上 下
40 / 98
battle in Paris(パリでの戦い)

[Les aveux de Julie Ⅱ(ジュリーの告白)]

しおりを挟む
 その上の人物が何者であるのか、名前は聞かなかったし興味もなかった。

 おそらく聞いてもジュリーは何も教えてはくれないだろう。

 俺は只のバウワー(Bauer:チェスの駒でポーンのドイツ語読み。直訳は農家だが「兵士」を意味する)余計な事を知る必要はない。



 ただ一つだけ聞いておきたい重要な事があった。

 それはジュリーがスパイである事を、その上の人物は知っているのかという事。

 もし、知らなければ、大変な情報を漏洩していることになる。

「知っているわ。だからヒトラー暗殺が失敗したと分かった段階で、私は死んだの」


「死んだ?」


「実際は生きているけれど、混乱の最中に事故で死んだことにしてくれたの。そうすれば私に関係のある人がゲシュタポの尋問に合う事も無いでしょう」

「確かにな。君の上司はかなりの人格者だな」

「そうよ……」

 ジュリーは賢いから、俺に上司を悟られないような返事を返してくれた。

 知った所で何の徳も無い。

 おそらく彼女の上司という人物は、国防軍のエリートで人望も厚い人物なのだろう。

 だからヒトラーの暗殺が成功していたとすれば、停戦交渉も上手くいく。

 抵抗するとすればナチス親衛隊とゲシュタポ位なものだが、そのために治安維持軍を動員して戒厳令を敷いたに違いない。



 しかし肝心のヒトラーはまたしても暗殺の危機を掻い潜った。

 なんで神様はいつも無情なのだろう。

 彼が死んでいれば明日にでも休戦交渉が始まって、今月中にも戦争は終わっていたかもしれないのに。





「君の御両親は?」

「1944年5月31日水曜日の爆撃で亡くなったわ」

「もしかして、あの教会で?」

 あの教会と言うのは、一緒にルーアンの街を歩いたときジュリーが最後に立ち寄った瓦礫の中に入り口だけが残ったサン・ヴァンサン・ド・ルーアン教会のこと。

「ええ、でもどうして分かったの?」

「花が添えられていた。あの時は気付かなかったけれど、あれは君が捧げたものなんだろう?」

「ええ」

「爆撃した連合軍を怨む気持ちはないのか?」

「ないわ。誰も怨んではいない。怨んでいるのは戦争よ」

「すまない」

「ルッツ、アナタ達じゃないわ。私は、戦争と言う現象を怨んでいるの」

「戦争という現象?」

「そう。もはやコロンブスの時代の様に、支配する国と支配される国との文明の差はないから、戦争によって無理にその土地や人々を手中に収めようとしても私たちレジスタンスの様な抵抗組織に悩まされるだけ。もはや時代は戦争によって解決するようなものではない。戦争につぎ込む人やお金があるのなら、それを回避する方に回せば戦争は起こらなくて人が死ぬこともない」

「回避する方法とは?」

「一方的に略奪するのではなく、経済を動かすの」

「経済を動かす?」

「お互いの国の得意分野同士を上手く交換し合い、平等な取引が実現すれば、言葉や人種が違う国同士でも経済的に強い絆が出来るとは思わない?ましてここはヨーロッパで陸続きだから、通貨の統一や関税の撤廃などによる経済効果は計り知れないわ」

 確かにその通り。

 物の行き来が多くなれば、人の行き来も自ずと多くなり、お互いの理解も深まる。

 経済の混乱を招く戦争を選ぶ確率は極端に減って行くだろう。




「叔父さんのお店で出会ったのは偶然なのか?」

「あれは只の偶然よ。オットーは気に入った人を良く叔父の店に連れて来るの。だけど私は驚いたわ。まさかあの時の英雄が、私の住む叔父の店に来るなんて思っても居なかったもの」

「あの時何故嘘をついた?」

 あの時とは、オットー・ヘイム中佐が彼女を俺に紹介する時、レジスタンスだと言った時の事。

 怒って帰ろうとする俺に、ジュリーは国政局の身分証明書を見せた。

「仕方ないでしょう。オットーは私がレジスタンスだなんて知らなくて冗談で言っただけなんだから。それに、私の正体を知ってしまうと彼も只では済まないわ。ルーアンのフランス人にとって彼は大切な人よ」

「その後、つまり、その……そのあと、どうして俺を誘った?」

「えっ……嫌だったの?」

「そんな、嫌じゃない。現に俺は17時の約束まで待ちきれなくて、昼前に軍政局に行ったじゃないか」

「私もよ」

「わたしも?」

「私も同じ。お昼休みにアナタが来てくれて、とても嬉しくて」

「どうして、俺なんか只の兵隊だぞ」

「人の価値は、階級や職業ではないわ。ましてお金持ちかどうかも違う」

「ひょっとしたら俺の正体は、大金持ちの御曹司かも知れないぞ」

「まあ素敵!でもアナタなら、その逆でも構わないわ」

「逆でも構わない?」

「……」




 俺の問いに、それまで饒舌だったジュリーが俯いて黙ってしまった。



 なにかマズいことでも言ってしまったのかと、焦る。



 しばらくしてジュリーがボソッと呟く。



「私はレジスタンスで、アナタはドイツ兵。だけど敵同士じゃない」


「ああ、立場が違うが、共に国のための仕事をしているだけだ」


 俺の言葉が終わると直ぐに、ジュリーの表情がパッと明るくなって、俺の前にその美しい顔を突き出して言った。


「ねえ、この戦争が終わったら、また会ってくれる?」と。


 俺は少し戸惑った。

 何故なら俺は兵士だから。

 ノルマンディーに連合軍が上陸して1ヶ月でカーンも占領された。

 ドイツの各都市もまた、連日連合軍の爆撃に合っている。

 このまま戦争が続くとすればフランスは解放され、戦線はドイツ本国へと及び戦況は泥沼に陥るだろう。

 そうなれば俺が生きて終戦を迎えると言う保証は、どこにもないばかりか戦争を生き残る確率は限りなく低い。


「生きていたら」

 そう答えるしかなかった。


「生きていて」

 ジュリーは俺に強く言った。


「分かった」


「必ずよ。約束して!」


「ああ、必ず生きて、君と会う」


「じゃあ、戦争が終わったクリスマスの日の夜に、ここに来てくれる?」


「ああ、クリスマスの夜に、ここに来る」


「時間は20時。約束よ」


「20時、約束する。でも何故?」


「好きだから。一緒に居たいの」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

藤と涙の後宮 〜愛しの女御様〜

蒼キるり
歴史・時代
藤は帝からの覚えが悪い女御に仕えている。長い間外を眺めている自分の主人の女御に勇気を出して声をかけると、女御は自分が帝に好かれていないことを嘆き始めて──

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

葉桜

たこ爺
歴史・時代
一九四二年一二月八日より開戦したアジア・太平洋戦争。 その戦争に人生を揺さぶられたとあるパイロットのお話。 この話を読んで、より戦争への理解を深めていただければ幸いです。 ※一部話を円滑に進めるために史実と異なる点があります。注意してください。 ※初投稿作品のため、拙い点も多いかと思いますがご指摘いただければ修正してまいりますので、どしどし、ご意見の程お待ちしております。 ※なろう、カクヨム、ノベルアップ+でも投稿中

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

処理中です...