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Liberation of Paris(パリの解放)

[church(教会)]

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 目に留まったのは、建物の屋根の上から青い空を突き刺すように尖っている教会の屋根。


 “もしかして、ここは……” 


 つい1カ月ほど前に見た記憶が蘇る。

 あれはヒトラー暗殺未遂事件のあった日。


 反ヒトラー派の敷いた戒厳令の夜に、ジョリーの素性を打ち明けられたあの約束の教会。

 間違いない。


 戦場だと言う事など忘れて、まるで何かに誘われように無防備に通りを進む。

 通りを抜けるとジャンヌ・ダルク広場があり、そこに向こうに戒厳令の夜にジュリーと行った‎ノートルダム・ド・ラ・ガール教会‎があった。


 あの日と同じ様に15段ある石の階段をゆっくりと踏みしめる様に登り、あの夜ジュリーが開けたように鉄の門を開ける。

 門の奥にある重厚な木の扉を押すと〝彼女は、ようやく来たのか”とでも言う様に軽く高い声で溜息をつきながら中の様子を見せた。


 昼間だと言うのに暗い。

 いや明るい昼間だからこそ、教会の中は余計に暗く厳かに感じるのだろう。

 ドアが他の者の侵入を止める様に低い声を上げて閉まる。

 彼女は侵入者だけでなく、光や音さえも遮る。


 誰も居ない静かな教会の中では、外で行われている醜い殺戮ごっこによる喧騒も寄せ付けずに、ただ廊下を歩く俺の足音だけを響かせる。


 礼拝堂の入り口にはジャンヌ・ダルクのような鎧を身に纏い剣を持った女性の像が立ち、中には祭壇にはマントを羽織った聖母マリア様が居て、あの夜と何ら変わりのない神秘的な景色がそこにあった。


 ステンドグラスから入る光に照らされて、敷き詰められた椅子の中をゆっくりと進み、ジュリーに促されて腰を下ろしたあの椅子に座る。


 どこからともなく、あの夜ジュリーが言った言葉が聞こえて来る。


 “戦争が終わったクリスマスの日の夜に、ここに来てくれる?”


 俺はそれを不思議とも思わないで応える。


「ああ、クリスマスの夜に、ここに来る」


 あの日と同じ様に呟く俺。


 “時間は20時。約束よ”


「20時、約束する」


 “生きていて”


「ああ、俺は死なない」


 “絶対よ”


「ああ、君も」



 “……”



 直ぐに返事をくれていたジュリーの一瞬の間。


「どうした、ジュリー!」


 一瞬の間に、急に不安が溢れ出す。


 “心配しないで、何も無い”


「ジュリー!君は今どこで何をしている!?」

 まるで旅立とうとするジュリーを呼び止める様に叫ぶが、今度は何も返事は無い。

 ただ教会の静寂だけが俺の声を天に運んでいた。


 “ジュリー!”


 ジュリーに何かあったに違いない。

 詳細な事は何も分からないが、そう感じた。


 何があったか分からないが、俺は生きなくてはならない。

 それがジュリーとの約束。


 約束とはお互いの合意のもとにあらかじめ決めた取り決めを、将来変えないことを誓い合うこと。


 俺はジュリーと決めた“生きる”と言う約束を果たさなければならない。

 教会の廊下を蹴る様に走り、ドアを開ける。


 暗い場所になれた眼は、ホワイトアウトしてしまい一瞬の状況が掴めない。

 だが耳は違い、静かな場所から表に出てきたので、逆に感度が上がった。

 何人かの人間が走る音。

 1,2,3,4,5人だ。

 この足音は国防軍の兵士の履く長靴じゃない。


 奴等の足音が慌てて止まる。

 咄嗟に身を屈める。


 奴等の放った銃弾をまるで吸い取る様に、教会の入り口に立つ2人の女神像が引き受けてくれた。

 だが、その代償に彼女たちの美しい顔は、無残にも欠けてしまう。


 いつもの俺なら、ここからFG-42を乱射しながら階段を駆け下りていただろう。

 だが今は違う。

 彼女たちが俺を守ってくれるのであれば、俺はその好意に素直に甘えよう。


 FG-42のセレクトレバーをセミに変えて、狙撃で対応する。

 1人、2人、3人……。

 奴等には何の恨みも無いが、俺は死ぬわけにはいかない。

 ジュリーとの約束を守らなければならいのだ。

 俺に向けられた銃弾を引き受けてくれている女神像たちも、ジュリーの願いを聞き入れる様に俺の命を守ってくれている。


 だが彼女たちは戦争をする俺を肯定している訳ではない。

 その証拠に、俺が敵を殺すたびに、その美しい顔は無残にも崩れて行く。

 俺の右手に居る女神像は鼻と口が崩れ落ち、左手に居る女神像は額から右目までが崩れ落ちた。

 5人目の敵に照準を合わせたが、もはや奴の心には戦いの火が消えていることに気付き、撃たずに仲間の待つナシオナル通りの陣地に向かった。
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