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二章 天界と下界
三、天界での生活【1】
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街へ降りてから二週間が経った。
凜花は相変わらず家から出ることを禁止されているが、働きたいと申し出た凜花の気持ちを汲んでか、聖は屋敷内のことだけはしてもいいと許してくれた。
ところが、家臣たちの誰に手伝いを申し出ても断られてしまう。
みんな、凜花を大切に思うのはもちろん、主のつがいに自分たちの仕事を手伝わすことなどできない……という感じだった。
家臣たちは、凜花が凜の生まれ変わりだからこそ、大切にしてくれているだけ。
それをわかっていても、今までの生活とは比べるまでもなく居心地が好い反面、どうしても心から寛ぐことはできなかった。
会社は辞めてしまったし、嵐山に訪れたときには身を投げ出すつもりでいた。
あのときのことを思えば、仕事すらなくなった今は失うものもなにもないからか、天界にいることに多少の不安はあっても帰ろうとも帰りたいとも思わない。
ただ、今の生活には不満に近い感情が芽生えていた。
至れり尽くせりのこんな生活を続けていくのは、どうしても気が進まなかった。
聖は相変わらず毎日城に出かけていくため、顔を合わせる時間はとても短い。
とはいえ、彼は少し前まで城に住んでいたのだとか。
この屋敷も聖のものではあるが、凜花が来る前まではたまに様子を見に帰ってくる程度だったらしい。
毎日帰ってくるのは、今は凜花がここにいるから。
桜火からそのことを聞いたとき、凜花は喜んでいいのかわからなかった。
凜花がいなければ、彼は余計な手間を増やさずに済んだはずなのだ。そう思うと、簡単に喜びをあらわにするのは憚られた。
ただ、城にいた桜火とは違い、ここに住んでいる蘭丸と菊丸は聖が帰ってくることを心待ちにしている。
それを知ったときは、心が救われた気がした。
「姫様―、お庭に行くです!」
「姫様、菊たちと遊ぶです!」
「お庭にハクの実がなったです!」
「聖様が食べていいって言ってくださったです!」
「姫様も!」
競い合いように話す蘭丸と菊丸を、桜火がたしなめようとする。しかし、凜花がそれを制し、彼女に庭に出てもいいかと尋ねた。
桜火は、いつも通り自分も同行することを条件に頷いてくれた。
庭に出て蘭丸たちについていくと、どこからともなく甘い香りが漂ってきた。スイーツのような甘さではなく、果実のような匂いがする。
後ろにいる彼女が、ハクの実の香りだと教えてくれた。
「姫様、これがハクの実です」
「おいしいです」
蘭丸と菊丸は、待ち切れないとばかりに木に登っていく。
真ん丸で真っ白な実は、りんごのような形をしていた。
「姫様、どうぞです」
「菊たちの一番好きな実です」
自分たちの好物を先に譲ってくれる優しさに心が和む。
少し気が引けたが、凜花が食べるのを待っている様子をふたりを見て「ありがとう」と言って受け取った。
一口かじってみると、果汁がじゅわっと口の中に広がった。柔らかな実は甘く、桃のような味がする。
とてもおいしくて、思わず頬が綻んだ。
「おいしい! 蘭ちゃん、菊ちゃん、ありがとう」
「えへへー」
「菊たちは、姫様の守護龍だから天界のこといっぱい教えるです!」
「聖様にお願いされてるです!」
誇らしげに笑う蘭丸と菊丸に、凜花が小首を傾げる。
「守護龍?」
「お守りするお役目です!」
「菊たち、こう見えて強いです!」
えっへんと言わんばかりに胸を張る菊丸に、蘭丸も得意げな笑顔になる。
「えっと……」
「守護龍とは、その人を守護する者のことです。蘭丸と菊丸はまだ子どもですが、この年にしては龍の力が強いので、聖様が姫様の守護龍に……と」
「そうだったんですか」
戸惑う凜花に、桜火が補足するように説明してくれる。
初めて聞いた話だったが、当のふたりはハクの実を食べることに夢中だった。
彼女は蘭丸たちに聞こえないように声を潜めた。
「というのは、蘭丸たちへの理由付けです。もちろん、なにかあればふたりも姫様をお守りしますが、一番は姫様が安心して過ごせるようにという聖様の計らいです」
「え?」
「玄信様や私では遊び相手にはなりませんでしょう? 姫様のお相手には幼すぎますが、それでも少しは心が休まるだろう……とお考えになったようです」
「そうだったんですね」
見えないところでも与えられていた聖の配慮に、凜花の心が温かくなる。
凜花は、これからどうするべきか考えられずにいたが、やっぱり彼の傍にいたいという気持ちは変わらない。
そして、聖のことをもっと知りたいという思いが強くなっていた。
彼と番うかもしれないのなら、なおのこと。
街に行ったときの聖の言葉は、自然と信じられた。
一方で、このままずっとここにいてもいいのか……という思いはまだ残っている。
街で屋敷以外の人に会ったことにより、日が経つにつれて彼のつがいであるという事実に不安が芽生えてもいた。
正直に言えば、凜花は少しずつ聖のことが気になり始めている。
結婚なんて自分には遠いことのように感じていた上、相手が人間ですらないということに戸惑いが消えないが、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。
自分が聖の恋人だった凜の生まれ変わりだということにも不安はあるが、ときおり感じる懐かしさのようなものが彼女の記憶なのだろうか……。
「姫様、もっと食べるです」
「ハクの実、好きになったですか?」
胸に燻ぶる鈍色の感情を、蘭丸と菊丸の明るさが救ってくれる。
