【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

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五章 第四皇子、白百合のために抗す。

5-2 自覚なき悪意

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 あっさりと白状した清歌せいかは、いま燎琉りょうりゅうの傍らにいるのが当該の者――自分が企みに利用したかく瓔偲えいし――だとは、わかっていないようだった。

 りん珠寶しゅほう店からの帰りに行き合った折、瓔偲は燎琉の貸した褙子うわぎを頭からかずく恰好だったから、清歌はその時にも瓔偲の顔は見ていない。そして、それ以前も、父の話に聞くだけで、清歌は瓔偲を見知っていたわけではないのだろう――……つまりは、顔もよく知らぬままの相手を、ただただ自分に都合よく利用しようとしたというわけだ。

 燎琉の腹には、言い知れぬ怒りが溜まっていた。

 清歌は更に言葉を続ける。

「燎琉殿下は、近頃、昭文しょうぶん殿でんに通っておられるそうだから、その性の者を発情状態にして、その書庫に行くよう仕向ければ、うまくつがってしまうのじゃないかしらって。――それがなにか、いけませんでしたか?」

 おっとりと微笑んだままの清歌は、本気で、自分が咎められるような何事かをなしたとは思っていないふうに見えた。

「お父様は、あとは自分がうまくやるっておっしゃっていたわ。よくすれば、煌泰殿下こそ皇太子になれる、とも……それって素晴らしいことだと思ったの」

 少女はまだ言葉を継ぐが、燎琉にはもう、それらは半分耳に入っていなかった――……では、すべては、この目の前の少女にたんを発したことだったのだ。

 ふつふつ、と、言に尽くしがたい憤りが湧いてくる。

「あなたは……っ!」

 燎琉はてのひらを握り締め、奥歯を噛んで、うなるように声を出した。

「あなたが、そうしたがために……ひとりの罪もない国官の人生が、理不尽に、歪められたんだぞ……! あなたにはそれがわかっておいでかっ?!」

 燎琉は腹の底の怒りを極力抑えようと努めながら、それでも抑えきれずに、宋清歌を睨み据えた。

 しかし少女にはまるで伝わらぬようだ。いっそ不気味なほどに明るい微笑を湛えたままで、彼女は、ことん、と、小首を傾げる。

「それがどうしたのですか? だって、わたくしは煌泰おうたい殿下のことが好きなのよ? それなのに、殿下と結ばれないなんて、かわいそうだと思いませんの?」」

 彼女がしれっとそうのたまった瞬間、燎琉は己の目の前が真っ赤に染まったような気がした。

「ふざけるな……っ!」

 気づけば声を荒らげていた。

「あなたが想い人と結ばれるためなら、何を、誰を、犠牲にしてもかまわないとでも言うのか!? 自分の想いは尊ばれるべきでも、他者の想いはどうでもいいとっ?!」

 瓔偲は十八歳のときに科挙のうちの、郷試きょうしに通ったのだそうだ。けれども、ちょうどそのころに性であることが判明して、結局は省試に挑むことはできなかった。それまで国官になることを目標に一心に努力してきただろうに、その道は、当時の法律によって閉ざされてしまった。

 そんな瓔偲にとって、二年前の法改正によって得ることがかなった国官の地位は、苦悩と努力の果てに、奇蹟のように手に入れたものだっただろう。国府に勤めるようになってからも、癸性であるがゆえに辛い目を見ながらもこらえて、国のため、民のために尽くさんとしてきたはずだ。

 そんな者の想いを、清歌はあまりにも身勝手に踏みにじった。

 そうしておきながら、どうしていま清歌は、まるで悪意の欠片かけらもなく笑っていられるのだろうか。

 燎琉りょうりゅうの激しい口調での問い詰めに、少女は心外だという表情をした。

「もちろん、そうは申しませんわ。――でも、どうせその国官は、癸性なのでしょう?」

「それはどういう意味だ……っ!?」

 清歌の何気ないひと言に――それが何気なく発せられたひと言であっただけに、余計に――燎琉はいきり立った。

「たとえ思うままに生きられずとも、癸性であれば仕方がないとでも言うのか? 望まぬ相手と理不尽につがわわされて、将来さきを奪われて……彼がどう思うか、あなたは、すこしでも考えてみたのか? 癸性の者には……心がないとでも? 何をされても、どんな扱いを受けても、癸性なのだから黙って耐え忍べばいいとでも、いうのか?」

