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四章 さよなら、真夏のメランコリー

三 ちっぽけな私たち【2】

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「いつ……?」

「インハイで準優勝した時。バタフライを泳いでた」

(あの時の……)

「圭太のいとこがインハイに出ててさ。俺のひとつ上なんだけど、結構気さくな感じの兄ちゃんで、何回か会ったことがあったから一緒に応援に行ったんだ」


 宮里先輩のいとこは他校にいて、今は大学で水泳を続けているのだとか。
 そのインターハイでは、五〇メートルの平泳ぎで六位に入賞したらしい。


「で、その時に初めて美波が泳いでるところを見た」


 輝先輩は、あの日のことを思い出すように目を細めている。


「美波はうちの学校では有名だったし、よく笑ってる姿を見かけてて、なんとなくだけど知ってた。でも、俺は別に水泳には興味がなかったから、実際に泳いでるところは見たことなくてさ」


 それは私も同じだった。
 彼は有名だったし、認知はしていたけれど、ちゃんと試合を観たことはない。
 そもそも、私が入学した時にはもうけがをしていたんだけれど。


「だから、正直驚いた。こんなに綺麗に泳ぐんだって、めちゃくちゃ目を奪われた」

「え……?」

「バタフライって、蝶って意味だろ? 本当に蝶が舞ってるみたいっていうか……スピードがあって力強いのに、すげぇ優雅なフォームだって思った」


 そんな風に言われたのは初めてで、たじろいでしまう。
 時々、『フォームが綺麗』とか『かっこいい』と褒められることはあったけれど、『蝶が舞ってるみたい』なんて言われたことはない。


 それも、輝先輩の言葉だと思うと、身の置き場がないような……。なんだか、ムズムズした感覚に包まれた。


「……でも同時に、めちゃくちゃ悔しかった」

「悔しい?」

「うん。俺は選手として走れないのに、この子はまだまだ希望があるんだって思ったら……羨望とか嫉妬で、美波のことが眩しく見えて仕方がなかった」


 そんな私を見ていられなくて、輝先輩は「プールが見えないところまで移動した」と自嘲交じりに笑った。


「でも、そのあとに泣いてる美波を見かけたんだ」


 その言葉で、ふと思い出す。
 部員たちから離れた場所でひとり泣いていたあの日のことを……。


「一年で準優勝なんて、成績としては悪くない。むしろ、誰からも褒められるくらいだ。なのに、美波は心底悔しそうに泣いてた」


 誰もいないであろう会場の一角で堪え切れなくなって、悔しさを吐き出した。
 一位の選手は私の一学年上で、中学時代にも周囲からライバル扱いされていた。


 だからこそ、彼女に〇,〇三秒差で負けたことがどうしようもないほど悔しかった。
 準優勝という好成績を素直に喜べなかったくらいに……。


 当時の私はスランプ気味で、その少し前から思うようにタイムが出せなかった。
 あの頃は練習に行くのが心底嫌なほど苦しくて、インターハイ目前はプレッシャーに押しつぶされそうだった。
 眠れなかった夜も、胃やお腹が痛くなって嘔吐したこともある。


「なんだか俺を見てるみたいだと思った」


 輝先輩なら、そういう経験をしたことがあるに違いない。
 きっと、自分と私の姿が重なったんだろう。


「だからかな。余計にムカついたんだ。俺はもう選手としては走れないかもしれないんだから、次のチャンスがあるお前は幸せだろって……正直、そう思った」


 胸の奥が痛む。
 だけど、それは彼の言葉そのものではなく、自分も身に覚えがあったから。


 これからも選手として泳げる部員やチームメイトたちが、本当に羨ましくて、どうしても妬ましくて……。今まではライバルで仲間だった子たちの好成績を喜ぶどころか、憎みそうになるくらい心が荒んでいた。


「さすがに幻滅するよな」


 だから、眉を寄せる輝先輩に、私は首を横に振った。


「わかるよ……。私もみんなのことが羨ましかったし、すごく妬ましかった。仲間だった子たちのことが嫌いになったくらい……」

「そっか……。同じだな」

「うん……」


 少しの沈黙が下り、ふたりで前を見る。
 静かに降り続けている雪は、相変わらず地面に落ちては溶けていく。


「そのあとは、もう美波の試合を観る機会はないだろうって思ってたんだけどさ」


 再び口を開いた彼が、どこかおかしそうに苦笑を零した。


「あの時から、美波の泣き顔が頭から離れなくなったんだ」


 少しだけ複雑な気持ちになった。
 泣いていた時の顔をずっと覚えていられるというのは、どう捉えればいいのかわからない。
 ただ、輝先輩の話を最後まで聞こうと思った。


「別に仲がいいわけでも、それまで接点があったわけでもないのに、それから美波のことが気になるようになってさ。って言っても、別に恋愛感情とかじゃなくて……。でも、なんて言うんだろうな……」


 彼自身も、自分が抱いていた感覚に明確な理由は見出せていないみたいだった。
 それでも、「とにかく気になったんだ」と小さく笑った。


「おかしな話なんだけどさ、それから何度か試合を観に行ったんだ。あと、たまに練習を見てたこともあるな」

「そうなの?」

「あ、練習を見てたのはさすがに数分とかだぞ? 男子部員もいるから普通に見る分には怪しまれないとは思うけど、プールって部員以外の人間がいたら目立つだろ? でも、外からでもちょっとだけ見えるから、足が向いた時に見たりしてさ」


 輝先輩の話を聞けば聞くほど、驚くことばかりだった。
 だって、彼はずっと私を見ていた……ということなんだから。


「それで……美波が怪我する少し前だったんだけど、たまたま美波が部員と話してるところに遭遇したんだ。たぶん、その時の美波はスランプだったんだと思う。『なんでそんなに頑張れるの?』って訊かれてた」


 そう前置きされた直後、いつだったか千夏と話した内容を思い出した。

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