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一章 千年の邂逅

四、記憶【2】

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「先に凜花の話を聞こうか」

「あ、えっと……」


庭に出て程なく、聖から唐突に本題に触れられて言い淀んだ。
朝食を済ませるまでに覚悟を決めたはずだったのに、いざとなると言葉が上手く出てこない。
けれど、話さないというわけにもいかず、凜花は深呼吸をひとつした。


「どうすれば元の場所に帰れますか?」


彼の目が真ん丸になる。
予想だにしていなかったのか、驚いているようだった。


「私、明日は仕事があるんです。スマホも失くしちゃったから連絡手段もないし、もう家に帰って明日に備えないと……」


仕事なんて行きたくはないが、ひとり暮らしというだけでなく身寄りのない凜花には選択肢などない。
つらくても悲しくても、きちんと働かなければ生きていけないのだ。


「待て。訊きたいことはそれだったのか?」

「あ、いえ……。質問は他にもあったんですけど、まずは帰り方を先に訊いておいた方がいいかと思って……」

「ああ、なるほど。そういう話だったとは……」


聖はため息をついている。


「いや、凜花は悪くない。記憶がない凜花にあれを信じろと言う方が無謀だろう。俺の説明不足だな」


独り言なのか凜花に言っているのかは、よくわからない。自分自身を納得させようとしているようにも見え、凜花は黙って彼の様子を窺っていた。


「凜花、お前は俺のつがいだと言ったことは覚えているな?」

「はい」


頷いた凜花に、聖が真っ直ぐな瞳を向けてくる。


「龍にとって、つがいというのは唯一無二の存在だ。常に傍に置き、なにに代えてもすべてから守り、慈しみ愛する存在なんだ」

「えっと……?」

「要するに、凜花はずっと俺の傍にいるということだ」


あまりにもきっぱりと言い切られて、凜花の中の戸惑いが大きくなる。


「そもそも、龍のつがいになるということは、この天界に住むということだ」


彼の中では決定事項なのか、凜花の意思を余所に話が進んでいく。


「で、でも……仕事が……」

「凜花を守るためにも、下界での仕事になど行かせるわけにはいかない」

「それは困ります……!」


凜花は思わず声を上げ、かぶりを振った。


「生きていくためには仕事をしないわけにはいかないし、今の仕事を辞めたら生活できなくなるかもしれないんです。だから……」

「なぜだ? 俺の傍にいれば、仕事などしなくても生きていける。ここにいれば不自由はさせないし、必要なら着物でも宝飾品でも用意しよう」

「私はそんなものが欲しいわけじゃなくて……。ッ……私、家族がいないんです」

「ああ」


思い切って打ち明けたのに、聖はまるで知っていたかのような態度だった。


「だから、えっと……つがいとかもまだよくわからないんですけど、どっちにしても仕事は辞められないっていうか……」

「凜花」


たじろぎながらも話す凜花に、聖が優しい眼差しを寄越す。
こんな状況でも恐怖心が芽生えないのは、この柔和な面差しにどこか懐かしさを感じてしまうからだろうか。


「家族には俺がなる」


そんな風に考えていると、信じられないような言葉が紡がれた。


「俺と番えば、凜花は俺の妻だ」

「っ……!」


自分の意思なんて関係なく、凜花の鼓動が高鳴る。


「ゆくゆくはふたりの子を為して、ここで俺たちの家族を作ろう」


つがいや花嫁なんて言われても、どこか現実味がなかった。
疑っていたわけではないが、半信半疑だったのは間違いない。
だから、凜花の中ではどこか他人事だった。


「そうすれば、凜花にも家族ができる」


ところが、聖はずっと本気でそうするつもりでいたようだ。
一昨日に会ったばかりの凜花に対し、彼は魂で自身のつがいだとわかると言った。
しかし、凜花にはそんなことはわからない。


百歩譲って聖に恋心でも抱いているのならまだしも、出会って三日と経たない男性に恋をするほど、凜花は恋愛事に慣れているわけでもない。
恋人どころか好きな人すらいたことがない。それどころか、恋がどういうものなのかもよくわからないのだ。
それなのに、恋や結婚を通り越して子どもの話までされてしまうと、さすがにもう彼についてはいけなかった。


「えっと……私、二十歳になったばかりで……」

「知っているよ」

「その……結婚とかはまだまだ考えられないっていうか……」

「俺は凜花が二十歳になるのを待っていたんだ。まだ信じられないというのは仕方がないが、それでも結婚が早いということもないだろう」

「は、二十歳で結婚するのは早いと思います……!」

「だが、凜花が俺のつがいであることは事実なんだ。どうあっても、俺たちは番う運命にある」


なにを言っても暖簾に腕押し……という感じしかしない。
しかも、戸惑いを隠せない凜花に反し、聖は至って冷静だった。
今日の天気のことにでも触れているように普通に話すものだから、凜花は自分の思考がおかしいのかと錯覚しそうになったくらいである。


(いやいや……私はおかしくないよね?)


