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To Paris(パリへ)
[La porte de la liberté qui apparaît faiblement Ⅱ(微かに見えた自由への扉)]
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駅を出ようとすると、あの親衛隊少佐が煙草を咥えて俺たちを睨んでいた。
駅前のレストランは割と空いていたけれど、俺たちは奴の目を避けるため街角をジグザグに走り抜けて、セーヌ川の畔にあるカフェで朝食を摂ることにした。
注文を済ませたジュリーが電話を掛けるためお店の奥に行ったので、俺は悠々と流れるセーヌ川を見ながら待っていた。
どうでもいい少尉の身分証明書とワッペンをもらうためだけにパリに赴く俺と違い、彼女には屹度重要な使命があるのだろう。
それにしても、まだ20代前半にしか見えないのに、こんな任務が与えられるなんて、そうとう上からの信頼が厚いのだろう。
まあ、彼女は美人の上に賢いから、当然と言えば当然なのだろう。
「おまたせ。何考えていたの?」
「なにも……」
「嘘おっしゃい。女性の事を考えていたでしょう?」
「まいったな。なんで分かる?」
「男の人が“何も考えていない”って言うときは、たいてい女性の事を考えているものよ。ねえ、誰?故郷に居る奥さん?」
「結婚はしていないよ」
「じゃあ、ガールフレンドの事?」
「そんな人は居ない」
「もしかして私のこと?」
「そう、その、もしか」
「まあっ、嬉しい!」
ジュリーはそう言うと俺の手を握ってくれた。
朝食を済ませて、少しセーヌ川沿いを散歩した。
「折角の旅なのに、俺のしたことで変な奴に付きまとわれてしまってすまない」
「あの親衛隊の少佐の事なら気にしなくてもいいわ。どうせ直ぐに居なくなるのだから」
「居なくなる?」
「戦争が終わればナチスは滅び、そしてその犯した許しがたい罪の裁きを受けることになるのよ」
「俺たちが滅びる?」
「ドイツは滅びないわ。滅びるのはヒットラーが作り出したナチスだけよ。いくらヒットラーでも人々の心の中までは変えられないわ」
「ナチスの中にも、罪を犯さず国のために真剣に戦っている者も居る。それに、この話はこの戦時下で公に話して良いものではない」
「ごめんなさい」
ジュリーが戦争の終結について話すのはこれで2度目。
誰もが戦争の終りを願っているのは間違いない。
けれどもその事を、特にナチスの者に聞かれると、とんでもないことになる。
もはやドイツは戦争を終結させる能力を持っていないから、戦争を終わらせるには降伏以外の道はない。
だがそれは徹底抗戦を唱えるヒットラーが生きている限り実現はしない。
連合軍がノルマンディーに上陸してから1ヶ月半が経つ今日でも、彼等はカーン迄しか侵攻できていないのだから、この戦争は思った以上に長く続くはず。
確かにドイツが不利な状況は否めないが、俺たちが連合軍の進行を食い止めることによってこの戦争を“和平”と言う形に持ち込むことはできるが、それとて半年以上敵を食い止めるか大打撃を与える必要がある。
つまり上陸した敵をジリ貧に持ち込むことでクリスマス休戦を実施させ、そこから和平協定に持ち込むことが一番早い終戦になると俺は思っている。
これなら陸海空軍の上層部もある程度の妥協は承諾するだろう。
問題はヒットラーが妥協するかどうかだが……。
「今度は、戦争のこと?」
「い、いや」
「嘘おっしゃい、顔に書いてあるわよ」
「そ、そうか……」
「気難しい顔をしているときは、必ず戦争のこと」
たしかにジュリーの言う通り。
俺は自分が思う以上に、既に戦争に失望している。
だがそれは、前線に出ている兵士の殆どがそうに違いない。
なのに、戦争は終わらない。
「写真撮ろうよ」
「えっ、なに?」
唐突に言われて、意味が分からずに聞き返す。
「だから、一緒に写真を撮りましょう」
「俺はカメラを持っていないが、ジュリーは持っているの?」
「持ってなんかいないわ。だから写真館に行きましょう!」
またしてもジュリーは俺の手を取って走り出す。
こんな小さな街に写真館なんてあるのか?
