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二章 憂鬱な夏
一 慣れない時間【1】
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翌日は雨だった。
輝先輩との約束は気になったけれど、第三倉庫の裏には雨除けがない。
さすがに彼は待っていないだろうと考えながら昇降口に向かい、そのまま帰るつもりだった。
「お、美波!」
だけど、私の行動を読むように、昇降口に輝先輩が立っていた。
「なんで……」
「雨が降ってるから帰りそうだなと思って」
彼は「予想通りだった?」と苦笑して、私を見下ろす。
「ちゃ、ちゃんと行くつもりだったし」
「マジかよ? でも、俺らってお互いの連絡先も知らないじゃん。不便だし、美波のライン教えてよ」
「えっ?」
「これ、俺のね」
戸惑っている間に、QRコードを表示させたスマホを向けられる。
「いや、連絡先なんて別に……」
「知ってた方が便利だって。それとも、教室まで誘いに行った方がよかった?」
「それは嫌!」
反射で語尾がきつくなってしまい、慌てて口を閉じた。
「即答かよ」
輝先輩が肩を竦めて眉を寄せる。
だけど、彼は笑っていて、失礼な私の態度にも怒るようなことはなかった。
「じゃあ、教室まで行かなくて済むように交換しよ」
「……わかった」
輝先輩と一緒にいると、なんだか調子が狂う。
思えば、彼には出会った日に泣き顔を見られ、次に会ったときには情けない姿をさらしている。
だから、こんな風に話せるのかもしれない。
「これでいつでもラインできるな」
私のスマホの画面には、新たに『ともだち』に追加された名前がある。
『輝』とだけ表示された猫の写真が設定されたアイコンに、なんだか胸の奥がムズムズした。
「猫、可愛い……」
ぽつりと呟くと、輝先輩の表情が柔らかくなった。
「ああ、そいつ? トラって名前なんだ」
「トラ模様だから?」
「うん。母さんがつけたんだけど、安直だろ?」
おかしそうに笑う彼に、やっぱり心が落ち着かない。
気のせいか、視線を浴びている気もしていて、余計にソワソワした。
「あの……昨日の約束はもういいから、帰ってもいい?」
「え?」
きょとんとした顔を向けられて、次の言葉が出てこなかった。
もともと、私は人の視線には慣れていた。
水泳の試合では多くの人の前で泳ぎ、上位に入賞するのが常だった。
地区大会で一位になったときには、全校集会で表彰されたこともある。
一度、地元情報が載った広報誌のインタビューも受けたことがある。
そういう日々の中では注目されるのは珍しくなく、注目されるのが得意なわけじゃなくても少しずつ慣れていった。
だけど……。
「人に見られてる気がして……」
選手生命を絶たれた今、周囲の視線はどことなく同情や好奇を孕んでいる。
そのせいで、すっかり注目されることが苦手になっていた。
人の目が怖い。
どんな風に見られているのか、どんなことを思われているのか……。
考えたくないのに悪いことばかりが脳裏に過って、余計に不安と恐怖心が増す。
ましてや、目の前にいる輝先輩も、陸上選手としての未来を絶たれた人。
彼は校内外で有名だったし、注目度を増していた。
「気にする必要はないけど、気になるよな」
共感してもらえたことにホッとする。
たとえば、ここに真菜がいればきっと違ったと思う。
周囲もさほど私たちを気にしなかったかもしれないし、私も彼女が一緒にいてくれれば不安や恐怖心は和らいだだろう。
反して、今は輝先輩とふたりきり。
好奇心に満ちた目を向けてくる人たちから、早く逃げたくて仕方がなかった。
彼は周囲を一瞥すると、「とりあえず行こう」と言って歩き出した。
「え? えっ?」
困惑しながらも、輝先輩を追うしかないみたい。
慌てて傘を差し、ビニール傘に少し隠れた彼の背中を追った。
私の傘はネイビーに水玉模様が描かれている。
ビニール傘よりは周囲の視線を避けられる気がして、さっきよりもわずかに心がラクになった。
直後、スマホが鳴った。
傘を左手に持ち替えてスマホを確認すると、輝先輩からラインが来ていた。
【最寄り駅はどこ?】
不思議に思いながらも、家の最寄り駅を打って返信する。
前を歩く彼がスマホを確認しているのは、なんとなくわかった。
ただ、それ以降、輝先輩の返事はないままに駅に着き、彼は改札を抜けた。
後を追っていけば、輝先輩が私の最寄り駅に向かう方面の電車に乗った。
電車の中には、同じ学校の生徒の姿があった。
なんとなく輝先輩には近づけなくて、彼も私の方には来ようとしない。
お互い、視線を交わすことはあっても、一定の距離を保っていた。
【次で降りる】
再び送られてきたラインには、そう書かれていた。
次は私の家の最寄り駅で、輝先輩があんな質問をしてきた意味を察する。