龍だろうが天界だろうが、本当に凜花と家族になるのかどうかなんてわからない。
彼が凜花に対して恋愛感情を抱いているのかどうかも知らないが、どちらにしてもさすがに横暴ではないだろうか。


「運命なんて言葉に……なんの保証もないですよね?」

「保証?」

「そうです……。聖さんは『魂でわかる』って言いましたけど、私にはわかりません。だから、運命って言われてもなにをどう信じればいいのか……」


聖が眉を下げたため、思わず凜花は語尾を弱めてしまった。
正論を口にしていたはずなのに、なぜか悪いことをしている気分になる。彼がやけに悲しそうに微笑んだせいかもしれない。
その表情には、見覚えがあった。


「今朝の夢……」

「夢?」

「あっ……」


思わず漏れた独り言を拾われてしまい、凜花は気まずさをあらわにした。


「聞かせてくれないか? どんな夢を見た?」

「どこかの丘にいて、なぜか一面が赤くて……白い花……凜かな? 花が赤く染まっていくようでした」


聖が眉を下げたため、言葉が続かない。


「……それで?」


そんな凜花を促すように、彼が小さな笑みを浮かべた。


「それで、その……」


言い淀んでしまうのは、言葉にするのは憚られたから。
このあとに凜花が見た光景では、聖が泣いていたのだ。


「構わないから続けて」


けれど、優しく急かされて、凜花は言いにくそうに唇を動かした。


「聖さんが泣いていて……『凜』って呼びながら手を伸ばしたんですけど、たぶん間に合わなくて……」


曖昧にしか話せなかったのは、この先の記憶が朧気だったせいである。
夢らしいと言えば夢らしく、起きたときには鮮明だったはずの景色はもう薄れそうだった。


「あ、でも……『愛してる』って……」

「え?」

「『生まれ変わってもまた見つけて』って言ったような……」


あれは確か、凜花が見ていた光景だった。
つまり、そう言ったのは自分自身だったのかもしれない。
そのことに気づいた凜花は、急に羞恥が込み上げてきて慌てふためいた。


「あの、これは夢の話で……! だから、私が言ったわけじゃなくて……」


言い訳をすればするほど、墓穴を掘っている気がする。
余計に恥ずかしくなって、視線を逸らそうとしたとき。


「っ……!?」


凜花の体を引き寄せた聖に、思い切り抱きしめられた。


「ひ、聖さん……?」


ぎゅうっと力を込められ、息が苦しくなりそうだった。
それなのに、彼の体が不安げに震えている気がして、身動ぎひとつできない。


「それはお前の前世の記憶だ」

「え……? どういうことですか……?」


前世と言われても、ピンと来ない。むしろ、龍や天界に続いて戸惑いの種が増えてしまった。


「凜花……お前は千年前に亡くなった俺の恋人、凜の生まれ変わりなんだ」

「生まれ、変わり……?」


戸惑いを大きくする凜花に、聖が悲しげな瞳で頷く。
彼は今にも泣きそうに見えて、凜花まで胸の奥がギュッと掴まれたようだった。


「順を追って話そう」


聖は小さく息を吐くと、どこか遠くを見つめるように視線を上げた。


「もう千年も前のことだ。俺には凜という恋人がいた。凜と出会ったとき、一目でつがいだとわかった」


彼が言葉を紡ぐたび、凜花の胸が痛んでいく。
理由はわからないけれど、悲しみや苦しみが混じり合っていくようだった。


聖には凜という恋人がいて、ふたりは愛し合っていた。
やがてつがいの契りを交わすはずだったが、彼女はある者の手によって命を奪われてしまった。
凜の花が一面に咲く丘で、真っ赤な炎に焼かれて……。


「凜は、この凜の花が好きだった。契りを交わすはずだったあの日の朝、凜はひとりでお気に入りの丘に行き、凜の花を摘んでくるつもりだったようだ」


そのとき、あいにく彼や臣下たちの一部は仕事で出払っていた。
凜は、その間にひとり丘へと向かったようだった。


「俺が駆けつけたときには、もう間に合わなかった。凜につけていた臣下も虫の息で、凜自身も炎に包まれていたんだ……」


夢で見た光景の意味を理解する。
あれは、凜が見ていたものなのだ……と。


「凜の生まれ変わりとして生まれたのが、凜花――お前なんだ」

「そんなこと……」


はっきり言って、凜花にはまったく覚えのないこと。
けれど、聖の言葉を否定できない自分がいる。心のどこかでは、彼の話に覚えがある気がしていたのだ。


「夢で見たのは、凜が見ていた光景で間違いない。凜花は少しずつ前世の記憶を取り戻し始めているんだ」


夢だったのに既視感があったのは、聖の言う通りだからなのかもしれない。


「きっと、これからも思い出すことはあるはずだ。今はわからなくても、必ず記憶は蘇る。だから、俺の傍にいてくれないか?」


だからといって、すべてを信じられるなんて思えないし、簡単には頷けなかったけれど……。

「今度はもう、失いたくないんだ」

その声があまりにも悲しみに満ちていて、凜花は彼の願いを拒絶できなかった。

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