手を引かれるまま付いて行くと、路地裏の通りに写真館があった。
「こんにちわ!」
「やあジュリー、久し振りだね」
写真館に入るとパイプを咥えた50代くらいの中年の写真技師が明るい笑顔を向けてジュリーの名を呼んだ。
ところが俺に気付いた写真技師の目は、今までジュリーに向けられていた慈しみのあるものとは180度変わり、嫌悪感に満ちていた。
「この方は?」
目の表情と同じ様に、声のトーンも下がる。
「ドイツ空軍の英雄よ」
「パイロット?」
「違うの、パラシュート部隊の英雄よ」
「その人が何故ここに?」
「写真を撮ってもらうために来たに決まっているでしょう。もう、オジサンったら」
そう言うとジュリーは上着を脱ぎ始め、俺にも上着を脱ぐように言った。
「なんで上着を取る?軍人である以上、軍服を着て写真を撮るべきだと思うが……」
「今日、写真を撮るのは私たちの未来のためよ」
「未来、の、ため?」
「そう。戦争の無くなった未来。だから軍服は似合わないでしょう?オジサン、ミレーヌのワンピース借りられる?」
「いいとも」
「それから、この人には大きめのジャケットを貸してあげて」
「d'accord!(わかった)」
ドイツ語で話すジュリーに合わせて、ドイツ語で答えていた主人が、最後だけフランス語で答えた。
制服を脱いでネクタイを外し、ジャケットを着て、履いていた長靴を普通のシューズに替えると民間人の出来上がり。
「ナカナカ似合いますよ」
鏡に映る自分の姿を見ていた時、主人に褒めてもらい、何だか子供の時の様に嬉しかった。
確かに、軍服よりもこの方が良く似合っていると自分でも思う。
思えばここ数年、外では戦闘服と制服しか着ていない。
こんな自由な格好は久し振りだ。
ただし、戦争が終われば、その自由は直ぐにやって来る。
「おまたせー」
奥の扉の方からジュリーの声が聞こえたので振り向くと、そこにはノースリーブの向日葵色のワンピースを着て眩しく輝く自由そのものが居た。
「ジュリー‼」
興奮して思わず声を上げてしまい、自由に飢えていた自分の気持ちを思い知らされる。
「どう、似合う?」
「似合うも何も、キラキラして、まるで自由の女神のようだ」
「まあ、お上手ね」
駅前のレストランは割と空いていたけれど、俺たちは奴の目を避けるため街角をジグザグに走り抜けて、セーヌ川の畔にあるカフェで朝食を摂ることにした。
注文を済ませたジュリーが電話を掛けるためお店の奥に行ったので、俺は悠々と流れるセーヌ川を見ながら待っていた。
どうでもいい少尉の身分証明書とワッペンをもらうためだけにパリに赴く俺と違い、彼女には屹度重要な使命があるのだろう。
それにしても、まだ20代前半にしか見えないのに、こんな任務が与えられるなんて、そうとう上からの信頼が厚いのだろう。
まあ、彼女は美人の上に賢いから、当然と言えば当然なのだろう。
「おまたせ。何考えていたの?」
「なにも……」
「嘘おっしゃい。女性の事を考えていたでしょう?」
「まいったな。なんで分かる?」
「男の人が“何も考えていない”って言うときは、たいてい女性の事を考えているものよ。ねえ、誰?故郷に居る奥さん?」
「結婚はしていないよ」
「じゃあ、ガールフレンドの事?」
「そんな人は居ない」
「もしかして私のこと?」
「そう、その、もしか」
「まあっ、嬉しい!」
ジュリーはそう言うと俺の手を握ってくれた。
朝食を済ませて、少しセーヌ川沿いを散歩した。
「折角の旅なのに、俺のしたことで変な奴に付きまとわれてしまってすまない」
「あの親衛隊の少佐の事なら気にしなくてもいいわ。どうせ直ぐに居なくなるのだから」
「居なくなる?」
「戦争が終わればナチスは滅び、そしてその犯した許しがたい罪の裁きを受けることになるのよ」
「俺たちが滅びる?」
「ドイツは滅びないわ。滅びるのはヒットラーが作り出したナチスだけよ。いくらヒットラーでも人々の心の中までは変えられないわ」
「ナチスの中にも、罪を犯さず国のために真剣に戦っている者も居る。それに、この話はこの戦時下で公に話して良いものではない」
「ごめんなさい」
ジュリーが戦争の終結について話すのはこれで2度目。
