけば大きめの声で持田くんにそんなことを言っていた。
そんなこと、思ってない。
でも何故か、口は止まらない。
「汐里さんに言われてミュージシャン目指してるくらいなら、さっさと告白して付き合っちゃえばいいじゃん!
その雰囲気なら、きっとイケるんじゃない!?
あっ…あたしが協力してあげるからさ!」
あたしはそこまで言うと、平気なフリをして持田くんの背中を押す。
…本当は真逆のことを思ってるくせに、いったいどのクチがそんなことを言うんだろう。
協力なんて、絶対出来ないししたくないのに。
すると持田くんはあたしのそんな言葉を聞いて、一瞬びっくりしたような表情を浮かべたあと、言った。
「いや、それは無理です」
「!…え、」
「少なくとも、“今は”」
「…、」
その言葉に首を傾げると、持田くんがまた言葉を続ける。
「俺、決めてるんです。汐里には、ちゃんとミュージシャンになって有名になれた時に告白しようって」
「!」
「なので、今は無理です。どちらも中途半端にはしたくないので」
持田くんはそう言うと、ふいにあたしから目を逸らして「あ、ここですか?」と見慣れた家の前で立ち止まる。
その言葉に、気がつけばもう目の前にはあたしの家。
“菅谷”という表札を見て、持田くんが気づいたらしい。
「…あ、そうそう。ここ。ありがとね、送ってもらっちゃって」
「いえ。誰かと晩ごはんを食べることなんてなかなかなかったので、楽しかったですよ」
持田くんはそう言うと、またあたしに向かって笑顔を浮かべる。
…なんだか、ずるい。
大好きな笑顔なのに、凄く遠くて届かない笑顔だから。
まさか持田くんがそんな恋の決心を固めているなんて、知らなかった。
だってそんなの、あたしが入る隙間なんて一ミリもないじゃない。
そう思うと凄く悲しくて泣きそうになるけれど、あたしは最後まで平気なフリを貫いて持田くんに手を振った。
「ばいばい。じゃあね、また明日」
あたしがそうやって手を振ると、持田くんも手を振り返してくれる。
正直、簡単だと思っていた。
持田くんの隣にいることが。
あたしは持田くんに背を向けると、誰もいない家のドアを開けて中に入った。
ああ…ずっと、独りが寂しいって思っていたけれど、今は独りでよかった。
だって、独りじゃなきゃ泣けない。
ハル以外の誰かの前で泣くのは、カッコ悪すぎるから。
あたしは勝手に目から溢れてくる水滴を服の袖で拭うと、靴を脱いでバタバタと自分の部屋にこもった。
…さっき持田くんから聞いた話が、再び頭の中でリピートされる。
思わず後悔してしまう。
何で、なんて聞かなきゃ良かった。
あたしは棚から持田くんから貰ったCDを取り出すと、それをコンポに入れて再生ボタンに手を伸ばした。
…このCDを貰って、初めて一通り聞いた時、あたしはあることに気がついていたんだ。
持田くんが作る曲には、何故か明るい曲が全く無い、と。
すべて、哀しい曲が揃っていた。
聴いていて、切ない曲ばかり。
…なんでかなぁって、思っていたけれど。
それがさっきので、やっとわかった。
持田くんは歌を歌っているとき、ずっと汐里さんのことを考えていたんだ。
ギターを弾きながら時折見せる切ない表情も、
優しく微笑むあの表情も、全ては汐里さんのためにあった。
…なんかあたし、いちいちときめいててバカみたいだったな。
あたしはそう思うと、ぼすん、とベッドの上に突っ伏す。
そしてあたしが独り凹んでいると、その時ふいにハルからラインがきた。
“ねぇーえー!さっきファミレスで春夜に会ったってほんと?
俺も行きたかったなぁー、ファミレスー!はんばーぐー!”
