永遠のファーストブルー

河野美姫

文字の大きさ
上 下
8 / 19
永遠のファーストブルー

しおりを挟む
 注文したカレーは、安いレトルトのような味だった。これで九百円はぼったくりだ。
 ロコモコにすると言っていた空野は、なぜかカウンターで冷やしうどんを頼んでいた。テーブルを挟んで向かい合いながら、やっぱりよくわからないな……と思った。


「さて、泳ぎますか!」


 満腹になった僕は、彼女の言葉にため息を漏らす。


「日暮くん、着替えてきてよ」

「僕は適当に待ってるから、空野だけ泳いでくればいいよ。水着もないしね」


 急に海に来ることになったから、僕は水着を持ってきていない。幸いにも、今日は体育の授業がなかったから、ださいスクール水着すら持っていなかった。


「私は見学してるから、日暮くんだけ泳いできて。水着なら、ここでレンタルできるから」

「……待て。おかしくないか? どうして海が嫌いな僕が水着をレンタルしてまで泳がなきゃいけなくて、海に来たかった空野が見学なんだ」


 不服を申し立てる僕に、空野が苦笑を浮かべる。


「だって、私は運動禁止だもん」

「えっ……」

「こう見えても病人だよ? 最近の体育の授業は、貧血ってことで見学してるんだ」


 そういえば、彼女は昨日の体育の授業は見学していた。
 普段の体育は男女別だけれど、水泳のときはプールを半分ずつ使用しているため、女子たちもすぐ傍で授業を受けている。ただ、昨日はまだ空野が病気だなんて知らなかったし、女子特有の理由か風邪気味なのか……くらいにしか思っていなかった。


「そんなわけで、日暮くんには私の代わりに泳いでもらいます」

「悪いけど、僕は運動が苦手だし、ほとんど泳げない。空野の事情はわかったけど、こればかりは僕も譲れないよ」

「なるほど」


 頷く彼女を見て、安堵感を抱く。ところが、これで諦めてくれるだろうと思ったのも束の間、僕の憂鬱は終わらなかった。


「日暮くんの言い分はわかった。でも、私は別にクロールをしてって言ってるわけじゃないよ? 水着を着て海に入ってくれればいいだけだから」


 にっこりと笑う顔には、もうすでに覚えがある。
 つまり、やっぱり僕には拒否権なんてないのだ。






 空野が選んだ水着は、膝上丈のカラフルなトロピカル柄のものだった。


「似合ってるよ!」

「本気で言ってるなら、空野のセンスを疑うよ。こんなの、ただ浮かれた痛い奴じゃないか」

「日暮くんって後ろ向きだよね」

「余計なお世話だよ」


 どうやら彼女は、本気でそう思っているらしい。「似合ってるのになぁ」と言う顔は、不服そうだった。

「では、いってらっしゃい」

「まさか本気でひとりで泳がせるつもり?」

「まぁまぁ、いいじゃない。大丈夫だよ! 私はパラソルの下で待ってるから」


 なにもよくないし、なにが大丈夫なのかもわからない。
 ただ、空野はなんとしてでも僕を海に放り込みたいようで、背中をぐいぐいと押されてしまった。「荷物はちゃんと見とくから」なんて言われても、安心感は芽生えない。


 ため息混じりに波打ち際まで行くと、彼女がにっこりと笑って僕の背中から手を離した。
 裸足になった指先に、寄せてくる波が触れる。海水は冷たく、汗を掻いていた体には気持ちよかったけれど、僕にはいかんせん水泳のセンスがない。


 重い足取りで歩を進めておもむろに振り返れば、空野はまだ背後で僕を見ていた。


「ほら、もっと楽しそうにしてよ!」


 満面の笑顔で発された要望に僕から漏れたのは、笑みではなく深いため息。


(空野って、あんな奴だったのか)


 心の中でごちて冷たい海に入っていき、腰まで海水に浸かったところで再度振り向くと、彼女はパラソルの下にいた。嬉しそうに手を振る姿を見ても、やっぱりため息しか出ない。


 まったく泳げないわけじゃないけれど、下手くそなクロールを披露する気はない。
 けれど、ぼんやりと立っているのも心許なくて、仕方なく仰向けに浮かんでみた。


 視界にはうんざりするほど綺麗な青空が広がり、眩しい太陽に目を細める。海水浴日和の晴天だというのに、僕の気分は落ちていくばかりだ。


「この分だと、他も全部付き合わされるんだろうなぁ」


 気が重い僕は、とにかく空野が約束を果たしてくれることだけを信じて、自分の名誉を守るために頑張るしかない。
 ストーカー呼ばわりされてしまったら平和な学校生活は消え去り、運が悪ければ三年間ずっと地獄のような日々を送るはめになるかもしれないのだから……。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

水やり当番 ~幼馴染嫌いの植物男子~

高見南純平
青春
植物の匂いを嗅ぐのが趣味の夕人は、幼馴染の日向とクラスのマドンナ夜風とよく一緒にいた。 夕人は誰とも交際する気はなかったが、三人を見ている他の生徒はそうは思っていない。 高校生の三角関係。 その結末は、甘酸っぱいとは限らない。

