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二章 憂鬱な夏

一 慣れない時間【3】

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「テスト勉強はしてる?」

「……嫌なことを思い出させるね」

「俺、先輩だもん。可愛い後輩が心配なんだよ」


 うそっぽい言い訳に、眉を寄せてしまう。


「してるよ。勉強は好きじゃないけど、選手じゃない以上はちゃんと勉強しないわけにはいかないし」

「いや、選手でも勉強しなきゃいけないだろ」

「そういう輝先輩は勉強してるの?」

「……俺、勉強は嫌いなんだよなー」

「なにそれ。人のこと言ってる場合じゃないじゃん」

「でも、ちゃんとしてるよ。選手じゃなくなったんだから、せめて成績は学年で真ん中くらいにはいないとな」

「真ん中かぁ……」

「それより下?」


 ニッと笑われて、さっきよりも深く眉間に皺が寄る。


「微妙に下ですけど」

「やばいじゃん! 油断してると、どんどん落ちるぞ」

「うるさいな。これからちゃんとやるもん」


 今までは部活を言い訳にできた。
 スイミングスクールにも通っていたし、私の毎日は水泳一色だった。


 課題をこなすのが精一杯で、予習も復習もほとんどしたことがない。
 おかげで、お世辞にも成績はそんなにいい方じゃなかった。


 だけど、もう言い訳はできない。
 時間は充分にあるし、私が水中に戻ることはないのだ。
 せめて、普通程度の成績を収めておかなければいけないだろう。


「そんな顔するなって。俺も似たようなもんだったし」

「本当に人のこと言えないじゃん」

「ところが今は言えるんだな、これが。二年まではそんなに成績がよくなかったけど、走らなくなったら時間持て余してさ。バイトと勉強の日々よ」

「ふぅん……」

「真ん中より結構下だったけど、今は学年で百位以内には入ってる」


 すごいじゃん、と心の中で呟く。


 うちの学校は、たぶん生徒数が多い。
 一クラスは約四十人、一学年ではだいたい三百人弱になる。


 真ん中より結構下だった成績が百位以内になったということは、二百位以下くらいから百番くらいは上がったということ。
 勉強をそっちのけで来た私には、百位以内なんてまだまだ遠い。


「部活一色だった時は、帰ったら寝るだけで課題もしてなかったんだけどな」

「課題もしてなかった人がよくそこまで成績上がったね」

「親が家庭教師つけてくれたんだ。俺、塾とか予備校とか行っても、たぶんついていけないからさ。かと言って、オンライン授業も集中できなさそうだったし……」


 それはわかる。
 私は、勉強でありがちな『どこがわからないかわからない』状態も珍しくない。


 きっと、塾や予備校に行っても、授業についていけないだろう。
 そういう人間にとっては、家庭教師の方が向いているのかもしれない。


「その点、家庭教師なら家まで来てくれるし、一対一だから質問もしやすいんだ。あと、可愛い女子大生が先生だったらやる気倍増するし」


 満面の笑みを向けられて、胸の奥がモヤッとした。


「動機が不純ですね……」

「なんで敬語だよ」

「別に深い意味はないですけど」

「言っとくけど、先生は男だからな」


 その言葉で、モヤモヤしていたものが消えていく。


「てっきり真面目な堅物みたいな奴が来るのかと思ったら、わりとイケメンの陽キャな大学生。でも、頭はいいし、おしゃれだし、授業もわかりやすい」


 家庭教師が男子大学生だと知り、自然と安堵している私がいた。
 その理由はわからないけれど、なんとなく輝先輩にはバレたくなくて、それを隠すようにバスクチーズケーキを頬張る。
 油断すれば笑みが零れてしまいそうで、必死に咀嚼してごまかした。


「あ、全部食った? 次はどれにする?」


 当たり前のように優しい笑顔を寄越されて、今度は心がむずがゆくなる。
 彼とは別に友達でもないのに、この慣れない時間がなぜか嫌じゃなかった。

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