「…、」
でもそのラインに返信をする気は無く、あたしはそのまま閉じてまたため息を吐く。
…ハルがあたしの好きな人だったら良かったのにな。
まぁ今更、そんな感情は持てないけど。
あたしはそう思うと、そのまま涙を拭わずに目を瞑った。
…────明後日は、ハル達と一緒に遊園地だ。
慣れた手つきで、持田くんがギターを弾く。
それを真正面から見つめるあたし。
…その視線に少し緊張気味の、持田くん。
「…何緊張してるの?」
そんな彼の様子にあたしがそう聞けば、持田くんがギターを弾く手を止めて言った。
「あ、当たり前です。この至近距離でそんな真剣に見ないで下さいよ、」
「えぇー、歌手志望なのに?」
「…歌手志望でも、緊張くらいするんです」
持田くんはそう言うと、またギターを弾く。
今は、生徒会活動が終わった放課後。
今日はハルが独りで帰りたがったから、あたしは「もしかしたらいるかも」と思って教室に来ていた。
するとそこには、案の定曲作りをする持田くんの姿があって…。
思わず真剣に見ていたら、持田くんが緊張してしまった、というわけだ。
持田くんへの自分の気持ちに気付いてしまった今。
本当はあんまり認めたくないけど、でもいざこうやって持田くんを見ていたらドキドキするし、何よりこの空間が心地いい。
あたしがそう思いながら今度は目の前の持田くんのノートに視線を落としたら、ふいに彼があたしに言った。
「…菅谷さんって、大野くんのことはどう思ってるんですか?」
……ん?
その突然の問いかけに、あたしはまた顔を上げて持田くんを見る。
何でいきなりハルの話?
そう思いながらも、
「え、ハルは別に…ただの幼なじみだよ。同い年というよりか、可愛い弟みたいに思ってるし」
あたしがそう言うと、持田くんは心なしか顔の表情を曇らせて「…そうですか」と呟いた。
…?何なんだろう。なんかあるのかな?
……別にいいけど。
そう思ってしばらくは何も言わずに、持田くんのその姿を飽きずに見るあたし。
ギターって難しそうよね。
ピアノなら弾けるけど。
そう思って眺めていたら、やがて持田くんがまた手を止めて言った。
「……今日はもうここで終わりにします」
「え、もう!?」
「なんか、お腹空いたんで」
そう言うと、ノートを閉じてギターをケースに仕舞いはじめる持田くん。
その言葉に時計を見遣ると、時刻は18時。
片付けるには、いつもよりちょっと早いけど。
「じゃああたしも帰ろーっと」
そしてそんな持田くんにあたしもそう言って帰ろうとすると、持田くんが引き留めるように言った。
「あ、菅谷さん!」
「…ん?」
「あの、大野くんから聞いたんですけど…
菅谷さんって、大野くんの家で夜ご飯食べてたって本当ですか?」
「え?んー…うん。そだね。今は一人だけどね」
ってか、それがどうかした?
その言葉にあたしがそう聞こうとしたら、持田くんが言葉を続けて言った。
「じゃあ良かったら、今日は一緒に食べません?」
「…えっ、」
「あ…何と言いますか、俺夜ご飯はずっと独りなんですよ。家族とかいないんで、本当にずっーとで…」
だから…
しかし持田くんのその言葉を聞くと、あたしはいてもたってもいられなくなって、言葉を遮るように言う。
「そ、それって…あたしと持田くんが、二人で夜ご飯食べるってことっ!?」
だってそれって、明らかにそういうことだよね!?
あたしがそう思いながら聞くと、持田くんが突如あたしから目を逸らして言う。
「あ…や、やっぱ…図々しいですよね?」
「!」
「すみません。ほんと、言ってみただけなので。今のは気にしないで下さい」
持田くんは少し表情をひきつらせてそう言うと、本当に何事もなかったかのように鞄とギターを担ぐ。
けど…待って。そういうんじゃなくて、
「ち、違う!違うから!」
「!」
そしてあたしは離れて行く背中を引き留めるようにして、咄嗟にそう言って持田くんの腕を掴んだ。
「…え、」
「言ってみただけ、とか言わないで。あたしだってお腹空いてるの」
「!」
「帰りに寄り道…とかはさすがに無理だけど、出来たら、待ち合わせとかで、その……」
あたしは内心物凄くドキドキしながらそう言うと、持田くんを見れずに真っ赤な顔でうつむく。
掴んでいる手が何だか恥ずかしすぎてぱっと離したら、持田くんは少し黙り込んだあと言った。
「え……いいんですか?」
「も、もちろん。ってか、誘ったのは持田くんでしょ」
「いや、そうですけど……」
「~っ、ほら行くよ!」
そして照れ隠しであたしはそう言って、先に教室を後にして少し暗い廊下を歩いていく。
いや…もう、ほんとに信じられない。
今のあたしは、本当に持田くんを「ブサ男」呼ばわりして毛嫌いしていたあの菅谷美希と同一人物なのか?
