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一章 千年の邂逅
三、夢の中で会った人【1】
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「おいで、凜花」
いつもの声が聞こえる。
私を呼ぶ、優しい声。
「俺と永遠の契りを交わそう」
愛おしそうに、どこか乞うように。私に語りかけている。
「今度こそお前を守り抜くよ」
知らないのに、なんだか懐かしい声音。
「だから早く俺のもとにおいで、凜花」
――あなたは誰……?
「この世でふたりといない、唯一無二のお前のつがいだ――」
ハッと目を覚ます。
視界に入ってきた見慣れない天井に、ここがどこだかわからずにいたのも束の間。
「あっ、起きたです!」
ひょっこりと可愛い顔に覗き込まれ、凜花は目を丸くした。
「姫様、起きたですね!」
四歳くらいの男の子がふたり、凜花に向かって明るい笑顔を咲かせている。
「だ、誰……?」
凜花はたじろぎつつも、ひとまず身を起こす。左右で布団を囲むようにしていたふたりを交互に見ると、にかっと白い歯を覗かせた。
「蘭丸!」
「菊丸!」
右側の赤い髪の男の子が蘭丸、左側の黄色い髪の男の子が菊丸と名乗る。
ふたりは兄弟なのか、髪色こそ違うものの顔は瓜二つだった。
「聖様がおいでって言ってたです」
「蘭と菊、聖様のお言いつけで姫様を待ってたです」
ふたりが口にした名前は、昨日出会ったばかりの男性のもの。
寝起きの思考でもすぐに記憶が蘇り、自分がなぜここにいるのかも思い出した。
昨夜、龍の姿になった聖を前に驚きと戸惑いを隠せなかったが、家に帰りたいとも思えなかった。
というよりも、あのあとに気が抜けたように睡魔に襲われ、あれよあれよという間に泊まっていくことになった。
幸いにして、今日は仕事が休みだ。
まだ夢か現実かわからないような気持ちもあったが、どのみち泊まる場所の確保もしていない。
そんな事情から、彼に甘えさせてもらうことにしたのだ。
「姫様、眠いです?」
「姫様、まだ寝るです?」
蘭丸と菊丸は、凜花を見上げて首を傾げている。
「え? う、ううん……大丈夫です」
「よかったです」
「お風呂入るですー」
ふたりの口癖なのか、語尾には必ず『です』とつく。可愛いが、今は素直に和んでいる余裕はなかった。
「お湯、あるです!」
「姫様の世話役たちが用意したです」
「あの……お風呂はありがたいんだけど、姫様って私のこと?」
昨夜は疲れ果てて眠ったため、確かにお風呂に入りたい。
けれど、どうしても『姫様』と呼ばれていることが気になって仕方がなかった。
「はい!」
「聖様のつがいは姫様です!」
「つがいって……昨日、あの人……えっと聖さんも言ってたけど、なに?」
「つがいはお嫁さんです!」
「龍は、たったひとりをお嫁さんにするです」
「お嫁さん……って結婚!?」
目を真ん丸にする凜花を余所に、蘭丸と菊丸が凜花の手を引っ張る。
「姫様、お風呂行くです!」
「みんな姫様を待ってるです」
凜花は戸惑いながらもふたりに連れられ、浴室へと案内された。
「おはようございます、姫様。姫様のお世話を仰せつかりました、桜火と申します。なんなりとお申し付けください」
「あ、はい……。えっと、よろしくお願いします」
桜火に倣うように凜花も頭を下げると、彼女に「姫様は頭などお下げにならないでください」と制されてしまった。
「まずは湯浴みのお手伝いをさせていただきます」
「へ? い、いえ……! お手伝いなんて……! お風呂ですよね? 自分では入れますので……」
「お世話をさせていただけないとなれば、私が聖様に叱られてしまいます。どうかお世話をさせてください」
桜火は、切れ長の二重瞼の目尻を下げ、困ったような顔をしている。肩まで伸びた赤毛のような色の髪には艶があり、その表情が色っぽく見える。
赤地に桜が描かれた着物がよく似合う、美しい女性だった。
「で、でも……」
凜花は戸惑ったが、ここで自分が断れば彼女が叱られてしまうと知り、強く拒否することはできなかった。
「えっと……じゃあ、あんまり見ないでくださいね……?」
「お許しいただけてよかったです。ありがとうございます」
嬉しそうに笑う桜火につられて、凜花の顔にも笑みが浮かぶ。
「ほらほら、蘭と菊は出ていきなさい。女性のお風呂は覗くものではありませんよ」
「はーい」
蘭丸と菊丸は揃って右手を上げると、「姫様、外で待ってるです」と言い残して出ていった。
