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お品書き【三】 栗羊羹 ~神様たちと過ごす日々~
栗羊羹 ~神様たちと過ごす日々~【4】
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荷物を準備して再びおばあちゃんの家を後にし、橋場町とは反対側に行くバスに乗った。
これから買い出しに行くようで、今度は私が同行することになった。
「さっきの話なんだけど」
「はい」
「神様とは長く話さない方がいい理由、訊いてもいいかな?」
「ああ、そうですよね。あんな言い方をすれば、ひかり様はご不安ですよね」
「申し訳ございません」と、コンくんがシュンとしたから慌てて首を横に振る。
ただ、周囲の人には聞こえないように、声をひそめることは意識した。
「不安とかじゃないよ! コンくんたちが守ってくれるって言ってくれたし、それは信じてるから。でも、ちょっと気になっちゃって……」
「ひかり様……」
感動したように私の荷物をギュッと抱きしめたコンくんの瞳は、子どもみたいに純粋で可愛らしい。
うんと年上なのはわかっているけれど、母性本能がくすぐられるような気がした。
「えっとですね、話すと言うよりも、関わると言う方が正しいのですが……。別に、必ずしも関わり過ぎてはいけない、ということではないのです。ただ、関わり過ぎることで依存してしまうことがありますので、我々にはそうならないようにする義務があるのです」
わかるような、わからないような……。そんな気持ちでいると、コンくんが微笑を零した。
「雨天様も私たちも、神頼みがいけないとは思っておりません。頼っていただければ嬉しいですし、私は神使としてできることをしたいとも思っております。ですが、欲とは際限がないもので、ふとした拍子に深くなっていくのです」
真面目な面持ちをしたコンくんは、不意に眉を下げた。
少しして、おもむろに「これは昔話なのですが」と口にし、悲しげな笑みを浮かべた。
「私が初めて人間のお客様をおもてなししたとき、その者はすぐにあるべき場所に帰ることができませんでした」
ゆらゆら揺られる小さな体は、震えているようにも見える。
「妻を亡くした心根の優しい男性で、私は神使になってから人と接するのが初めてだったので、些細なことにも『ありがとう』と言っていただけるだけでとても嬉しくなって、雨天様の言いつけも守らずに四六時中その者と一緒に過ごすようになりました」
なにかをこらえるような横顔は、傷ついていることを隠しているみたいだった。
「最初は、お互いにとてもよい関係を築けていたと思います。けれど、その者は次第に要求を増やしていき、私の手に負えなくなってしまいました……」
「え……」
「お世話係になって浮かれていた私が、雨天様の言いつけを守らずにいたせいで、その者は我々の力で幸せになることを望むようになったのです」
過去に想いを馳せる瞳は、涙をこらえているようにしか見えない。
ただ、それを溢れさせまいと思っていることくらいはわかるから、私は少しだけコンくんから視線を逸らすことにした。
コンくんは、そんな私の気持ちを察するようにそっと微笑んだ。
「我々ができるのは、あくまで傷を癒やすお手伝いまでなのです。それなのに、私の判断が間違っていたために、その者の欲が深まって……。悲しいことに、自らの手で努力をすることを諦めてしまったのです」
膝で抱えている私の荷物をギュッと握り、瞳を伏せる。そんなコンくんの気持ちをすべて理解できるわけじゃないのに、私まで心が痛む。
「居心地が良過ぎるというのもいけないのだと、あのときに学びました……」
「そっか……」
「結局、屋敷に留まらせることはできず、傷を癒やせないまま忘却の術をかけることになったのです」
「……その人って、どうなったの?」
「屋敷でのことを忘れたおかげでしょう。自身の手で努力をして、妻の忘れ形見であるふたりの可愛い子どもを守り、天寿を全ういたしました」
ためらいながらも尋ねると、コンくんは予想に反して微笑んだ。
それは、表情も答えも悲しいものなんかじゃなかった。
「まぁ……悲しいことに、最後まで傷を抱えたままでしたが、雨天様は『これでよかったのだ』とおっしゃっていました。きっと、私を慰めてくださっただけなのだと思いますが……」
「そんなことないと思うよ」
「え?」
自嘲気味に付け足された最後の言葉を否定すれば、コンくんが不思議そうに小首を傾げた。
無言のコンくんが続きを待っているのは一目瞭然で、私は瞳を緩めて再び口を開いた。
「大切な人を亡くした痛みなら、私もわかるつもりだから、その人はきっと悲しみを忘れることはできなかったとは思う。でも、傷ついたからこそ、〝同じ大切な人〟を失った子どもたちを守り抜けたんじゃないかな」
「ひかり様……」
「……なんて言っても、私はまだ全然立ち直れそうにないし、私にはよくわからないんだけど……。でも、雨天様はきっと、慰めるためだけにそんなことは言わない気がするんだよね」
雨天様はとても優しいけれど、嘘で慰めるようなやり方はしないと思う。雨天様のことはまだあまり知らないのに、不思議と確信めいたものすらあった。
「確かに、雨天様はとてもお優しいですが、とてもお厳しい方ですので、ひかり様のおっしゃる通りかもしれません」
「雨天様って、厳しいの?」
「ええ、とても。なんでも、雨天様ご自身も先代に厳しくされたようで、お客様のおもてなしと料理については特にお厳しいですよ」
「そうなんだ」
「今朝はギンがお味噌汁を作りましたが、雨天様があんな風にギンをお褒めになるところは滅多に見ることができません。特に、料理はおもてなし用の甘味にも繋がりますから。料理を担当するギンは、おもてなしの分野においては私以上に褒められることが少ないかもしれません。本当は、私よりもギンの方が優秀なのに……」