自分でもそう疑ってしまうけれど…
「あ、あの…菅谷さん」
「なにっ」
「音楽室はこっちです」
「!」
正真正銘、同一人物だからしかたない。
あたしは思わず生徒玄関に向かって歩いていたけれど、その持田くんの言葉で黙って反対側に方向転換をした。
…………
そのあとは持田くんと一旦別れて、それぞれの家に帰宅した。
本来なら着替えて必要なものを持ってから、またすぐに家を出るつもりだったけど…
「…あれ?」
家に帰って、鍵を開けようとしたら…何か、違和感。
…鍵が開いてる…。
もしかして、今朝締め忘れた?
……まさか、
そう思って、急いでドアを開けて廊下を進んで行くと…
居た。
最近はまともに会えていなかった、父親が。
「…お父さん…」
「おお、美希」
お父さんはリビングでタバコを吸いながら、大きな黒い鞄のチャックを閉めていた。
「…何してるの?」
「いや、今から出張だから。その準備だよ」
「お母さんは?」
「アイツは……まだ仕事の打ち合わせ中だ、たぶん。当分帰って来れそうにない」
お父さんはそう言うと、「じゃあな」って鞄を抱えてまたリビングを後にしようとする。
でも、
「待って!」
「!」
「あたし…いつまで我慢してればいいの?」
「…」
あたしがお父さんの腕を掴んでそう聞くと、お父さんは特に何も言わずにあたしの手を振り払って、家を後にした。
「…っ…」
その背中を、また追いかけることは出来ない。
お父さんとお母さんには、話したいことがたくさんある。
あたしが生徒会長になったことすら、知らない二人だから。
今日会ったの、もう何ヵ月ぶりだろ…。
さっきのお父さんが見せた、冷たい背中が頭から離れない…。
…………
「…どうかしたんですか?」
「えっ」
その後は持田くんとファミレスで待ち合わせをして、二人でチキンカレーを注文した。
だけど、せっかくの持田くんとのご飯なのに……あたしは何だか、ぼーっとしてしまうことが多くて。
それに、あのあとテーブルの上に生活費が置いてあることに気がついて、余計にショックが大きくなった。
その渡された金額が多ければ多いほど、二人は帰ってこないのだから。
「…んーん。何でもない」
あたしは持田くんの言葉にそう言って首を横に振ると、またメニューを取り出して言う。
「後でスイーツ食べたーい」
「…菅谷さん何好きなんですか?」
「え、何でも好きだよ。スイーツなら何でも来い!だから。持田くんも食べなよ」
あたしはそう言うと、持田くんにもメニューを向ける。
でも持田くんは首を横に振ると、言った。
「いえ。俺は結構です」
「えーっ、何で!?」
「俺、甘いの苦手なので」
そう言うと、菅谷さんだけ好きなの頼んで下さいよ、とまたあたしにメニューを向ける。
えー…一人でスイーツ食べるとかつまんないなぁ。
……じゃあ今日はやめておこうかなぁ。
そう思って、ため息交じりにメニューを閉じたら…
「あれ?美希じゃん!」
「!!」
その時───…
物凄く聞き覚えのある声に、突然話しかけられた。
思いもよらないその声に、思わずあたしの顔が強ばる。
突如、バクバクと高鳴る心臓に…胸が苦しい。
だって、あたしに声をかけてきたのは…
「なに、最近家に来ねーと思ったら友達とメシ食ってたのか」
「…っ、」
隣に女の人を連れた、春夜くんだったから。
なんで…なんで…。
あたしがそう思いながら春夜くんからバッと顔を逸らすと、ふいに向かいに座っている持田くんと目が合う。
何も知らない持田くんは、突然の春夜くんの登場に「だれ?」って顔。
あたしはもう………春夜くんを見ることが出来ない。
「ひ…久しぶりだね」
それでも何とか平然を装ってあたしがそう言えば、春夜くんは隣にいる女の人を紹介するようにあたしに言った。
「あ、美希さ、コイツのことまだ紹介してなかったな」
「…」
やだ。聞きたくない。
「コイツ、俺の彼女…あ、もう籍入れたから嫁か。嫁の志歩」