「――……ちがうのですか?」

 清歌はこの期に及んでも、あどけない顔つきで、こと、と、小首を傾げる。

 燎琉は絶句した。絶望的な、暗澹あんたんたる気分になっていた。

 わずかな期間とはいえ、こんな娘との縁を自分は望んでいたのか、と、それが情けなく、苦々しい気分になる。燎琉は言明しがたい怒りにふるえ、思わず、手を高く持ち上げていた。

 眉を吊り上げ、目を険しく怒らせた燎琉を前に、はたかれる、と、それを警戒するのか、清歌が怯えた表情で一歩退く。侍女が少女をかばうふうに動こうとした。

 だが、清歌の侍女よりも先に燎琉を止めたのは――……瓔偲だった。

「殿下……お怒りを、おしずめください」

 燎琉の腕に取りつくようにして、こちらをじっと見詰めながら言う。

「だが、この者はお前を……お前を、あまりにも軽々けいけいと、ないがしろにしたのだぞ!」

 燎琉は言い募ったが、瓔偲は静かに首を振り、口の端をゆるめた。

「わたしは、平気です……慣れていますから」

 せつなく微笑むその端正な美貌に、燎琉はなぜか、泣きたくなっていた。

「っ、慣れるな……!」

 上げていた手を下ろし、そのままに瓔偲を掻き抱いて、耳許に絞り出すように言う。

「そんなことに、慣れるな……!」

 それは慣れていいことではない、と、そう思う。

 慣れたと口にする瓔偲が、かなしくて、せつない。憤ろしいほどだ。

 けれども、誰かに不当に、理不尽に扱われることに、癸性である彼が慣れるよりほかなかったとするならば、それはきっと瓔偲の側の問題ではなく、彼を取り囲む世間のほうの、この世界のほうの、根深い問題ではなかったのか。

「っ……すまない」

 気づけば燎琉は詫びの言葉を口にしていた。

「殿下が謝ることなど、なにも、ございません。だって、不可抗力だったでしょう……?」

 やさしい声が慰めるように言う。だが燎琉は強く首を振った。

 最後の最後は自分だった、と、思った。

 たしかにきっかけは、別の者の陰謀はかりごとにのせられたことだったかもしれない。けれども、最後に直接、瓔偲の想いを、瓔偲の人生を、踏み躙る行為に及んだのは燎琉自身だ――……白百合の香りに誘われ、誘惑に負けて、彼のうなじを咬んでしまった。

「俺がお前を、咬まなければ……!」

 ひとたび癸性の発情にてられてしまえば、こう性の性衝動はこらえがたく、あらがいがたいものだ。いかに意志の強いものでもどうにもならない、と、一般には言われている。

 それでも燎琉は、あのとき己を抑え込めなかった自分自身を、どうしようもなく口惜しくおもった。

 燎琉が項を咬もうとしたあの時、瓔偲は熱に理性を侵されていながらも、それでも精いっぱい抗うふうに見えていたではないか。やめてくれ、と、弱々しいながらも、拒む言葉を口にしていたではないか。

 けれども燎琉は咬んでしまった。無理矢理、瓔偲を、つがいにしてしまった。

 それさえなければ、瓔偲はいまも国官として、国民くにたみのために働けていたのだ――……。

 瓔偲に何を言っていいか、わからない。何を言ったところで、足りない気がする。

 燎琉はきつく眉根を寄せ、くちびるを噛みしめていた。

 そして、何を思うのか、瓔偲は燎琉に抱かれたまま、無表情にじっと黙っていた。
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