17 / 60
三章 第四皇子、白百合を知りゆく。
3-2 暴れ河・威水
しおりを挟む 初めて会った相手にする話ではなかった。ユウさんは言葉を失っている。そりゃそうだ。ここは相談所でもメンタルヘルスでもなければただの居酒屋だ。
気持ちが不安定だからか、やけに人の視線を感じる。まるで店中の客が自分に注目しているような。この店に客は二人しかいないのに。
漢梅サワーを飲み干し、カバンから財布を取り出す。長居は無用だ。お通し込みで千円いかないのはありがたい。店内の空気を悪くしてしまった以上、もう二度と来れないが。
別に救いを求めているわけじゃない。ただ、心に溜まった毒を吐き捨てたかっただけ。被害者ぶってはいるが、姫川琉璃からすればわたしだって先輩と同罪なのだ。わたしが元彼にアポイントをとらなければ、ここまで世間を騒がすことはなかった。彼女の芸能生命を奪うこともなかった。
悔しい。
悔しい。悔しい。悔しい。
「……梅茶漬け、お待ち」
「え?」
黒い焼き物の茶碗に、白米と薬味、真ん中にちょこんと載った梅干し。梅と出汁のいいにおいが鼻孔をくすぐる。
「あの、これは……」
「ゆき……あちらの客からだ」
ユウさんの視線を追うと、カウンターの死角から青年がひょっこりと顔を出した。
「どうも」
青年につられて、わたしも会釈する。
「ここのお茶漬け、シメなのに食べごたえがあっておすすめなんですよ。さっきからうるさくしちゃってたお詫びも兼ねて」
驚いた。声ははきはきして、身なりも整っていて、絵に描いたような好青年だった。おまけに声が大きかったという自覚もある。大学生だろうか。
ナンパ……ではないか。わたしの知っている「あちらのお客様から一杯」とは違う。
「漢梅サワーを飲んでたので梅は食べられると思ったんですが、もしかして苦手でした?」
「あ、いや」
改めてお茶漬けと向き合う。
小盛りのご飯の上に、白ごまと梅干し。千切った海苔は炙ってあるのか、香ばしい。
おいしそう。食欲が湧くなんていつ以来だろう。
「いただくわ。ありがとう」
「いえいえ」
青年はにこりと微笑み、カウンターの奥に戻った。
「いただきます」
小さなレンゲでご飯と出汁をすくう。ふぅふぅと冷ましてから、ゆっくりと一口。
昆布と鰹の風味が広がる。見た目に反し、しっかりとした味付け。でも濃すぎずさっぱりして、クセがない。ほのかに漂う梅の香りが爽やかだ。ご飯もふんわりしている。
優しい味って、こういうのを指すのだろうか。
今度は梅干しをほぐし、しっかり混ぜ込む。口の中で唾がぎゅっと出てきた。食べると強い酸味が舌を刺激する。それを白出汁が包み込み、旨みを重ねている。白ごまのつぶつぶ食感も楽しい。
「おいしいです」
「そうか、よかった」
「特にこの梅干しが、酸っぱいんだけど甘みもあって」
「ああ、それは駅前の漬物屋で買っているんだ。自分でも作ったことはあるんだが、ここの味には勝てなくてな」
ユウさんが屈託のない笑みを見せる。年相応で、可愛らしい。
「ちなみに、お通しをお茶漬けに入れてもうまいぞ」
ごくり、と喉が鳴る。
言われた通り、残った身欠きにしんを投入し、軽く混ぜる。
三度、口の中へ。
ぶわっ、と味の波が押し寄せてくる。
ご飯の甘み、梅干しの酸味、出汁の滋味に、にしんのコクと塩味が加わって、舌を通じて脳へと味を刻み込んでいく。口内が空っぽになるのが惜しくて、レンゲを運ぶ手が自然と動いてしまう。
そうだ、わたしはお腹が空いていたんだ。
空っぽの胃袋に、お茶漬けを次々にくべていく。
額にうっすらにじむ汗が心地よい。身体だけでなく心も温まっていく感じがした。
あっという間に茶碗の中身はなくなった。出汁まで飲みきって、完食だ。
「おいしかったですか?」
後ろに立っていたのは、梅茶漬けをご馳走してくれた青年だった。会計を済ませたのか、開いた財布とレシートを片手に握っている。
「ええ、とても。久しぶりに食事を楽しんだわ」
「それはよかった」
わたしの顔は自然とほころんでいた。一杯のお茶漬けで、これほどに気持ちが軽くなるなんて。
やっぱりこのままじゃ終われない。
先輩の言うことが間違っていないとしても、自分の目指す道とは違うのだ。誰もがわたしを否定したって、わたしは自分を信じたい。信じる道を、信じたい。
わたしは自然と、手を差し出していた。
