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三章 共鳴する魂

四、ふたつの魂【1】

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凜花が天界に来てから、もう随分と経った。


いい加減に曜日の感覚はなくなっていたが、夏だった季節はゆっくりと秋から冬に移り変わり、赤く色づいていた庭の木々は寂しげになっている。
曜日の概念がない天界にも四季はあるらしい。


下界では四季がある国はそう多くないと聞いたことがあったが、天界でも季節を楽しめるのは嬉しかった。
蘭丸と菊丸いわく、秋はおいしい食べ物が多いのだとか。言われてみれば、夏よりもずっと野菜や果物の種類が豊富だった。


冬が深まれば雪が降り、春には夏よりももっと多くの花が咲くとも聞いている。
天界に来て三つ目の季節に入った今、凜花は季節の移ろいを楽しみにしていた。


「姫様、そろそろなにか料理を覚えてみますか?」


いつものように野菜の皮を剥いていると、少し大きくなったお腹を抱えた風子がにっこりと微笑んだ。


「いいんですか?」

「はい。包丁もすっかり上手く使いこなせるようになりましたし、ぴぃらぁがたくさん手に入ったおかげで下拵えに人数を割かなくてよくなりそうですから」

「あ、でも……それなら、私よりも他の人たちの方が……」

「そんなことはお気になさらなくていいのです。本来、姫様が調理場に入ることすら異例ですし、それも下拵えの要因としてずっとこき使っているのですもの。そろそろ聖様に叱られてしまうかもしれませんから」


彼女の表情と口調は、冗談めかしている。
凜花は気安い雰囲気が嬉しくて、ついクスッと笑った。


「それに、姫様はお料理を覚えたいのではありませんか?」

「え?」

「調味料や料理にとてもご興味をお持ちですし、もしかしたら聖様に作って差し上げたいのではないかと思っていたのですが」


確かに、調理場に入れてもらうようになって、そんな風に考えたこともあった。
しかし、図々しい考えだと思い、一度も口にしたことはなかった。


「ふふっ、当たりですね。聖様はきっとお喜びになられます」


風子の柔和な笑顔に、凜花は気恥ずかしさを感じながらも小さく頷く。


「まだ難しいと思いますけど……いつかそれができたらいいなって思ってます」

「きっと、すぐにできます。姫様は筋がよろしいですし、料理にもとてもご興味をお持ちですから。もしよろしければ、私の休憩時間にでもお教えしましょうか?」


いいんですか?と言いそうになったが、凜花は慌ててグッと飲み込む。
毎日パワフルに働く彼女を見ていると忘れてしまうが、妊娠中である。
妊娠していなくても遠慮するべきだが、いくらなんでも妊婦である風子から休憩時間を奪うわけにはいかない。


「いえ、さすがにそれは……」

「そうですか? ですが、気が変わりましたらいつでもおっしゃってください」

「ありがとうございます。……あっ、あとでひとつお訊きしてもいいですか?」

「ええ、もちろん。どんなことでもお答えいたします」

「じゃあ、えっと……仕事が終わったら少しだけ時間をください」


頷いた彼女は、煮込み料理を担当している料理係のところへ凜花を連れて行った。





二時間後。


「今日から煮込み料理の担当になったそうだな」


聖と向かい合う凜花は、聖がもうその件を知っていたことにたじろいだ。


「さっき、風子から聞いた。凜花が作ったのはどれだ?」

「私はまだ作ってないよ……! 作り方を教わりながら見てただけで……鍋に芋を入れたり、塩を振ったりしただけだし」

「それでも構わない。ほら、どの料理を作ったのか教えてくれ」


今夜は、特に煮込み料理が多い。
四種類あるそれらを見た彼に促され、凜花はおずおずと黒い皿を指差した。


「ああ、黄蕪きかぶの煮つけか」


聖は微笑むと、真っ先にその皿に箸をつけて料理を口に運んだ。


「うまいな。塩加減がちょうどいい。凜花は料理の筋がよさそうだ」

「そんな……」


凜花は身を小さくしてしまう。
ほとんどなにもしていないのに褒められると、なんだか気まずくてむずがゆい。
しかし、彼の顔はとても満足そうだった。


「凜花も冷めないうちに食べた方がいい」


いたたまれない気持ちになりつつも小さく頷き、黄蕪の煮つけを一口食べた。
黄蕪とは、名前通り蕪に似ている。見た目はトウモロコシのように黄色く、味や食感はかぼちゃに近い。ちょうど今が旬らしい。


今日の煮つけは甘辛い味付けで、肉じゃがに似ている。よく煮込まれた黄蕪はホクホクしていて、口の中でとろけていくようだった。





食後は凜花の部屋に移動し、聖とふたりきりで過ごす。
わずか一時間ほどのことだが、忙しい彼が時間を作ってくれるだけで嬉しかった。


このときばかりは、部屋には他に誰もいない。
それもあってか、最初こそ聖とふたりきりで過ごせることに喜んでいたが、最近では緊張感を覚えるようになった。


彼と他愛のない会話を交わせることは嬉しい。
それなのに、聖とほんの少し手が触れただけで鼓動が大きく高鳴る。
笑顔を向けられると、胸の奥がギュッと苦しくなる。


これまでに感じたことがないそんな感覚に包まれるようになって、凜花は内心では戸惑っていた。
けれど、なんとなく桜火には相談できず、蘭丸たちにも言えない。


「凜花? ぼんやりしてどうした?」

「え? う、ううん……」


不意に、顔を近づけてきた彼が、額同士をこつんとくっつけてきた。
今までで一番の至近距離。
驚きすぎて変な声が漏れそうになった凜花の心臓が、外へと飛び出すかと思った。