「初めまして、美希ちゃん。美希ちゃんのことは春夜から話で聞いててね、ずっと会ってみたいなぁって思ってたの」
「…」
春夜くんはあたしの気持ちなんて知る由もなく、そう言ってあたしに奥さんを紹介してくる。
そして、一番聞きたくなかったのはその女の人の声。
美希ちゃん、なんて呼ばないで。
あたしはずっとアンタに会いたくなかった。
そして、その女の人が「よろしくね」って言った瞬間…あたしはまた持田くんとまっすぐに目が合って、
“たすけて”
思わず、声には出さずに口パクでそう言った。
伝えた瞬間持田くんは目をぱちくりさせていたけれど………ちゃんと伝わったのかな。
春夜くんのことはもう、ちゃんと諦めるって決めたから。
それなのに今、こんな形で会いたくない。
すると…あたしがそう思っていたら、春夜くんが言った。
「なぁ美希」
「…?」
「俺達の結婚式、必ず来いよ。待ってるから」
「…、」
…その言葉に、あたしは何も言葉を返せなくなる。
結婚式なんて、行きたくない。
しかし、あたしがそう思って困っていると…
「っ……あの、」
「…え?」
次の瞬間持田くんが、ふいに椅子から立ち上がって、春夜くんに言った。
「いい加減にしてもらえませんか?」
持田くんはそう言うと、今まで見たことのないような、真剣な表情を春夜くんに向ける。
そんな持田くんにあたしが目を見開いていたら、持田くんが言葉を続けて言った。
「俺たち今、デート中なんです」
「!」
「こうやって会うのも凄い久しぶりだし、失礼ですけど邪魔しないで下さい」
「えっ、あ…」
「………それに俺、嫉妬深いんで。彼女が誰かと話してんの見ると、イライラするんすよ」
持田くんは春夜くんに向かってそう言うと、深いため息をついてまた椅子に座る。
「…、」
…持田くん…。
うそ、本当に助けてくれた…。
そんな持田くんの言動にあたしが静かに感動していると、やがて春夜くんがあたしに…
「……お前、彼氏いたのか。初耳」
「!」
「“アイツ”の気も知らないでさ」
「…?」
何故かそんな言葉を残して、志歩さんとともにその場を後にした。
……アイツ、って?
最後の春夜くんの言葉が少し気になったけれど、でもあたしは瞬時に我に返って持田くんを見遣る。
お礼、言わなきゃ。
そう思って口を開くと、それを遮るように先に持田くんがあたしに問いかけてきた。
「菅谷さんは…」
「?」
「さっきの男のことが、好きなんですか?」
そう問いかけると、頬杖をついてあたしを見つめる。
その問いかけにどう答えようか迷ったけれど、やがてあたしは意を決すと持田くんに言った。
「…いや、まぁ…」
「…」
「正しくは、“好きだった”かな」
「…」
「さっきの人、春夜くんって言ってあたしの幼なじみなの。あ、ほら、ハルのお兄ちゃん。
あたしは春夜くんのことがずっと好きだったんだけど、この前諦めることにした。婚約しちゃったし」
………それに、他に好きな人もできちゃったわけだし。
だけどそのことは言わずに、あたしは持田くんに言葉を続ける。
「それより、ありがとね。助かったよ。いやほんと………どうなるかと思った」
「…いえ、」
「諦めるとか決めてて、平気だって感じてたけど…でもいざ婚約相手を紹介されると、なんかまだ辛いや…」
「…」
あたしはそう言うと、悲しい顔を見せないように必死に笑顔を作って見せる。
…このまま、悲しい雰囲気には持っていきたくない。
だってせっかくこうやって持田くんといるわけだし。
そう思いながら、「やっぱ後でスイーツ注文しようかなー」って言おうとしたら、その時先に注文していたチキンカレーがきた。
「お待たせしました、チキンカレーです」
「わーおいしそー!」
「ごゆっくりどうぞ、」
「ありがとうございます、」
そして店員さんがその場を離れて行ったあと、あたしはスプーンを手に持ってチキンカレーを食べはじめる。
でも………一方の持田くんは何故か全くチキンカレーに手をつけなくて。
食べないの?
