【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

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六章 第四皇子、白百合を冀う。

6-4 真摯なる求婚

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 そのまましばらく、鵬明ほうめい瓔偲えいしとは、じっと見合っている。瓔偲が答えあぐむうちに、鵬明は言葉を続けた。

「簡単なことだ。お前の心情が変わったのさ」

 叔父は、ひょい、と、肩をすくめる。

「お前が燎琉に特別に想いを寄せるようになったから……俗な言い方をするなら、愛したからだろう? その未来を守りたいと、切実に願うほどに。ちがうか、瓔偲」

 目を細めた鵬明にそう迫られ、弾かれたように瓔偲は顔を上げた。黒曜石の強い眸で、鵬明を鋭く見返す。

「……ちがいます」

「は、ちがうものか」

「ちがいます……!」

「頑固者め」

 言い張る瓔偲を前に、ふ、と、呆れたように鵬明は息をついた。

「諦めろ、瓔偲。諦めて、認めてしまえ。――お前と燎琉との出逢いは、天の定めだろうに」

「……魂のつがいなど、単なる迷信かもしれません」

「ちがう。私が言うのは……威水いすいのことさ」

 鵬明が口にすると、瓔偲がはっと言葉を呑んだ。

 そのまま眉をひそめて黙り込む。

「威水?」

 突然出てきたその言葉を怪訝に思って、燎琉は叔父を見た。

「威水がどうかしたのですか」

 それは、燎琉がいまつつみの普請を任されている、南部の大河である。それが瓔偲と何の関係があるのか、と、燎琉は叔父に眼差しで問いかけた。

「ああ、やはり話していなかったか」

 鵬明は呆れ顔で瓔偲を見やったが、その視線はすぐに燎琉に向けられる。

「しかし、お前もお前だ、燎琉。私はお前にちゃんと教えてやったはずだぞ。瓔偲はてん威原いげん県の出だ、と」

「威原って……まさか、威水のほとりなのですか?」

 たしかに威原県は、そのほぼ中央を、東西に威水が流れている場所だ。もと威水の氾濫原であることが、その名の由来だとも言った。

 だが、一県は広い。威原県の出であるとはいえ、それが必ずしも威水の流域とは限らなかった。が、瓔偲の出身を聴いたときに、そこを繋げて考えてみなかったのは、あるいは迂闊うかつと言われても仕方がないことかもしれない。

「甜州威原県、威水のほとりのむらで、瓔偲は生まれた」

 鵬明が改めてそう口にした。

「数年に一度は堤を決壊させ、氾濫を繰り返してきた暴れ河、威水。氾濫のその度に失われる農地、家畜、家、そして人……それに胸を痛め、何とかしようにも、しかし治水は国の権だ。だから瓔偲は、国官を目指した。――そういうことであっているな?」

 最後の言葉だけは、叔父は溜め息をつくようにして瓔偲に視線をやりつつ言った。が、それでも瓔偲はまだ口をきかない。

「燎琉だったのは……ほかでもない、威水の案件を預かる者に縁付くことになったのは、瓔偲、お前の宿命さだめだったのだろう。あるいは、たとえ今度のことがなかったとしても、お前たちは遠からず出逢い、惹かれ合っていたのかもしれない」

 叔父は静かに言うと、瓔偲を見て、それから燎琉に眼差しを向けた。

 知らされた事実に胸が詰まって、燎柳は言葉もない。そんなこちらの肩を、鵬明は、ぽん、と、軽く叩いた。

「さて、私が出しゃばるのはここまでだな。燎琉、後はお前が説得しろ。私は帰る。――ああ、瓔偲、華轎かごは抜かりなく用意しておくから安心しろ」

「っ、鵬明殿下!」

「素直になれ、瓔偲。お前が素直をさらすことを、燎琉は喜ぶだろう。それにな、お前ひとりを抱え込んで、そのせいでつぶれるほど、燎琉はひ弱ではないと、信じてやれ。――お前のつがいを、お前がいちばんに信じてやらずに、どうするんだ」

 な、と、諭すようなやさしい口調でそう言われ、瓔偲は返す言葉を失うようだ。それを見た鵬明は頬をゆるめ、ではな、と、きびすを返した。

 瓔偲はといえば、そんな鵬明の背を見送ることもなく、黙ったまま、眉根を寄せて苦しげな表情で俯いてしまった。

「瓔偲……」

 燎琉はかけるべき言葉を迷った。どんな言葉が瓔偲に届くのだろう、と、相手の表情を見詰めながら考えた。

 やがて意を決し、ひとつ深呼吸をする。

「瓔偲」

 今度は強い口調で相手の名を呼んだ。

 瓔偲が顔を上げ、黒曜石の眸がこちらを向く。燎琉は瓔偲の手を取って、その眸を真っ直ぐに見据えながら、言葉を継いだ。

「お前が、俺を皇太子位に近付けるそのために身を引くというのなら……いや、引かねばならぬのだと、そう己を抑えているのだとしたら、俺はお前に、そんなことをしてほしくない。させたく、ない」

 理不尽な我慢はさせてくないんだ、と、燎琉は真摯に伝えた。

「お前はずっと、性であるがゆえに、いろいろなものを諦め、無意識に自分の想いを押し込めながら生きてきた。そう生きることに、慣らされてきてしまった。でも、そんなのは、ちがう。俺は、ちがうと、思う。いつまでもそんな世の中であっていいはずが、ないんだ。だから……」

