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三章 夏の匂い
三 夜空の下のファーストキス【2】
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九月の第二日曜日は、朝から晴天だった。
前日までの三日間は雨が続き、天気が心配でたまらなかった。
朝方まで雨はやまなかったみたいだけれど、お祭りが無事に開催されることになって心底嬉しかった。
「美波! 悪い、待った?」
「ううん、私も今来たとこだよ」
こんなやり取りがなんだかカップルっぽいな、と感じてキュンとした。
本当は十五分前に着いていたけれど、それは言わなくていいや……と思うくらいには今日の私は浮かれている。
「浴衣、着てきたんだな」
「う、うん……」
頷きながら、輝先輩の反応が気になって視線を泳がせてしまう。
紺地にひまわりの花が施された浴衣は、九月に入ってすぐに買ったもの。
明るい黄色のひまわりが彼の金髪みたいで、一目見た瞬間に迷わず選んでいた。
「似合う」
「……本当に?」
サラッと褒めてくれた輝先輩を見上げれば、彼が大きく頷いてみせる。
「うん。美波って、ひまわりって感じがするし」
「え? ……どこが?」
夏らしいひまわりの花は、いつだって太陽に向かって咲いている。
うじうじ悩んで前に進めずにいる私とは正反対に思えて、輝先輩の言葉が不思議だった。
「どこって……まぁ、なんとなく?」
彼の答えははっきりしなかったけれど、それでもなんだか嬉しかった。
私が輝先輩の髪色からひまわりを連想したように、彼も同じように感じてくれたのかもしれないと思うと、以心伝心みたいに思えたのだ。
お祭りの会場は、私の家の最寄り駅から七駅。
電車を降りると手を取られ、人混みに身を任せるように歩いていく。
今日の輝先輩は、カジュアル系ブランドのTシャツにデニム。
シンプルな服装だけれど、白いスニーカーとも合っている。
人混みに紛れると、彼の髪色はひときわ目立った。
「美波、なに食べたい?」
「わたがしとたこ焼き! あと、ヨーヨーが欲しい」
「わたがしって、お腹膨れないだろ」
「いいの。こういう時しか食べる機会ないもん」
「はいはい。あとで買おうな」
「……今、子ども扱いしたでしょ」
「してないしてない」
悪戯に笑う輝先輩につられて、小さく噴き出してしまう。
こんな些細なやり取りが楽しくて、彼とふたりで笑顔が絶えない。
屋台から漂う、たこやきソースの香ばしさやベビーカステラの甘さ。
たくさんの食べ物が混ざり合ったそれは、なんだか幸せの匂いみたいだった。
行き交う人たちやカラフルなのぼり。
沈んでいく夕日に反して、屋台の灯りが目立つ河川敷。
お祭りは初めてじゃないのに、ひとつひとつが新鮮で、キラキラして見える。
輝先輩も楽しそうで、そんな彼を見て私ももっと楽しくなる。
焼きそばの屋台に並んで、その隣で売っていたたこ焼きも買ってくれた。
どっちも半分こして、次はフランクフルトを買った輝先輩から一口もらって。私が食べたかったふわふわの大きなわたがしも、笑い合いながら仲良く分けた。
かき氷はいちごとブルーハワイを選んで、一口ずつ交換したりして。そのあとは、彼が黄色のヨーヨーを獲ってくれた。
むきになった射的は、私はなにも獲れなかったけれど、輝先輩はシュールな猫のマスコットを撃ち落としていた。
あんまり可愛くはなかったけれど、彼がくれたものだというだけで宝物になった。
ごく普通のカップルと同じように夏の醍醐味を満喫する私たちが、心に似たような傷を抱えているなんてきっと誰も思わない。
普通の人と同じようにお祭りを楽しめていることが、なんだか無性に嬉しかった。
「そろそろ花火始まるな」
「うん。混んできたね」
持ってきていたシートの上で肩を並べているけれど、周囲はたくさんの人たちで溢れている。
どこからこんなに集まってきたのか……と思うくらい。
熱気を感じて蒸し暑い。
だけど、人が増えるにつれて、ワクワクしていった。
それから程なくして、ヒュー……と高い音が鳴り、夜空に大輪の花が咲いた。
打ちあがった花火の音とともに、あちこちから歓声が上がる。
「おおー」
「わぁっ! 始まったね!」
輝先輩と私も、満面の笑みで顔を見合わせた。
色とりどりの花火。
上がっては消え、また視界を彩る。
絶えず咲くカラフルな花たちは、そのたびに藍色の空に吸い込まれていった。
目がくらむような光の中、そっと隣を見る。
夜空に向けら荒れた彼の視線は、ただひたすらに真っ直ぐだった。
好き。
思わずそう言いたくなったくらい、横顔がとても綺麗で。
想いが込み上げてきただけなのに、なんだか涙が溢れ出してしまいそうだった。
人々の歓声。
耳をつんざく花火の音。
夏風に混じった微かな火薬の匂い。
花が咲くたびに輝先輩の顔に光が差して、私の瞳を捉えて離さない。
「美波? どうかした?」
「……ううん、綺麗だなって」
「うん、そうだな」
微笑んだ彼が、私の右手をそっと握る。
手のひらから伝わってきた体温すら愛おしくて、胸がきゅうっと詰まる。
花火が上がるたびに手を離したくなくなって、このままずっと一緒にいたいと思った。
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