そう聞こうとしたら、持田くんが言った。
「…いつまでも辛いのは、当たり前ですよ」
「え、」
「だって、その人のことが本気で好きだったんなら、尚更」
持田くんはそこまで言うと、真剣な表情であたしを見つめる。
その真っ直ぐな視線に、あたしは不思議なくらい目を逸らせなくなって…
そうしていたら、やがて我に返ったらしい持田くんがハッとした顔をして、そのあと「すみません」と謝った。
「…」
「なんか、凄い図々しいこと言いましたね俺!いや、ほんと、思ったことをそのまま言っただけなんすけど…」
「…」
「すみません菅谷さん、今のは忘れてくださいね。恥ずかしすぎる」
持田くんは少し顔を赤くしてそう言うと、さっきのことが本当に恥ずかしかったのか気を紛らわすようにようやくチキンカレーに手をつける。
でも、あたしは…
「嫌!忘れるなんて絶対やだ!」
その言葉を聞いて、すぐに持田くんに言った。
「い、今のはしっかりあたしの脳内に記憶されたからね!名前つけて保存したから!削除不可能!」
「え~」
…それに、ありがとう。
何か持田くんのおかげで、大切なことに気づけた気がするの。
今は確かにまだ辛いけど、きっとそれでいいんだなぁって。
…なんか、意外だ。
持田くんにこんなことを教わるなんて。
それに、さっきから見ていて飽きない。
チキンカレーを美味しそうに食べるその姿や、
窓の外を眺める姿、
そしてたまに…あたしと目が合って、照れたように慌てて目を逸らすその仕草。
なんかもう…あたし、何かの病気なのかな?
持田くんを見ていると、キュンキュンしすぎておかしくなりそう。
だけど持田くんはあたしからのその視線に気がつくと、
「た、食べにくいんでそんなに見ないで下さいよ」
って、恥ずかしそうにそう言ってうつ向いた。
「え、いいじゃん。だって凄い美味しそうに食べるんだもん」
「俺、ここのチキンカレー好きなんですっ」
「じゃあまた今度一緒に食べに来ようね。一回きりとか言わないでよ」
あたしが思いきってそう言ってみると、持田くんは一瞬目をぱちくりさせたあと…
「…菅谷さんさえ良ければ、ぜひ!」
そう言って、凄く素敵な笑顔を見せてくれた。
…………
チキンカレーを食べたあとは、二人でファミレスを出て夜道を歩いた。
悪いからって断ったのに持田くんはあたしを家まで送ってくれるらしく、いまは隣を歩いてくれている。
……でも何か、変な感じ。
いつもこの隣は、ハルがいるから。
それに何だか変な沈黙が続くから、そのうちあたしは耐えきれなくなって持田くんに聞いてみた。
「ね、持田くんってさ」
「はい?」
「何で、ミュージシャンになりたいの?」
素朴な疑問。
だって、意外だから。
音楽が好きなのかな?
もしや、意外と目立ちたがり?
あたしがなんとなくその理由を問いかけると、持田くんが少し考えたあとそれに答える。
でも、その答えは…
「……俺本当は、そもそも歌手志望じゃなかったんですよ」
「え、」
あたしの予想を、遥かに越えていた。
持田くんのその言葉を聞くと、あたしは少しだけ目を見開いて彼を見遣る。
…歌手志望じゃ、なかった…?