その後、自分で脱げると言う凜花に、桜火は服を脱ぐのを手伝った。
浴室では、彼女が凜花の背中を流して髪を洗い、花から採取したという香油まで塗り込んでくれるほど甲斐甲斐しく世話を焼かれ、凜花はいたたまれなかった。
他人とお風呂に入ったことくらいはあるが、こんな風に世話をされたことはない。
どうすればいいのかわからずに戸惑うばかりで、会話もろくにできなかった。
けれど、檜造りの広い湯船に入ったときには、体の力が抜けて心も緩んだ。
「あの……ずっとそこにいるんですか?」
「はい。私はこれから常に姫様のお世話をさせていただくことになりますので、姫様が湯浴みをされるときにもお傍に控えさせていただきます」
(なんだかずごいVIP待遇じゃない? あとで高額請求されたらどうしよう……。たぶん払えないんだけど、大丈夫なのかな……)
蘭丸と菊丸、そして桜火。
三人から『姫様』と呼ばれ、本当にお姫様のような扱いを受けていることに、どうしても戸惑ってしまう。
「あ、そういえば……さっき、蘭丸くんと菊丸くんがつがいがどうとか話してたんですけど、あれってどういう意味ですか? お嫁さんって……私は違いますよね?」
「後ほど聖様からお聞きください。聖様は姫様のことをお待ちですから」
「えっ? そうなんですか? だったら、もう上がります」
「いえ、『湯浴みはゆっくりさせてやれ』とのお言いつけですので、もっと――」
「もう温まりましたから! それより、私を待っててくれてるなら急がないと……」
慌てて湯船から出た凜花を、彼女はやっぱり甲斐甲斐しく世話をする。
体を拭き、着物を着つけ、髪を丁寧に乾かして結い上げた。
背中の下あたりまで伸びていた凜花の髪は、両サイドを綺麗に編み込まれ、うなじが見えるように上げられたあと、かんざしまでつけられた。
着物は薄桃色の生地で、大きな花がいくつか描かれている。白い花びらは縁がピンク色で、まるで花びらを縁取るようだった。
かんざしにも、同じ花のデザインが施されていた。
「とてもお似合いです。きっと、聖様もお喜びになられます」
「あ、えっと……色々とありがとうございます」
「お礼など不要です。これは私のお役目、これから毎日お世話をさせていただくのですから」
桜火の言葉に引っかかったが、まずは聖に会うべきだろう。
そう考えた凜花は、彼女に促されるがまま屋敷の中を歩いていく。
すれ違う者たちの視線を感じたものの、みんな一様に凜花に頭を下げていた。
それは、凜花にとっては異様な光景で、ただならぬ空気にも思える。ここで初めて不安を抱いた。
「こちらでございます」
凜花が口を開こうとしたとき、桜火が振り返ってふすまを手のひらで差し、「失礼いたします」と断りを入れてからそれを開けた。
室内は、凜花が眠っていた部屋よりもずっと広く、中心に置かれた長机の最奥に聖の姿があった。両隣では、蘭丸と菊丸が彼にしがみつくようにしていた。
「おはよう、凜花。よく眠れたか?」
「あ、はい。おはようございます」
「それならよかった。朝食を用意させたんだ。気に入るものがあるといいが、好き嫌いはあるか?」
「いえ……」
聖が瞳をたわませ、凜花を招くように手を伸ばす。
「おいで」
柔らかな声音が凜花の鼓膜を揺らした瞬間、凜花の鼓動が大きく高鳴った。
同時に、ずっとわからなかった疑問の答えにたどりついた。
「夢で……あなたと会った?」
いつも見る夢。
優しい声で凜花を呼び、まるで乞うように語りかけてくる男性がいた。
何度も見たはずなのに、いつも目を覚ますと彼のことを上手く思い出せなかった。
けれど……今この瞬間、なぜかそれが聖だったのだと確信した。
「ああ、ようやく気づいてくれたか」
彼が嬉しそうに微笑み、立ち上がって歩いてくる。
「俺はずっと、ここから凜花に呼びかけていた。早く俺のもとに来てくれるように願って、毎日夢の中で語りかけていたんだ」
「どうして……?」
「話せば長くなるから、まずは朝食だ。そのあとですべてを語ろう」
聖は静かに告げると、凜花を自身の向かい側の席へと促す。
凜花は戸惑いながらも、彼に言われた通りに豪華な朝食に手をつけた。
いつもの声が聞こえる。
私を呼ぶ、優しい声。
「俺と永遠の契りを交わそう」
愛おしそうに、どこか乞うように。私に語りかけている。
「今度こそお前を守り抜くよ」
知らないのに、なんだか懐かしい声音。
「だから早く俺のもとにおいで、凜花」
――あなたは誰……?