凜花は笑顔を見せ、聖が帰ってきたらふたりを守護龍にしてくれたことへの感謝を告げようと決めた。
凜花は相変わらず家から出ることを禁止されているが、働きたいと申し出た凜花の気持ちを汲んでか、聖は屋敷内のことだけはしてもいいと許してくれた。
ところが、家臣たちの誰に手伝いを申し出ても断られてしまう。
みんな、凜花を大切に思うのはもちろん、主のつがいに自分たちの仕事を手伝わすことなどできない……という感じだった。
家臣たちは、凜花が凜の生まれ変わりだからこそ、大切にしてくれているだけ。
それをわかっていても、今までの生活とは比べるまでもなく居心地が好い反面、どうしても心から寛ぐことはできなかった。
会社は辞めてしまったし、嵐山に訪れたときには身を投げ出すつもりでいた。
あのときのことを思えば、仕事すらなくなった今は失うものもなにもないからか、天界にいることに多少の不安はあっても帰ろうとも帰りたいとも思わない。
ただ、今の生活には不満に近い感情が芽生えていた。
至れり尽くせりのこんな生活を続けていくのは、どうしても気が進まなかった。
聖は相変わらず毎日城に出かけていくため、顔を合わせる時間はとても短い。
とはいえ、彼は少し前まで城に住んでいたのだとか。
この屋敷も聖のものではあるが、凜花が来る前まではたまに様子を見に帰ってくる程度だったらしい。
毎日帰ってくるのは、今は凜花がここにいるから。
桜火からそのことを聞いたとき、凜花は喜んでいいのかわからなかった。
凜花がいなければ、彼は余計な手間を増やさずに済んだはずなのだ。そう思うと、簡単に喜びをあらわにするのは憚られた。
ただ、城にいた桜火とは違い、ここに住んでいる蘭丸と菊丸は聖が帰ってくることを心待ちにしている。
それを知ったときは、心が救われた気がした。
「姫様―、お庭に行くです!」
「姫様、菊たちと遊ぶです!」
「お庭にハクの実がなったです!」
「聖様が食べていいって言ってくださったです!」
「姫様も!」
競い合いように話す蘭丸と菊丸を、桜火がたしなめようとする。しかし、凜花がそれを制し、彼女に庭に出てもいいかと尋ねた。
桜火は、いつも通り自分も同行することを条件に頷いてくれた。
庭に出て蘭丸たちについていくと、どこからともなく甘い香りが漂ってきた。スイーツのような甘さではなく、果実のような匂いがする。
後ろにいる彼女が、ハクの実の香りだと教えてくれた。
「姫様、これがハクの実です」
「おいしいです」
蘭丸と菊丸は、待ち切れないとばかりに木に登っていく。
真ん丸で真っ白な実は、りんごのような形をしていた。
「姫様、どうぞです」
「菊たちの一番好きな実です」
自分たちの好物を先に譲ってくれる優しさに心が和む。
少し気が引けたが、凜花が食べるのを待っている様子をふたりを見て「ありがとう」と言って受け取った。
一口かじってみると、果汁がじゅわっと口の中に広がった。柔らかな実は甘く、桃のような味がする。
とてもおいしくて、思わず頬が綻んだ。
「おいしい! 蘭ちゃん、菊ちゃん、ありがとう」
「えへへー」
「菊たちは、姫様の守護龍だから天界のこといっぱい教えるです!」
「聖様にお願いされてるです!」
誇らしげに笑う蘭丸と菊丸に、凜花が小首を傾げる。
「守護龍?」
「お守りするお役目です!」
「菊たち、こう見えて強いです!」
えっへんと言わんばかりに胸を張る菊丸に、蘭丸も得意げな笑顔になる。
「えっと……」
「守護龍とは、その人を守護する者のことです。蘭丸と菊丸はまだ子どもですが、この年にしては龍の力が強いので、聖様が姫様の守護龍に……と」
「そうだったんですか」
戸惑う凜花に、桜火が補足するように説明してくれる。
初めて聞いた話だったが、当のふたりはハクの実を食べることに夢中だった。
彼女は蘭丸たちに聞こえないように声を潜めた。
「というのは、蘭丸たちへの理由付けです。もちろん、なにかあればふたりも姫様をお守りしますが、一番は姫様が安心して過ごせるようにという聖様の計らいです」
「え?」
「玄信様や私では遊び相手にはなりませんでしょう? 姫様のお相手には幼すぎますが、それでも少しは心が休まるだろう……とお考えになったようです」
「そうだったんですね」
見えないところでも与えられていた聖の配慮に、凜花の心が温かくなる。
凜花は、これからどうするべきか考えられずにいたが、やっぱり彼の傍にいたいという気持ちは変わらない。
そして、聖のことをもっと知りたいという思いが強くなっていた。
彼と番うかもしれないのなら、なおのこと。
街に行ったときの聖の言葉は、自然と信じられた。
一方で、このままずっとここにいてもいいのか……という思いはまだ残っている。
街で屋敷以外の人に会ったことにより、日が経つにつれて彼のつがいであるという事実に不安が芽生えてもいた。
正直に言えば、凜花は少しずつ聖のことが気になり始めている。
結婚なんて自分には遠いことのように感じていた上、相手が人間ですらないということに戸惑いが消えないが、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。
自分が聖の恋人だった凜の生まれ変わりだということにも不安はあるが、ときおり感じる懐かしさのようなものが彼女の記憶なのだろうか……。
「姫様、もっと食べるです」
「ハクの実、好きになったですか?」
胸に燻ぶる鈍色の感情を、蘭丸と菊丸の明るさが救ってくれる。
凜花は笑顔を見せ、聖が帰ってきたらふたりを守護龍にしてくれたことへの感謝を告げようと決めた。
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