「え、じゃあ今なんで目指してるの?」
わけがわからなくてあたしがそう聞くと、持田くんは心なしかどこか表情を曇らせながら話し出した。
持田くんがミュージシャンを目指すようになった理由は、こうだった。
持田くんには数年前、中学生の時に学校のクラスメイトで唯一仲の良かった女子生徒がいた。
彼女の名前は三原汐里(みはら しおり)。
ピアノやギターを弾くのが大好きな音楽系女子で、この頃から既に作詞作曲は当たり前だった。
そんな彼女の夢はミュージシャン。
彼女はいつも、「自分が作った歌を、想いをできるだけ多くの人に届けたい」と言っていた。でも……
そんなある日。彼女は突然事故に遭い…下半身の自由を、奪われてしまった。
何とか命は助かったものの、彼女はその事故がきっかけで、それからはずっと車椅子生活を送らなきゃいけないことになった。
そしてその日から彼女は、大好きだったピアノやギターすら…夢の世界をも、諦めるしかない状況に追い込まれて…
持田くんを含む周りの人達に、心を閉ざすようにもなった。
足が動かないならミュージシャンなんて目指せない。
こんな体で夢なんて、追いかけられるはずがない。
そんな彼女に持田くんは、「歌は歌えるし、手も動かせるから大丈夫だよ」って一生懸命励ましたけれど、汐里さんの夢が叶う可能性は極めて低かった。
それからは持田くんも汐里さんと会えることが無くなり、
そもそも会いに行っても汐里さんは誰とも会いたくなかったらしく、結局しばらくは全く会えずにいた。
…────でも。
それから約一年が経った頃。
ある日持田くんは突如汐里さんに呼ばれて、近所の公園まで連れて来られた。
一年ぶりに会った汐里さんは少し痩せていて、でも前から比べれば笑顔が少し戻っていた。
会うのは凄く久しぶり。
前はあれほど会いたがらなかったのに、何で…?
持田くんがそう思っていたら、汐里さんが言った。
「…ねぇ、渉くん」
「うん?」
「あのね、あたしの代わりに…ミュージシャン、目指してくれないかな?」
「…え、」
その言葉は、本当に突然なものだった。
まさかこんなことを言われるなんて、思ってもいなかったのだから。
そもそも持田くんは、今はストリートミュージシャンをやっているけれど、それをする前は音楽に全く興味がなかった。
ピアノやギターなんて弾いたこともなければ、そもそも触ったことすらない。
それに、人前に出ることが物凄く苦手で、出来れば隅の方で独り大人しくしていたい…と思うような暗い性格だった。
でも、びっくりする持田くんに汐里さんが言った。
「渉くんなら出来るよ」
「!」
「あたし、渉くんが歌上手いの知ってる。音楽の歌のテストとかで、見てたもん。ギターとかの楽器だって、あたしが教えてあげるよ。
だから…あたしの代わりに目指してみない?
っていうか、目指してほしいの」
汐里さんはそう言うと、今までに見たことのないような真剣な表情で、持田くんを見つめる。
あまりの急な展開にさすがの持田くんもすぐには答えを出せなかったらしいけど……
その日から数日後。
やっと決心をして、汐里さんに言った。
ミュージシャンを目指す、と。
「じゃあ…今でもその汐里さんと、連絡とかとり合ったりしてるの?」
持田くんのその話を聞いてあたしがそう問いかけると、持田くんが頷いて言った。
「はい。まぁ、彼女車椅子なので、実際にはなかなか会えていませんけど。電話とかメールなら頻繁にしてます」
「…」
そう言って、横顔で少し微笑んで見せる。
…なんか、やだな。
もしかして、持田くんは…
「………ねぇ、」
「はい?」
あたしはそう思うと、さりげなく持田くんに問いかけた。
「もしかして、持田くん…その汐里さんのこと、好きなの?」
「!」
あたしは真っ直ぐにそう問いかけて、怖いくせに持田くんを見遣る。
本当はこんなこと聞きたくないけど、独りでクヨクヨ悩むのも嫌だから。
すると持田くんは、意外にもあたしの問いかけに素直に答えた。
「はい、好きですよ」
「!!」
「もう五年くらい片想いしてます。じゃなきゃ俺、今頃ミュージシャンなんて目指してません」
持田くんははっきりそう言うと、照れくさそうに少し笑う。
…一方そんな持田くんの言葉を聞いたあたしは、なんだか心臓の奥で嫌な音が響きだして。
「…そ、だよね」
って、必死で平然を装ってみるけど……作っている笑顔も、きっと引きつっていると思う。
…また、だ。
また、こんな辛いのばっかりだ。
でも、
「え、じゃあそこまで好きなら、告白しちゃいなよ!」
「!」
あたしは持田くんにこのショックな気持ちがバレたくなくて、気がつけば大きめの声で持田くんにそんなことを言っていた。
そんなこと、思ってない。
でも何故か、口は止まらない。
「汐里さんに言われてミュージシャン目指してるくらいなら、さっさと告白して付き合っちゃえばいいじゃん!