 現皇帝がすでに、癸性の者の解放を謳ってはいる。だが、その施策はまだ道半ばだった。人々の心に巣食う偏見は根深い。

 当の瓔偲ですら、癸性だということから生じるくびきに、知らず知らずのうちに繋がれてしまっている。だからこそ、時に、己を不当に軽んずるような発言をする。

 病根は深く、簡単には取り去りがたい。

 けれども、だからこそ、燎琉には為すべきことがあるように思われた。

「俺はお前を娶り、その上で……皇太子を、目指す」

 燎琉が己の中に生じた決意をそう口に出すと、瓔偲は目を丸くして息を呑み込んだ。

 言葉を失う相手に、燎琉はそっと目を眇めて語りかける。

「俺は、いつかお前を、この国で初めての癸性の皇太子妃に、そして……皇后に、する。必ず」

 強い口調できっぱりと言い切った。

「道は遠い。たぶん、果てしなく。でも、俺はその道を……お前とともに歩みたいんだ、瓔偲。だから、俺と……結婚してほしい。どうか、俺の求婚を承けてほしい」

 たのむから、と、燎琉は泣きそうに眉根を寄せながら言った。

 己が行こうとする道は瓔偲にもまた並みならぬ覚悟を強いるもので、それを望む以上、もはや燎琉に出来るのは、ただそんなふうに、真摯に瓔偲にこいねがうことだけだった。

 燎琉に手を取られたまま、瓔偲は身を固くしていた。虚空くうに視線を彷徨さまよわせ、なにかを言いかけ、けれども黙る。それを繰り返す。柳眉をきつくひそめ、くちびるを引き締めていた。
 しん、と、房間には重たい沈黙もだこごる。

 瓔偲が戸惑いを滲ませて、はたり、はた、と、またたく間、燎琉はずっと祈るような想いで相手の言葉を待っていた。

「――瓔偲さま」

 だが、その静謐を破ったのは、ふたりとは別の声だ。声を上げたのは、幼い頃から燎琉の傍にいる皓義だった。

「僕から、ひとつだけ、いいでしょうか」

 燎琉の幼馴染でもある侍者は、苦笑するような顔つきで、ゆっくりと瓔偲に語りかける。

「えっとですね、うちの殿下は、実は、とても夢見がちでいらっしゃるんですね。政略結婚は幼い頃より覚悟なさっていたけれど、その相手を、出来れば愛し、相手に愛され、そんなふうでありたい、と……殿下はずっと、願っておられた。莫迦みたいに夢見がちでしょう? 僕なんかは笑ってしまうんですが」

 そう言うと、ちら、と、燎琉を見て、それからまた瓔偲のほうへ視線を送った。

「でも、もしも、あなたさまが相手なら……すくなくとも、結婚相手と相愛でありたいという殿下のささやかな願いだけは、叶うと思うんです。だから……殿下の従者として、兄弟のように生い立った幼馴染として、殿下のしあわせを願う者として、お願いします。ぜひとも、殿下の求婚をけてください。勝手なお願いとはわかっていますが、どうか、お願いします」

 皓義は言って、瓔偲にむけて深々と頭を下げた。

 皓義の言葉を聞き終えた瓔偲は、窺うように燎琉の顔を見る。燎琉も瓔偲を真っ直ぐに見詰め返した。

「どうか、俺の妃に……うんと、言ってくれ」

 眉根を寄せ、もう一度そう乞う。

 瓔偲は再び俯き、黙したままで、はたはた、と、幾度か瞬いた。長い睫が頬に落とす影がかすかに揺れるのは、きっと、彼の最後の逡巡だ。燎琉は瓔偲の手を強く握ったままで、彼のいらえを待っていた。

「好きだ」

 告げると、瓔偲ははっと顔をあげた。

 見詰め合う。

 永遠みたいな沈黙もだわだかまる。

 やがて、瓔偲の薄いくちびるから、ほう、と、吐息が漏れた。

「殿下」

「……うん?」

「ほんとうに、わたしで……よろしいのですか?」

 彼は泣きそうに眉をひそめて言った。

「ばか。お前が、いいんだ」

「でも」

「でもじゃない。お前は俺のつがいだ。唯一無二の。そうだろう? お前がいいんだ。お前に……傍に、いてほしい。――だめか?」

 燎琉が訊くと、瓔偲はごくちいさく頭をふった。

「お傍に……おいてください」

 ふるえる声が、消えそうなくらい弱々しく、囁くように言った。

 その言葉の意味を呑み込んだ刹那、燎琉は瓔偲の身体を掻き抱いていた。

「っ……ありがとう」

 相手を強く抱き締め、絞り出すような声で耳許に言う。

 瞼がじんと熱い。肩が、声がふるえる。

 胸が詰まって、なにかがあふれてしまいそうだった。

「殿下……」

 瓔偲もゆるゆると腕を持ち上げ、縋るように燎琉の背にまわしてくる。応えるように燎琉は、ますます力を籠めて相手を抱きすくめた。傍では、皓義と周太医とが、ほう、と、安堵めいた息をつくのが聴こえる。

 そして燎琉は、清く甘い白百合が、やさしく香ったように思った
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