【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

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六章 第四皇子、白百合を冀う。

6-5 婚礼の夜

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 それから、半月程が経った吉日の宵である。

 瓔偲えいしを乗せた華轎はなかごの到着を椒桂しょうけい殿でん正堂おもやで待つ燎琉りょうりゅうは、緊張の面持ちをしていた。

 いま椒桂殿は、門や院子なかにわ、それから房室へやの中など、すべてこれから執り行われる婚儀のために特別な飾り付けがなされている。燎琉がまとうのも、金糸で伝統的な龍のぬいとりを施した、華やかな深紅の婚礼衣装だった。

 とはいえ、この婚儀は、皇子のそれとしてはごくごく質素なものだ。

 すべての儀礼は燎琉個人が与えられているこの殿舎で行い、父皇帝・母皇后の列席もない。もちろん他の皇族も、叔父の鵬明を除いては、いない。

 それでも、鵬明が自分たちを祝ってくれるのは、心強かった。

「最初に燎琉に瓔偲との婚姻を命じたのは兄上なのに、本人たちが納得したこのに及んで、まさか前言を撤回などされませんね」

 叔父は兄皇帝に対してこう迫って――表面ばかりは穏やかな笑顔で――この婚儀の最後の御膳立てを整えてくれたらしい。約束通り、新娘はなよめとなる瓔偲の家の代理として、華轎こしを出してもくれていた。

 瓔偲は、だから、鵬明の殿舎である繍菊しゅうぎく殿でんから、鵬明の養子格の身分で燎琉に嫁ぐこととなった。

 今日、この日。自分たちの婚儀は、それでも、皇嗣とも目される皇帝の子の婚儀とは思われない、いかにも内輪のものといったていである。

 ただ、質素な婚儀だからといって、燎琉には不満はなかった。

 これは、正式に瓔偲をきさきとして迎えるための儀式だ。かたちも規模も関係ない。燎琉は瓔偲を妃にと望んでおり、瓔偲はその意をれてくれた。この先、まだ遠い理想に向かって共に生きていくのだ、と、その決意を形にするためのものである。

 自分たちは、今宵、正式な伉儷めおとになる。

 それを周囲に明かすための、これはけじめの儀礼だ。

 燎琉は己を落ち着けるように、ふう、と、ひとつ静かに息をはいた。無意識に門のほうへと視線をやっている。

 瓔偲の姿は、まだ、見えてはいなかった。わたしなど、と、時折己を軽んずるところのある瓔偲は、果たして、この期に及んで逃げ出したりせずに、燎琉のところへちゃんと嫁いで来てくれるだろうか。

 ふと不安が過ぎったその時だった。

新娘はなよめの御到着ー」

 瓔偲を載せた華轎かごが椒桂殿の表門へ到着したことを告げる声が響いた。

 開け放した正堂おもやの扉から、侍女の介添えを受け、彼女らに先導されながら、華垂かすい門を越えてくる瓔偲の姿が見える。こちらも深紅の婚礼衣装――銀糸での鳳凰おおとりの刺繍がうつくしい――をまとっていた。

 頭には紅蓋頭こうがいとうと呼ばれる、顔を隠すための、きらびやかな薄いきぬかずいている。

 だから、その表情は見えない。

 けれども、薄暮の空の下、甘い百合の香がふわりとここまで漂ってくるようで、ほう、と、燎琉は長く息を吐き出した。

 きてくれた――……それだけで、燎琉の胸はいっぱいになる。

 ちゃんときてくれた、と、もう一度思いながら、燎琉は、いまや院子なかにわを越えて、しずしずときざはしを上ってくる相手を、正堂おもやへと迎え入れた。

 介添えの者に代わって瓔偲の手を取り、己の隣の席へ座らせる。己も座る。また、ふわ、と、清冽な百合の芳香をかいだ気がした。





 それからも婚儀は粛々と進められた。けれどもその間のことを、燎琉はあまりよく覚えていない。緊張していたのとはすこし違うけれども、それに似て、頭に血が上ったみたいに、終始、ぼう、と、しているようなところがあった。あるいは、気持ちが浮き立っていたのだろうか。

 婚儀に置いて最も重要な儀礼は、新郎はなむこ新娘はなよめとがそろって行う三拝礼だ。並んでひざまずき、まずは天地に一拝、続いて祖霊に一拝、最後に瓔偲と向かい合って、互いに礼を交わしたとき、床に手を付き深々とこうべを垂れた瓔偲の、紅蓋頭の隙間からわずかに覗いた黒髪が綺麗だったのを覚えている。