青年は一瞬戸惑う様子を見せたが、おごったことへの感謝と受け取ったのか、握り返してくれた。ああ、酔ってるな、わたし。上半身が少しふらついた。
「おっと」
手を連結していたため、青年もバランスを崩してしまい、財布を落としてしまう。
「ごめんなさい、すぐに拾うね!」
いけない。これじゃあ若い子に絡んでいるだけのやっかいな酔っ払いだ。わたしは身を屈め、椅子の下に滑り込んだ長財布に手を伸ばす。すぐ近くには、お札入れから飛び出したと思われる名刺もあった。
「ごめんね、これで全部?」
「はい、ありがとうございます」
長財布と名刺をそれぞれ差し出す。青年はにこやかに受け取って、もう一度会釈をしてから店を出ていった。
「口ではああ言っていたが、完全に吹っ切れてはいないか」
青年を見送るユウさんの目は、なぜか心配そうだった。
わたしが尋ねるのは少々野暮なようだ。彼にも辛い過去があるのだろうか。あるいは今も、しがらみに囚われているのかもしれない。次にこの店で会うことがあったら、もっと話してみたいな。
食の好み。
学校のこと。あるいは仕事のこと。
他のおすすめメニュー。
それと。
どうして、あなたが望海すみかの名刺を持っているのか。
気持ちが不安定だからか、やけに人の視線を感じる。まるで店中の客が自分に注目しているような。この店に客は二人しかいないのに。
漢梅サワーを飲み干し、カバンから財布を取り出す。長居は無用だ。お通し込みで千円いかないのはありがたい。店内の空気を悪くしてしまった以上、もう二度と来れないが。
別に救いを求めているわけじゃない。ただ、心に溜まった毒を吐き捨てたかっただけ。被害者ぶってはいるが、姫川琉璃からすればわたしだって先輩と同罪なのだ。わたしが元彼にアポイントをとらなければ、ここまで世間を騒がすことはなかった。彼女の芸能生命を奪うこともなかった。
悔しい。
悔しい。悔しい。悔しい。
「……梅茶漬け、お待ち」
「え?」
黒い焼き物の茶碗に、白米と薬味、真ん中にちょこんと載った梅干し。梅と出汁のいいにおいが鼻孔をくすぐる。
「あの、これは……」
「ゆき……あちらの客からだ」
ユウさんの視線を追うと、カウンターの死角から青年がひょっこりと顔を出した。
「どうも」
青年につられて、わたしも会釈する。
「ここのお茶漬け、シメなのに食べごたえがあっておすすめなんですよ。さっきからうるさくしちゃってたお詫びも兼ねて」
驚いた。声ははきはきして、身なりも整っていて、絵に描いたような好青年だった。おまけに声が大きかったという自覚もある。大学生だろうか。
ナンパ……ではないか。わたしの知っている「あちらのお客様から一杯」とは違う。
「漢梅サワーを飲んでたので梅は食べられると思ったんですが、もしかして苦手でした?」
「あ、いや」
改めてお茶漬けと向き合う。
小盛りのご飯の上に、白ごまと梅干し。千切った海苔は炙ってあるのか、香ばしい。
おいしそう。食欲が湧くなんていつ以来だろう。
「いただくわ。ありがとう」
「いえいえ」
青年はにこりと微笑み、カウンターの奥に戻った。
「いただきます」
小さなレンゲでご飯と出汁をすくう。ふぅふぅと冷ましてから、ゆっくりと一口。
昆布と鰹の風味が広がる。見た目に反し、しっかりとした味付け。でも濃すぎずさっぱりして、クセがない。ほのかに漂う梅の香りが爽やかだ。ご飯もふんわりしている。
優しい味って、こういうのを指すのだろうか。
今度は梅干しをほぐし、しっかり混ぜ込む。口の中で唾がぎゅっと出てきた。食べると強い酸味が舌を刺激する。それを白出汁が包み込み、旨みを重ねている。白ごまのつぶつぶ食感も楽しい。
「おいしいです」
「そうか、よかった」
「特にこの梅干しが、酸っぱいんだけど甘みもあって」
「ああ、それは駅前の漬物屋で買っているんだ。自分でも作ったことはあるんだが、ここの味には勝てなくてな」
ユウさんが屈託のない笑みを見せる。年相応で、可愛らしい。
「ちなみに、お通しをお茶漬けに入れてもうまいぞ」
ごくり、と喉が鳴る。
言われた通り、残った身欠きにしんを投入し、軽く混ぜる。
三度、口の中へ。
ぶわっ、と味の波が押し寄せてくる。
ご飯の甘み、梅干しの酸味、出汁の滋味に、にしんのコクと塩味が加わって、舌を通じて脳へと味を刻み込んでいく。口内が空っぽになるのが惜しくて、レンゲを運ぶ手が自然と動いてしまう。