「この世でふたりといない、唯一無二のお前のつがいだ――」
ハッと目を覚ます。
視界に入ってきた見慣れない天井に、ここがどこだかわからずにいたのも束の間。
「あっ、起きたです!」
ひょっこりと可愛い顔に覗き込まれ、凜花は目を丸くした。
「姫様、起きたですね!」
四歳くらいの男の子がふたり、凜花に向かって明るい笑顔を咲かせている。
「だ、誰……?」
凜花はたじろぎつつも、ひとまず身を起こす。左右で布団を囲むようにしていたふたりを交互に見ると、にかっと白い歯を覗かせた。
「蘭丸!」
「菊丸!」
右側の赤い髪の男の子が蘭丸、左側の黄色い髪の男の子が菊丸と名乗る。
ふたりは兄弟なのか、髪色こそ違うものの顔は瓜二つだった。
「聖様がおいでって言ってたです」
「蘭と菊、聖様のお言いつけで姫様を待ってたです」
ふたりが口にした名前は、昨日出会ったばかりの男性のもの。
寝起きの思考でもすぐに記憶が蘇り、自分がなぜここにいるのかも思い出した。
昨夜、龍の姿になった聖を前に驚きと戸惑いを隠せなかったが、家に帰りたいとも思えなかった。
というよりも、あのあとに気が抜けたように睡魔に襲われ、あれよあれよという間に泊まっていくことになった。
幸いにして、今日は仕事が休みだ。
まだ夢か現実かわからないような気持ちもあったが、どのみち泊まる場所の確保もしていない。
そんな事情から、彼に甘えさせてもらうことにしたのだ。
「姫様、眠いです?」
「姫様、まだ寝るです?」
蘭丸と菊丸は、凜花を見上げて首を傾げている。
「え? う、ううん……大丈夫です」
「よかったです」
「お風呂入るですー」
ふたりの口癖なのか、語尾には必ず『です』とつく。可愛いが、今は素直に和んでいる余裕はなかった。
「お湯、あるです!」
「姫様の世話役たちが用意したです」
「あの……お風呂はありがたいんだけど、姫様って私のこと?」
昨夜は疲れ果てて眠ったため、確かにお風呂に入りたい。
けれど、どうしても『姫様』と呼ばれていることが気になって仕方がなかった。
「はい!」
「聖様のつがいは姫様です!」
「つがいって……昨日、あの人……えっと聖さんも言ってたけど、なに?」
「つがいはお嫁さんです!」
「龍は、たったひとりをお嫁さんにするです」
「お嫁さん……って結婚!?」
目を真ん丸にする凜花を余所に、蘭丸と菊丸が凜花の手を引っ張る。
「姫様、お風呂行くです!」
「みんな姫様を待ってるです」
凜花は戸惑いながらもふたりに連れられ、浴室へと案内された。
「おはようございます、姫様。姫様のお世話を仰せつかりました、桜火と申します。なんなりとお申し付けください」
「あ、はい……。えっと、よろしくお願いします」
桜火に倣うように凜花も頭を下げると、彼女に「姫様は頭などお下げにならないでください」と制されてしまった。
「まずは湯浴みのお手伝いをさせていただきます」
「へ? い、いえ……! お手伝いなんて……! お風呂ですよね? 自分では入れますので……」
「お世話をさせていただけないとなれば、私が聖様に叱られてしまいます。どうかお世話をさせてください」
桜火は、切れ長の二重瞼の目尻を下げ、困ったような顔をしている。肩まで伸びた赤毛のような色の髪には艶があり、その表情が色っぽく見える。
赤地に桜が描かれた着物がよく似合う、美しい女性だった。
「で、でも……」
凜花は戸惑ったが、ここで自分が断れば彼女が叱られてしまうと知り、強く拒否することはできなかった。
「えっと……じゃあ、あんまり見ないでくださいね……?」
「お許しいただけてよかったです。ありがとうございます」
嬉しそうに笑う桜火につられて、凜花の顔にも笑みが浮かぶ。
「ほらほら、蘭と菊は出ていきなさい。女性のお風呂は覗くものではありませんよ」
「はーい」
蘭丸と菊丸は揃って右手を上げると、「姫様、外で待ってるです」と言い残して出ていった。
その後、自分で脱げると言う凜花に、桜火は服を脱ぐのを手伝った。
浴室では、彼女が凜花の背中を流して髪を洗い、花から採取したという香油まで塗り込んでくれるほど甲斐甲斐しく世話を焼かれ、凜花はいたたまれなかった。