傷つけて、傷つけられて……そうして僕らは、大人になっていく。 ――「本命彼女はモテすぎ注意!」サイドストーリー 佐々木史帆――

玉水ひひな
青春
「本命彼女はモテすぎ注意! ~高嶺に咲いてる僕のキミ~」のサイドストーリー短編です!  ヒロインは同作登場の佐々木史帆(ささきしほ)です。  本編試し読みで彼女の登場シーンは全部出ているので、よろしければ同作試し読みを読んでからお読みください。 《あらすじ》  憧れの「高校生」になった【佐々木史帆】は、彼氏が欲しくて堪まらない。  同じクラスで一番好みのタイプだった【桐生翔真(きりゅうしょうま)】という男子にほのかな憧れを抱き、何とかアプローチを頑張るのだが、彼にはいつしか、「高嶺の花」な本命の彼女ができてしまったようで――!   ---  二万字弱の短編です。お時間のある時に読んでもらえたら嬉しいです!

【完結】眠り姫は夜を彷徨う

龍野ゆうき
青春
夜を支配する多数のグループが存在する治安の悪い街に、ふらりと現れる『掃除屋』の異名を持つ人物。悪行を阻止するその人物の正体は、実は『夢遊病』を患う少女だった?! 今夜も少女は己の知らぬところで夜な夜な街へと繰り出す。悪を殲滅する為に…

さよなら、真夏のメランコリー

河野美姫
青春
傷だらけだった夏に、さよならしよう。 水泳選手として将来を期待されていた牧野美波は、不慮の事故で選手生命を絶たれてしまう。 夢も生きる希望もなくした美波が退部届を出した日に出会ったのは、同じく陸上選手としての選手生命を絶たれた先輩・夏川輝だった。 同じ傷を抱えるふたりは、互いの心の傷を癒すように一緒に過ごすようになって――? 傷だらけの青春と再生の物語。 *アルファポリス* 2023/4/29~2023/5/25 ※こちらの作品は、他サイト様でも公開しています。

ダブルシャドウと安心毛布

青春
貴方の事から目が離せない。 それは良い意味なのか悪い意味なのか。

塞ぐ

虎島沙風
青春
 耳を塞ぎたい。口を塞ぎたい。目を塞ぎたい。そして、心の傷を塞ぎたい。  主人公の瀬川華那(せがわはるな)は美術部の高校2年生である。  華那は自分の意思に反して過去のトラウマを度々思い出してしまう。  華那の唯一の異性の友人である清水雪弥(しみずゆきや)。 華那は不器用な自分とは違って、器用な雪弥のことを心底羨ましく思っていた。  五月十五日に、雪弥が華那が飼っている猫たちに会うために自宅に遊びにきた。  遊びにくる直前に、雪弥の異変に気づいた華那は、雪弥のことをとても心配していたのだが……。思いの外、楽しい時間を過ごすことができた。  ところが。安堵していたのも束の間、帰り際になって、華那と雪弥の二人の間に不穏な空気が徐々に流れ出す。  やがて、雪弥は自分の悩みを打ち明けてきて ──?  みんな、異なる悩みを抱えていて、独りぼっちでもがき苦しんでいる。  誰かと繋がることで、凍ってしまった心がほんの少しずつでも溶けていったらどんなに良いだろうか。  これは、未だ脆く繊細な10代の彼女たちの灰色、青色、鮮紅色、そして朱殷(しゅあん)色が醜くこびりついた物語だ。 ※この小説は、『小説家になろう』・『カクヨム』・『エブリスタ』にも掲載しています。

四分割ストーリー

安東門々
青春
 いつも集まって過ごしている三人、しかし、其々の想いは未だ実っていない、そして、突如として現れた後輩により、一気に関係は加速していく。  各々の想いを抱きながら、過ごす最後の学園生活。  苦しくも淡い想いを抱えながらも、行動を開始いていく。  この四人に待ち受けている未来はいったいどこに繋がっているのだろうか?

踏ん張らずに生きよう

虎島沙風
青春
踏ん張らずに生きよう〜きっと、その方が心は壊れずに済む〜 密かに死を切望している貴方を救い出したい  高校二年生の長間風哉(ちょうまふうや)は同級生たちから虐めを受けている。  自分に対する認識が変化することを恐れて、今まで誰にも打ち明けたり助けを求めたりしなかった。  ところが、お盆休み中に友人の浜崎海結(はまざきみゆ)に虐められているところを目撃されてしまう。  風哉は海結を巻き込まないために、嘘を吐いて誤魔化したうえで逃げて欲しいと懇願する。  だが、海結は逃げないと拒否してさらには風哉を救けるまでは逃げないと一歩も引かない。  そうこうする内に、風哉は虐めの首謀者の一人に羽交い締めにされて、海結も別の男子に腕を掴まれてしまった。  絶体絶命の状況の中、風哉はある驚きの行動に出て──!? 「本当に今すぐ逃げて欲しかった。海結だけでも助かって欲しかった」

処理中です...