 次の儀は交杯酒だった。新郎・新娘が腕を交差するように絡めて酒杯を干すというものだが、ちいさな玉杯に満たす酒としては、皓義が桂花陳酒を選んでいた。

 酒杯の中で透明に澄んだ黄褐色の液体がゆれていた。

 酒にじっくりと漬け込まれた桂花きんもくせいが甘く華やかに香っていた。

 互いに右手に杯を持ち、腕と腕とを絡め合う。そのとき瓔偲は、自らの顔のすべてをすっぽり覆うようにかずいたままでいる紅蓋頭を、左の手でわずかに持ち上げた。薄く紅を刷いた口許が覗く。そこへ我が杯を近づけた刹那、くちびるから、ほう、と、うっとりとした息が漏れた気がした。それが、きれいだった。

 後から思い起こしてみても、儀礼の間の燎琉のたしかな記憶といえば、そんなようなものでしかない。

 そして、一連の婚儀の最後に待つのが入洞房、新郎新娘がひとつ牀榻ねまで夜を越す、洞房どうぼう華燭かしょく――初夜の床入り――の儀礼だった。

 瓔偲は一度、侍女に伴われて場を下がっていった。

 それに合わせて、燎琉も一度、座を退いた。この後、用意が整えば、瓔偲が待つはずの牀榻ねまを訪ねることになる。

 合図があったのは、四半時ほどが経った頃だったろうか。瓔偲についていた侍女に促されて燎琉が臥室しんしつとなる房間へやへと進むと、婚儀の際のとくべつば蝋燭ろうそくである華燭かしょくがいっぱいにともされた室の奥、深紅に飾り付けられた牀榻ねまの中で、瓔偲は寝台の端に腰掛けていた。

 くれないの婚礼衣装はまだそのままだ。こちらもかずいたままになっている紅蓋頭こうがいとうが顔を覆っていて、だから、燎琉の訪いを待つ瓔偲の表情は窺い知れなかった。

 この後、あの煌びやかな深紅のきぬを、燎琉が我が手で持ち上げて、瓔偲の顔をあらわにする。

 それは、新郎新娘がはじめて互いに伴侶はんりょと対面する刹那、初夜のしとねの象徴的な儀礼でもあった。

 もちろん燎琉は瓔偲の容姿をすでに知ってはいるけれども、それでも、訳もなく、緊張にも似た昂りを覚えていた。燎琉との初夜を前に、いま瓔偲は、いったいどんなきもちでいるのだろうか。知りたいようで、知りたくないようで、燎琉はまだしばらく牀榻を前に立ち尽くした。

 華燭のほのおが薄暗がりにゆらりと揺らぐ。

 燎琉はひとつ息を吐いた。それから牀榻の中の瓔偲の側へと歩み寄る。

 燎琉が傍らに立つと、瓔偲はこちらを仰ぐように軽く顔を上げた。燎琉は相手の顔を覆っている薄い紗へと手をかける。それを合図に、牀榻の仕切のとばりを、控えていた侍女が物も言わずにするすると下ろした。

「失礼いたします」

 そう一言だけを残して、侍女がが房間を去った気配があった。

 それでなくとも、とばりを下ろされた牀榻の中は、もはや燎琉と瓔偲のふたりきりだ。

 百合の香が場に匂い立った。こくり、と、無意識に息を呑んでいた。

 ゆっくりと紅蓋頭を持ち上げる。

 それにつれて、こちらを見詰める白いかんばせがあらわになった。

 瓔偲の頬が、ほんのすこしだけ薄紅に染まってみえている。蝋燭のほの灯りのせいだろうか。それとも、さっき酌み交わした酒のためだったりするのだろうか。

 燎琉と視線が合うと、瓔偲は躊躇ためらうようにわずかに目を伏せてしまった。時に真っ直ぐにこちらを見詰めてくる黒曜石の眸は、いま、恥じらいを映してゆらいでいる。それがなんだかたまらなくて、燎琉は瓔偲の頬にそっとてのひらを添えると、相手の眸を間近からのぞき込んだ。

「瓔偲」

 呼びかけると、相手は、ほう、と、ちいさく息を吐く。

 燎琉を見て、はた、はたり、と、ゆっくり瞬きを繰り返した。

「殿下」

 瓔偲が囁くような声で燎琉を呼んだ。

 その刹那、それまでようやくのところで堪えていたものが、ついに堰を切って一気にあふれだすのを、燎琉は感じていた。

「瓔偲……!」

 相手の頬を両手で包むようにすると、そのまま顔を近づける。吐息の混ざる距離で、刹那、見詰め合い、それから溜まりかねたように、相手にくちづけをした。
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