そこで言葉を止めたコンくんに続きを促したかったけれど、安易に踏み込んではいけないような気がする。
そして、それが正しいと言わんばかりに、雨の中を走るバスがちょうど目的の停留所に着いた。
これから買い出しに行くようで、今度は私が同行することになった。
「さっきの話なんだけど」
「はい」
「神様とは長く話さない方がいい理由、訊いてもいいかな?」
「ああ、そうですよね。あんな言い方をすれば、ひかり様はご不安ですよね」
「申し訳ございません」と、コンくんがシュンとしたから慌てて首を横に振る。
ただ、周囲の人には聞こえないように、声をひそめることは意識した。
「不安とかじゃないよ! コンくんたちが守ってくれるって言ってくれたし、それは信じてるから。でも、ちょっと気になっちゃって……」
「ひかり様……」
感動したように私の荷物をギュッと抱きしめたコンくんの瞳は、子どもみたいに純粋で可愛らしい。
うんと年上なのはわかっているけれど、母性本能がくすぐられるような気がした。
「えっとですね、話すと言うよりも、関わると言う方が正しいのですが……。別に、必ずしも関わり過ぎてはいけない、ということではないのです。ただ、関わり過ぎることで依存してしまうことがありますので、我々にはそうならないようにする義務があるのです」
わかるような、わからないような……。そんな気持ちでいると、コンくんが微笑を零した。
「雨天様も私たちも、神頼みがいけないとは思っておりません。頼っていただければ嬉しいですし、私は神使としてできることをしたいとも思っております。ですが、欲とは際限がないもので、ふとした拍子に深くなっていくのです」
真面目な面持ちをしたコンくんは、不意に眉を下げた。
少しして、おもむろに「これは昔話なのですが」と口にし、悲しげな笑みを浮かべた。
「私が初めて人間のお客様をおもてなししたとき、その者はすぐにあるべき場所に帰ることができませんでした」
ゆらゆら揺られる小さな体は、震えているようにも見える。
「妻を亡くした心根の優しい男性で、私は神使になってから人と接するのが初めてだったので、些細なことにも『ありがとう』と言っていただけるだけでとても嬉しくなって、雨天様の言いつけも守らずに四六時中その者と一緒に過ごすようになりました」
なにかをこらえるような横顔は、傷ついていることを隠しているみたいだった。
「最初は、お互いにとてもよい関係を築けていたと思います。けれど、その者は次第に要求を増やしていき、私の手に負えなくなってしまいました……」
「え……」
「お世話係になって浮かれていた私が、雨天様の言いつけを守らずにいたせいで、その者は我々の力で幸せになることを望むようになったのです」
過去に想いを馳せる瞳は、涙をこらえているようにしか見えない。
ただ、それを溢れさせまいと思っていることくらいはわかるから、私は少しだけコンくんから視線を逸らすことにした。
コンくんは、そんな私の気持ちを察するようにそっと微笑んだ。
「我々ができるのは、あくまで傷を癒やすお手伝いまでなのです。それなのに、私の判断が間違っていたために、その者の欲が深まって……。悲しいことに、自らの手で努力をすることを諦めてしまったのです」
膝で抱えている私の荷物をギュッと握り、瞳を伏せる。そんなコンくんの気持ちをすべて理解できるわけじゃないのに、私まで心が痛む。
「居心地が良過ぎるというのもいけないのだと、あのときに学びました……」
「そっか……」
「結局、屋敷に留まらせることはできず、傷を癒やせないまま忘却の術をかけることになったのです」
「……その人って、どうなったの?」
「屋敷でのことを忘れたおかげでしょう。自身の手で努力をして、妻の忘れ形見であるふたりの可愛い子どもを守り、天寿を全ういたしました」
ためらいながらも尋ねると、コンくんは予想に反して微笑んだ。
それは、表情も答えも悲しいものなんかじゃなかった。
「まぁ……悲しいことに、最後まで傷を抱えたままでしたが、雨天様は『これでよかったのだ』とおっしゃっていました。きっと、私を慰めてくださっただけなのだと思いますが……」
「そんなことないと思うよ」
「え?」
自嘲気味に付け足された最後の言葉を否定すれば、コンくんが不思議そうに小首を傾げた。
無言のコンくんが続きを待っているのは一目瞭然で、私は瞳を緩めて再び口を開いた。
「大切な人を亡くした痛みなら、私もわかるつもりだから、その人はきっと悲しみを忘れることはできなかったとは思う。でも、傷ついたからこそ、〝同じ大切な人〟を失った子どもたちを守り抜けたんじゃないかな」
「ひかり様……」
「……なんて言っても、私はまだ全然立ち直れそうにないし、私にはよくわからないんだけど……。でも、雨天様はきっと、慰めるためだけにそんなことは言わない気がするんだよね」
雨天様はとても優しいけれど、嘘で慰めるようなやり方はしないと思う。雨天様のことはまだあまり知らないのに、不思議と確信めいたものすらあった。
「確かに、雨天様はとてもお優しいですが、とてもお厳しい方ですので、ひかり様のおっしゃる通りかもしれません」
「雨天様って、厳しいの?」
「ええ、とても。なんでも、雨天様ご自身も先代に厳しくされたようで、お客様のおもてなしと料理については特にお厳しいですよ」
「そうなんだ」
「今朝はギンがお味噌汁を作りましたが、雨天様があんな風にギンをお褒めになるところは滅多に見ることができません。特に、料理はおもてなし用の甘味にも繋がりますから。料理を担当するギンは、おもてなしの分野においては私以上に褒められることが少ないかもしれません。本当は、私よりもギンの方が優秀なのに……」
そこで言葉を止めたコンくんに続きを促したかったけれど、安易に踏み込んではいけないような気がする。
そして、それが正しいと言わんばかりに、雨の中を走るバスがちょうど目的の停留所に着いた。
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