「熱はなさそうだな? だが、少し顔が赤い。医者を呼ぶか?」

「大丈夫……! 別になんともないから!」

「本当か? 凜花は俺の大事なつがいだ。なにかあってからでは遅――」

「本当に大丈夫だよ!」


信じ切れない様子の聖なら、今すぐにでも医者を呼びそうである。


「姫様、風子です」


困惑と緊張と驚きでいっぱいの凜花に救いの手を差し伸べたのは、ふすま越しに聞こえてきた風子の声だった。
さきほどの約束通り、彼女は凜花の話を聞くために来てくれたのだろう。
それはありがたいが、なによりもこの状況から抜け出せることに感謝した。


「風子? こんな時間にどんな用件だ?」

「えっと、私がお話したいことがあってお願いしてたんです! 中に入ってもらってもいいですか?」

「……まぁ、風子ならいいか」


凜花はお礼を言い、急いでふすまを開ける。


「姫様、遅くなって申し訳ございません。……あら、聖様もいらっしゃったのですね。お取込み中でしたか?」

「い、いえ、全然!」


彼は少しばかり不服そうだったが、凜花は必死に明るく振る舞う。


「聖さん、今から風子さんとふたりきりでお話したいので、今夜はもうお部屋に戻ってくれる?」

「は……?」


それは、聖にとってあまりにも想定外だったのだろう。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔の彼は、凜花を見たまま言葉を失った。


「あっ……ダメ……でしょうか?」


空気を読んだ凜花が眉を下げる。風子は笑いをこらえているようだった。


「……俺に聞かれたくない話なのか?」

「それは、えっと……」

「聖様、野暮ですよ。女には色々あるのです」

「色々……」

「ええ。男子禁制のあれこれや、女ならでは悩み……。夫の悪口を言うのも、女同士の方がよく盛り上がりますわ」

「凜花は俺に不満があるのか?」


冗談めかした彼女の言葉に、聖がわずかに不安を覗かせた。
凜花は全力で首を横に振り、必死に否定する。


「そうじゃなくて……。でも、女性に相談したいというか……」

「……わかった」


彼は渋々納得した様子を見せたが、そのあとで凜花の頭を撫でた。


「だが、明日の夜は今夜の分も一緒に過ごそう。それならいいか?」


凜花が笑みを浮かべて頷くと、聖は「あまり遅くならないように」とだけ言い残して部屋から出ていった。
その背中がどこか寂しそうに見えたのは、気のせいだっただろうか。


「姫様のお話って、聖様のことですよね」


ふすまを閉めてふたりきりになると、風子が早々に核心に触れてきた。


「ちょっ……! 外に聞こえちゃいます……!」

「大丈夫ですよ。それより、どうかなさいましたか?」

「あの……笑わないで聞いていただけますか?」


頷いた彼女から少しだけ視線を下げ、凜花は意を決して本題を切り出した。


「一緒にいると胸が苦しくなったり、手が触れるだけで心臓が走ったときみたいにドキドキしたり……。こういうの、変ですよね?」


風子がきょとんとした表情になり、瞬きを繰り返す。
程なくして、彼女がおかしそうに「ふふっ」と頬を綻ばせた。


「わ、笑わないでって言ったのに……」

「申し訳ございません。ですが、姫様があまりにもお可愛らしくて」

「どこがですか? 私、ずっと変なのに……」

「変じゃありませんよ。好きな人といれば、誰だってそんな風になりますもの」

「えっ……?」

「姫様の場合、つがいの自覚というよりも、恋心を自覚なさったのでしょうね。龍と人間は違うと聞いていますから、姫様にはこれが自然なんじゃないでしょうか?」

「えっと……これは恋……?」

「ええ、きっと。姫様は聖様に恋をしておられるのですよ」


はっきりと指摘されて、凜花の頬がかあっと熱くなる。


確かに、少し前から聖に対する気持ちは変わり始めていた。
しかし、これが恋だというところにはまったく結びついていなかった。
恐らく、〝つがい〟という言葉ばかりに捕らわれていたせいだろう。


「聖様にはお気持ちをお伝えにならないのですか?」

「えっ……! い、いや……まだそこまでは……。実感もないですし……」

「うーん……龍同士ならつがいに出会えば一目でわかりますし、つがいと一緒にいることで姫様が感じられたような感覚も抱くのですが……。人間だとつがいかどうかはわからないので、自分の心だけが頼りになるのかもしれませんね」


戸惑うように話す風子は、いつもの様子とは違う。龍と人間では、そもそも感覚からして違うのだろうか。


「龍は、魂でつがいがわかるんですよね?」

「ええ、そうです。魂でわかるというよりも、魂が共鳴し合うのがわかるのです」

「……それはどう違うんですか?」

「言葉では説明できないというか……。でも、聖様がおっしゃるのですから、姫様が聖様のつがいであることは間違いありません。それであれば、必ず姫様にもわかるときが来ます」


彼女の言葉は、凜花にはにわかには信じられないものだった。


「ですから、焦らなくて大丈夫だと思いますよ」


けれど、向けられている眼差しが優しく真っ直ぐで、嘘だとも思えなかった。


「それから、聖様に今のお気持ちをお伝えなさったらいかがですか? 聖様はとてもお喜びになられるはずですから」


その提案には頷けなかったが、拒絶する気も芽生えなかった。
凜花がお礼を言うと、風子は優しい笑顔で首を横に振っていた。

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