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二章 憂鬱な夏
三 動き出した心【3】
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翌々日にもバイトに入り、さらにその次の日。
輝先輩に誘われて、夏休みに入って初めて彼と会うことになった。
「バイト?」
「うん」
ハンバーガーショップでランチを摂りながらバイトを始めたことを話すと、輝先輩は意外だと言いたげに目を小さく見開いた。
「どこで?」
「ビヨンドっていうファミレス」
「ああ、あそこか。前はよく家族で食べに行ったな。何店?」
興味津々な眼差しを向けてくる彼に、眉を小さく寄せてしまう。
「……言わない」
「なんでだよ」
「言ったら来そうだもん」
「バレたか。美波の制服姿、見たいんだけど」
「その発想、なんかオヤジくさい」
「なんだと?」
輝先輩が不本意そうに片眉を上げる。
私はつい噴き出しそうになりつつも、ポテトを摘まんだ。
「まぁいいや。ビヨンドってチェーン店だけど、一駅にそんなに何軒もないし。学校の近所か、美波の家の近くだろ?」
ずばり当てられて、噎せそうになる。
彼はその瞬間を見逃さず、ニヤリと笑った。
「家の近所か。美波がわかりやすくて助かった」
「ぜっ、絶対に来ないでよ!」
「次のバイトはいつ?」
「言わない! 教えない!」
「そんなに嫌がられると、絶対に行きたくなるんだけど」
「性格悪いよ!」
「いやいや、美波が心配だから様子を見に行こうとしてるんだよ。優しいだろ?」
にっこりと微笑まれても、それが方便だということくらいわかっている。
「楽しみだなー、美波の制服姿」
楽しげな声音を表情に、抗議の目を向けてみる。
だけど、輝先輩は動じる素振りもなく、コーラを飲んでいるだけだった。
(絶対に見られたくないんだけど……!)
「そろそろ行くか」
「……うん」
未だに抗議したい気持ちはあるけれど、立ち上がった彼に頷く。
今日は、これから図書館に行くことになっている。
遊ぶ前に、少しでも夏休みの課題を片付けようという計画だ。
次に会う時にはどこかに遊びに行く予定だけれど、勉強が苦手な私と受験生の輝先輩にとって課題はできるだけ早く終わらせておいた方がいいはず。
夏休みに入って最初に会う理由が課題なんて、正直に言うと気乗りしなかった。
ただ、彼と過ごす束の間のランチタイムは、意外にも楽しかった。
もちろん、バイト先にだけは来ないでほしいけれど……。
私の家の最寄り駅にある図書館には、自習スペースがある。
利用者が多い時間帯は長時間の使用は禁じられているけれど、基本的には二時間くらいなら使えるため、真菜ともたまに利用していた。
「図書館って、ほとんど来たことなかったな」
「私は中学の時からたまに使ってたよ」
お金がない学生にとって、図書館はオアシスみたいなものだ。
無料で長時間居座れて、机と椅子があり、冷暖房も完備されている。
自習スペースは程よく話し声も聞こえるから、無言でいる必要もない。
それでいてずっと話していると周囲から注目されるため、ついおしゃべりに高じてしまうことへの抑止力もあった。
「わからなかったら訊いてくれていいよ」
「いいの?」
「俺がわかるかは知らないけど」
「それ、意味ないじゃん」
冗談めかしたやり取りで、どちらともなく小さく噴き出す。
輝先輩といると、変な気を遣うことも居心地が悪くなることもない。
それはきっと、彼とは一番つらい部分をわかり合えているから。
輝先輩にはやり場のなかった気持ちを話せただけあって、今さら触れられたくないようなこともあまりない。
たぶん、彼もそうだと思う。
そんなことを話したわけじゃないけれど、なんとなくそう感じていた。
「そういえば、輝先輩って志望校とか決まってるの?」
「いや、まだ。走ってた時は、陸上で大学に行くつもりだったし」
「そっか……」
「正直、推薦をもらえるだろうって気持ちもあったし」
私も同じだった。
選手だった時には、大学進学も水泳を基準に選ぶつもりだった。
なんなら、輝先輩のように推薦をもらえるだろうとすら考えていた。
やっぱり、彼とはこんなところも似ている。
「ほら、やるぞ。美波は俺よりやばいんだから、ちゃんと集中しろよ?」
「わかってるよ」
ふっと緩められた瞳に、胸の奥がムズムズする。
なんだかむずがゆいような、身の置き場がないような……。不思議な感覚だった。
そんな私を余所に、輝先輩は課題に取りかかっていた。
プリントにシャーペンを走らせる目は真剣で、普段の彼とは全然違う。
だけど、陸上選手として走っていた時の輝先輩を彷彿とさせた。
私は、彼が走っている姿を何度か見たことがある。
真剣な双眸で真っ直ぐ前を見据え、腕を大きく振って、全力で歯を食いしばってどこか苦しそうなのに、ゴールに向かって走り抜く姿はまるで風のようだと思った。
あの時の目を思い出し、なんだか切なくなる。
それなのに、また真剣な表情を見られたことが少しだけ嬉しかった。
「美波? 手が止まってる。もうわからない?」
「今からやるの!」
不意に声をかけられて、心臓がドキッと高鳴った。
なにもやましいことはないのに、なんだかドキドキしてしまう。
輝先輩は苦笑すると、またプリントに視線を落とした。
彼の表情をもっと見ていたい気もするけれど、私もシャーペンを手に取った。
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