【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

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【第二部】あの日の戀の形代の君。

二-8 恋のかたしろ

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 燎琉りょうりゅうは手を尽くして、瓔偲えいしの求めた情報を集めてくれた。用意が終わり、ふたりで再び繍菊しゅうぎく殿を訪ねたのは、もはや深更といっていい時刻である。空には、高い位置に、丸い月が皓々こうこうと照っていた。

「門卒と押し問答をしている時が惜しいな。多少強引にいくか」

 夜明けまで、それほどの猶予はない。燎琉はちいさくつぶやくと、門のほうへと歩いていった。

「荒事はあまり好きじゃないんだが」

「大丈夫ですか?」

「ああ、それなりに腕には自信があるんだ。皓義と修練してきたしな。――門卒むこうも、多少は警戒してるとしても、まさか叔父上と親しい俺がいきなり力に訴えてくるとは思っていないだろうし」

 その油断を突こう、と、そういうことらしい。

 燎琉は門前まで行くと、先刻の瓔偲と同じように、鵬明に対面を求める旨、来訪の意図をそこに立つ門卒に告げた。男は、おそらくは今日は――詳しい事情もわからぬまま、それでも――鵬明の命のとおりずっと客を門前払いにし続けてきたのだろう。いまも、あるじやまいで、と、困った顔をしてそう返答してきた。

「それはきさきから聴いている。で、あればこそ、ぜひとも叔父上を見舞いたいと思って来たんだ」

 男の対応に対し、燎琉はしれっと言う。相手はますます困惑した顔になった。

「それでは一度、殿下の意をうかがって参りますので……」

 そう、相手が門の中へ引っ込みかけたときだ。きびすを返し、こちらに背を向けた門卒に、燎琉は唐突に当て身を食らわせた。蹈鞴たたらを踏んだ相手を捕らえ、さらに手刀をお見舞いして気絶させてしまう。

「悪い」

 つぶやきつつ、抱えた男の身体を門扉の中まで運んでそこに寄りかからせ、それから瓔偲に目配せした。

「行くぞ」

 瓔偲は一瞬呆気あっけに取られたように目を瞬いていたが、声をかけられてはっとし、自らも門の中へと身を滑り込ませた。

 前院まえにわを抜け、垂花すいか門を越えれば、そこは院子なかにわである。東西の廂房しょうぼうは暗かったが、正面にある正堂おもやには、この時刻でもがともっていた。

「叔父上」

 燎琉は正堂へと上る短いきざはしの前まで来ると、中へそう呼びかけた。

 場は、しん、と、静まっている。けれどもその沈黙は、ぴりぴりとした、奇妙で独特の緊迫感を帯びているように、瓔偲には思われた。

 やがて正堂の扉が開く。姿を見せたのは鵬明だった。

 顔には、いつもの人を喰ったような表情が浮かんでいる。が、これは、強いてそんな表情を張り付けているふうに見えた。

「叔父上」

「こちらは病で臥せっていると言っておるのに……ずいぶんと荒っぽい、礼を失した訪問の仕方ではないか、燎琉」

「あとでいくらでもお詫びします。だが、いまは、時間がない。大目に見てください」

 燎琉が真っ直ぐに鵬明を見据えて言うと、相手は、ふう、と、嘆息した。

「何をしにきた? ああ、ついに、陛下から捕縛の命でも出たのか? ……陛下の妃となるべき隣国の王女を、かどわかしたとがででも」

 に、と、目をすがめ、口のを持ち上げて言う。

莫迦ばかな。叔父上がそんなことをするはずもない」

 燎琉は鵬明の偽悪的な物言いに、不快げに眉根を寄せた。が、相手は、くすん、と、肩をすくめてみせる。

「そんなもの、わからんぞ。恋に狂えば、人は何をしでかすか知れたものではない……お前たちも、身を以て知ったはずではないか」

 ちがうか、と、薄ら笑みを張り付けたままで言う相手の言を受け、瓔偲はおもむろに口を開いた。

「まさにその恋についてのお話を、しに参ったのです……殿下」

 黒曜石の眸を鵬明のほうへと真っ直ぐに据えた。

 鵬明は無言で、くちびるを引き結び、瓔偲の顔をじっと見返した。



「はじまりは、三年前……とあるふたりが、幼くも、純粋で真剣な恋に落ちてしまったことが、此度こたびのこの案件の根でございます」

 瓔偲は言ったが、鵬明はまだ一拍、黙ったままでいた。

 けれどもやがて、ふう、と、静かに嘆息を漏らす。

「とある、ふたりとは……?」

 そう、こちらの真意を窺うかのように、問いを投げてきた。

「一方は、いま行方知れずとなっている、隣国・金胡きんうの王女」

 瓔偲はきっぱりと言い、相手を、ひた、と、見返した。

「そも、記録によれば、彼女はずいぶんな武芸の手練れです。そんな彼女が、皇都に入るなり、誰にも気取けどられることなく忽然こつぜんと姿を消した。――これは果たして、何者かの仕業しわざだったのでしょうか?」