そうだ、わたしはお腹が空いていたんだ。
空っぽの胃袋に、お茶漬けを次々にくべていく。
額にうっすらにじむ汗が心地よい。身体だけでなく心も温まっていく感じがした。
あっという間に茶碗の中身はなくなった。出汁まで飲みきって、完食だ。
「おいしかったですか?」
後ろに立っていたのは、梅茶漬けをご馳走してくれた青年だった。会計を済ませたのか、開いた財布とレシートを片手に握っている。
「ええ、とても。久しぶりに食事を楽しんだわ」
「それはよかった」
わたしの顔は自然とほころんでいた。一杯のお茶漬けで、これほどに気持ちが軽くなるなんて。
やっぱりこのままじゃ終われない。
先輩の言うことが間違っていないとしても、自分の目指す道とは違うのだ。誰もがわたしを否定したって、わたしは自分を信じたい。信じる道を、信じたい。
わたしは自然と、手を差し出していた。
青年は一瞬戸惑う様子を見せたが、おごったことへの感謝と受け取ったのか、握り返してくれた。ああ、酔ってるな、わたし。上半身が少しふらついた。
「おっと」
手を連結していたため、青年もバランスを崩してしまい、財布を落としてしまう。
「ごめんなさい、すぐに拾うね!」
いけない。これじゃあ若い子に絡んでいるだけのやっかいな酔っ払いだ。わたしは身を屈め、椅子の下に滑り込んだ長財布に手を伸ばす。すぐ近くには、お札入れから飛び出したと思われる名刺もあった。
「ごめんね、これで全部?」
「はい、ありがとうございます」
長財布と名刺をそれぞれ差し出す。青年はにこやかに受け取って、もう一度会釈をしてから店を出ていった。
「口ではああ言っていたが、完全に吹っ切れてはいないか」
青年を見送るユウさんの目は、なぜか心配そうだった。
わたしが尋ねるのは少々野暮なようだ。彼にも辛い過去があるのだろうか。あるいは今も、しがらみに囚われているのかもしれない。次にこの店で会うことがあったら、もっと話してみたいな。
食の好み。
学校のこと。あるいは仕事のこと。
他のおすすめメニュー。
それと。
どうして、あなたが望海すみかの名刺を持っているのか。
13
お気に入りに追加
306
あなたにおすすめの小説
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
春風の香
梅川 ノン
BL
名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。
母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。
そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。
【完結】僕はキミ専属の魔力付与能力者
みやこ嬢
BL
【2025/01/24 完結、ファンタジーBL】
リアンはウラガヌス伯爵家の養い子。魔力がないという理由で貴族教育を受けさせてもらえないまま18の成人を迎えた。伯爵家の兄妹に良いように使われてきたリアンにとって唯一安らげる場所は月に数度訪れる孤児院だけ。その孤児院でたまに会う友人『サイ』と一緒に子どもたちと遊んでいる間は嫌なことを全て忘れられた。
ある日、リアンに魔力付与能力があることが判明する。能力を見抜いた魔法省職員ドロテアがウラガヌス伯爵家にリアンの今後について話に行くが、何故か軟禁されてしまう。ウラガヌス伯爵はリアンの能力を利用して高位貴族に娘を嫁がせようと画策していた。
そして見合いの日、リアンは初めて孤児院以外の場所で友人『サイ』に出会う。彼はレイディエーレ侯爵家の跡取り息子サイラスだったのだ。明らかな身分の違いや彼を騙す片棒を担いだ負い目からサイラスを拒絶してしまうリアン。
「君とは対等な友人だと思っていた」
素直になれない魔力付与能力者リアンと、無自覚なままリアンをそばに置こうとするサイラス。両片想い状態の二人が様々な障害を乗り越えて幸せを掴むまでの物語です。
【独占欲強め侯爵家跡取り×ワケあり魔力付与能力者】
* * *
2024/11/15 一瞬ホトラン入ってました。感謝!
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる