龍神のつがい~京都嵐山 現世の恋奇譚~

河野美姫

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二章 天界と下界

一、恐怖心と不安【2】

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「姫様、お召し物はこれだけですか?」

「あ、はい……」


あれから、凜花たちは凜花が住んでいたアパートに来ていた。
ハヤブサ便が所有するこのアパートは寮であるため、退職と同時に出ていくしかなく、早々に荷造りをすることになったのだ。


とはいえ、凜花が持っているものはとても少ない。
服も日用品も最低限しかなく、三人いれば運べないこともないだろう。家電は最初からここについていたものだから、そのまま置いていけばいい。


「あの……さっきのことなんですけど……」


玄信に話しかけたつもりだったが、「ああ」と頷いたのは桜火だった。


「あの者たちは男女の関係にあったようですね。妻がいるというのになんと不届き者でしょう。龍だったら、つがいによって八つ裂きにされていますよ」


彼女の口から飛び出した物騒な言葉に唖然とする。あながち嘘ではなさそうなところが、少しだけ怖かった。


「そのこと……どうしてわかったんですか?」

「龍は、人間とは比べ物にならないほど五感が優れているんです。私もあの場に入ったときから、あの者たちの関係には気づいておりました。玄信様が手を離されたのは意外でしたが、まぁあのふたりの態度では仕方がないですね」

「当然だ。姫様のご命令は、聖様のご命令に等しい」


つまり、あのとき凜花が止めなければ手遅れになっていたかもしれないということだろう。
これにはさすがに恐怖心が湧き、今後のことに対する不安も大きくなってくる。


玄信たちが凜花に優しくしてくれるのは、聖からの命令があるからに他ならない。
もし、彼に見捨てられてしまえば、今は自分を守ってくれているふたりが手のひらを返してくることもあるに違いない。


「姫様」

「っ……は、はい……」

「今は不安もおありでしょうが、天界では聖様や私たちがあなたをお守りします。ですから、ご安心ください」


玄信の声音には、やっぱりどこか厳しさがある。けれど、凜花を見つめる瞳には嘘がなさそうで、不思議と不安が萎んでいく。


「そうですよ、姫様。我々が命に代えても姫様をお守りしますので、早く戻りましょう。きっと、聖様がお待ちです」


凜花の中の恐怖心や不安が完全になくなることはない。
この先どうなるのかと考えると、途端にそれらの感情が押し寄せてきそうになる。


ただ、不思議と後悔はなかった。
むしろ、桜火の言葉で脳裏に聖の優しい笑顔が浮かんだときには、早く彼に会いたいと思ったほどだった。





嵐山に戻ったときには、とっくに日が暮れていた。
ひとりでここにきた数日前にはあんなにも絶望でいっぱいだったのに、今は少しだけ足取りが軽く感じる。


そもそも、池までの道のりが、あの日に凜花が通った道なき道ではないルートを通ったせいかもしれない。
朝もそうだったが、玄信の案内で歩く道は、舗装こそされていなかったが歩きにくいと言うほどでもなく、桜火が何度も手を貸してくれたおかげで随分とラクだった。


「姫様と桜火は先に池へ。私もすぐにまいります」

「はい」

「では、姫様。私に捕まってください」


桜火の腕にギュッとしがみつけば、彼女が微笑む。
来るときには聖に抱かれていたため、少しばかり不安はあったが、桜火の顔を見ると安堵感が芽生えた。
彼女が凜花を支えるようにして池に飛び込む。


「おかえり」


直後、つい瞼を閉じてしまった凜花の耳に、優しい声が届いた。


「無事でよかった」


そう言うが早く、聖が凜花を抱きすくめるようにして腕の中に閉じ込めてしまう。


「あ、あの……」

「少しこうさせていてくれ」


彼にぎゅうっと力を込められて、まるで不安が伝わってくるようだった。
朝に別れたばかりだが、恋人を亡くしている聖にとっては凜花以上に長い時間に感じたのかもしれない。
凜の代わりでしかないとわかっていても、こんなにも愛おしそうに抱きしめられると凜花の鼓動は高鳴り、心臓がドキドキと脈打っていた。


ようやく体が離されたときには、全身が熱かった気がする。
けれど、それをごまかすように微笑んだ。


「えっと……ただいま、です」

「ああ、おかえり」


彼の瞳が柔らかな弧を描く。


「玄信、桜火、ご苦労だった」


聖から労われたふたりは、同時に片膝をついて頭を下げる。


「なんだ? 凜花の荷物はそれだけか?」

「はい。ひとり暮らしでしたし、あまり物はなくて……」


部屋の中にあった荷物のほとんどは処分したため、三人でも充分運べた。というよりも、玄信がほとんどひとりで持ってくれた。
聖は驚いていたようでもあったが、すぐに笑みを浮かべた。


「まぁいい。必要なものがあれば、俺がすぐに揃えてやる」


彼の笑顔に、勝手に胸の奥が高鳴ってしまう。
凜花の中にあった恐怖心と不安が、静かに溶けていった。

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