 瓔偲が逆に質問を返すと、鵬明は、ひく、と、片眉を動かす。

「……何が言いたい」

「王女の失踪は、誰かによるかどわかしではありえないのではないか、と……まがりなりにも武芸の覚えがある人間が、抵抗のひとつもせず、さらわれるとは考えがたいですから。それでもなお、誰にも悟られずに消えたというのなら、王女はむしろ、自らの意思で姿を消した……すなわち、護衛の目を盗んで、自ら脱走なさったのではなかったでしょうか」

「はは、いったい、何のために?」

「想いを交わした相手に会うためです」

 瓔偲はまた、きっぱりと言っい切った。

 鵬明が息を呑む。

「まだ公表はされていない、内々のものではありましたが、王女には、我がとう国の皇帝陛下へのお輿こし入れの話があったそうです。もちろん、国を利するための政略結婚……此度の使節の訪問は、実はそのためのものでした。しかし王女には……恋する方が、おりました。あるいは、国を捨て、身分を捨てて、その方と駆け落ちでもなさるつもりだったのかもしれません」

「はは、なるほど。お前にしては、随分と浪漫的な想像だな。――……が、なぜ、わざわざ嶌国でなのだ? 駆け落ちなら、なにもこんな機にせずともよいだろう」

 鵬明が眉を顰めて言う。けれども瓔偲は、ふるふる、と、ちいさくかぶりを振った。

「嶌国でなければならなかったのです。なぜなら、王女の恋う相手は、まさにこの国の人間だったのですから」

 瓔偲が言っても、鵬明は驚いたふうもない。ただ、どこか沈鬱なおも持ちを見せるばかりだった――……もちろん、彼はもとより、瓔偲がいま語ることなど承知の上だったのだろう。

 瓔偲は言葉を続けた。

「護衛の目を掻いくぐり、うまく脱走した王女は、真っ直ぐにある府邸やしきへ向かったはずです。――それこそは、三年前の来朝の際にも訪ねた場所、はい府……そこに、王女の恋の相手がいた」

 そう言うと、瓔偲は鵬明の背後――彼が守り、庇うように立っているその向こうの――正堂おもやへと視線を投げた。

「先刻、この繍菊しゅうぎく殿でんを訪ねた折、わたしは笛と古琴の合奏を耳にしました。あれは『北の大地』……別名を、『夫人の悲嘆』。遠く北の大地にいる夫を恋い慕う調べの曲だと、教えていただきました」

「それがどうした」

「笛の音ははじめて聴いたものです。ですが、古琴は……以前にも聴いたことのあるものだった。裴府で、です。――いま、そこにいらっしゃいますね? ……はい鵑月けんげつどの」

 瓔偲が名を呼ぶと、その場には再び、しん、と、静寂がわだかまった。

 しばらく待ってみる。が、中からの反応はなく、瓔偲は、ふ、と、ひとつ息を吐いて、仕方なくさらに言葉を続けることにした。

礼部れいぶの記録には、三年前、裴家は自宅に金胡の王女を招き、もてなしたというものがありました。当時、裴家のご長子、はい彰昭しょうしょうさまが礼部れいぶ侍郎じろうでいらっしゃったご縁だったのでしょう。――王女と御令嬢とは、おそらく、その際に出逢われ、恋に落ちたのではなかったでしょうか」

「令嬢と、王女が、か?」

「そうです。鵑月どのは、第弐性……性をお持ちのように、お見受けいたしました。あるいは王女は……こう性でいらっしゃるのではありませんか?」

 瓔偲が鵬明をうかがうように見る。相手は答えなかったが、くちびるを真一文字に結んだ表情は、瓔偲の推測がどうやら正しいらしいことを教えてくれた。

「……それで。裴府の娘と金胡の王女とが恋仲で、望まぬ婚姻を前に駆け落ちをくわだててたとして、私には関係のないことではないのか? それなのになぜ、お前は、この件でいま私を問い詰めている?」

 鵬明が低い声で問うてくる。あくまでも誤魔化そうとするらしかった。

 けれどもそれは、鵬明が、燎琉や瓔偲をいま起きている事態に巻き込まずにおこうとする、その心遣いなのだろう。水くさい、と、思う。自分も燎琉も、鵬明には恩があるのだ。彼が窮地にあって、そのまま、放っておくことなどできるわけがないではないか。

 瓔偲はひとつ、ゆっくりと息を吸って、吐いた。

「それは……」

 黒曜石の眸で、じっと相手を見返す。いま心の内にある大きな秘密を敢えて口にしてみせるのは、瓔偲と燎琉との、覚悟でもあった――……この事態に自ら関わっていこうという覚悟だ。なんとか、鵬明を救いたい。