彼に続いて電車から降りると、改札口を出たところでようやく合流した。
輝先輩との約束は気になったけれど、第三倉庫の裏には雨除けがない。
さすがに彼は待っていないだろうと考えながら昇降口に向かい、そのまま帰るつもりだった。
「お、美波!」
だけど、私の行動を読むように、昇降口に輝先輩が立っていた。
「なんで……」
「雨が降ってるから帰りそうだなと思って」
彼は「予想通りだった?」と苦笑して、私を見下ろす。
「ちゃ、ちゃんと行くつもりだったし」
「マジかよ? でも、俺らってお互いの連絡先も知らないじゃん。不便だし、美波のライン教えてよ」
「えっ?」
「これ、俺のね」
戸惑っている間に、QRコードを表示させたスマホを向けられる。
「いや、連絡先なんて別に……」
「知ってた方が便利だって。それとも、教室まで誘いに行った方がよかった?」
「それは嫌!」
反射で語尾がきつくなってしまい、慌てて口を閉じた。
「即答かよ」
輝先輩が肩を竦めて眉を寄せる。
だけど、彼は笑っていて、失礼な私の態度にも怒るようなことはなかった。
「じゃあ、教室まで行かなくて済むように交換しよ」
「……わかった」
輝先輩と一緒にいると、なんだか調子が狂う。
思えば、彼には出会った日に泣き顔を見られ、次に会ったときには情けない姿をさらしている。
だから、こんな風に話せるのかもしれない。
「これでいつでもラインできるな」
私のスマホの画面には、新たに『ともだち』に追加された名前がある。
『輝』とだけ表示された猫の写真が設定されたアイコンに、なんだか胸の奥がムズムズした。
「猫、可愛い……」
ぽつりと呟くと、輝先輩の表情が柔らかくなった。
「ああ、そいつ? トラって名前なんだ」
「トラ模様だから?」
「うん。母さんがつけたんだけど、安直だろ?」
おかしそうに笑う彼に、やっぱり心が落ち着かない。
気のせいか、視線を浴びている気もしていて、余計にソワソワした。
「あの……昨日の約束はもういいから、帰ってもいい?」
「え?」
きょとんとした顔を向けられて、次の言葉が出てこなかった。
もともと、私は人の視線には慣れていた。
水泳の試合では多くの人の前で泳ぎ、上位に入賞するのが常だった。
地区大会で一位になったときには、全校集会で表彰されたこともある。
一度、地元情報が載った広報誌のインタビューも受けたことがある。
そういう日々の中では注目されるのは珍しくなく、注目されるのが得意なわけじゃなくても少しずつ慣れていった。
だけど……。
「人に見られてる気がして……」
選手生命を絶たれた今、周囲の視線はどことなく同情や好奇を孕んでいる。
そのせいで、すっかり注目されることが苦手になっていた。
人の目が怖い。
どんな風に見られているのか、どんなことを思われているのか……。
考えたくないのに悪いことばかりが脳裏に過って、余計に不安と恐怖心が増す。
ましてや、目の前にいる輝先輩も、陸上選手としての未来を絶たれた人。
彼は校内外で有名だったし、注目度を増していた。
「気にする必要はないけど、気になるよな」
共感してもらえたことにホッとする。
たとえば、ここに真菜がいればきっと違ったと思う。
周囲もさほど私たちを気にしなかったかもしれないし、私も彼女が一緒にいてくれれば不安や恐怖心は和らいだだろう。
反して、今は輝先輩とふたりきり。
好奇心に満ちた目を向けてくる人たちから、早く逃げたくて仕方がなかった。
彼は周囲を一瞥すると、「とりあえず行こう」と言って歩き出した。
「え? えっ?」
困惑しながらも、輝先輩を追うしかないみたい。
慌てて傘を差し、ビニール傘に少し隠れた彼の背中を追った。
私の傘はネイビーに水玉模様が描かれている。
ビニール傘よりは周囲の視線を避けられる気がして、さっきよりもわずかに心がラクになった。
直後、スマホが鳴った。
傘を左手に持ち替えてスマホを確認すると、輝先輩からラインが来ていた。
【最寄り駅はどこ?】
不思議に思いながらも、家の最寄り駅を打って返信する。
前を歩く彼がスマホを確認しているのは、なんとなくわかった。
ただ、それ以降、輝先輩の返事はないままに駅に着き、彼は改札を抜けた。
後を追っていけば、輝先輩が私の最寄り駅に向かう方面の電車に乗った。
電車の中には、同じ学校の生徒の姿があった。
なんとなく輝先輩には近づけなくて、彼も私の方には来ようとしない。
お互い、視線を交わすことはあっても、一定の距離を保っていた。
【次で降りる】
再び送られてきたラインには、そう書かれていた。
次は私の家の最寄り駅で、輝先輩があんな質問をしてきた意味を察する。
彼に続いて電車から降りると、改札口を出たところでようやく合流した。
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