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三章 夏の匂い

二 少しずつ癒えていく傷【2】

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 エアコンの稼働音。
 時折、家の前を通る人の足音や声。
 静かな部屋にはそんな音がよく聞こえる。


「美波? 全然進んでないぞ」

「えっ……? あっ……」


 ふと顔を上げると、輝先輩が苦笑していた。
 ローテーブルで向かい合う私たちの距離は、とても近い。


「なに? バイト疲れ?」

「そう、かも……」

「でも、今日はそこそこ頑張らないと、次のデートも課題になるだろ」

「デート……」


 ドキドキしている私の心臓が、〝デート〟という言葉に撃ち抜かれる。


(そっか……。デート、なんだ……)


 今まではただの勉強会だった時間が、恋人になった途端にデートになる。
 彼氏と彼女って、たぶんそういうこと。
 初恋の経験もろくにない私に反し、彼は余裕そうに笑った。


 二度目の輝先輩の部屋は、前に来た時よりもずっとドキドキした。
 匂い、物、雰囲気。
 男の子っぽい、モノトーンカラーの部屋。
 彼の気配が濃すぎて、勝手に鼓動が暴れてしまうのだ。


「そんなに緊張しなくてもなんもしないって」

「え? しないの?」

「は?」


 思わず食い気味に尋ねた直後、自分が発した質問の意味に気づいてハッとする。
 頬がボッと熱くなる私とは裏腹に、輝先輩が眉を下げた。


「美波のそれは天然? 計算?」

「ちがっ……! 今のは間違ったの!

「……だよな」


 彼のため息が響いて、ドキッとしてしまう。
 ふたりきりでいるだけで緊張しているなんて、呆れられてしまっただろうか。
 勝手にテンパっているなんて知られて、嫌われたかもしれない。


 内心アタフタしながら不安を感じていると、輝先輩が顔をクシャッとした。


「そこまで警戒しなくていいよ。まぁ俺は美波とイチャイチャしたいけど、美波はまだいっぱいいっぱいって感じだし?」

「う、うるさいな……。私は先輩みたいに遊んでないもん……。付き合うとかも初めて、だし……」


 言い返す口調に力が入らなかったのは、急に悲しくなったから。
 私は心臓が痛いほどドキドキしているのに、彼は楽しそうに笑っている。
 輝先輩は恋愛経験が豊富なんだと思えて、なんだか無性にモヤモヤした。


「俺だって遊んでないけど」

「うそつき」

「は? なんでうそなんだよ? マジだからな」

「……でも、彼女くらいいたでしょ?」

「……いないわ」

「え?」

「……え、なに? 俺、そんなにチャラい奴だと思われてる?」

「や、そうじゃなくて……。だって、先輩……モテるっぽいし……告白とか……」


 ぽつりぽつりと零せば、彼が気まずそうに眉を寄せる。


「一年の時は練習漬け、二年ではリハビリばっかりで、それどころじゃなかったし。告白は何度かされたけど、彼女にした子はいない」

「本当に?」

「俺の初めての彼女は美波だよ」


 目を真ん丸にする私に、輝先輩は不本意そうな顔をしている。


「クソッ……。かっこわりぃ……」

「なんで……?」

「好きな子の前でくらい、かっこつけたいだろ」


 拗ねたような顔をする彼が、なんだかとても可愛く見えてしまう。
 思わず噴き出せば、輝先輩に鼻をキュッと摘ままれた。


「うっ……」


 私が顔をしかめると、彼がケラケラと笑う。
 鼻を摘ままれていた手を押し返すようにして、これみよがしに唇を尖らせた。


「バカ」

「……先輩だって似たようなものでしょ」

「そんな生意気なこと言ってると、水族館に連れて行ってやらねーからな」

「それはずるい……!」


 課題が全部終わったら、水族館に行こうと約束している。
 私が今一番行きたい場所だった。


「じゃあ、真面目に課題やるぞ。夏休みもあとちょっとだし、サボって時間をムダにするのはもったいないからな」

「うん」


 水族館デートは、なんとしてでも叶えたい。
 そんな気持ちをぶつけるように、とにかく雑念を押し込めて課題と睨めっこをしていた。

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