「それは、鵑月どのが、あなた様の……血を分けた実の娘だからです。――ちがいますか?」

 目を瞬いた瓔偲がゆっくりと口にした言葉に、鵬明はやはり、黙り込んだ――……そして、その沈黙こそは、たしかな答えだった。

 瓔偲は、そ、と、切なく息をもらした。

「かつて、あなた様も、ひとつの叶わぬ恋をなさった……お相手は、裴彰昭さま。あなた様の、年上の従兄いとこにあたる御方です。――殿下に調べていただきましたが……」

 そう言った瓔偲が燎琉を見ると、相手は、こく、と、ひとつうなずいた。

「彰昭どのはかつて、裴氏の嫡長子として期待されていた。ところが、十三歳になった頃、突然、彼の弟が新たに裴氏の家督を継ぐ嫡子として立てられた。事実、彼は十八歳になっても、蔭位の制に与って出仕することがなかった」

 燎琉の言を受け、瓔偲は鵬明を見る。

「それは、彰昭さまが、ご令嬢と同じく……」

 そう、言いかけたときだ。

「っ、言うな!」

 瓔偲が言葉を継ごうとした刹那、鵬明は瓔偲の言を必死でさえぎるように声を荒らげた。言ってから、はっとしたように目をみはり、再び押し黙る。

「言わんでくれ……その言葉は、あれを、傷つける」

 額を押さえ、苦悶の表情で、まるで絞り出すような調子で鵬明はつぶやいた。そんな鵬明を、瓔偲は黒曜石の眸で静かに見詰める。

 そのときだった。かた、と、かすかな音がして、正堂おもやの扉がゆっくりと開いた。

 姿を見せたのは、裴家の長子、彰昭だ。

「……もういい、鵬明」

 彼は、ほう、と、息をつくようにして言った。

 相手をまじまじと見た鵬明が、はっと息を呑む。それに彰昭は切なげに眉根を寄せつつ、そ、と、苦笑のような、自嘲のような、そんな複雑な微笑を浮かべて見せた。

「もう、いいんだ。おれとて、若かったあの頃とはちがう。いまさらそんなことで傷ついたりしない。――かく瓔偲えいし

 相手が瓔偲を見る。瓔偲は顔を上げて、彰昭を見返した。

「お前の予想の通り、おれも、癸性の人間だよ」

「……はい。――それをお気になさって、あなたは、身を引かれたのですね、彰昭さま。当時、鵬明殿下は、有力な皇太子候補と目されていたから……」

 そうした彰昭の思いは、迷いと苦悩とは、同じ癸性で、同じくいま皇太子候補である燎琉に連れ添う瓔偲だからこそ、痛いほどにわかる。彰昭は頷かなかったが、かなしくほの笑んだまま眉を寄せている表情から、きっとそういうことだったのだろうというのが窺えた。

「けれども……別れを選んだその時、あなたのお腹には、すでに鵑月どのが宿っていた。十九歳のとき、あなたは一年程、皇都を離れておられましたね? あなたは、我が腹の命を、人知れず生み育てることにしたのでしょう……腹の子の父である鵬明殿下にも、報せぬままに」

 瓔偲の言葉に、眉を顰めた彰昭が、ふ、と、息をつく。

「……そうだ。子の父親のことは、誰にも言わなかった。それどころか、子の存在すら、ずっと世間には知らせずにきた。――それなのに、よく、わかったな」

 目を眇めて、苦く笑うように言われ、瓔偲はゆっくりと瞬きをする。

「鵑月どのの名は……鵬明殿下の鵬の字を、分けたものでしたから」

「ははっ……未練だよ」

 そう自嘲するように言うと、彰昭は、ふう、と、大きく嘆息した。

「そう、未練だ。おれと鵬明とは、いや、おれは、お前たち……お前と、そちらにいらっしゃる第四皇子殿下のようには、振る舞えなかった。共にあることを、諦めた。鵬明はおれを望んでくれていたのに……あのとき、もっと強い心で、自分の想いに正直に生きていたら、自分の想いを守れていたら、と……このあいだ、お前たちふたりを見て、そう、思ってしまったのかもしれない。だから……」

 彰昭はそこまでを言い、また、そ、と、切なく息をつく。

「だから、金胡の王女が忍んで鵑月どののもとへいらしたとき、無碍むげに、彼女を追い返すことができなかった。これまで守り続けた秘密を明かしてまで、鵬明殿下に助けを求め……ふたりを、かくまうことになさったのですね」

 それが、いま起きていることではないのか。その瓔偲の問いかけに、今度も彰昭は何も言わなかった。鵬明もまた、無言でてのひらを握りしめ、うつむいていた。

 けれどもやはり、その沈黙もだこそは、肯定のいらえそのものだった。
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