その雰囲気なら、きっとイケるんじゃない!?
あっ…あたしが協力してあげるからさ!」
あたしはそこまで言うと、平気なフリをして持田くんの背中を押す。
…本当は真逆のことを思ってるくせに、いったいどのクチがそんなことを言うんだろう。
協力なんて、絶対出来ないししたくないのに。
すると持田くんはあたしのそんな言葉を聞いて、一瞬びっくりしたような表情を浮かべたあと、言った。
「いや、それは無理です」
「!…え、」
「少なくとも、“今は”」
「…、」
その言葉に首を傾げると、持田くんがまた言葉を続ける。
「俺、決めてるんです。汐里には、ちゃんとミュージシャンになって有名になれた時に告白しようって」
「!」
「なので、今は無理です。どちらも中途半端にはしたくないので」
持田くんはそう言うと、ふいにあたしから目を逸らして「あ、ここですか?」と見慣れた家の前で立ち止まる。
その言葉に、気がつけばもう目の前にはあたしの家。
“菅谷”という表札を見て、持田くんが気づいたらしい。
「…あ、そうそう。ここ。ありがとね、送ってもらっちゃって」
「いえ。誰かと晩ごはんを食べることなんてなかなかなかったので、楽しかったですよ」
持田くんはそう言うと、またあたしに向かって笑顔を浮かべる。
…なんだか、ずるい。
大好きな笑顔なのに、凄く遠くて届かない笑顔だから。
まさか持田くんがそんな恋の決心を固めているなんて、知らなかった。
だってそんなの、あたしが入る隙間なんて一ミリもないじゃない。
そう思うと凄く悲しくて泣きそうになるけれど、あたしは最後まで平気なフリを貫いて持田くんに手を振った。
「ばいばい。じゃあね、また明日」
あたしがそうやって手を振ると、持田くんも手を振り返してくれる。
正直、簡単だと思っていた。
持田くんの隣にいることが。
あたしは持田くんに背を向けると、誰もいない家のドアを開けて中に入った。
ああ…ずっと、独りが寂しいって思っていたけれど、今は独りでよかった。
だって、独りじゃなきゃ泣けない。
ハル以外の誰かの前で泣くのは、カッコ悪すぎるから。
あたしは勝手に目から溢れてくる水滴を服の袖で拭うと、靴を脱いでバタバタと自分の部屋にこもった。
…さっき持田くんから聞いた話が、再び頭の中でリピートされる。
思わず後悔してしまう。
何で、なんて聞かなきゃ良かった。
あたしは棚から持田くんから貰ったCDを取り出すと、それをコンポに入れて再生ボタンに手を伸ばした。
…このCDを貰って、初めて一通り聞いた時、あたしはあることに気がついていたんだ。
持田くんが作る曲には、何故か明るい曲が全く無い、と。
すべて、哀しい曲が揃っていた。
聴いていて、切ない曲ばかり。
…なんでかなぁって、思っていたけれど。
それがさっきので、やっとわかった。
持田くんは歌を歌っているとき、ずっと汐里さんのことを考えていたんだ。
ギターを弾きながら時折見せる切ない表情も、
優しく微笑むあの表情も、全ては汐里さんのためにあった。
…なんかあたし、いちいちときめいててバカみたいだったな。
あたしはそう思うと、ぼすん、とベッドの上に突っ伏す。
そしてあたしが独り凹んでいると、その時ふいにハルからラインがきた。
“ねぇーえー!さっきファミレスで春夜に会ったってほんと?
俺も行きたかったなぁー、ファミレスー!はんばーぐー!”
「…、」
でもそのラインに返信をする気は無く、あたしはそのまま閉じてまたため息を吐く。
…ハルがあたしの好きな人だったら良かったのにな。
まぁ今更、そんな感情は持てないけど。
あたしはそう思うと、そのまま涙を拭わずに目を瞑った。
…────明後日は、ハル達と一緒に遊園地だ。
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