他人とお風呂に入ったことくらいはあるが、こんな風に世話をされたことはない。
どうすればいいのかわからずに戸惑うばかりで、会話もろくにできなかった。
けれど、檜造りの広い湯船に入ったときには、体の力が抜けて心も緩んだ。
「あの……ずっとそこにいるんですか?」
「はい。私はこれから常に姫様のお世話をさせていただくことになりますので、姫様が湯浴みをされるときにもお傍に控えさせていただきます」
(なんだかずごいVIP待遇じゃない? あとで高額請求されたらどうしよう……。たぶん払えないんだけど、大丈夫なのかな……)
蘭丸と菊丸、そして桜火。
三人から『姫様』と呼ばれ、本当にお姫様のような扱いを受けていることに、どうしても戸惑ってしまう。
「あ、そういえば……さっき、蘭丸くんと菊丸くんがつがいがどうとか話してたんですけど、あれってどういう意味ですか? お嫁さんって……私は違いますよね?」
「後ほど聖様からお聞きください。聖様は姫様のことをお待ちですから」
「えっ? そうなんですか? だったら、もう上がります」
「いえ、『湯浴みはゆっくりさせてやれ』とのお言いつけですので、もっと――」
「もう温まりましたから! それより、私を待っててくれてるなら急がないと……」
慌てて湯船から出た凜花を、彼女はやっぱり甲斐甲斐しく世話をする。
体を拭き、着物を着つけ、髪を丁寧に乾かして結い上げた。
背中の下あたりまで伸びていた凜花の髪は、両サイドを綺麗に編み込まれ、うなじが見えるように上げられたあと、かんざしまでつけられた。
着物は薄桃色の生地で、大きな花がいくつか描かれている。白い花びらは縁がピンク色で、まるで花びらを縁取るようだった。
かんざしにも、同じ花のデザインが施されていた。
「とてもお似合いです。きっと、聖様もお喜びになられます」
「あ、えっと……色々とありがとうございます」
「お礼など不要です。これは私のお役目、これから毎日お世話をさせていただくのですから」
桜火の言葉に引っかかったが、まずは聖に会うべきだろう。
そう考えた凜花は、彼女に促されるがまま屋敷の中を歩いていく。
すれ違う者たちの視線を感じたものの、みんな一様に凜花に頭を下げていた。
それは、凜花にとっては異様な光景で、ただならぬ空気にも思える。ここで初めて不安を抱いた。
「こちらでございます」
凜花が口を開こうとしたとき、桜火が振り返ってふすまを手のひらで差し、「失礼いたします」と断りを入れてからそれを開けた。
室内は、凜花が眠っていた部屋よりもずっと広く、中心に置かれた長机の最奥に聖の姿があった。両隣では、蘭丸と菊丸が彼にしがみつくようにしていた。
「おはよう、凜花。よく眠れたか?」
「あ、はい。おはようございます」
「それならよかった。朝食を用意させたんだ。気に入るものがあるといいが、好き嫌いはあるか?」
「いえ……」
聖が瞳をたわませ、凜花を招くように手を伸ばす。
「おいで」
柔らかな声音が凜花の鼓膜を揺らした瞬間、凜花の鼓動が大きく高鳴った。
同時に、ずっとわからなかった疑問の答えにたどりついた。
「夢で……あなたと会った?」
いつも見る夢。
優しい声で凜花を呼び、まるで乞うように語りかけてくる男性がいた。
何度も見たはずなのに、いつも目を覚ますと彼のことを上手く思い出せなかった。
けれど……今この瞬間、なぜかそれが聖だったのだと確信した。
「ああ、ようやく気づいてくれたか」
彼が嬉しそうに微笑み、立ち上がって歩いてくる。
「俺はずっと、ここから凜花に呼びかけていた。早く俺のもとに来てくれるように願って、毎日夢の中で語りかけていたんだ」
「どうして……?」
「話せば長くなるから、まずは朝食だ。そのあとですべてを語ろう」
聖は静かに告げると、凜花を自身の向かい側の席へと促す。
凜花は戸惑いながらも、彼に言われた通りに豪華な朝食に手をつけた。
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