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二章 憂鬱な夏

二 予定のない日の過ごし方【3】

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 第三倉庫の裏に着くと、輝先輩が以前と同じように地面に腰を下ろした。


(助かった……)
 その隣に座った私は、心の中で呟きながら息を吐く。
 もし、彼が来てくれるのがあと一歩遅かったら……。私はきっと、千夏にひどい言葉を吐いていたと思う。


 もっとも、輝先輩は偶然通りがかっただけだろうけれど……。
 それを理解した上でも、修羅場にならなかったことにホッとしていた。


「嫌なことでも言われた?」

「……うん。でも、たぶん悪気はなくて……私を思いやってのことだと思うけど、結構きつかった……」

「マネージャーにならないか? とか」

「……どうしてわかるの?」


 瞠目した私に、彼が自嘲交じりの微笑を漏らす。


「俺も、元チームメイトから同じことを言われたから」


 輝先輩の横顔が悲しげで、胸の奥がズキッと痛む。


「内申がよくなるからって顧問にも勧められたけど、余計なお世話だよな」


 空気に溶けていく声音にも、悲しみの感情が乗っていた。


「まだ心の中では折り合いもついてなくて……それでも必死に立ち直ろうとしてるのに、刺激するなって話だよ」


 彼の言っていることがよくわかるからこそ、ただ頷くことしかできない。


「だいたい、どんな顔してグラウンドに立ってろって言うんだ……」


 やっぱり、輝先輩だけが私の共感者のように思えた。
 私だって、元チームメイトたちが泳いでいる傍で、どんな顔をしてプールサイドに立っていればいいのかなんてわからない。


 苦しくて、羨ましくて、悲しくて、憎くて……。想像するだけでもそんな感情が込み上げてくるのは目に見えているのだから、実際はもっとつらいだろう。
 もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。


 マネージャーを勧めてきた人たちには、きっと悪気はない。
 だけど、本当に余計なお世話でしかなかった。
 そして、それをわかり合えるのは、輝先輩と私だけだろう。


「暑いな……。こういう日の練習は地獄だったな」

「私も……」

「水の中で練習してるのに?」

「筋トレとか走り込みは陸の上だからね」

「ああ、そっか」

(不思議……)


 今はまだ、水泳のことを話すだけでも泣きたくなるのに……。彼とだけは、こうして会話をしていても涙は出てこなかった。


 その理由は、やっぱり輝先輩だけが私の気持ちをわかってくれているからに他ならないのだろう。
 ただ、今の私には理由なんてどうでもよくて、彼がタイミングよく現れてくれたという事実が心を救ってくれるようだった。


「テストは手応えあった?」

「世界史と英語以外は……」

「俺は数学がやばいんだよな。まぁ、今さら後悔しても仕方ないんだけど」


 なにげない会話が、嫌な気持ちを少しだけ忘れさせてくれる。


「お互い、夏休みの補習は免れたらいいな」

「うん」


 たとえば補習になったとしても、夏休みの予定がない私は別に困らない。
 嫌ではあるものの、予定ができるだけマシかもしれない。


 だけど、補習を受けに来れば、部活をしている生徒たちを目の当たりにすることになる。
 それだけは嫌だった。


 私の場合、プールに行かなければ水泳部員たちと鉢合わせる可能性は低いのかもしれない。
 それでも、万が一にでも顔を合わせれば泣きたくなるに違いない。


 走り込みをしている姿や、プール上がりの濡れた髪を見れば、おのずと自分が選手だった時の光景と被るだろう。
 そんな光景を見る勇気は、まだ持てなかった。


「夏休みはどこか行くのか? 旅行とか帰省とか」

「ううん。両親は共働きで忙しいから旅行なんて行く暇はないし、ふたりとも東京(とうきょう)出身だから。友達と遊ぶくらいかな」


 真菜と会うのは、せいぜい週に一回くらいだろう。
 父親の実家が大阪おおさか、母親の実家が埼玉さいたまだと言っていた彼女は、毎年両方の祖父母の家に遊びに行っている。


 少なくとも、お盆を含めた十日ほどは会うことがない。
 その間、どうして過ごせばいいのかと思うだけで、気が滅入った。


 高校でできた友達とは、以前のように接することができなくなった。
 千夏のような水泳部員はもちろん、入学後に仲良くなった子たちだって私への態度が変わったからだ。


 真菜だけが今まで通りでいてくれるけれど、彼女以外とは上手く話せなくなった。
 中学までの友達も同じ。
 みんな、私の水泳選手としての実績と選手生命を絶たれたことを知っているから、会う気にはなれなかった。

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