誰もが戦争の終りを願っているのは間違いない。
けれどもその事を、特にナチスの者に聞かれると、とんでもないことになる。
もはやドイツは戦争を終結させる能力を持っていないから、戦争を終わらせるには降伏以外の道はない。
だがそれは徹底抗戦を唱えるヒットラーが生きている限り実現はしない。
連合軍がノルマンディーに上陸してから1ヶ月半が経つ今日でも、彼等はカーン迄しか侵攻できていないのだから、この戦争は思った以上に長く続くはず。
確かにドイツが不利な状況は否めないが、俺たちが連合軍の進行を食い止めることによってこの戦争を“和平”と言う形に持ち込むことはできるが、それとて半年以上敵を食い止めるか大打撃を与える必要がある。
つまり上陸した敵をジリ貧に持ち込むことでクリスマス休戦を実施させ、そこから和平協定に持ち込むことが一番早い終戦になると俺は思っている。
これなら陸海空軍の上層部もある程度の妥協は承諾するだろう。
問題はヒットラーが妥協するかどうかだが……。
「今度は、戦争のこと?」
「い、いや」
「嘘おっしゃい、顔に書いてあるわよ」
「そ、そうか……」
「気難しい顔をしているときは、必ず戦争のこと」
たしかにジュリーの言う通り。
俺は自分が思う以上に、既に戦争に失望している。
だがそれは、前線に出ている兵士の殆どがそうに違いない。
なのに、戦争は終わらない。
「写真撮ろうよ」
「えっ、なに?」
唐突に言われて、意味が分からずに聞き返す。
「だから、一緒に写真を撮りましょう」
「俺はカメラを持っていないが、ジュリーは持っているの?」
「持ってなんかいないわ。だから写真館に行きましょう!」
またしてもジュリーは俺の手を取って走り出す。
こんな小さな街に写真館なんてあるのか?
手を引かれるまま付いて行くと、路地裏の通りに写真館があった。
「こんにちわ!」
「やあジュリー、久し振りだね」
写真館に入るとパイプを咥えた50代くらいの中年の写真技師が明るい笑顔を向けてジュリーの名を呼んだ。
ところが俺に気付いた写真技師の目は、今までジュリーに向けられていた慈しみのあるものとは180度変わり、嫌悪感に満ちていた。
「この方は?」
目の表情と同じ様に、声のトーンも下がる。
「ドイツ空軍の英雄よ」
「パイロット?」
「違うの、パラシュート部隊の英雄よ」
「その人が何故ここに?」
「写真を撮ってもらうために来たに決まっているでしょう。もう、オジサンったら」
そう言うとジュリーは上着を脱ぎ始め、俺にも上着を脱ぐように言った。
「なんで上着を取る?軍人である以上、軍服を着て写真を撮るべきだと思うが……」
「今日、写真を撮るのは私たちの未来のためよ」
「未来、の、ため?」
「そう。戦争の無くなった未来。だから軍服は似合わないでしょう?オジサン、ミレーヌのワンピース借りられる?」
「いいとも」
「それから、この人には大きめのジャケットを貸してあげて」
「d'accord!(わかった)」
ドイツ語で話すジュリーに合わせて、ドイツ語で答えていた主人が、最後だけフランス語で答えた。
制服を脱いでネクタイを外し、ジャケットを着て、履いていた長靴を普通のシューズに替えると民間人の出来上がり。
「ナカナカ似合いますよ」
鏡に映る自分の姿を見ていた時、主人に褒めてもらい、何だか子供の時の様に嬉しかった。
確かに、軍服よりもこの方が良く似合っていると自分でも思う。
思えばここ数年、外では戦闘服と制服しか着ていない。
こんな自由な格好は久し振りだ。
ただし、戦争が終われば、その自由は直ぐにやって来る。
「おまたせー」
奥の扉の方からジュリーの声が聞こえたので振り向くと、そこにはノースリーブの向日葵色のワンピースを着て眩しく輝く自由そのものが居た。
「ジュリー‼」
興奮して思わず声を上げてしまい、自由に飢えていた自分の気持ちを思い知らされる。
「どう、似合う?」
「似合うも何も、キラキラして、まるで自由の女神のようだ」
「まあ、お上手ね」
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